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海燕『ほんとうはリア充なオタクたち。クリスマスを前に多様化する「幸福のかたち」を考える。』を読む。
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皆さん、こんばんは。早いもので始まったばかりと思っていた2013年も残すところ後、僅か361日のみとなりました。年越しの用意はお済みでしょうか?(以下略)
さて去年のクリスマス前、このニコブロの中でトップクラスの人気を誇る海燕さんが、上のようなコラムをアップなさいました(http://ch.nicovideo.jp/article/ar23559)。
有料だったのでしばらくスルーしていたのですが、どうしても気になって先日読んでみました。そこで展開されていたのは
非モテとか非リアのルサンチマン語りという芸風そのものが何とも古くさいものに思える。
というのも、いまの時代、リア充だけが楽しい人生を送っていて、非モテなり非リアはつまらない人生を送っているのかというと、決してそんなことはいえないと思うんですよ。
たとえば20年前、30年前と比べても、日本の「幸福のかたち」は多様化していて、ひとつの「幸福のかたち」を手に入れられなければそれで不幸になるかというと、決してそんなことはない。そもそも不幸じゃないのに不幸なふりしてどうするんだと思うわけです。
結局のところ、恋人なり伴侶がいるひとだけを「リア充」と呼び、それだけがしあわせな生き方であると考えることはいまの時代に合っていないのではないか。ぼくはそう思います。
といった論旨でした。
彼の「非モテとか非リアのルサンチマン語りという芸風そのものが何とも古くさいものに思える。」という指摘には、一応、頷けるものを感じます。
しかしそれは――皆さんお気づきかと思いますが――要するに不況のおかげでみんな貧乏になったから、ということでしかありません。なるほど、「リア充」を「DQN」と読み換えれば、いかにもビンボーくさい、あんまり幸福でなさそうなイメージが喚起されます。
そうなると彼の主張は「みんなどーせビンボーで不幸なんだからいいじゃん」とも解釈でき、だとするならばそれはいささか無神経です。
そもそもぼくたちは「そもそも不幸じゃないのに不幸なふり」をしているのでしょうか?
彼の目から見てどう考えてもそう想像せざるを得ない何かがあって、そのように裁定しているのでしょうか?
読む限りそれはそうではなく、「価値観が多様で“なければならない”から不幸を感じては“ならない”」という論理(否、イデオロギー)が先行しており、そんなリクツでこっちに「感じ方」を押しつけられてもなー、何とかジニーじゃあるまいし、と思ってしまいます。
仮に上の「みんな貧乏になったから」論を受け容れたとしても、DQNと非モテ、彼女がいるだけ前者がマシということにしかならないのではないでしょうか。「あのDQNどもの連れて歩いている女とつきあうくらいなら一生童貞でいい」と思うのも一面の真理ではあるけれども、一方、「でも彼女が欲しいよな」と思うのも事実であり、そもそもそうでない限り、萌え産業がここまで発展するわけがないのです。
実のところこうした物言いは、オタクを鼓舞するためのものであれば有効であると思います。
「障害者の抱える障害は決して“障害”ではない、“個性”だ」などという言い方、欺瞞以外の何ものでもありませんが、障害者自身が自らを鼓舞する意味では「有効」だと思います。
彼は「好きなもの(趣味)を持っているオタクこそ真のリア充だ」とも言っていて、そもまた、そうした文脈から見ればわからないものではありません。
そう、それはまさしく本田透さんが『電波男』において「オタクは現実に勝った!!」と勝利宣言したように。
――だがちょっと待って欲しい。それなら海燕さんも同じことを言っているんだから、それでいいはずではないのか?
――海燕さん自身もオタなのだから、仲間同士で自らを鼓舞しているのではないか?
まあ、そうとも取れるのですが、不思議なのは上の文章を読んでも、海燕さんが本田透さんがお好きだとは、あまり思えない点です。
そもそも、この文章はよりにもよってこれがクリスマスに向けて書かれたものです。そこにはやはり、少なからぬ意味があると考えざるを得ません。
本田さんは当初、『電波男』を「オタクが何をしたってんだよ~、チクショ~」といった調子の泣き言本として出そうとしていた。それが酒井順子師匠の『負け犬の遠吠え』など、女性ライターのオタクを見下したスタンスにムカつき、論調を転換した、といった経緯があったはず。
やはりそれは一種の「鼓舞」に他ならない。
しかしそもそも「鼓舞」するということは、その裏にはやはり、ルサンチマンが深く深く潜んでいるはずです。
それは本田さん自身が同書の中で「アニメの美少女は部屋の掃除をしてくれない」と嘆いている点からも、KEYといった「家族」をテーマに据えたゲームを発表するメーカーを盛んにリスペクトしている点からも伺えます。
好きな人がモニタから出て来てくれない限り、基本的にぼくたちは充足できない存在なのです(とは言え、ならば美少女アンドロイドが生まれればぼくたちは満たされるんでしょうか? 造形のみならず行動パターンなどあらゆる点において「不気味の谷」が立ちはだかっている気がしてなりません)。
クリスマスに戻りましょう。
ぼくは海燕さんのコラムを読んで、二人の人物について思い出しました。
一人はSF作家の星新一、もう一人はタレントの伊集院光です。
星新一に関してはクールでニヒリスティックな筆致のSF作家、というのが多くの人のイメージかと思います。てか、それで正しいんですが。ですが、その才能は彼が世に出た高度経済成長期の宇宙開発ブームの頃より、それが一段落した後のことさらSF色のない作品でこそ十全に発揮されたのではないか、というのがぼくの個人的な感想です(などと、通ぶったことを言ってみる)。
が、それよりも更に星新一の鋭い視点を味あわせてくれるのが、彼が書いたエッセイです(と、更に通ぶる)。これもまたショートショートに負けず劣らず皮肉の効いた文明批評が展開され、極めて味わい深い……えぇ~い、面倒だ。
ぼくが言いたいのは、そんな彼が珍しくセンチメンタリズムに満ちたエッセイを書いていたことがあった、タイトルなどは忘れたが、感じとしては「さよなら、クリスマス」とでもいったものであった、というようなことです。
クリスマスとは、彼の世代にとっては敗戦後の圧倒的なアメリカ文化の豊かさの象徴でした。しかし、エッセイが書かれたのがいつかは判然とはしませんが、察するに高度経済成長に翳りの見られた70年代後半頃のことでしょうか、この辺りになるとそうした「物質的豊かさ=人類の幸福」といった図式が揺らぎ出してしまったわけです。
星さんはいつものクールさもどこへやら、「クリスマスさん、君もとうとう役目を終え、おわコン化してしまったんだね、今までありがとう、さようなら」みたいな感傷的な文章を書いていたのです。
さて、とは言え、ぼくがそのエッセイを最初に読んだ時の感想は、( ゚д゚)ポカーンというものでした。
無理もありません。
ぼく自身が幼かったこともあるし、読んだのは確かバブルの頃だったはず。
この頃はこの頃で、男の子が女の子とのイブを過ごすために一等地の何かすんげー高いホテルを予約してどうたらこうたら……みたいなことがメディアでさも当然のごとく語られていた時代です。
そう、この当時、というか80年代全般はその躁病的恋愛資本主義社会の象徴としてのクリスマスが、言わば恋愛の神として君臨していた時代でした。
さて、実は去年のクリスマスイブにも実は、極めて象徴的なことが起こっていました。
クリスマスイブの夜は月曜日。
そう、月曜の夜と言えば?
伊集院光がラジオをやる日ですよね。
ところがこの日のトークで伊集院さんは「ここ数年、クリスマスって俺たち非モテがやっかんでいた、リア充がよろしくやる日ではなくなってきているよなあ」といった主旨のことを言っていたのです。
伊集院さんと言えばまさにバブルの絶頂期、周囲の若い連中が躁病的に女の子たちと浮かれている中に青春時代を送った、深い深いルサンチマンの主です。
その彼のクリスマスおわコン宣言は、星新一とはまた違った意味で象徴的です。
海燕さんのコラムが伊集院さんの感想と近しい心理に端を発するものであることは既に書きましたが、一方で星さんのエッセイでもわかるように、戦後のクリスマスはアメリカの圧倒的な豊かさの象徴でした。そしてまた日本に輸入されてきたファミリードラマにも同じことが言え、そこでは豊かさを享受する「幸福な家族」の姿が繰り返し描かれていたのです。
そうした登り調子の時代では当然、子供が未来の担い手として尊ばれます。クリスマスは豊かになりつつあった高度経済成長期の日本で、子供が高価なオモチャを買ってもらえる日でもありました。『勇者ライディーン』では高価なオモチャであるジャンボマシンダーが売られる時、CMで愛川欽也を起用して「アカガマキンニコ」と唱えさせました。「赤ちょうちんを我慢すれば(オモチャを買えるから)息子のキン坊がニコニコだぞ」とのお父さんに向けたCMです。
星さんと伊集院さん、二人のクリスマスおわコン宣言はそれぞれ「家庭」、「恋愛」による大量消費というビジネスモデルの終了のお知らせであり、それは最早、景気がよくなることを期待できなさそうなこれからの日本にとって、不可避なことなのかも知れません。
が、だからと言ってそれを幸福と感じるか不幸と感じるかは、また別な問題です。
「家庭」、「恋愛」。
いずれもオタクが手に入れることが叶わず、それ故に拘泥し続けてきたものであることは、もう本田さんの著作を引いて説明するまでもないでしょう。
それを「必要ないのだ、それ故オタクは不幸ではないのだ」と主張しても、首肯する人はほとんどいないのではないでしょうか。
何となれば「萌え文化」というものはオタクによる、上の星さんに負けないほどに哀切を極めた表情で「家庭」、「結婚」のおわコン化を惜しむ歌なのですから。
難解スギィ!! ようは「不幸のつもり」になってるから「非リア充」ということなのか(池沼)
オタクで恋愛して結婚して子供がいるのが唯一の勝ち組ってことでOK?
まぁいずれにせよ
自分が不幸と思えば不幸だし
幸福と思えば幸福だよ
幸福の価値ってそういうもんじゃね?
この斜め上から目線の俺カッコイイ みたいな記事を書くのもどうかと思うよ(笑)
相手の前提を曲解したり、話があっちこっちにとんでこれもうわかんねえな
でもやっぱ恋人とラブラブしたいなぁ・・・
恋人がいないだけで「非リア」って何だよ
交際者しなくたって友人がいて楽しく過ごしてればそいつは充実してるだろ
本当に友人さえいない身からすれば恋人の有無だけでリア充だ非リアだ言っててバカバカしい
気軽に使えるネット用語だからって「あー俺非リアだわー」って軽々しく言うけど使う場面が友人同士の会話な時点でそいつは充実してるだろ
PETA的噛み付き売名法との違い比較はよwww
出典の明示や語句の注釈一つできなくてもライター気取れる時代なんですね^^;;;;;
フリーライター? ライ抜いても意味変わらないでしょ。
障害者のくだりなんかは特に不見識極まりない
ごめん
バカだから何言いたいかよくわかんない
不幸じゃないのに不幸なふりってのは嘘で結局は不満抱えてるからそんなこと言うんだろってこと?
別に人それぞれとしか言えない気が…
>「家庭」、「恋愛」。
いずれもオタクが手に入れることが叶わず、
オタカップルやオタ夫婦の立場は…
他人の不幸の価値を全否定する必要はないし、自分の不幸をたいしたことなく考えなくてもいい。
本気で不幸だと思ってるわけではなくてね。みんなノリなんですよ、そんな複雑に解釈するほどのことでもないんです。
何で急にこんなにコメントが……どっかで紹介されたのか?
