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記事 4件
  • 【お知らせ】津田直士ニコニコチャンネルリニューアル!!(2016年3月より)

    2016-02-20 18:40  
    いつも津田直士ニコニコチャンネルコンテンツをご覧頂きありがとうございます!株式会社 津田直士事務所 スタッフからお知らせをお伝えします。2016年3月よりリニューアル致します!!【1.チャンネル会員の皆さまへ】新たに動画コンテンツが増えます!過去に掲載されたブロマガ記事をもとに、津田直士自身がその内容を掘り下げたり詳細を説明しながら、動画のビジュアルや音声などの
    要素を活かして、ポイントを分りやすく解説していきます。(ユーザーの皆さんから質問があれば、それに答えることも!)人生という映画の主人公として、未来を自分で創り、自分らしい生きかたをするための極意を、津田らしさ満載でお伝えしていきます!
     
    《リニューアル内容》最初から津田直士のブロマガを購読して頂いている方・・・初期のブロマガを読んだことがない方・・・皆さんに楽しんで頂けるよう、過去に掲載されたブロマガをスタッフが編集。新たな切り

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  • 【エッセイ】「僕がピアノを好きな理由」

    2016-02-20 01:50  
    220pt









    「僕がピアノを好きな理由」


     僕はピアノを習ったことがありませんでした。  姉がピアノを習っていたので家にはピアノがありましたが、何度親に勧められても、小さな頃の僕は「習いたくない」とこたえていました。 
     姉の受けているレッスンも、その演奏も、まったく魅力がなかったからです。
     音楽の成績も決して良い方ではありませんでした。  カスタネット、トライアングル、大太鼓、リコーダー・・・。 小学生の僕は、楽器が嫌いでした。  自分が出す音も、他の生徒が出す音も、美しいと思えないからでした。
     でも、美しい音楽を聴くのは大好きでした。  バッハ、ベートーベン、チャイコフスキー・・・ バラが咲いた、キングコング、黒ネコのタンゴ、白いブランコ・・・   記憶が芽生えた頃から、 美しい音楽に心惹かれる感覚はいつも、そしてはっきりと、すぐそばにあった気がします。
     周りが同じ「音楽」と表現しても、僕の中で「美しいもの」と「そうではないもの」は、全く別のものでした。
     やがて小学4年生の時『美しい音楽は、心と体すら支配する』ということを知った僕は、心を響かせ、動かし、揺さぶり続ける、強い魅力を持った音楽にさらに傾倒していき、気がついたときには音楽が僕の人生の真ん中にありました。
     中学2年の時でした。 大好きなアーティストの音楽を毎日浴びるように聴いていた僕は、 突然あることを思いつき、あれほど嫌いだった家のピアノを、黙って見つめていました。 
  • 【夢と夕陽 最終回】 82. 最終章〜ライナーノーツに込めた想い(3)

    2016-02-07 15:00  
    220pt









     3. 「VISUAL SHOCK Vol.4破滅に向かって」のライナーノーツに込めた想い
     《ライナーノーツ原文》
      

    闘いから愛へ
     出会った頃のXは、未知数のかたまりだった。 僕が彼らをよく知らなかったから、ではなくて 彼ら自身が、未来に何があるのか知らなかったからだ。 知らない未来に期待を抱くことなどなく、 ひたすら悔いのない今を生きること、それだけにまるで命をかけている。 そんな5人だった。そんなトシ、ヒデ、パタ、タイジ、ヨシキだった。 僕には、Xの毎日が闘いに見えた。
    闘いの相手は何だったのだろう? 「ジャンルの壁」「モラルの壁」「常識の壁」だろうか。 それもあったかも知れない。でも、一番の相手はやはり 自分達自身、つまりXそのものだったのではないだろうか。 過去にも書いたとおり、僕の目には、未来のとてつもなく大きな、 そして輝かしいXが、出会った頃から見えていた。 「大丈夫だよ。まだまだ、ずっと、大きく、美しく、素晴らしく、なるよ」 信じ続けていた。そして、5人にいつも、伝えていたように思う。 それは、彼らの自信には、なったかも知れない。 けれども、見えない未来は、想像でしかない。 彼らにとって大切なのは、あくまで、現実となったきのうのこと。 現実にしていく明日のこと。現実である、今。 だから―Xは闘っていた。おそらくX自身と。 その闘いを僕はずっと見てきた。
    1992年1月7日 僕は、気づいた•••。 闘いは、愛に変わっていた。
    トシ、ヒデ、パタ、タイジ、ヨシキの5人が、5万人の大合唱に包まれている。 Xは闘い続けてきたけれど、それを見守ってきた人々の答えは、愛だった。 Xも愛しているのだろう、5万人を。口にしたことは、ほとんどなかったけれど。 4年前、500人と1つになっていたX。
    ずっと同じX。闘い続けて。 同じ気持ちのファン達。受けとったのは愛だと感じ、愛で返し続けて。 何という、4年間だろう。 僕はバンドを探していた。見た事もないようなバンドと出会いたかった。 それがXだった。命がけで走り続けた者だけが持つ輝きが、ここにある。永遠に。

