さて、当ブログ、今年の初めはずっと『ズッコケ』のレビューが続いておりました。みなさん、うんざりなさっていたかと思います。
が!
本来、ぼくが『ズッコケ』レビューを志したのも『中年』シリーズに対する興味が発端でした。となると当然、『中年』シリーズもレビューしないわけにはいきません。
まあ、コミケ中のどさくさに紛れ、「男性学祭り」はちょっと中断。できるだけ簡単に、今回は五冊を見ていくことにしましょう。
というわけで以降、『ズッコケ』シリーズと表記する時は本来の小学生時代のものを、『中年』と表記する時は中年シリーズを指すことにします。
最初にお断りしておくと、『ズッコケ』シリーズは毎回完結が原則。が、この『中年』シリーズはリアルタイムにキャラクターたちが歳を取っていき、またハカセと陽子の恋愛などは連続ストーリー的に進行していくので、巻毎の区切りが希薄です。そのため、細かい部分で展開の誤認があるかも知れません。何せタイトルが『age41』とか『age42』とか味気ないものなので、個々の区別が曖昧になってしまいがちなのです(そうした不満もあり、冒頭で各巻に『ズッコケ』風のタイトル案を着けてみました)。
またオチなども平気でネタバレします。特にミステリの『age43』、くらみ谷のその後が描かれる『age45』などはショッキングなので、ご了承ください。
『ズッコケ中年三人組』
●タイトル案『ズッコケ逆襲の怪盗X』
出版自体が「事件」として、結構騒がれた作品です。
「ハチベエが圭子と結婚するも不倫」「モーちゃんがリストラ」「ハカセが冴えない高校教師」と、こうして並べると本作の内容はいかにもショッキングです。既に『未来報告』で近しいネタをやっており、またその時は三人にそれなりに納得できる未来が用意されていたため、打って変わって「鬱展開」である本作は、衝撃的だったかも知れません。
例えば『ズッコケ』シリーズにおいて、ハチベエの家は八百屋を営んでいます。確かシリーズ初期では「スーパーも最近ではあまり安売りをしないため、個人商店もそれなりに顧客を掴んでいた」といった説明がなされ、『未来報告』では駅ビルに出店して繁盛していたのですが、『中年』シリーズではスーパーに勝てず、コンビニに商売替えをしています(しかもその時のゴタゴタで両親とはミゾができたというシビアさ)。モーちゃんも『未来報告』では外人さんと結婚した言わば勝ち組だったのが、リストラの憂き目に遭い、ハカセも『未来報告』のように研究職に就くこと叶わず、高校教師としてうだつの上がらぬ毎日を送っています。
しかししょぼくれた三人の描写はいざ読んでみるとそんなにショッキングでも、違和を感じるモノでもありません。ホテルでスナックの女と浮気しようとして嫁にバレるバチベエ、というのはそれだけ聞かされると生々しいですが、読んでみると「他の女子のスカートめくりをしたハチベエに、ヤキモチ混じりの怒りをぶつける圭子」といった感じと変わりなく、むしろ「いかにも」との印象を強くします。
さて、そんなしょぼくれた人生を歩んでいた三人組ですが、怪盗Xの復活と共に、また少年時代のような活躍をすることになります。言わば怪盗Xが少年時代の象徴として登場する、『劇画・オバQ』のオバQ役を担うことになるわけです。
ただし、この怪盗Xとの戦いは『劇画・オバQ』の無情さとは異なり、『最後の戦い』でやり残した怪盗Xのエピソードの伏線回収という感じで、むしろ前半の陰鬱さを払拭する比較的爽快な展開になってはいます。
『ズッコケ中年三人組age41』
●タイトル案『ズッコケ占いマル秘作戦』
本作は言わば「真智子リターンズ」。『マル秘大作戦』のヒロイン、真智子が女占い師となっての数十年ぶりのミドリ市への帰還。生来のウソつき女(なのでしょう)である彼女が「ウソ」を生業とする女占い師となり、またしても三人組を手玉に取り、また立ち去っていくというお話です。
小学生の時は、「ウソと知りつつ真智子を助ける」という展開でしたが、今度は真智子の勝ち逃げという印象。むしろ占いのトリックをハカセが暴きつつもかばう、とかの方がよかった気がします。そうした明朗さは中年には似合わないとは思うものの。
考えるとこの頃、『オーラの泉』みたいなのが流行っていたでしょうか。そうした時事ネタをやってみたかったとも、ウソつき女の末路を描きたかったとも思える話で、『ズッコケ』では三人組の温情を受けた真智子のリターンマッチというのが、本作の本質だったのかも知れません。ネットで誰かが「真智子にとっては三人組など小物で、ふらっと立ち寄って小学生時代の想い出に浸ってみたかっただけなのだろう」と言っていたのが印象的でした。
『ズッコケ中年三人組age42』
●タイトル案『ズッコケ親子相談所』
モーちゃんの娘のいじめ問題、ハチベエの息子の素行不良がテーマ。モーちゃんの娘の問題を解決するのがハカセの先輩の女教師、という形で三者の事情がクロスオーバーして描かれます。