お読みいただき、ありがとうございました。
一人ひとりには返答できませんが、「人それぞれ」というご意見が目立ったように思います。
まさにその通りで、「俺は不幸だ」と認識しているオタクが多いならそれを傍から「お前は不幸じゃない」と言うことが極めて不自然に思ったことが、今回の執筆の動機になりました。
ジェガンさん>
「出典の明示や語句の注釈一つできなくても」ってのの意味がわからないんですが。
海燕さんのコラムを除いてストレートな引用なんてないでしょ。
後、障害者の下りの意味がわからないのですが、どこが不見識だと思われたのでしょう?
最初の論旨について書かれた文章の意図がわからない時点で
読む気失せた。話の着地点も微妙すぎて、なんともこれは。
他者の話や歴史引用しすぎて結局何が言いたいか理解できない。
文章が長すぎて、全部読み切る前に感情が冷めてしまうわ。
…申し訳ない。
三行でお願いします
リア充=かれかのがいるとはかぎりませんし、リアルでふつーに充実してるならリア充だとおもいますよ??
20年ぐらい前までは「恋愛シュミレーションゲーム」といえば現実ではモテない根暗なおたくがやってる
というイメージがあった気がする。しかし現在は「現実の恋愛」こそが実はゲームでありふたつは等価な
位置にあるかむしろ「現実の恋愛」こそクソゲーじゃないかという意識が出てきはじめているように思う。
「恋愛シュミレーションゲーム」でも「現実の恋愛(というシュミレーションゲーム)」でも好きなほう
をやればいいんじゃないかな。どのみちゲームでしかないんだから自分でやるかやらないか選ぶことができる。
そもそもリア充をどんなものか定義せずに話されましても^q^
相手が居るから幸せって考えは危険なんだよなぁ…
俺は一回身を持って味わったから女性とは「親友」でとどまるようにしてるよ
ゴドーさん>
言ってみればそれがぼくの書いた本田透理論ですよね。
しかしならば何故「リア充爆発しろ」という言い方がはやるのか……?
わざわざ難解な文したり括弧書きで自身に突っ込み入れたり・・・
中二臭いんだよなぁ・・・(困惑)
リア充は彼氏彼女がいなくても友達が~~
って言ってる人多いしもちろん分かるけど
それのほうが定着してるから間違ってもないよね
ほぉ~オタクって(どの線引きでオタクって言うのか細かく教えて欲しいもんだが)結婚も出来なきゃ恋人も出来ねぇってか?
ほぉ~…硬い頭の視野の狭い人間らしい文章だな、ホンダさんだかポンダさんだかパンダさんだか知らねぇが、友達たくさん作って色々な人間見てこいよ
井の中の蛙さん
今じゃ女性だって男性顔負けにバリバリ働いてて、その中で結婚にも恋愛にも見向きもしないで独身のままな女性がいる時代だぜ?
男だって言わずもがな、それにな今の御時世ちょっと体が当たれば痴漢扱いされる、仲良くなろうとして沢山話しかけてたらストーカー扱いされるなんて事はザラだぜ?
女性側も、結婚も恋人もまだ要らないって思ってるのに出会い目的の変な男共に絡まれた末に辟易して恋愛そのものに幻滅する人だっているんだぜ?
まぁ、それにも増して言えるのは別に所謂オタクって奴は自分が不幸なんて嘆いてないと思うし、仮に恋人が居なくて不幸だ!なんて嘆いた所で、お前は不幸じゃないなんて言わないよ?
精々が、お前が悪いで終わりだぁね
その程度で騒ぐ奴はタダの出会い厨だろうに
文中でのリア充の定義はおそらく最近の「恋人伴侶がいる」であろうが、オタにそれが当てはまらないという前提が違和感を生んでいるのだろうなあ
恋人がほしくてもできないからアニメキャラに逃げてる こういう認識が筆者にはこびりついているんだろうと見えた
オタ=アニオタというのもまた古臭いけれども
リア充=リアル充実 という根幹の定義に戻ってそれぞれが考えればいいだけの話
現実とは何か?と考え出せばきりがないが、俺はアニオタは現実の世界でアニメを見て充実していると思っている
少なくとも、恋人がいなければならないという強迫観念にかられて生きている人よりかは
リア充 という言葉は、恋人伴侶がいるという意味で使うとき、昭和世代の「結婚=幸せ」という固定観念を皮肉る言葉だと俺は認識しているよ
ニシラムさん>
>恋人がほしくてもできないからアニメキャラに逃げてる こういう認識が筆者にはこびりついているんだろうと見えた
全く違います。
違うことは、読めば書かれています(他の方にしても、ほぼ「既に書かれてる」ことばかりに言及されているんですよ)。
そしてまた、その「書かれていることを読み落とす」こと自体に、オタクのコンプレックスが非常によく現れている。
後よければどこからここへ来たのか、教えてくれません?
「2013年も残すところ後、僅か361日のみ」とかバカじゃないの?
笑いをとったつもりなのかひねくれてるのか知らないが、正月早々仕事でやっと初詣行ってきた人間もいるんだぜ?
残りの方が多いのに「僅か」なんて使うなよ フリー(ライ)ターのくせに。
リア充誤用
>No.29
横からですが。
”しかしそれは――皆さんお気づきかと思いますが――要するに不況のおかげでみんな貧乏になったから、ということでしかありません。”
とか、
”「あのDQNどもの連れて歩いている女とつきあうくらいなら一生童貞でいい」と思うのも一面の真理ではあるけれども、一方、「でも彼女が欲しいよな」と思うのも事実であり、そもそもそうでない限り、萌え産業がここまで発展するわけがないのです。”
これが
>恋人がほしくてもできないからアニメキャラに逃げてる こういう認識が筆者にはこびりついているんだろうと見えた
以外の何だと言うんです?
オタクのコンプレックスとまで言われては言い返したくもなります。
ちなみに私はニコニコニュースから来ました。
お返事、ありがとうございます。
>これが(略)以外の何だと言うんです?
う~ん、不思議だなあ……そここそが、ニシラムさんの解釈と全く相反する部分なのですが。
ぼくが今回、肯定的に引きあいに出した『電波男』の帯には、
「惨事女に用はない!俺たちは真実の愛を求めて二次元へと旅立った!」
みたいなことが書かれてあります(うろ覚えで書いているので、言い回しは不正確です)。
つまり、ぼくたちは彼女が欲しい。しかし欲しいのは惨事の、あの女たちではない。
そういう意味です。
ぼくの書いたことも、基本的には同じ意味です。
それがどこをどのように解釈すれば、ニシラムさんの解釈になるのでしょうか。
>29
評価する前に文章しっかり読めってのは理屈通るけど
わかりにくい文章書いといて読み落としたせいにするのもどうかと思うんだが
まあでもこういう文章で書いたってことはいわゆるオタクや非リア層をターゲットにして書いたんじゃないとは思うけど
そうなら誰に向けて書いたんだろうか?
「価値観が多様で“なければならない”から不幸を感じては“ならない”」という論理(否、イデオロギー)
ルサンチマンが深く深く潜んでいるはず=「オタクは現実を直視しておらずただ逃避しているだけ。幸福であるわけがない」という論理(否、イデオロギー)
人々の素朴な意見をイデオロギーに落とし込みいかにも偏見に満ちたものの考え方のように見せる。
優秀な書き手は安易にイデオロギーという言葉を使わないものです。
>「障害者の抱える障害は決して“障害”ではない、“個性”だ」などという言い方、欺瞞以外の何ものでもありませんが、障害者自身が自らを鼓舞する意味では「有効」だと思います
身内に障害者がいる身としてはこの一文が気に食わないんだが…。この福祉の専門知識を持っているのかは存じ上げないが、オタクの定義するリア充、に障害者の幸せを引き合いに出すのはちょっと違う気がするなぁ。
まあ、この一文は自らを鼓舞するってことについての例えみたいだから記事の本筋には関係ないのかもしれんが…。
現実の女を女として認めなくなっただけ
あんたは書いてる側で、ここにコメントしてるのはそれを読んだ(完全にかは知らん。言いたいことがさっぱり見えてこなかったので俺は読み飛ばした)連中だろ?
じぶんの意図するところが読者に伝わらず、読み落としや読み違いが多発してる時点で、あんたの文章に問題があるってことだよ。
じぶんの筆の稚拙さに反省の意も示さず、なにが「オタクのコンプレックス」だ。たわけたことをぬかすな。
私が貴方の文章を読んで感じた事は、No.17さんと全く同じものでした。
>最初の論旨について書かれた文章の意図がわからない時点で
>読む気失せた。話の着地点も微妙すぎて、なんともこれは。
>他者の話や歴史引用しすぎて結局何が言いたいか理解できない。
>文章が長すぎて、全部読み切る前に感情が冷めてしまうわ。
>文章としてなっていない、読む気が失せる
まさにその通り。
少なくとも、貴方の考えを読み手に正しく受け取られていないという時点で、物書き(の文章)として問題があるのではないでしょうか。
貴方が「意図的に読み手の読解を妨げようとしている」「読み手に正しく受け取られたくない」というのであれば話は別ですけれど。
秋桜さん>
>まあでもこういう文章で書いたってことはいわゆるオタクや非リア層をターゲットにして書いたんじゃないとは思うけど
ど……どうすればそう思えるんだろう……?
それで「わかりにくい文章を書いた方が悪い」と言われてもなあ……。
macjinjyaさん>
イデオロギーと偏見は違います。
「価値観の多様性」は一種のイデオロギーには違いないし、海燕さんの文章を分析的に読めば、彼の論拠がそこにある、と読めることは確かです(ただ、それが彼の真意かどうかはわかりませんが)。
しかし「優秀な書き手は安易にイデオロギーという言葉を使わない」などという奇妙な法則は初めて知りましたねw
ゴトーさん>
ネタだ、という分析は正しいと思います。
ただネタには実は多くの場合マジが隠れているものなんですよ。
あなたはオタクにコンプレックスがない、とのお考えでしょうか?
このコメント欄に並ぶ罵詈雑言が、それはそうではないことを証明しているように思いますが。
自分自身を不幸と決め付けるから不幸である一方、他人から不幸だの残念だの痛いだのとたとえ後ろ指さされようとも、自分自身でそれがユートピアなら不幸でもなんでもないよね。だってそれで必要十分なのだから。
「鼓舞」はルサンチマンではないです。世間から白い目で見られている趣味を持っているという後ろめたさとオタク趣味は本当に素晴らしいものだという感情をともに持つオタクが持ちがちな悩みに対する鼓舞です。確かに劣等感のようなものを感じているのかもしれませんが、ルサンチマンという言葉が持つ妬みや恨みとは違う方向性のものです。どちらかというとヘゲモニーの問題ではないでしょうか。
<41
オタクは書かれたことを読み落とすことにコンプレックスを抱いているんでしょう?
