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【夢と夕陽】37. 『100年残る音楽』 を生み続けるYOSHIKI.4 【ART OF LIFE -1】
2015-01-27 01:03220pt -
【夢と夕陽】36. 『100年残る音楽』 を生み続けるYOSHIKI - 3
2015-01-19 21:33220pt
【 音にこだわるYOSHIKIの姿とオリジナリティの重要な関係 】 YOSHIKIが『譜面さえあれば作曲はできる』と話す意味。 MSG公演で、25年前に生みだされた曲が、当時のアレンジのままで堂々と演奏され、世界の音楽の中心で高く評価されたこと。 普通の人にはどれもが同じに聴こえる5つの音を、エンジニアに指示を出し、何度も何度も繰り返し聴き比べながら、やがてひとつを選び出すYOSHIKIの姿。
レコーディングスタジオやレコーディング機材など、今の世界の音楽シーンにおける最先端の環境を常に身の回りにおいている、という事実。
これらは皆、ある重要なところで強く結ばれている・・・。 レコーディングスタジオというテーマで話を進めているのは、そこが音楽制作の現場であり、大切な作品が生まれる場所だ、ということもあるが、この話は最終的に、 『YOSHIKIのオリジナリティ』と『100年残る音楽』
という大きなテーマの答えに直結している。 今回は、そのあたりに一歩踏み込んで、綴ってみたい。 -
【夢と夕陽】35. 『100年残る音楽』 を生み続けるYOSHIKI ②
2015-01-12 15:00220pt
『世界の音楽の中心で』
レコーディングスタジオというのは不思議な空間だ。 『良い演奏を良い音で録る』という目的のためにあらゆる工夫がなされ、優れた機材が集められ、常にスペシャリストによる試行錯誤が続けられる。 スタジオの使用料が高いのは、そのためだ。 そしてスタジオ使用料が高いことも含め、そこが特別な空間で神聖な場所であるがために、演奏する際には独特の緊張感が生まれる。 レコーディング本番の時、録られた音を確認している時、何らかのジャッジをする時・・・演奏者、エンジニア、そしてプロデューサーの集中力は限りなく高くなる。 そして良い作品を創り上げるために、重要な会話が交わされる。 また、ある時はその研ぎすまされた緊張感を、その場にいる人間全員の大爆笑が一気に消し去る。 この「笑い」も実は大切だ。どんなに真剣に創られていても、一方で音楽はエンターテインメントだからだ。 さらに、スピーカーから音が鳴っている時も、音が止まり静かになっている時も、重要な会話がなされている時も、爆笑の渦で部屋が満たされている間も、そのスタジオにいる誰かが、イマジネーションを膨らませている可能性が高い。 最大の目的は作品を創ることにあるのだから、決してそのイマジネーションの邪魔をしてはいけない。 そして誰かの心に生まれたイマジネーションを、ちょっとしたやり取りで最大限膨らませていくことも、大事なことだ。 僕がレコーディングスタジオの空間が好きなのは、こういった特別な雰囲気や暗黙のルール、そして作業の結果生じるさまざまな出来事がすべて『良い演奏と良い音』を生み、それがそのまま『素晴らしい作品』につながるからだ。 こういったレコーディングスタジオの意味と特性を考えれば、YOSHIKIが巨額を投じてそれを購入し、時間をかけて自らのイメージ通りのスタジオに創り上げていったのは、当然のことだと思う。 『すべては音楽のために』だ。****************** 1992年 8月。 「ART OF LIFE」のレコーディングに再び参加することとなった僕は、YOSHIKIから現況の説明と今後のレコーディングの方針を聞かされた後、早速、現在大まかに組まれているスケジュールを、僕の経験に基づいてさらに緻密なレコーディングスケジュールに整えていく作業にとりかかることにした。
スタジオのコントロールルームで打ち合わせが終わり、僕はこれから再開する「ART OF LIFE」のレコーディングへ向けて、急速に気持ちが高まって行くのを感じていた。
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【夢と夕陽】34. 『100年残る音楽』 を生み続けるYOSHIKI
2015-01-07 02:50220pt
自分は、 100年残る音楽に、なぜこだわるのか。
100年残る音楽を、なぜ追い求めるのか。
YOSHIKIが100年残る音楽を生むことを、なぜ喜び、誇りに思うのか。
年の初めに、自分が大切にしている想いを、改めて見つめてみた。 やがて、心に柔らかい光が射した。 そして、音楽を仕事にしていることの幸せを深く感じた。 今回からしばらく「大切なこと」と「大切にしまってある記憶」を交互に織り交ぜながら、綴っていきたいと思う。
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僕にとって昨年、最大の出来事は、横浜アリーナとMSG公演で『X JAPANとYOSHIKIの輝く未来』が確実に見えたことだ。
メンバーの生き様と運命共同体が「生きた映画」となっていたことや、YOSHIKIのパフォーマンスが「過去最高」であったこと、そして「YOSHIKI自身がXになっていた」という発見など、あのライブは圧倒的な魅力と新たな輝きで溢れていた。 しかし改めて考えると、それらを生んだ源はすべて、時代も国境も超える力を持った『オリジナル作品の音楽性』とそれを生んだ『YOSHIKIの音楽への想い』にあったことに気づく。
そんな意味からも、世界の音楽の中心で堂々と披露されたオリジナル作品が、25年前と全く変わらないアレンジとパフォーマンスだったという事実はとても重要だ。
X JAPANの音楽が25年以上変わらないのは、変わる必要がないからだ。
変わる必要がない位、研ぎ澄まされて送り出された作品だからだ。 なにより、その作品が誰の真似でもなく、オリジナリティの塊だったからだ。 きっと真のオリジナル作品というのは、古くならないものなのだろう。
そして、その古くならない、研ぎすまされた作品が、25年の間に世界中へ広がり続けたということは、すでにX JAPANの作品が100年残る音楽になりつつある、ということの証明でもある。
僕がこのことを誇りに思うのは、このようなことを実現できるアーティストが、ごく限られた存在だからだ。 本当は僕は、X JAPAN、ひいてはYOSHIKIのようなアーティストが、日本にもっと多くいるべきだと思っている。 そもそも20才の僕が音楽業界に入ったのは、そういったアーティストが増えて欲しい、という想いからだったのだ。
でもYOSHIKIのように、強い音楽への想いから高い志を貫けるアーティストは、なかなかいなかった。 その理由を考えるより、YOSHIKIが他のアーティストよりも突出しているところを考えた方が早い。
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