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解説テキスト【夢と夕陽】35. 『100年残る音楽』 を生み続けるYOSHIKI ②
2016-06-28 17:00220pt
2015年1月に配信された記事を基に編集しております。 『世界の音楽の中心で』
レコーディングスタジオというのは不思議な空間だ。 『良い演奏を良い音で録る』という目的のためにあらゆる工夫がなされ、優れた機材が集められ、常にスペシャリストによる試行錯誤が続けられる。 スタジオの使用料が高いのは、そのためだ。 そしてスタジオ使用料が高いことも含め、そこが特別な空間で神聖な場所であるがために、演奏する際には独特の緊張感が生まれる。 レコーディング本番の時、録られた音を確認している時、何らかのジャッジをする時・・・演奏者、エンジニア、そしてプロデューサーの集中力は限りなく高くなる。 そして良い作品を創り上げるために、重要な会話が交わされる。 また、ある時はその研ぎすまされた緊張感を、その場にいる人間全員の大爆笑が一気に消し去る。 この「笑い」も実は大切だ。どんなに真剣に創られていても、一方で音楽はエンターテインメントだからだ。 さらに、スピーカーから音が鳴っている時も、音が止まり静かになっている時も、重要な会話がなされている時も、爆笑の渦で部屋が満たされている間も、そのスタジオにいる誰かが、イマジネーションを膨らませている可能性が高い。 最大の目的は作品を創ることにあるのだから、決してそのイマジネーションの邪魔をしてはいけない。 そして誰かの心に生まれたイマジネーションを、ちょっとしたやり取りで最大限膨らませていくことも、大事なことだ。 僕がレコーディングスタジオの空間が好きなのは、こういった特別な雰囲気や暗黙のルール、そして作業の結果生じるさまざまな出来事がすべて『良い演奏と良い音』を生み、それがそのまま『素晴らしい作品』につながるからだ。 こういったレコーディングスタジオの意味と特性を考えれば、YOSHIKIが巨額を投じてそれを購入し、時間をかけて自らのイメージ通りのスタジオに創り上げていったのは、当然のことだと思う。 『すべては音楽のために』だ。****************** 1992年 8月。 「ART OF LIFE」のレコーディングに再び参加することとなった僕は、YOSHIKIから現況の説明と今後のレコーディングの方針を聞かされた後、早速、現在大まかに組まれているスケジュールを、僕の経験に基づいてさらに緻密なレコーディングスケジュールに整えていく作業にとりかかることにした。
スタジオのコントロールルームで打ち合わせが終わり、僕はこれから再開する「ART OF LIFE」のレコーディングへ向けて、急速に気持ちが高まって行くのを感じていた。
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解説テキスト【夢と夕陽】34. 『100年残る音楽』 を生み続けるYOSHIKI
2016-06-22 10:00220pt2015年1月7日に掲載されたブロマガを基に編集しております。自分は、 100年残る音楽に、なぜこだわるのか。
100年残る音楽を、なぜ追い求めるのか。
YOSHIKIが100年残る音楽を生むことを、なぜ喜び、誇りに思うのか。
★津田さんが「100年残る音楽」にこだわる理由を教えて下さい。
年の初めに、自分が大切にしている想いを、改めて見つめてみた。 やがて、心に柔らかい光が射した。 そして、音楽を仕事にしていることの幸せを深く感じた。 今回からしばらく「大切なこと」と「大切にしまってある記憶」を交互に織り交ぜながら、綴っていきたいと思う。
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僕にとって昨年、最大の出来事は、横浜アリーナとMSG公演で『X JAPANとYOSHIKIの輝く未来』が確実に見えたことだ。
メンバーの生き様と運命共同体が「生きた映画」となっていたことや、YOSHIKIのパフォーマンスが「過去最高」であったこと、そして「YOSHIKI自身がXになっていた」という発見など、あのライブは圧倒的な魅力と新たな輝きで溢れていた。 しかし改めて考えると、それらを生んだ源はすべて、時代も国境も超える力を持った『オリジナル作品の音楽性』とそれを生んだ『YOSHIKIの音楽への想い』にあったことに気づく。
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解説テキスト「津田直士井上水晶」
2016-06-16 17:00220pt今回は書き下ろし解説テキストです。(ミクみん※以下ミク)津田直士さんは皆さんご存知、作曲家・プロデューサー。実はあるCMソングを歌っていた、というびっくりエピソードもありましたが、今回自身がユニットを組んで「アーティスト」として活動をはじめようと思ったきっかけは何だったのですか?
(津田) 裏方であるプロデューサーだけでなく、表現者としての活動をすべきだ、という意見は10年も前から常に周囲にあったんですが、なかなかその気になれなくて。
何より、自分のことは必ず後回しにしちゃうんで、多少きっかけがあっても、いつの間にか消えちゃう。(笑)
ただ、今回は水晶とタッグを組む、という明確なビジョンが2人同時に確信を持って生まれたので、強い使命感と責任感のもと、進めることになりました。
(ミク)井上水晶さんは自身のアーティスト活動について悩んでいた時に津田さんと出会い、気持ちや考え方が急激に変 -
解説テキスト【エッセイ】「僕がピアノを好きな理由」
2016-06-04 15:00220pt2016年2月20日に掲載されたブロマガを基に編集しております。「僕がピアノを好きな理由」
僕はピアノを習ったことがありませんでした。 姉がピアノを習っていたので家にはピアノがありましたが、何度親に勧められても、小さな頃の僕は「習いたくない」とこたえていました。
姉の受けているレッスンも、その演奏も、まったく魅力がなかったからです。
音楽の成績も決して良い方ではありませんでした。 カスタネット、トライアングル、大太鼓、リコーダー・・・。 小学生の僕は、楽器が嫌いでした。 自分が出す音も、他の生徒が出す音も、美しいと思えないからでした。
でも、美しい音楽を聴くのは大好きでした。 バッハ、ベートーベン、チャイコフスキー・・・ バラが咲いた、キングコング、黒ネコのタンゴ、白いブランコ・・・ 記憶が芽生えた頃から、 美しい音楽に心惹かれる感覚はいつも、そしてはっきりと、すぐそばにあった気がします。
周りが同じ「音楽」と表現しても、僕の中で「美しいもの」と「そうではないもの」は、全く別のものでした。
やがて小学4年生の時『美しい音楽は、心と体すら支配する』ということを知った僕は、心を響かせ、動かし、揺さぶり続ける、強い魅力を持った音楽にさらに傾倒していき、気がついたときには音楽が僕の人生の真ん中にありました。
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