筆者さんがそう思ってるということはオタクはこの文章を読まないと思っていると感じました。
で、私は筆者がオタクや非リア層にとって難しい文章を書いたと認識しているんだろうととらえました。
つまりオタクによんでほしいわけではないと
しかし内容(あんまり読んでないですが)は、文章の難易度に反してオタクや非リア層をターゲットにしているように思えたので
矛盾だなあと思ったわけです
難しい文章を書いちゃだめといっているわけではありません
難しい文章を書くということははなから難しい文章を読めるだけの人物しかターゲットにしていないと思えます
これを学のある方々が読めばいいわけです
オタクにも学のある方々はいらっしゃると思いますが
大多数ではないとおもいます
自分を不幸だと思い込みたいんですね
macjinjyaさん>
正直、意味が取りにくいです。
要はオタクが不遇感を持っているかどうかが大事でルサンチマンと怨みの違いとかはそれほど重要じゃないです。
秋桜さん>
ぼくが言っているのは、ぼくに噛みついてきた人が文意を読み落としているのは、カッとなってしまったからだ、カッとなってしまったのはコンプレックス(上の言葉で言えば不遇感)を抱いているからだ、との想像です。
そもそもそこまで自分に学がないと思ってるのなら、難しい文章を読まなきゃいいじゃないですか……。
一読み手としては楽しみながら拝見させていただきました。
ただ文章そのものはおそらく反論をいくつも想定しつつ読みやすさも考えて苦心なされたのかなと感じました。
反論が跋扈することを考えるといっそその部分をコメントに譲渡して簡潔にするのも手かもしれない、と素人ながら感じました。読み手の層は広くなるでしょうから。いやはや余計なお世話ですみません。
記事そのものの解釈と感想ですが
ルサンチマンをぶつける幸せのモデルというか神話の崩壊が昨今の変化らしい変化と記事を読むと感じますね。
具体的な共有できる幸福の象徴としての役割をクリスマスは以前に比べれば相対的には力を失っているわけです。
恋人がいる=幸せ ではないのは昔からですが 恋人がいる=幸福モデルに属する
というある種我々が共有していた何かが徐々に崩れているのでしょう。
ルサンチマンはあるがぶつけるための共有していた何かは勝手に自壊して見えると言ったところでしょうか。
その中で生まれた新しい幸福モデルの一つがリア充だったのではないでしょうか。
ようやくルサンチマンをぶつける相手ができたわけです。
ただリア充の定義こそ人それぞれなのでしょうね。いっそその人にとってルサンチマンをぶつけたい相手こそがリア充と定義するほうが個人的にはしっくりくるくらいです。
そこに共有するモデルはあるのかという点では曖昧さが多いと思います。
そうした現状を多様化と解釈するのも結構自然なことかな、と。
仕方なく共有するためには過去のモデルを引用するほうが無難な選択肢の一つだったのではないですかね。
ただ俗に言うオタクの文化はコミュニケーションがフラットになった現在では共有がわりとしやすいし同時に強みでもある。
その点ではリア充というか共有できる幸福モデルの発展形の一つになるのではないでしょうか。
それはクリスマスの楽しい過ごし方の一つにもなるでしょう。
記事を読んだ感想はざっとこんなものでしょうか。ろくに推敲もしてない感想ですが。
「共有できる幸せのモデル」ってのを頭の片隅に置きながら読むと海燕さんの記事と含め整合性感じながら読めたというのが読後感ですね
確かにイデオロギーと偏見は違います。イデオロギーという言葉を使う以上それは一般化された理念が伴っていなければいけません。海燕さんは素朴な意見として述べているだけであり自分の考えが一般的な理念にのっとっていると考えて発言しているわけではありません。この書き手の方のイデオロギーの使い方が偏見と混同しているのではないかということが言いたかったのです。
オタクが不遇感を持っているというのはおそらくそうだと思います。ただそれは自分の愛しているものを否定されることが辛いのであって、何かの代用品としてのオタクになるわけではないのです。そもそもそのように考えられることにオタクはうんざりしているとも言えます。オタクは本気で恋愛より恋愛ゲームのほうが楽しいと思っている、少なくともそう信じています。この考えは一般の人から見るとやや宗教じみているかもしれませんね。ただ実際にリアルの恋愛を経験して脱退していく人が見受けられるのも確かですw
なるほど 冷静に読んでいただければ理解してもらえると思ってた ってことかな
まあ小中学生もいるでしょうしね
そうですね難しい文章読まなきゃいいです
ちなみにコメントに来ている人も読んでない人がいるでしょう
てか私読んでないし
読んでないまんまコメントするから筆者的には え? え? みたいになってるかもしれないですね
この状況で自分の言いたかったことを読者に伝えるのは大変だと思いますが
頑張ってください
頑張りすぎるのも健康に悪いかもしれないですけど・・・
誰かドラゴンボールで例えてくれ
>>そもそもそこまで自分に学がないと思ってるのなら、難しい文章を読まなきゃいいじゃないですか……。
そりゃそうだけどじゃあ貴方は誰に向けてこの文章を書いたの?
理解出来る人だけが読めばいい、理解出来ない人は読むなって感じ?
それにコメント欄見たけど真面目なコメントへの貴方の返信↓
>それがどこをどのように解釈すれば、ニシラムさんの解釈になるのでしょうか。
>しかし「優秀な書き手は安易にイデオロギーという言葉を使わない」などという奇妙な法則は初めて知りましたねw
>正直、意味が取りにくいです。
>全く違います。
>ど……どうすればそう思えるんだろう……?
なんか嫌味ったらしいし全否定してるし。
自分の感じ方が理解されないと嫌な人なのかなぁ。
結構難解だけどちゃんとした文章だと思います、
だけどコメントした人の意見を全否定したり嫌味ったらしく受け流したり、
そう反応するより柔らかく自分の考えを分かりやすく教えてあげればいいじゃないですか。
そんな事してるとどんどん貴方の評価が落ちていきますよ。
正直何が言いたいのかわからん 話が長いだけで
二次元があるんだから満たされてる的な話してるわけでもないし
彼女がいようがいまいが充実感があれば「リアル充実」であって、人間の彼女がいない=非リアル充実はおかしい、的な話でもないし・・・
いったい何が言いたいのだろう
相手の気持ちとかを少しは考えれるようになるといいと思います。記事とかコメントを見てると自分の意見だけわかってもらおうとしてる風にしか見えないです。人に見せるのが記事なのに意見や感想をもらって否定しまくるのもどうかと・・・。いちいち難しい言葉を並べてるだけのがきと変わんないですよ。見苦しい。
>他者の話や歴史引用しすぎて結局何が言いたいか理解できない。
文章が長すぎて、全部読み切る前に感情が冷めてしまうわ。
記事の感想はこれですかね
昔のオタクは結構男女仲が良かったイメージで、高校生の頃はオタクの方が女の子と普通に話してたのもよく見かけてたんだけど。
最近になって突然何故か罵り合うようになってた、何があったんだか?
ただ、昔と比べて”男性向け””女性向け”と場所を区別するようになった気がする。
私なりに考えてみたのですが、
海燕さんが「彼女が居るかどうかだけで幸不幸が決まる時代は終わった。彼女が居ないヲタクだって人生の他の要素も含めれば十分リア充くらい幸せになれるし、なっている。」というのに対して、
筆者さんは「でもヲタクって彼女いないことに不満持ってるよね。「リア充爆発しろ」っていう言葉があるように。海燕さんの言うヲタクが大半なら良いですけど、現実問題として、いまだ大多数のヲタクって彼女がいないから不幸せだって考えてないですか?つまり、彼女が居るかどうかという基準は、この価値観が多様化する時代においてもなお、まだ幸不幸のバロメーターとしてそれなりに機能していて、ヲタクもそれから完全には逃れられては居ない。と考えるのですがどうでしょうか?」
とつっこみをいれているという解釈でよろしいですかね……?
違っていたら是非ご指摘を……。
典型的な内容のない読む気のしない文章でした。
オタクの定義すら怪しい記事だなこれ。
本文よりコメントのやり取りのが面白いので、ライターさん返信オナシャス。 ちなみに全文読んだよー。 あと、いっそのこと今から300字以内で本文の要約載せちゃって、どうぞ。
言いづらいけど、電車男は釣りスレだったんだぞ・・・?
超簡単なリア充オタクの存在する意味
・下を見てればアイデンティティを簡単に維持できる
それ以上の説明が必要ですか?
そもそもなんでこんなに日本が恋愛至上主義になってしまったかって言うと、
恋愛が巨大市場になってるからなのよね。
女に比べて消費をあまりしない男も、
「女にモテる」のキーワードの名の下にホイホイ消費するわけですよ。
買いたくも無い高価なブランド物の服を身につけ、
高い車を購入してデートにレジャー施設や高級レストランを利用
習い事なんかもやるかもしれない。
他にも男はモテるために色んなものを消費させられる。
そして恋愛の末見事結婚させれば、またそこで需要が生まれる。
恋愛が巨大な需要と消費を作り出すわけですよ。
だから草食系の存在なんか許されないし、国を挙げてボッチを社会悪にして攻撃するんだよね。
孤独でも趣味もって楽しく暮らしてりゃいいと思うんだけどね。
* *
* + うそです
n ∧_∧ n
+ (ヨ(* ´∀`)E)
Y Y *
リア充とオタクは水と油でお互いに嫌悪しあってたのは昔の話だよね
今はオタク趣味を持ったリア充に元々そこにいた層が駆逐されてるんだ
ニコニコ動画というサイトなんかそのいい例だね、あとはまとめブログとかね
内容に納得はしないが、とりあえずどんなつもりで書いた文章なのかは理解した。
が、一言で言って、話が局所局所で飛び過ぎてて本旨が理解しづらい。
「この話題を出しておけば、皆も自分と同じ感想を持つに違いない」という安易な文章の構造が見受けられます。
筆者の中で「オタク」「リア充」などと言った意味が不鮮明な言葉をどのように捉えているかという、定義の部分を書かれていないのも残念です。
例えも適切ではありません。障害者のくだりも、不謹慎ということではなく、単純に例えとしての機能が不十分です。寧ろ不必要です。
また、人名には敬称をつけましょう。星新一「氏」です。あなたは星新一先生よりも格上なのですか?
ライターを名乗る気ならば、いわゆる「文章力」「論理力」といった基本的な素養を身に付け、かつ、「自分以外の常識を持つ他者がこれを読む」という大前提をきちんと念頭に置かれてはいかがでしょうか。
とりあえず書いた記事の感想、それも批判に対してイチイチ反応するライターはライターとしても大人としても非常にみっともない。
こういう記事を書いた時点で善かれ悪しかれ喧々諤々と批判が殺到することは書く前から分かったはずだ。
分からなかったなら想像力が欠如しているし、分かった上でこういう事をしているのなら悪質だ。
いずれにせよイチイチここで返答することが既に蛇足以外の何物でもない。
それが兵頭さんの芸風であるというなら無理に止めるつもりはないが、流石に目に余ったので一言寄せさせて頂いた。
うむ、結局オタク同士で結婚するのが、一番のリア充ということで。おk?
曲解し過ぎ、難癖レベル
itouさん>
なるほど、「幸せのモデル」が不透明だからこそ「リア充」という言わば非実在幸福者が用意されたのだ、との逆転の発想ですね。
確かヤマカンが学生時代『怨念戦隊ルサンチマン』みたいな特撮映画を作って敵はコムロとかテニスサークルだったのが、ちょっと今では古い、といった話を思い出しました。
ただ、「幸せのモデル」はコメントでも誰かがおっしゃっていたように取り敢えずは「彼女がいること」とここでは定義してしまってもいいように思います。
「それはそれで苦労が多い」という言も、持たざる者には金持ちのウエメセな愚痴に聞こえてしまいますよね。
macjinjyaさん>
その文脈で言うなら、ぼくには海燕さんの文章には根拠がなく、追っていくと(大変失礼ながら)半ば手グセで「価値観の多様化」という一般的な正義(つまり、これがイデオロギーです)を持ちだしてきてしまったように読めた、と言うことです。
二段目について、まさにそのようなコンプレックスからの早とちりが、今回なされていたと言えるわけですね。
>オタクは本気で恋愛より恋愛ゲームのほうが楽しいと思っている、少なくともそう信じています。
恋愛と恋愛ゲームには一長一短あって、(これも既に書きましたが)ゲームのあの娘たちは画面から出て来てくれない。或いは、こちらがあっちへとダイブできない。
その日が来るまで、ぼくたちは非リアなのです。
N2さん>
むしろネット以前は「匿名」ではありませんでしたから好き勝手に文章を読まずに相手を罵る、ということができなかったように思います。
当時は雑誌がネットの代替物でしたが、さすがに編集者にカットされていたでしょうから。
ただ、そうした「隠れていたホンネ」が出て来たことは悪いことばかりでもないように思います。
2000さん>
大体あっています。
補足すると、今では「オタク文化≒萌え文化」ですよね。
オタク文化の中でどうしてここまで萌え要素ばかりが肥大したのか(念のために言っておきますが、それが悪いと言っているわけではありません)を考えると、そこはやはり、そういう考えに落ち着かざるを得ないのです。
ヲタです。はじめまして。読ませていただきましたが、自分は欲しいとは思っていますがパートナーはいません。でも現実として結局充実してるんじゃないかなーとたまに思ったりしてます。確かに今やってる仕事はつらいしリスクは高いしで正直生きるのイヤになったりしたこともありますけど、それも含めて仕事が終わったらイラスト描いたり原稿したり、休みにはイベント参加したりヲタ仲間と遊んだり絵描いたり。結構楽しいです。充実してるので自分もリア充なんですよね。ちょっと爆発してきまーす。
パッソ・・・・
こういう記事っていろいろと難しいですよね。
自分の主観がどうやっても入ってしまうから、お互いに意見が割れて言い争いになりかねない。
貴方は何かを伝えたくこの記事を書いたわけですが、相手は貴方と違うわけです。
同じように考えれる人だけではないですし、納得ができない人もいます。
そこで、筆者である貴方が難しければ読まなければ、や相手を煽るような文章を書くのは余計に話がこじれるだけではないでしょうか?