が、一つにハチベエの息子の描かれ方が『金八先生』的な80年代風のDQNでどうなんだ、というのが一点。ただしこれはぼくが無知なだけで地方のDQNなど、今もむしろこんな感じなのかも知れませんが。
第二点として、モーちゃんの娘のエピソードでは「ゆず」(という、実在のフォークデュオ)が話に絡んできてやたらページが割かれるのですが、あんまり功を奏しているとは思えません。
『ズッコケ中年三人組age43』
●タイトル案『開廷!ズッコケ大裁判』
ハチベエが裁判員に選ばれるというお話。
ハカセは(多少の疑問符をつけつつも)裁判員制度に全面賛成で、それがリベラルである著者の意見でもあるのかと思い、読み進めると……最後の最後、つまり裁判での判決が出た後、被告がそれを覆す告白をします。
う~ん……まず、裁判員制度については、極めて非常識でムチャな制度であり、「どうかなあ」という印象を拭えません。その意味で判決をひっくり返す展開は裁判員制度への懐疑を提示しているとも(そういう感想が結構散見されました)、単にどんでん返しの妙を狙っただけとも取れますが、どうにも判断しにくい。
何かもやもやするなあ、という印象が、専ら残った話でした。
『ズッコケ中年三人組age44』
●タイトル案『ズッコケUMA探索隊』
イントロで『宇宙戦艦ヤマト』だの『ガンダム』だのが知人の息子のホビーとして話題に出て、それに続いてハチベエが久し振りに釣りを始め、ハカセとモーちゃんもそれぞれ写真と自由律の俳句に目覚める、言わば「ホビー物」とでも言うべき一作。
しかしハカセが撮影したハチベエの釣り風景に、偶然ツチノコが映り込み……。
結論を言うと実際にツチノコは捕獲され、しかし特に話が広がらないまま終わるという、『中年』シリーズの困難さを体現したような話になってしまいました。
それより、本話の要点はハカセと陽子の関係がいよいよクライマックスを迎えようとしている点にあるでしょうか。
基本的には一話完結である本シリーズ、ずっと陽子がハカセを射止めようとしているという展開が縦軸として用意され、両者のつかず離れずの関係が描かれます。陽子の心情としては、「子供の頃から、ハカセに興味を持っていた。しかしそれは異性に対するものではなく、珍獣に対する感情に近い」、さらに「年齢から来る焦り」、そして「アプローチしてもなびかないことに対する美人としてのプライド」などが絡みあい、ハカセ攻略に積極的になるとされ、まあ、「ひょっとして俺でも」と思わせる設定ではあります。
その上、ツチノコ探しにハチベエ、モーちゃんが興味を失い、ハカセの車では山道は厳しいので陽子の車を借りねば、というそこまで状況のお膳立てをされて、ハカセはようやっと陽子を誘います。陽子もツチノコ探しなんかにつきあうんだから偉いというか、よっぽど男に飢えているのか。
ただ、それでも本作では両者の関係は決定的にはならず、決着は次回に持ち越されるのですが――。
『ズッコケ中年三人組age45』
●タイトル案『ズッコケ山賊余話』
さて、異色作『ズッコケ山賊修行中』についてはエントリ一つを費やして語ったことがあります。本作はその後日談として、非常に注目度、評価の高いモノでした。
土ぐも一族に拉致された時、三人組を助け、自らは谷に残った堀口青年。その兄から弟の探索に協力してくれと懇願され、再び事件にかかわる三人組。しかし土ぐも一族は(一同がかかわった僅か数年後に!)トップである土ぐも様の急死により、崩壊していたのです。血統を巡っての後継者問題に加え、地元の村の「一族が財宝を隠しているのでは」との欲が絡んで、事態は一族の大虐殺にまで発展。
お話は、ハチベエたちが山奥で白骨死体を発見したことから急展開、更には『家出大旅行』の津田経子が登場、堀口氏自身は騒動から逃げ延び、大阪でホームレスに身をやつしていることが明らかに。
繰り返す通り、那須センセには女性不信のケがあり、美少女トリオなどリアルな世界の女性は性格が悪く描かれ、一転して非日常的なバックボーンを背負う女性は美化される傾向にあります。土ぐも様も『ズッコケ』では霊力を持った美少女として描かれていたのですが、その土ぐも様の後継者問題について、とあるブログでは以下のような指摘がされていました。
これは当時の日本国で起こっていた問題のメタファであ(り、反体制を掲げる彼らも体制同様の脆弱性を抱えてい)ると共に、「陽子とハカセの恋愛」といった地上的な性愛との対比の妙となっている。しかし同時に処女のまま死んだ土ぐも様のために一族が崩壊したと言うことは、その天上的女性観の否定でもある、云々。
なるほど、本話ではハカセの三十代における失恋体験(相手の女性が旅先で男遊びをしてしまう)、モーちゃんの妻の浮気などが描かれ、全体的に女性への不信感が漂っていますが、しかし土ぐも様が「処女のまま死んだ」というのはむしろ強烈な天上的女性への憧憬が感じられます。ま、女は虹に限るってことですな。