     
     《僕の想い》  1992年1月7日 僕は、気づいた•••。 闘いは、愛に変わっていた。
     
     この文章を書いたのは、僕がライナーノーツに自分の想いを忍ばせる、ということを始めてから3年目だった。
     
     僕はこの文章に、今までとは比較にならない位に強い想いを託した。 もはや忍ばせるのではなく、僕なりの想いをそのまま文にした。
     
     何といっても、命懸けで闘ってきた日々がファンの愛によって終わりを告げた、と書いているのだ。 見方によっては、とんでもない文章かも知れない。 でも僕は、東京ドーム3Daysを観て確信したのだった。 『もう闘いは終わった』と・・・。
     
     それに加えてこの頃、海外進出を目指して活動拠点をロサンゼルスへ移すメンバーと別れ、日本のソニーミュージックに残ることを僕は考えていたのだ。
     
     4年間、メンバーと共闘を続けた僕にとって、その決断もまた『闘いの終わり』を意味していた。
     
     だから僕は、東京ドーム3Daysで『闘いの終わり』を確認し、安心して別れを決意したのだった。
     あの会場で、闘い続けたメンバーに『愛』を返してきてくれたファンを観ながら、僕は号泣した。
     やっぱり、辛くて苦しかったけれど自分たちを信じて続けた、あの闘いの日々は間違っていなかったんだ・・・。 そしてとうとう『Xという物語』は、こんなに美しく、素晴らしいものになったんだ・・・。 
     この文章に込めた想い。
     
     それは、4年前には想像すらできなかった奇跡、『運命共同体の愛』への感謝 そして、その愛に支えられ、新たな闘いに挑んでいくXのメンバーに向けた、僕からのエールだったのだ。
     
     
      

    4. 「ART OF LIFE」のライナーノーツに込めた想い
     《ライナーノーツ原文》   3年前の夏を思い出す。冷房のきいたスタジオの一室で、YOSHIKIと僕とシーケンサーとシンセサイザー。  一週間以上続いた、曲のイメージ・スケッチ作りのある日、YOSHIKIはひとこと「これで終わり」とつぶやいた。不意をつかれた感じだった。トータル30分弱。終わりはいつ訪れるのだろう、と思っていたところに、ピアノソロ後の、後半部分が、意外に短く、終わった。  僕達は、静まりかえったスタジオの照明を暗くして、でき上がったばかりのイメージ・スケッチを、大音量で聴いた。  30分は、あっという間だった。2人とも、しばらく声が出ない、という感じだった。   
  • 【夢と夕陽】81. 最終章〜ライナーノーツに込めた想い(2)