使うことが悪いとはおもいませんが、語尾に「w」をつけたりするのも真面目に返事してないんじゃあないか?という印象が強いくなってしまうのではないでしょうか?
感想は感想と、そういう意見もあるのかと受け取った上で反論するなりされてはどうでしょうか?
自分は文章がうまく書けるわけではないので、読みにくい上に伝わりにくいとはおもいますが。
×:好きな人がモニタから出て来てくれない限り
○:好きな人の世界にモニタから入れない限り
>>75
返信有難う御座いました。
私の考えが概ね正しいとすると、コメント欄の人達は、
せっかく海燕さんが「現実生活が楽しい、幸せであれば俺たちもリア充なんだ。彼女が居ない俺たちにだって勝機はある。」と言ってくれて、俺らも負け組じゃないぞ!幸せになるんだ!となっていたのに、
筆者さんが「幸せであればリア充というのはまあいいでしょう。じゃあ、彼女が(画面の向こうにしか)居ないあなたは幸せですか?それで幸せでないのであれば、その定義でも非リアと呼ばざるを得ません」と、ようやく掴みかけた憧れのリア充への道をいきなり閉ざしてしまったと考えたのだと思います。
筆者さんに悪意は無さそうだと、ものすごい時間かけて何度も読みなおすまでは、私もそう捉えてしまいました。
筆者さんは個人攻撃をするつもりはなく、「現実が幸せならリア充と定義しても、彼女が居ないと幸せと感じられない人がほとんどだし、やっぱり非リアなのでは?」と疑問をぶつけただけだったのたと思います。
ですが、結果はご覧のとおりです。
おそらくこの記事は、読みやすくしても反感を買ってしまうと思います。なぜなら、我々の希望を打ち砕いてしまうように見えるからです。
これも私の推論にすぎないので、間違っている可能性はあります。つっこみお待ちしています。
大前提として、コメントをしてきた人たちの九割方は、まず海燕さんの文章を読んでいないでしょう。
何割かはぼくの文章すら読んでいませんし。
また海燕さんは具体的な方法論を提示したわけではなく、まあ言ってみれば「気の持ちよう」ということをおっしゃっているわけなので、想定されるようなダイナミックな心の動きがあったかどうかは疑問ですw
まあ、ニコニュースで紹介されてるし、ちょっとは注目浴びれてよかったんじゃね?w
軽く読み流して上手く理解できない部分が残って疑問に感じたけど
その後のコメント欄の議論というかアレなコメントだけれど
それに対応する兵頭氏の回答を見て理解を深めることが出来た
狙った解説方法ではないかもしれないが
こういう理解のさせ方もあるのかもしれないですね
曲がりなりにもライターならもっと分かりやすい文章書いてくれ。
しかもそれでいて着弾点が微妙にずれてるし。
話が飛び飛びすぎて何が言いたいんだか解りづらい。結局なんなんですかって
オバサンの井戸端会議聞かされてるみたい
返信の内容もいちいち喧嘩腰で厭味ったらしいし、草生やしてるし。一人前のライターの書く内容とは思えない
学のない人間、理解力の低い人間に説明してきかせるのが嫌ならこんな媒体で書かないで雑誌にコラムでも書いてた方がいいんじゃないですかね
そもそも理解されない賛同されないことに傷つく類の人間なら文章屋に向いてない
流行語から意識の変化を見るのは良いんだけど、意識の決めつけは叩かれると思うよ。
というか正論だとしても、匿名のネットでは殴られたと思って殴り返してくるんだからさ、もうちょっと優しくしてあげたら?
面倒かもしれないけど、多くの人間の目にふれる場で書いてんだから、もっと人間の扱いとか覚えてもらいたい。
でも記事は普通に面白いと思った。
なんというか、筆者がひねくれたやつなんだなということはわかった。
内容について? ないものをどう評価しろとw
関係ないけど、半角と全角を使い分けたほうが見やすくなる
「味わう」はワ行の活用なんだから「味わわせる」が正しい
「味あわせる」じゃア行の活用(味あう?)ということにになってしまう
言葉は変化するからこそ、偉そうなことぬかす物書きならそれくらい知っといて正しい使い方しろよ
No.42の返信が一番ひどい
多くの場合マジが隠れてるってどこ情報?それどこ情報よー?
って感じです
2000人くらいにアンケートでもとったの?
あとここに書かれてる罵詈雑言(ってほどのもんでもないと思うけど)はあなたの決めつけてるような物言いに対して怒ってるのであって、彼女がいないことへのコンプレックスから来てるものじゃないと思う
ニコニコニュースで紹介されてきたブロマガ記事の中で一番面白かった
あれからまた色々考えてまとめてみました。まだ私が理解できていないところもあると思いますが、イライラしている皆さんや真意が伝わらなくて困っていらっしゃる著者さんのお役に立てれば幸いです。
高度経済成長当時、日本はモノを買えば幸せになれるという幸福モデルを信じていた。
しかし、経済成長に陰りが見え始めていた頃、星新一氏が、
「もうモノを買って幸せになれるっていう考え方は終わってきたな。クリスマスよさようなら」
という趣旨の文章をエッセイに書いた。
当時の著者さんは、幼いがゆえになんでクリスマスが終わりなのかわからなかったが、
今考えると、デートやセックスにものすごい金を使い、子供にプレゼントを買ってあげるというイベントの終焉、
つまりモノの消費による幸せ論の衰えが彼には見えていたのだと思った。
時代は下って現代。日本は不景気にあえいでいた。
なんかモノを買っても幸せになれないっぽくないか。ってみんな気づいてしまった。
モノは売れなくなり、企業の業績は悪化し、日本はこぞって貧乏になった。
それによって、金銭的ルサンチマン、つまり貧乏人が金持ちを妬むということもあまり意味を持たなくなってきた。
次に、「どうしたら幸せになれるのか」として与えられた指針は、
"リア充"つまり男女関係が持てれば人は幸せなのだというモデルだった。
人々は今度はモテるために消費を始めた。
しかし、男女関係が持てれば幸せなんてことも、どうやらなさそうだってなり始めた。
ちょうどそれを反映するかのように、去年のクリスマスイブ、ラジオで伊集院氏がこんな感じのことを言った。
「ここ最近クリスマスって、男女がイチャイチャするっていう感じではなくなってきている気がするなぁ」
そして、この記事の主題、海燕さんの記事が出てくる。
「もうオタクだからって必ず非リアとは限らないんじゃないのか。」
今度人々に提供される幸福モデルがどんなものかはわからないがモテのための消費にも変化は起き始めているようだ。
長くなるので一旦コメントを区切ります。
続きです。
海燕さんの記事はパッと見、同意できるんだけど、
もうルサンチマン的な発想は古い。っていうところは納得できなかった。
すでに終焉を迎えているのは金銭的なルサンチマンだけなのだ。
恋愛、家庭というルサンチマンはまだ生きている。
今だ人々は彼氏彼女が欲しい、カワイイ子供がほしいといって止まない。
現実の恋愛などもういらないというオタクたちも、三次元の相手はいらないと言うものの、彼氏彼女、ひいては家庭が欲しいというところからは逃れられてはいない。
今日オタク文化の中でギャルゲーやアニメ、ラノベがここまでの勢力になっているのは、恋愛のルサンチマンはまだ大いに隆盛を誇っていることを示している。
だから、ルサンチマン的な発想が古いというのは少々言いすぎだ。
やっぱり彼氏彼女が居ない人達は、不幸さを感じ、持っている人を羨み、妬んでいる。
で、言い過ぎだから海燕さんの文章は意味が無いかというとそういうことではなく、
頑張ろうぜ!俺ら!
とオタクたちが自分たちを励まし合うという場合には意味を持つ。
だけど、どうも鼓舞の代表例である本田透さんを海燕さんは好きじゃなさそうに見える。
それに、話は少し前に戻るが、
鼓舞が必要。ということはそれはつまり、不幸さを感じているっていうことだ。
そして、そもそもクリスマスの時期に海燕さんの記事が書かれていたのはなぜか?を考えると、
それは非リアが彼氏彼女か居ないことで肩身が狭い思いをする風潮が今もあるから、
それに呼応する形で書かれているのではないだろうか?
これらすべてを含めて考えてみても、やっぱり恋愛ルサンチマンは生きているという風に私には思える。
こんな感じにまとめてみました。ご指摘お待ちしております。
話が飛びすぎ、論点が見えにくい。主観ばかりというか、自分の中で話してるみたいなので抽象的で分かりにくい
結局何を伝えたいんでしょうか?。
そもそもそんな議論するほどの内容じゃない
2000さんありがとう、すごくわかりやすいまとめだと思います。
これでコメ欄が内容に関してより有意義な議論にシフトするんじゃないかな。
2000さん>
読んどらったんかい!!w
つまり2000さんはあくまでお人柄がよくて丁寧に応答をしてくださったけれど、結構苛立ちを感じていたというわけですね。
しかし(以前にも書きましたが)その苛立ちこそが、オタクの不遇感に端を発するものであるように思われます。
それと、「悪意を感じた」とおっしゃったけれども、それはどこにでしょう?
思うのですが、他の人のコメントに誘導されてそのような印象を持った、ということはないですか?
また、二度目のコメントについて。
ご苦労さまです、ありがとうございます
なかなか的確に、シンプルにまとめてくださったと思います。
細かい点で違いを言えば70年代以前のクリスマスは「家庭の幸福」の象徴であったのが、80年代以降は「恋人同士の幸福」になった、という点でしょうか。
ぼくは殊更「金銭的な幸福」と「恋愛、家庭に関する幸福」とを対比させて考えたつもりはなかったけれども、おっしゃるような対比で考えると、より論点が明確になる気がします。つまり、「金がないってことはつまり日本が貧しかった頃、即ち70年代以前の価値観に回帰することが予測されるが、それはまさに家庭や(ある種、つつましやかな)恋愛といった精神的なものが重要視されるってことだろ。つまり、恋愛格差、家庭格差が進むってことが予想されるぞ」ということですね。
忘れておりましたfujinamiさんはじめ、面白いと言ってくださった方、ありがとうございます。
あなたの文章じゃ分かりにくいからとシンプルにまとめて下さってるのに、上のようなコメントはどうかと。
又、つまりがつまりの役割を果たしてない、、と細かいことに目が向いてしまいますが。
一番主張されたいことは何ですか?
いえ、とんでもない。
他の方々もおそらく同じ気持ちだったと思います。
だから仮に彼らが海燕さんのコラムを先に読んでいたら、やはり今回以上の過剰反応をしていたことが想像できる。
ぼくもまた、海燕さんに対するそうした「過剰反応」をしてしまった一人です。
あんなにシンプルにまとめてくれたのにまだ「一番主張されたいこと」が理解できないんだ……。
要するに、「二次元はリアル女が得られないから妥協して得るもの」っていう前提で語ってるわけか
それなら筆者が当たってるって書いてる2000さんの要点書きが成立する
だが、オタ全員が「二次元はリアル女が得られないから妥協して得るもの」って考えだっていうのはどうかと
二次元がリアル女のそのままトレースなら兎も角
二次元のような可愛い顔、細い手足(リアルだとJS並み)、めんどくさくない性格なんていうのは、リアル女じゃ得られないわけだし
要するに実際に会える触れる以外はすべて二次元のほうが上位互換な状態
むしろ画面や紙から出てこないからめんどくさくない、金がかからないって考えのもいるだろう
オレの場合は二次元が基準になったらグラビアやアイドルじゃチンコ立たなくなった(みんな腿がぶっとい)
手足細いJSJCくらいしか魅力がない
「リア充」の定義なんてそれこそ人によって曖昧なんだから(外に出ればリア充と呼ぶ人もいるし、恋愛している人を対象とみなす人もいる)、ここで恋愛してなくてもリア充でしょとかマジレスされてもそれはお門違いなのでは。
この手の話は定期的に持ち上がりますよね。僕も年齢=彼女いない歴の人間ですが、彼女が欲しいとも思いません。むしろ、自分の趣味に対しての障害になると考えています。ただ、顔が整っているわけでもないので周りからは「いらないんじゃなくて出来ないんじゃ」とかモテないことへの裏返しだとか言われたりして、非常に歯がゆい気持ちです。上に書かれてる方と同じように、「モテないから二次元に逃げた」とかいう風に解釈されるのは本当に三次元とはそういう関係になりたくないと思ってるこちらからすると非常に不本意で腹立たしい。「三次元>>>二次元」という価値観を押し付けてほしくない。生殖機能をもって生まれた人間としては子孫を積極的に反映させようとしないのはそれはそれで問題なのかもしれませんが。
もうさ、みんなホモになってさ、人類終わりでいいんじゃない?(適当)
>>42
議論はだいたい尽くされた感があるので蛇足になるかもしれませんが返信します。
この論考は80年代からいままでのオタクの歴史や日本の歴史を少ない文字数に凝縮した
濃密な文章だと思います。それだけに、私は子供のころを思い出して懐かしかったのですが、
ある年齢より下の読者にはわかりにくいのではないか?それがコメント欄の誤解や反発に
つながったのだろうと思いました。
80年代、90年代、0年代、そして今の10年代、と社会は変化し、オタクという言葉の意味も変化
し続けている。最近驚かされたのは『ロボティクスノーツ』というノベルゲームのポスター
です。「世界を救うのはヒーローじゃない―オタクだ」というキャッチコピー。
青空、気球、ロボット、そしてたくさんの仲間たちを背景に美少女と美青年がハイタッチ
している。絵がすごく美麗で惹きつけられたというのはおいといて
「世界を救ってる時点でオタクか?」とか「なにからなにまでリア充にしかみえない」
と考え込んでしまいました。言葉の使われ方に隔世の感があります。「オタク」にコンプレックスが
ないと考えているのか?という質問ですが『ロボティクスノーツ』のイメージにかんしていえば
「ない」と言い切ってしまえる。本当に驚くべき変化です。
オタクの使う「非リア」て彼女or彼氏がいないとかそういう意味だと思うんだが、どうなんだろうか
昔のオタと今のオタに対してのイメージはかなり違うな
昔は、なんかキモい連中がこぞって二次元楽しんでるなって感じ
今は、どんなヤツかは関係なく、単純に「二次元楽しんでるやつ=オタク」って感じ
モテないヤツやキモいヤツの生き方・ライフスタイルから
純粋に二次元が趣味や娯楽の一種として捉えられるようになった
そりゃ、群がってるのがキモい連中だったとしてもそのアニメやゲームやらまでキモいわけじゃないしな
それに内容が魅力的なら、それを知るものが増えれば一般人も食いつくのは当然
長い
三行で
頼む(ゆとり)
自分がリア充か非リアかは自分が判断することであって他人に議論されることでもないよね
要点理解。無料で読めるところまで読んだ。興味深いけど、結局幸せの価値観なんて人それぞれだと思う。別に女の子や伴侶がいなくても幸せな人は幸せ。俺は女の子と付き合ったことがあるけど、重荷にしかならなかったし。一緒に生きていくなんて考えたら震えが止まらない。彼女がいてうらやましいなんて話もあったけど、縛られるだけ縛られて非常に面倒くさかった。
要するに、自分が生きていて楽しい、充実していると思えば、いかにオタクであろうとリア充と同じなのでは? ということです。
主観なんて人それぞれです。僕のように考える人もいれば、筆者さんのようにこの考えに疑問を抱く人もいます。人それぞれなのです。
最後に、受け入れたくない意見はそれでもあなたへの評価なのです。
コメントの返信をみたところ、あなたは「自分の意見が受け入れられてない!」と考えているように捉えられます。違っているのなら、申し訳ございません。謝罪をさせていただきます。
主観は当てになりません。みんなの意見を、客観を元に自分の書いた文章を自分で考察してみると、また違った世界が見えてくると思います。
見えた世界を次は他人にどう共感してもらえるか。それを考える為にあるのが、他人からの意見やコメントだと考えます。
ps.コメント返してくれるのは良いけど、上から目線と嫌みな口調を何とかしてくれ。それと物書きは「自分の考えだけを一方的に押しつける」というのはNG
そもそも筆者であるあなたの経験が、この記事を読んでいる人たちの全てに当てはまるわけじゃないんだから。
一部の人に受け入れられても、一部の人に納得されないのは道理。
半分以上がニート・フリーター・学生のニコニコで議論しようとか正気の沙汰じゃねぇよぅ
そもそも幸福が満たされたら何にもない人間になると思うんだよ。
人は幸福を求めて生きてるとするなら、結局自分は不幸でないと幸福を探せないってことでしょ?
つまり何もかも恵まれた人間は結局のところ幸せを掴むまでの過程で自我を確立しないと立派な大人になれないし、変に確立するとロクな大人にならないということであって・・・
つまりビリなら上がるしかないけど1位なら下がるしかないって事。下がってから上がらないと幸福じゃない。
ただ幸福が続いても慣れて飽きるだけ。手に入れたらもう用済みの使い捨て幸福
一晩たって色々盛り上がっているようですね。
二次元女性に関しての見解は少し私は異なるので書いてみましょうか。
私は恋愛至上主義なり自由恋愛なりの信奉者にとって残されている最後の不可侵の聖域が「片想い」と感じています。どういうことかというとどうも恋愛というのはインタラクティブになると弊害が目に付くから。
至高の理念だったはずのそれが実現すると自壊していくところを目にしないほうが難しいくらいですからね。
恋愛至上主義が過去熱烈に支持されたのは一人相手を想う時間によって醸成されたせいという側面はあるでしょう。
身もふたもないですが「無い物ねだり」は恋愛の本質みたいなものなのかもしれませんね。(人の本質かもしれませんが)
一方で二次元は一方通行であることを保障されているわけです。
「究極理想の片想い」を実現するための条件をある種揃えすぎています。
画面から出てこないことは欠点ではなく長所に転化してしまうほどに。
それを意識して自覚的に選択すればそれは充実と表現できるのではないかと思いますね。
幼い頃に恋愛至上主義の空気で育ち、その結果の愚かさを見ながらも理念は捨てきれない。そうした人にはまさにうってつけ。
けっこう俗に言う最近のオタク文化やら萌え文化やらって恋愛至上主義の反発者に支持されてるように見えて本当は恋愛至上主義を信じたかった人たちの最後の砦としての側面があるんじゃないかなと思ってたりもします。
各種物語というかコンテンツはさながら賛歌と鎮魂歌のように
ただのリビドーのはけ口ってのもいっぱいでしょうけどね(
こんな逆転した視点で見ると合点がいくこともけっこうあると思いますがどうでしょう
話の柱をしっかりさせるために言っておくと「リア充」という言葉も元は2ch発祥、
大方の説明では「『近年』では恋人がいる人を指す」と言われているが、
元から大学板から喪板に派生して「恋人がいる人」=「リア充」と単純な同義のペアになっていた。
むしろ近年「リア充」という言葉の同義である「恋人がいる人」が置いていかれて、
「リア充」をそれこそ「リアルが充実してる人」そのものと捉え、はて「リアルが充実してる」とはどの程度から言えるのかっていう議論をするのが多すぎる。
「恋人の有無でリア充・非リアと決めるのはバカバカしい」という意見がいくつかあるが、それは議題の「リア充」という言葉・定義自体を完全否定するものになるため注意。
ノリで考えられた2ch用語を熱く議論する必要は無い。
ちなみに、俺はカレーパンが大嫌いだ。
「リア充」を「DQN」と読み換えたのが意味不明
ゴドーさん>
確かにこの十年、或いは二十年くらいのオタクの内外の状況は驚くべきモノです。
が、件の『ロボティクスノーツ』にせよこの種の「オタクそのものをテーマに据えたオタク文化」というものがただちにオタクのルサンチマン(でもコンプレックスでも何でもいいですが)のなさを示しているかといえば、それは疑問です。
例えばですが、80年代の「ロリコンコミック」にも実は類似の作品があったわけですしね。
しつこい繰り返しになりますが、本論における過剰反応が、それを実証していると言えるのではないでしょうか。
駄寅さん>
残念ですが、物事には順序というモノがあり、それを踏まえていない人には相応の資格しか与えられません。
「読んでないが」「さっぱりわからんが」と大マジメで前置きしてコメントする人は、ものすごく必要な過程をすっ飛ばしてしまっているんですよ。
その結果が、「既に書かれていることを全く見ないままの評価」という惨憺たるモノになるわけです。
あなたの目にどう見えていようと、「自分の考えだけを一方的に押しつける」以前のことが、コメント欄で大いに行われているのですよ。
itouさん>
後半、基本的に賛成です。
過剰反応はあんたの態度に対してだ
何言ってるのかよくわからない。
海燕さんとかいう人の宣伝記事だろうか。
> 「読んでないが」「さっぱりわからんが」と大マジメで前置きしてコメントする人は、ものすごく必要な過程をすっ飛ばしてしまっているんですよ。
「読んでないが」は論外なのは同意
だが「さっぱりわからんが」もダメってどういうことだ?ふざけてんの?
まさか自分の文章は読めば誰でも理解できるとでも思っちゃってんの?
それとも、理解できる人間しかコメントするな?
お前マジ何様なの
リア充超新星爆発しろまで読んだ
614nc0>
「さっぱりわからない」のに批判する資格は、普通はないのよ。
No.128
へぇ、そうなんですか。
初めて知りました!