    2016-02-04 18:00  
    220pt






      前回に引き続き、僕の心の中にあった『ライナーノーツに込めた秘かな想い』を綴っていきたいと思う。 

     2. 「Jealousy」のライナーノーツに込めた想い 
     《ライナーノーツ原文》
    YOSHIKI ロサンゼルスのノース•ハリウッドにアパートを貸りて、僕達は初めての海外レコーディングをスタートしようとしていた。'90年12月3日。ロサンゼルスに来て10日目の朝、ヨシキは倒れた。生まれて初めて「死にたい」と思ったほどの激痛に首と肩を襲われ、彼はドラムを叩けなくなった。年が明けて'91年5月14日。ヨシキは最後のドラムを録り終えた。その日、本番で彼が叩いた 『Say Anything』はわずか2回。精神統一をした後、叩き出した、最初のテイクを聴きながら、僕はこの半年間で起きた事を思い出していた。正直なところ、僕は初めて、レコーディング中に涙を流した。それ位に素晴らしいプレイだったし、それ位に重い半年間だった。通常のドラム•レコーディングで行われる、激しい僕とヨシキのやりとりもなく、静かに僕はOKを出した。一時はドラムを諦めかけた彼が、このアルバムを完成させたエネルギー。彼を支えた4人のメンバーと周りの全ての人達のエネルギー。このアルバムにはその全てが刻まれている。(1)
    TAIJI タイジが、ロス•レコーディングというチャンスを生かして、本場のグループや音楽に対する姿勢といったものを大変な勢いで吸収しているのは、よくわかっていた。紛れもなく、それはアーティストとして偉大な“成長”だから、僕は嬉しい。彼がいつ、どこで、どうやって吸収しているのかは、誰も知らないのだが。「ねぇ、そのノリ違うね。」「もう一回、録り直そうか。」「8時間練習すると、何でも弾けちゃうんだね。」「ただのアドリブだよ。」そんなさりげない言葉に彼の“成長 ” は感じられた。(2)常識とルールの対極で、妥協を許さず音楽を求める。タイジのオリジナルは、完成するまでに長い道のりを必要とした。'89年夏に原型を生んだ『Voiceless Screaming』は、一時、10分以上に及ぶ組曲にまで発展し、1年をかけて最終的にこの形となった。そして「ねぇ、やっぱり、ちょっと変えたいんだけど...」はミックス•ダウンの前日まで続けられたのである!
    TOSHI ヨシキが倒れている間、他のメンバーはリハーサルとアレンジを続けていた。いよいよヨシキ復帰となった時、トシが言い渡されたのが、のどの医者による“1ヶ月の発声厳禁”というショッキングなものだった。『Voiceless Screaming』と『Desperate Angel』の詩はそんな背景で生まれた。のどの肉体的なリハビリテーションと同時に、歌の表現力を彼なりに研究した不断の努力の成果が、今回のアルバムには色濃く現れている。(3)お馴染みのトシに加え、ヒデ、タイジによって引き出された新しいトシも、『Miscast』『Voiceless Screaming』『Desperate Angel』で体験して欲しい。
    HIDE ヒデにとって、アメリカ•レコーディングの意味は、むしろ本人が気づいていないところにあった。「自由」と「責任」である。(4)BLUE BLOODの『Celebration』と『X clamation #1』で表現されたヒデの「自由」には、まだ「責任」が伴っていなかった。それに対して今回、『Miscast』の詞、『Joker』のメロディー、そして『Love Replica』のコンセプトと実験、3曲に関わるS•Eなどには「自由」の裏にある「責任」が同時に光っている。ヒデにとってはその“瞬間”が大事だから、創るのに時間はかからない。その代わり、その瞬間にどれだけ純粋なヒデにとっての「自由」が、曲の全てに込められているか、が勝負なのだ。3曲を聴いて、その時々の違う“ヒデ”に耳を傾けてもらうのも、一つの良い聴き方かもしれない。そして、今回の作品は(本人は気づいていなくとも)責任の裏づけがあるから、その分「深い」のである。安心して子供のように「自由」を楽しんでいるヒデを感じとって欲しい。
    PATA 速い曲を弾く時のパタは、名人芸を披露する職人の趣きがある。ギターテクニシャンに腕を揉ませて、本人は眼をつぶっている。椅子はパタ専用の椅子である。ギターの音は、出来上がっている。無論、「うーん、かなりいいんだけど、気にくわないな」を何度もくり返した結果である。やがてスピーカーからほとばしる「暴れるヨシキ」と向かい合う時がくる。手は、最高で1分 7~800回のUP&DOWNを繰り返すのだが、顔は微動だにしない。その瞬間、仏に近いパタである。(5) さて、奥を極めればキリのないギター道を旅するパタが、ロスで購入したレスポールは20,000ド ル。さらにプレイについても、自作の『White Wind From Mr. Martin』や『Stab Me In The Back』のソロをはじめ、存分に楽しめることを約束しよう。        ( 〜中略〜 )
     作曲•アレンジに半年、レコーディングに半年を費して完成されたこのアルバムは、前作『BLUE BLOOD』発表後、2年間にわたる5人の成長をそのまま反映したものとなった。5つの個性がXという文字1つのオリジナリティとなる独特のクリエイティビティーは、当然のことながら、このままでは終わらない。(6)『Say Anything』の語りが暗示するように、次の作品となる30分あまりの大作『Art Of Life』は、ヨシキが自らの人生の中で答えを見つけようとする精神世界と、Xだけが表現し得るサウンドの集大成となるはずである。『JEALOUSY』に刻まれた現在のXのすべてを体験しながら、その完結篇となる『ART OF LIFE』の完成を、待っていて欲しい。
       《僕の想い》  (1)一時はドラムを諦めかけた彼が、このアルバムを完成させたエネルギー。彼を支えた4人のメンバーと周りの全ての人達のエネルギー。このアルバムにはその全てが刻まれている。 このライナーノーツを書いている時点では、アルバムが無事完成してタイムリミットまでに日本へ帰国、リリースが間に合う…という確証はまだなかった。
     
     寝る時間を削って作業を続けても、レコーディングは終わらない。
     
     そんな「終わらないレコーディングの日々」の中で、僕がこの文章に込めたもの。