ちなみに私もカレーパンはあんまり好きじゃないです←
私はバカだから完璧に理解できてないけど。
別に恋人がいないからって、だから何だという話ですよね。
確かに欲しい、という欲求はなくならいかもしれないけど、
でも実際恋人がいない独り身のこの「今」が
果たしてその人にとってどう感じるかって考えると
それは人それぞれの考えが出てくるでしょう。
そこに正解も不正解も有るかっつー話ですよねー。
しかしこのコメント欄の7割方が
内容よりも作者の書き方や返答の仕方への指摘とはw
でも私も正直イラっときたのは事実ww
肯定者と否定者への対応の差に苛立ち通り越して感動←
こういう人こそ学校とかでボッチになりそうw
俺ヲタで彼女いないけど、幸せだよ。
どれだけ他人に馬鹿にされたとしても、熱中できる趣味があるって素晴らしいことだと思う。
価値観なんてみんな違うんだ、恋人がいて充実してるって思う人がいれば、恋人がいなくても充実してるって思う人もいるんだよ。
貴方の文章を読者が理解できないのは、「読者がオタク・非リアとしてのコンプレックスを抱いており、それによって内容を冷静に読むことができないから」或いは「読者に学が無いから」このどちらかである、と貴方はそう仰りたいのですね。
私は貴方の文章を読んで不快に感じましたが、それは強引なこじつけや飛躍が散乱しており文章として問題がある、と感じたからです。他の題材を取り扱った貴方の記事も拝見させて頂きましたが、概ね同じ感想を抱きましたよ。
具体例として、私がこの記事を読んでいた時の気持ちを書きます。まず、
>しかしそれは――皆さんお気づきかと思いますが――要するに不況のおかげでみんな貧乏になったから、ということでしかありません。
この部分で私は「そんなこと書いてたっけ?」と疑問を感じました。
そこで私は論旨とされている海燕氏の文の引用部分を読み返しました。しかし、「不況のおかげでみんな貧乏になったから」と断言できる程の根拠となりうる記述は無く、それどころか「不況」「貧乏」といった単語すら一切ありません。にも関わらず「皆さんお気づきかと思いますが」とあたかも自明であるかのように、海燕氏の主張を「不況のおかげでみんな貧乏になったから」と置き換えることが出来る、と展開されております。
このことに私は不満を感じる訳です。もし説明できるのであれば、引用部分のどの文、或いはどの単語から連想されて「不況のおかげでみんな貧乏になったから」という文が出来上がるのか、そして何故その文を海燕氏の主張と置き換えることが正しいのか、その説明は必要不可欠です。他者の主張に干渉する訳ですから、万に一つも他者の認識を間違えて捉えてはなりません。明記されてもいない事を勝手に自明と決めつけるのは、詭弁のやり方なのですから。
さて、この時点で私は「不況のおかげでみんな貧乏になったから」という主張が海燕氏のものであると認識できません。この筆者が勝手に持ち上げた主張、という認識です。その状態で、
> そうなると彼の主張は「みんなどーせビンボーで不幸なんだからいいじゃん」とも解釈でき、だとするならばそれはいささか無神経です。
とか
> 仮に上の「みんな貧乏になったから」論を受け容れたとしても、DQNと非モテ、彼女がいるだけ前者がマシということにしかならないのではないでしょうか。
とか続きます。勝手に自分で持ち上げた主張を海燕氏が言ったことにして、その主張を生贄に海燕氏を批判しようとでもしているのか、って思いましたよ。ああ、この筆者はこういうやり方なのか。とにかく詭弁を弄したいのか。もう一気に読む気が失せましたね。一応最後まで読ませて頂きましたけど。
この記事やコメントのやりとりを見ていると、わざと詭弁を展開し、相手を不快にさせたがっているようにしか見えません。貴方がどう思っていようと、私は貴方の化身である貴方の文章を読んで、そのように感じました。
真面目に考えるなよ。冗談を真剣に語る奴ほど鬱陶しくて面倒なやつはいない。
だいたい年中幸福な奴や年中不幸な奴がいてたまるか。
自分がリア充かなんてその場のノリと気分によっていくらでも変わるっての。
なんでもかんでも額面通りに受け取って真面目に思考するなよ。
そのうち脳みそが石になるぞ。
感想をいただけてるのになんでそれに意見してるの?
記事は面白かったです。
>「さっぱりわからない」のに批判する資格は、普通はないのよ。
へえ、「やたら長ったらしいだけで最終的に何が言いたいのかまるで伝わってこない」「もっと多くの人間にわかりやすい文章を書いて」っていう批判は一切受け付けないってか?
どんだけ偉いんだお前さんはよ?
上から目線どころじゃなくて、最早「傲慢」「王様気取り」のレベルだな
批判は一切受け付けないって考えなら、初めからそう書いとけ
そもそも批判も注文も質問も受け付けないっていうのは、ただの「知識人気取りたいだけの公開オナニー」でしかない
オナニーなら一人でやれ
さっぱりわからない、人がいるのは仕方ないです。読んでないのにあーだこーだいう人は世の中は3行で説明できるほど単純明快にできてるのかどうかもう一度考えてみてほしいなぁと思いました。
読んでわからない人が「わからないのでわかりやすくお願いします」というのはいいと思うけど、罵倒するのは筋違いだとおもいます。自分の文章を罵倒されたところで、どこがわからないかわからないと筆者は修正のしようもありませんし。
内容に関して。私も海燕さんのようなことをすごく考えてました。「リア充にはルサンチマンが隠れている?」という考えには大いに賛成です。
しかし、彼氏ができる前もできた今も、リア充という言葉に対する違和感が私はきえませんでした。自分が充実しているおもえているのは別のことが要因なように思います。それを恋愛という形が含んでいて、そう感じやすくしてくれているだけな感じがするんです。
問題は、多様性があってもいいじゃないか!っておもうのに認めてくれない社会の視線を感じるけどこれってなんなの!?という気持ちがおたくにはあって、どこか自信がないことかなぁとおもいました。それがどこから来るのか明らかにすることでいろいろ見えてくるような気がします。
それにしても、恋愛には恋愛の苦労がある。そうすると理想通りにいかなかったら今度は男嫌い、女嫌いになってしまうような空気感を「リア充」という言葉には何となく感じてしまいます。理由はないんですけど(-_-;)
彼女や彼氏がいることと、恋愛をして幸せになることは別で、前者は恋愛という状態の所有による社会的地位の獲得感による幸せ、後者は自己を受け止めてくれる人と協力することの幸せとして区別できるんじゃないかなぁと私は思っています。だからこそ、おたくの「リア充」という言葉に込められたルサンチマンは非常に悲しい考え方だなぁと、オタゲーマーの私はおもったりしています。
これだけ多くの人が筆者の書いていることに怒りを抱く背景はとっても興味があります。その背景にはいったいどんな考えがあるんでしょうか。ぜひそこについてまた考えて書いてほしいです。
あ、ちなみにわかりにくいのは私も思います。なんだかどこがなにの根拠なのかわかりにくいですし、言葉の定義の検証とか提示とか、そういうとこがもうちょっとあるとわかりやすい感じがします。リア充ということばにも認識の違いが結構あると思うので。
出してきている話と結論のつながりがいまいち見えないので、理論的なように見えて感想チックなのがわかりにくさなのかなぁとおもいました。
ざらきさん>
困ったなあ……一応、誠実に書いて下さってるのだと信じて、お返事します。
>この部分で私は「そんなこと書いてたっけ?」と疑問を感じました。
まず、この時点でおかしいんです。
ぼくが「海燕さんがおっしゃるように」と書いたのならば、あなたの疑問は正しい。
しかしぼくはそんなことを書いていない。
説明するのもバカバカしいけど、当該箇所は、「ここまで来れば皆さんもおわかりだろうけれども」とでもいったような意味です。
失礼だけれどもあなたはまず徹底的に読解力を欠落なさっていて、その上でこちらが書いてもいないことについて文句をつけていらっしゃる。
残念だけれども、今回寄せられた「批判」のほとんどがそれに類似したものなのです。
ゴドーさん>
そういうことです。
そこを、オタクはどうしても「お前モテないんだろw」と罵られてきた経験があるので、こうした話題になると、身構えちゃうんだろうな、ということです。
(´ゝ∀・) bさん>
いろいろ、ありがとうございます。
おっしゃってることはすごくよくわかって、誰かが「多様性を認めよう!」とかけ声をかける時、それは「俺は代わりモンだけど認めてくれ」との響きをどっかに秘めている。そもそも「世間のヤツらがどう思おうと俺はどうでもいい!」と思っている人間はそんなかけ声をかけない。
だからまず、自分の中にルサンチマンがあり、それが下手をすると暴走してしまう状況にある、ということを認めるべきなんですよね。
ぼくの海燕さんに対する違和はまず、そこにありました。
筆者がコメントに対して論理で論破できなかったらすぐに相手のせいにしたような感情論、予測論に議題をすりかえてるあたりこの議論に終わりってないだろ
オレは読んでも何が言いたいのか伝わってこないことについては罵倒してないけどね
あまりにも傲慢なスタンスに腹立っただけ
>説明するのもバカバカしいけど、当該箇所は、「ここまで来れば皆さんもおわかりだろうけれども」とでもいったような意味です。
>失礼だけれどもあなたはまず徹底的に読解力を欠落なさっていて、その上でこちらが書いてもいないことについて文句をつけていらっしゃる。
どこまで傲慢になれば気が済むの?
どーも。ノ
友達いないで金もろくになくてモテなくて暴力ふられてアニメ漫画ネットゲーム大好きなのは俺だけじゃないはず
もういいんじゃないかな
これ以上議論を続けても兵頭氏と僕達読者は何かが根本的に違うみたいだし
後文章自体はちょっとわかりにくかったですね。結局何が言いたいのかという感じでした
わけわかんね
まあ、「批判は一切許さない」「わからんのは読解力がないだけで自分の文章に問題は一切ない」って考えのヤツに何言っても無駄だよなw
馬の耳に念仏、暖簾に腕押し状態
お互いいらつくだけだねーw
個人的には読みにくい文章だと思った。俺の頭が悪いのかもしれんが、この記事を読んでも何を伝えたいのか理解しにくい。長々とそれっぽく書くのはかっこいいのかもしれんが、これが誰かに読まれる文章だと理解できているのならば、もう少し読む側の人間のことを書く側の人間が考えるべきではないだろうか。
後、読者の言葉はもう少し素直に受け取ってはどうだろうか?
もっとも、ここまでの返信を読むに兵頭新児さんは自分を他者に批判されるのがお嫌いなんだろうが
そうでなのですか。私は
> 彼の「非モテとか非リアのルサンチマン語りという芸風そのものが何とも古くさいものに思える。」という指摘には、一応、頷けるものを感じます。
に続いて
> しかしそれは――皆さんお気づきかと思いますが――要するに不況のおかげでみんな貧乏になったから、ということでしかありません。
と書かれておりますので、上記の「それ」とは「彼の「非モテとか非リアのルサンチマン語りという芸風そのものが何とも古くさいものに思える。」という指摘」と解釈しました。そして、「~ということでしかありません。」という結びは、「~ということである」ということ。つまり「それ」は「~ということである」のであって、「彼の~という指摘」は「~ということである」。それって「彼の指摘」を「~」に置き換えることが出来る、っていうことじゃないの?……私はそう考えた訳です。後に
>そうなると彼の主張は「みんなどーせビンボーで不幸なんだからいいじゃん」とも解釈でき、だとするならばそれはいささか無神経です。
と「彼の主張」を「みんなどーせビンボーで不幸なんだからいいじゃん」と実際に置き換える記述がありますけどね。
ちなみに、貴方が指摘した部分とかはあくまで私が最初に読んで感じた事をそのまま書いただけです。具体例です。分かりますよね。
私があのコメントでどんなことを伝えたかったか、それさえ伝わっていれば幸いです。
ざらきさん>
例えばAさんが「非婚化が進んでいる」と言った。
ぼくが「おわかりでしょうが、それは不況だからに他なりません」と言った。
これはAさんが「非婚の原因を不況だと主張した」と言うことにはなりませんよね?
>と「彼の主張」を「みんなどーせビンボーで不幸なんだからいいじゃん」と実際に置き換える記述がありますけどね
ここは、「海燕さんの主張を分析していくと、そのようにも取れるよ」と言っているだけで、「海燕はこう主張したのだ!」と言っているわけではない。
そこはおわかりでしょうか?
確かに、海燕氏の文章そのものがぱっと全文読めないがための混乱もあったかとは思うのですけれども……。
なかなか面白い討論?ですね
コメント欄の議論も含めて面白かったです。
私は前々から三次元の恋愛云々のニュースに対して「二次元が良い」と言っている人に疑問を持っていました。
本当に好きなら他人の目など気にならないはずですから、わざわざ「二次元が良い」と言う必要はないと思ったからです。
それなのに「二次元が良い」と言ってしまうのはなぜだろうと考えていました。
この記事を見てその疑問に一つの答えが出ました。
ありがとうございます。
こんばんは!
とても興味深いタイトルだったので記事を読ませていただきました。
自分の趣味をひた走ることで、恋をしていなくても自分はリア充である、というのは私も考えていました。
そして、周りの意見を聞いても、恋をしていないけどアニメに集中しているから私は幸せだよ、っていう意見も多かったですし。
しかし、そのアニメの内容は恋愛に関するものだったり、異性との仲のいいやり取りを描写したものだったりして、こういった内容のアニメを見るという事は、やっぱりどこか現実での恋に憧れていたり、恋人に対して妬みの気持ちを持ち続けているのかな、と思いました。また、このようなアニメが流行っているという事は、世の中の、もてている人に対してのルサンチマンがなくなってはおらず、この気持ちがある以上、不幸ではなくとも幸せなのかなと考えました。
現実の恋愛はアニメみたいに綺麗なものばかりじゃないし、そんなにうまくいかないだろうっていう展開も多い。現実では恋愛で傷つくことは何度もあるし、疲れることもある。加えて、へたにアニメの綺麗な恋愛に憧れている分、理想は高い。かといってその理想のアニメの世界には行くことも来てもらうことも不可能。
私の場合負け犬なので、この考えのもと恋愛から逃げて、アニメをただ見ることが幸せと言っていたのかもしれません。
私的に面白いと思う内容だったので、自分の考えたことをつらつらと書いてしまいましたが、兵頭さんの記事の内容と大きくずれていたらすみません。
書籍の様には引用が出来ない場の文章であって、歯抜けな文にならない様にするには技量が要る
文屋が物の順序を変えるのとミスリードを仕事にしてたっておかしくない、需要もある、まして無料で、旬の名前も連ねた宣伝文
ゴネている奴らの論点は大抵『そうなると彼の主張は・・・』でページをそっと閉じるべきものだったが、低クオリティを延々と見続ける『ニコニコ動画』の視聴者様にそんな選択肢は見えるはずも無く
「そしてこのコメ欄である」
余りに言いたい事が少ないのでゴネてる奴に更にゴネてみたが、本文に言いたい事は只一つ、話題にした作品の題名や掲載紙、放送日時は網羅してもバチは当たらない
>「障害者の抱える障害は決して“障害”ではない、“個性”だ」などという言い方、欺瞞以外の何ものでもありませんが、
これを欺瞞だとか言っちゃってる時点でもうどうしようもないねw
アラライさん>
vanitas-endさん>
パンダさん>
ありがとうございます。
やはり「三次元を捨て、二次元の世界へ旅立った!」は半分は真実、半分は負け惜しみだと思います。
ただ件の本田透さんも「オタクの力によって三次元も二次元に近づきつつある」とおっしゃっていて、これは正しい。
更にぼくのスタンスは「負け惜しみは負け惜しみだけど、要は今の世の中が男をいじめすぎるのが悪いんじゃん」というものなので、もしお気に召しましたらまた覗いてみて下さい。
(ぼくに腹を立てた人も、それならばなおのこと『電波男』は読んでみるべきじゃないでしょうか)
彫刻刀さん>
う~ん、微妙にぼくの味方をしてくださっているような……今一わかりにくいですが……。
2次元に依存せずに他の事にも目を向けようでおk?
とりあえず突っ込む点として
いちいち横文字を使う必要があるのかってことですね。
ただの考察なら話の通じる知り合い同士で行ったほうがいいと思いますよ。
ここにきてる大半の人は文章がわかりにくいと言っています。
そういう人に「理解できないのは頭が悪いから」みたいに返答してますが、
むしろなぜ、頭が悪くて主張を正しく理解してくれる人が少ないところにこんな文章を乗せてるんですか?
コメントを見る限り理解してもらう気があまりなく、
わかる人にわかればいいというスタンスで書いてる気しかしません。
自分のいったことを多くの人が理解してくださるところへの投稿をお勧めします。
そうすれば、あなたの投稿もちゃんと議論されるなり、批判でもどこがおかしいかを指摘した批判を聞けます。
それを出来ないならあなたは自分が馬鹿にした人を軽く通り越すかなりの馬鹿ですよ。
あと、文章力が低いのは否定しようがないです。
そこだけ返答せずに逃げても無駄です。
物事をたとえるために言葉を使いそれをまた別のものに例えて表現する
みたいなことをやってる感じのする文章です。
これで文章力が高いと思い込めるなら「カッコイイオトナデスネーww」なんていわれるのがオチです。
文章を最低でも二回ぐらいは推敲することをしましょう
それとも釣りでしたかねw
微妙な大きさの釣り針ですが釣りであれば私は釣られたので文句言えませんね。
返信ありがとうございます。
今回の記事やコメント欄を拝見して思いましたが、幸せって考え出すとホント難しいですね。
負け犬だと思っていても、やっぱり私はゲームやアニメことが好きで、それらをプレイしたり、イベントに出たり、友達とその話をしていたら幸せだと思います。周りの目とかは多少気になりますが、恋愛をすることだけでなく、ただアニメを鑑賞したり、その話をしたりっていうのもまた、幸せと思いますから。
まぁ私にあんまり難しいことを考えるスペックはないので、幸せはひとそれぞれっていう結論にとりあえず落ち着きたいと思います。
いろいろ考えることができて、私なりに考えを整理できたり、兵頭さんをはじめ、いろいろな人の意見を見れてよかったです。参考になりました。
一晩で随分レスが付くもんだ。2chか張り付きかってレベルの作者返信速度だね、こりゃ。著者? 話作った者だろ
まず、「障害者」という言葉自体が疑問視される中で、「障害者=不幸」と取れる暴論を掲げられる。
この時点で障害者問題や障害者の社会参加に対する見識の欠如は明らか。たしかに、発達性障害など通常の生活が不可能なレベルの障害者もいるが、だいたいはそれ以外の人と同じように笑って暮らし、仕事をしている。
鼓舞? するまでもなく、顔上げて歩く奴は歩くし、歩けない奴はされても歩けない。乙武氏のツイッターアカウントにも「あなたのようになれる障害者ばかりと思うな」という旨のリプライはよくあるみたいですしね。
曖昧な条件定義で的はずれな引き合いを取るもんじゃない。
あぁ、レスならいらんよ。
姿勢や思想云々じゃなく、素人相手にうまく切り返すこと一つできない三文ライターなら用はない。
世にはびこるというか、こべりつくように生きていくだけだろうから関心も失せた。
上段ニュースはもう少し紹介するものの精査をしてくれないかな、わりとホントに
パンダさん>
もしよければまた時々覗きに来てください。
例えばですが、ホモの幸福は「ノンケにはホモのホモ性をわかってもらえない」と理解するところから始まる、とか、下の話にもつながるようなことを書いたりしています。ノ
ジェガン>
>まず、「障害者」という言葉自体が疑問視される中で、「障害者=不幸」と取れる暴論を掲げられる。
そういうことは、誰も言ってないのね。
まあこの辺はバカにありがちな誤読ですが。
No.16のコメントにある
>「俺は不幸だ」と認識しているオタクが多いならそれを傍から「お前は不幸じゃない」と言うことが極めて不自然に思ったことが、今回の執筆の動機になりました。
これが全てですね。
コメント欄が長引くと本文忘れて議論する人が多いので貼っておきます。
文章見た限りこう伝わったし、こうとしか思えなかった。わかりやすいと思います。
ただ、No.173のコメントの
>>まず、「障害者」という言葉自体が疑問視される中で、「障害者=不幸」と取れる暴論を掲げられる。
>
>そういうことは、誰も言ってないのね。
>まあこの辺はバカにありがちな誤読ですが。
にはちょっと不快感を感じました。
本文に『赤字で』こういった記述があるのでまんざら誤読というわけでもないはずです。
>「障害者の抱える障害は決して“障害”ではない、“個性”だ」などという言い方、欺瞞以外の何ものでもありませんが、
これは『自らを鼓舞すること』の具体例として乙武さんのキャッチを並列表現で用いただけのものですが、
「障害は個性だ」と認識している個人に「いや、障害だ。それは欺瞞だ、個性だって思う人少ないし」としてしまうのと同意なので、私には違和感がありました。
本文で、「障害者=不幸」と主張しているわけではないのですが、
障礙者に関しての兵頭氏のウェートの置き方はこの一文だけからでもそれとなく把握出来ます。
『障がい者』というのがIME変換で二つ目に出てくると思いますけど、こっちを使うだけでだいぶ印象も違います。
表記ひとつにも色々な背景があるのでね。
ジェガンさんは兵頭氏の主張ではなく、そうした『部分的見識の欠陥』に不快感を示しています。
ですので誤読ではないです。『誰も言っていない』と切り返すのは兵頭氏の誤読となります。
久しぶりにコメントを書いて、朝から頭の体操ができました。
ありがとうございました。
王定六さん>
はじめまして。
……困りました、あなたのおっしゃっていることが正しいですw
ぼくの主張が「オタクは非リア(=不幸)だ」であり、そこに障害者を例として出した以上、「障害者は不幸だ」との前提がなければなりませんよね。
だから前回のぼくのレスは、そもそも論理的におかしい。
むろん、ぼくの発言はジェガン氏のありがちな、「障害者は障害者として生まれた以上、全員が不幸な一生を送らねばならないと言っているのか!?」といった挙げ足取りにムカついてのものでした。
が、だとしたら例えばですが、「そうだよ。障害それ自体は不幸だよ。ただし障害者が他の要因によってそれを上回る幸福を手に入れることだって充分にあり得る。でも、ここではそんな話はしてないのよ」とでも返答すべきでした。
……とここまで書いて、王定六さんの文章を読み返しました。
ひょっとするとご納得いただけないかな?
ぼくは障害それ自体はネガティビティであるし、そこを認めることが何よりも重要だ、という考えが前提としてあります。
また「障がい者」「障碍者」という表記を「押しつける」やり方にも賛成はできません。
変えたいのであれば少しずつ変えていくしかないんじゃないでしょうか。
ご意見あれば、どうぞお聞かせください。
久しぶりに来たらなんだこの盛り上がりは・・・たまげたなぁ。
ニコニュースだか何だかで取り上げられたせいもあるんでしょうが、やっぱりニコニコ動画に集まる人々にとって、「オタクの幸福論」とでもいうようなテーマは思い入れがあるんでしょうかね。
まあそれはさておき。
価値観が多様なんだからオタクだって幸せでもいいだろ、という海燕氏の主張は一般論としては正しいと思います。実際、この10年(あるいは20年?)でオタクの定義も拡大したというか、オタクと呼ぶべき人々も増えていますし、彼らを十把一絡げに「非リア」、「恋人がいないルサンチマンを抱えている」とするのも無理があるかと。
しかし一方で、海燕氏の言う「ルサンチマン語りの古くささ」という感覚、「幸福なオタク」というテーゼもまた、少々氏の個人的感覚を敷衍しすぎというか、オタクを十把一絡げにしてやしないか、と感じるのも事実です。
かつて本田透氏が『電波男』を書いて自論を展開した時に彼を支持していた人々、2chあたりで「喪男」なんぞと呼ばれていたタイプの人々が5年かそこらで消えてなくなるという事はないでしょう。そもそも価値観が多様化しているならなおの事、ルサンチマンを抱えたオタク、家庭や愛といったものを求めて得られないオタクというのが存在したとしても何も不思議ではない。
流行りの言説で取り上げられなくなったというだけで、「非リアなオタク」というのは今もかつてと同じく伏在しているんじゃないのかと、自分は思っています。それがオタク全般に当てはめられるかどうかは疑問ですが。
それからもう一つ。
価値観・幸福の多様性というのは割と流行りの思想で、まあ多様なのは事実ですし幸福論というのもそこから出発するしかないとは思いますが、それを今回の海燕氏のように、他人の幸福の感じ方を決めつけて使用するというのはあまりよろしくないのではないか、と感じました。
多様な幸福がある、という言説は、一歩間違えれば「お前は現状のままで幸福ダルルォ!?」というある種の恫喝、他人の持つ苦悩なり不幸なりを抑圧するように働きますから。
「どうしてこうなった」のかさっぱりわからないんですよねー。
ニコニューになるにはまずヒット数を稼がなきゃならんけど、その理由がない。どこかで採り上げられているのか。
この記事なんて一時期ニコブロトップだったし、次回記事は目下三位ですからね、荒らしさんには感謝しないといけませんw
海燕氏はマジメで誠実な人だと思うのですが、お話ししてみるとやはり本田氏があまりお好きでないようで、そうした言説へのカウンターとして、あの記事を書かれたように、ぼくには見受けられます。
でもそれって人の感情を圧殺することであって、決して人をいい方には導かないと思うんですよね。
>>兵藤さん
立場まで添えての返答ありがとうございます。私の意見は午前中にはあったんですが、驚いたことに先ほど消えました。
表記に関しての「押しつけ」の背景は、私が『障がい』と表記されてる本を数冊読んでいたことに起因します。身内に特殊学級を担当しているものがおり、手に取る機会が多かったもので。
『『障がい』と表記するだけでいらないトラブルを防ぐことができるし、メリットしかないよね!』と本気で信じて「提案」をしてみたつもりだったのですが、私の周囲の方が世間一般の認識と少し離れたところにあったようです。調べてみたら『差別を助長する』と捉える方も多くいらっしゃるようですね。
なかなかいい機会でした。離脱します。
>私の意見は午前中にはあったんですが、驚いたことに先ほど消えました。
え!? 書き込みが消えたってことですか?
確かに別の記事でもあったはずの記事が消えてるんですよね。何があったのか……。
「障害」→「障碍」の読み替えは理屈としてはわかるんですが、この種の読み替えって基本的に嫌いなんですよね。
例えば「ホモと呼ぶな、ゲイと呼べ!」といった論調がありますが、実際に同性愛者たちも普通に「ホモ」と自称してたりしますし、そもそも世代的に上の人で「ゲイ」より「ホモ」という表現になじんでいる人が多いことは容易に想像できます。
そう考えるとそれって同性愛者の中の一部の人たちが言い出したことでは……と思えてきます。
別に普通に「定着」しちゃえば何の問題もないけど、あんまり強くいうのもなー、と。
と、そんなところで。
また気が向いたら遊びに来てください。
頭の悪い記事。
相手にしない方が良いですな。
本文までは読んだ(キリッ
なのでコメント欄にもう似たような意見は書いてあるかもしれませんが。
んんむ、ほぼ記事に全面的に賛同はするのですが、
オタクの男性が、なぜ絵に描いた女性に恋慕している(というか欲情している)かというと、
「寂しかったから」などというロマンチックな理由があるようには見えなくて、
単に「性的なシンボルがこれでもかというくらい詰め込まれた挙句コンクリートミキサーにかけてぶちまけられている」
から、
だけという気がします。超正常刺激の項が参考になるかも(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%85%E6%AD%A3%E5%B8%B8%E5%88%BA%E6%BF%80)
なので大半の男にとって二次元と三次元は「別腹」だと思います。
Keyの作品もよく知っておられるようなのでこの人知っておられると思いますが、
深夜プラスONEの毒虫氏もエッセイのどこかで「二次元と三次元の女のかわいさは違う」というようなことを
言われておりました(http://members.jcom.home.ne.jp/fallon/essay.htmのどっか)。
それよりも「男はさみしい」という考え方に違和感を感じます。
男って本当に女性が感じるような孤独をクリスマスに感じているのでしょうか。
私には男というのは孤独をものともしないで、むしろクリスマスに無性に悔しくなるのは
「結婚し跡継ぎを残すための準備のお付き合いを果たす、という成人男性の義務も果たさずぶらぶらしている」
という不名誉に対するルサンチマンのせいだと思えるのですが。要するに名誉欲が満たされないせいかと。
恋愛と結婚に対する欲望は男性の方が薄いと思います。
性交に対する欲望は男性の方がはるかに強いけど。
乱文失礼しました。とにかく恋愛ルサンチマンに関する言論というのは小谷野先生とかもそうなんですが
(私も文系でしかも文献を読み込んできたわけではないので偉そうには言えないのですが)、
なんというか進化心理学とかの知見をもっと取り入れるべきではないかと思いましたので失礼させていただきました。
私の意見も「日々平安録」さん(http://d.hatena.ne.jp/jmiyaza/20121223/1356191197あたりが参考になるかも)の受け売りですけどね。
連投してすいません。
何が言いたかったかというと、我々は男のルサンチマンの理由を推測する際無意識に
「男女は同じ欲望を持っているはずなので、男が女に見られる欲求を持っているはずだし、女も男に見られる性的快楽を持っているはずだ」という思い込みを持っているのではないでしょうか。
昔、性行為にとても肯定的な、オープンな(はずの)女性の知り合いが、私が別に性行為などかのプラスチック製のチクワ型の恋人相手でもいいではないかと(まあその時はリア充さんたちに対する僻み半分で)言ったところ、
彼女は「でも温もりがないと、うーん」と言っていたのが印象的でした。
「温もり」とは!いやはや。我等男は「不気味の谷」に鎮座まします蛋白質の人形をこそ愛すのであって、
そこだけはフェミニストたちの非難するように、女性の人間臭い人間など必要としていないのではないでしょうか?
本題からずいぶんずれましたけれども。
はじめまして。
基本的には、ぼくと近しいお考えだと思うので、差違にこだわってみますが、
>オタクの男性が、なぜ絵に描いた女性に恋慕している(というか欲情している)かというと、
> 「寂しかったから」などというロマンチックな理由があるようには見えなくて、
> 単に「性的なシンボルがこれでもかというくらい詰め込まれた挙句コンクリートミキサーにかけてぶちまけられている」
> から、
> だけという気がします。
この基本的な考えが正しいとするなら、「萌え」という言葉の表す疑似恋愛的な感覚が、説明できないように思います。
「萌え」の元祖が何か、となると簡単には言えませんが、三十年ほど前の「ロリコン漫画」が恋愛を描くようになり、それがエロゲ、ラノベなどに反映されて今がある、というのがぼくの感覚です。
もし男性たちが恋愛的な要素を求めていないのであれば、エロ漫画が(例えば、当時で言えば陽気卑などの)ストーリー性を生み出しはしなかったでしょうし、それはkeyのゲームや今のラノベにしても、しかりです。
一般論的に「女性は恋愛や結婚に生命を賭ける」ということも「女は現実的」ということもよく言われ、ぼくたちはどちらが正しいのか、迷ってしまいますが、要は「恋愛や結婚に生命を賭けるからこそ現実的になる」わけで、おっしゃるように「恋愛と結婚に対する欲望は男性の方が薄い」と思いますが、だからこそ精神的なものを求める、ということもあるのではないでしょうか。
(女性の結婚願望とかはもうちょっと生々しい部分が大きいでしょう、あんまりうまく言葉にはできませんが)
>>185
>差違にこだわってみますが
思想信条の類は細やかな違いで無限にセクト化しますよねwwww
>この基本的な考えが正しいとするなら、「萌え」という言葉の表す疑似恋愛的な感覚が、説明できないように思います。
まいったな、もしかすると私は基本的な点を見逃していたかもしれない。
マァ私の信条を述べさせていただくならば(そちらの方が自然に説明できそうだし私は「不利」なんですけど(勝負事をしてるつもりはないですが))、ラノベエロゲに限っては、「支配欲」というのも男性は非常に強くて、それを満たしているんではないかと考えております。素人進化心理学を弄させて貰うならばそれは「配偶者が他の男の子を孕まぬように」進化してきた欲求に見えます。ツンデレなんかは支配欲を満たすためのテンプレの典型に見えるのですがどうでしょうか。
陽気卑ですかwww読みましたねwww中高時代に。ときめきましたよ。
ただその当時の読書傾向とか思い出すと自分すごく俗物ぽくってですね(ヨコハマ買い出し紀行とか)、単に自分は「ふたりエッチ」読んで興奮してる輩とは違うと思いたかっただけの気もします。俗物根性が男性向け性産業にも色濃く影を落としている気がしてならない。
まあ他のアレな漫画の絵柄が油っぽすぎるだけだったからというのもありますが(余談ですが萌え絵師に少なからぬ女性がいるのも男性の書くお色気絵が油っぽすぎるというのと何か関係がある気がします。)
もちろん男だけが汚いなんてナイーブなリベラル根性を見せつけるつもりは毛頭ありませんよ!
>女性の結婚願望とかはもうちょっと生々しい部分が大きいでしょう
という意見にはとても賛同しております。女の心も十全に汚い。
もちろんそうお返事を頂くと男性の心にも女性的ロマンチズムが少なからず存在しているというのは十分うなずける話ではあります。
>ラノベエロゲに限っては、「支配欲」というのも男性は非常に強くて、それを満たしているんではないかと考えております。
これは半分くらいはその通りだと思います。
例としてツンデレを挙げていらっしゃいますね。これは想像するに「高飛車かと思いきや」という変化球故に例を出されたのだと思いますが、例えばメイドさん、妹といった流行を見ていれば、そこは更に明確になってきます。
(事実、メイドブームに対してフェミニストがあまり何も言わないのが不思議でなりません、一つに彼女らが力をなくしていること、そして一つにはオタクを味方にしたいと考えていることが理由だと思いますが)
が、その「支配欲」という言葉の響きがくせ者で、いわゆる普通の恋愛も基本的には男性が女性をリードしてやるのが普通でしょう。そうした恋愛上のロールプレイで「女性のエスコート」を楽しむのも、支配欲と言えば支配欲です。事実、フェミニストは非常に盛んにそのような言い方をします。
つまり、恋愛を含むあらゆる人間関係に、支配欲はそもそも内在しているわけです。
ただ、「支配欲」という言葉の持つイメージに引きずられ、殺伐としたものを連想してしまいがちになる、ということではないでしょうか。
>>187
フェミニストの人たちにいちゃもんを付けられやすい自虐的表現という点では自分も良い表現とは思っておりません。
露悪にすぎるというのも分かっとります。
ただ、自分の経験を言うなら高校時代どんなに二次元の女を愛そうとしても愛せなかったので。
一方通行の求愛に疲れたから、と言われるかもしれませんが。
何かホント「束の間の関係」だった、ので以降ストーリーの消費は止めてしまった。pixivとかの絵だけ。
大人になるに従い自分がカラッポなのに気づいてストーリーの消費を止めてしまう人って
案外(今の時代特に)多いんじゃないでしょうか?
そのカラッポさはもしかしたら一部の人間の問題ではなく男の男らしさそのものではないか、と勝手に思ったので上のように長々コメントを書かせてもらったんです。
何言ってるかわからん。すいません。
う~ん、でもむしろ今は「二次元の女しか愛せない」男子が急増しているのではないでしょうか。
本田透さんはあれだけ萌え一筋に見えて、実は「マスターベーションは三次元女子でないとできない」と言います。
しかしそれもどうも、「真に愛する女性では欲情できない」的な童貞性から来るもののようで、逆に「らしい」とも思います。
ストーリーの消費云々はまた別なような……今のラノベも萌え四コマもストーリー性ってそんなに重視されませんし。