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【夢と夕陽】61. 夢の始まり(6)
2015-07-28 01:45220pt
賞発表の準備を何人かのスタッフとしていると、その中の一人が僕に話しかけた。
「津田さん、X。あれ、まずいっすよね、危なかったですよね。あんな勝手なバンド、困ったもんですね。俺なんかさぁ、あのダラダラと続けてる煽り、何やってんだよー、と思ってさ、頭来たから止めようとしたんすよー。そしたらさ、何でか分からんけど、止めない指示が出てて驚いちゃった。でも、もう少し続けてたら、俺、PAんとこ行って、勝手に止めてたっすよ」
「ええ!ほんとに〜?」
咄嗟にひとこと、軽く応えながら、僕は自分の心境の変化に驚いていた。
彼の発言を聞きながら、心の中で(こいつ、何もわかってねえな・・・)
と思ったからだ。
そもそも、演奏を止めない指示、というのは僕の判断によるものだ。
オーディションの現場責任者としての判断で、あの煽りを止めなかったのだ。
Xというバンドのわがままではなく、バンドの思想を理解し、応援したいと決意した、オーディション内部サイドの判断なのだ。
そこまで人の心を動かすバンドの魅力・・・そこをわかっていない、ひとりのスタッフの感情など、オーディションという大切な機会に、何の価値があるのか。
そんな思考を一瞬のうちに済ませて、彼の発言がどうでも良い内容だから、ひとことで済ませたのだ。
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【夢と夕陽】60. 夢の始まり(5)
2015-07-20 16:00220pt
そのオーディションは、とてもシンプルで合理的な判断基準によって審査が進行する。
理由はレコード会社(+プロダクション)であるソニーミュージックによるオーディションだからだ。 今回の決選大会の前に、予備審査が行われている。
そして、エントリーアーティストの中から、メジャー契約しデビューさせたいアーティストを、既にその予備審査によって各制作セクションが検討し始めている。 たまに検討の結果、アーティストの獲得を決め、決選大会を待たずに明確な希望を我々に告げてくるセクションもある。
しかし複数のセクションが1アーティストの獲得を希望する場合もあるため、最終決定は全て決選大会後に決まる。 お祭りではなく、あくまで新たな才能をソニーミュージックとしてきちんと世に送り出していくためのオーディション。
そういった意味合いから、何よりも重要なのは、どの制作セクションが、どのアーティストと契約したいのか、という判断だった。 それらを最終的に決めるのが、この決選大会だった。
予選大会から決選大会まで1ヶ月以上の期間があるため、各制作セションの獲得希望情報などは、ある程度精度の高いものになっている。
そういった背景の上で今回のように決選大会が行われ、各制作セクションはアーティストの大きなホールにおけるパフォーマンスを改めて確認し、あらかじめ決めてあった獲得希望の意志を再確認する。
面白いもので、そういった事前の意志が、決選大会で変わることもある。
前年度の決選大会の事だった。
僕は半年以上コミュニケーションをとってリーダーの宮本浩次の人間性とバンドの大きなテーマ、そして若いバンドならではの限りない可能性を把握した上で、エレファントカシマシをていねいにプレゼンし続け、最終的に決選大会へ送り込んだ。
決選大会までの間に、興味を持つディレクターやプロデューサーはいたけれど、当日まで決定的な獲得希望の情報はなかった。
そして決選大会後の審査が始まった時に、それまで他のアーティスト獲得を強く希望していたある制作セクションの部長が、現場のディレクターと話し合った結果、急遽エレファントカシマシの獲得を決定し、名乗りを上げた。
実はその審査の瞬間まで、それほどはっきりとした獲得の意志をどこの制作セクションからも確認していなかったからこそ、僕はいずれエレファントカシマシのプロデュースを自分自身が手がける、というイメージを膨らませていったのだった。
しかし、突然だけれど、それまで希望していた別のアーティストへの意志を取り下げてまで、ある制作セクションが明確な獲得の意志を提示した結果、エレファントカシマシは見事、賞をとり、オーディションに合格した。
このダイナミックな動きをした決選大会の結果により、僕は2年続けてデビューアーティストを発掘した、という評価と実績を得て、その一方で自分がエレファントカシマシのプロデュースを手がける、という大きなチャンスを失ったのだった。
あれから1年経った今、新たな8アーティストの中から、制作部セクションによる契約・デビューの確約、という明確な判断に基づく、審査が始まったのだった。
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【夢と夕陽】59. 夢の始まり(4)
2015-07-14 00:30220pt
1987年12月。 オーディション決選大会の会場は日本青年館だった。
ファンに一切知らせず、完全にシークレットでステージに臨むXは、初めての観客を前にして、どんなパフォーマンスを展開するのだろうか。
そのパフォーマンスを観たソニーミュージックの制作スタッフ達は、どんな表情でXを見守るのだろうか。
そしてその結果、Xは、どんな評価を得るのだろうか。
年に一度行われるソニーミュージック全体のオーディションの運営責任者だった僕は、忙しく会場を走り回りながら、そんなことを考えていた。
エントリーアーティストのライブは順調に進み、いよいよ最後のエントリーアーティスト、Xの出番になった。
演奏が始まると、オーディション会場は一気にライブ会場に変化した。
たった2曲で自分達の世界観を表現しなければならないからだろうか、Xの演奏とパフォーマンスには、ワンマンステージを全て2曲に集約したかのようなエネルギーに満ちていた。
ファンが一人もいない会場、しかもあくまでオーディションだ。客席は冷ややかだろうし、Xならではの激しいエネルギーも、もしかすると空回りをするのではないだろうか、という僕の心配は、演奏が始まった途端に吹き飛んだ。
驚いたのは、メンバーが観客を煽り始めると、初めてXを観たにもかかわらず、何人もの観客が、まるでファンのような反応を始めたのだった。
(凄いな…。早速ファンを生み出しちゃってる)
また、ライブ慣れしているから、職人的なパフォーマンスなのか、というと、そうでもない。
激しさの中に、なぜか初々しさのようなものが混ざっている。
(そうか、Xはライブもまた、自然体なんだ・・・!)
その自然体ならではの素直なエネルギーの伝わり方が、初めて観た観客を一瞬にして虜にするのかも知れない。
そんなことを考えているうちに、2曲目のパフォーマンスに移り、メンバーによる観客への煽りは更に激しさを増していく。
審査する立場の制作関係者たちを見てみると、皆、真剣な表情でパフォーマンスに見入っている。
曲が後半に近づくと、僕はほんの少し、犯罪者のような、緊張感の混ざった複雑な気分になっていった。
もしそれが犯罪だとしたら、僕はマネージャー小村君の共犯者だ。
そう、実は数日前に行なった小村君との最終打ち合わせで、僕はオーディションの責任者としてはあり得ない判断を下していたのだ。
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【夢と夕陽】58. 夢の始まり(3)
2015-07-06 23:20220pt
オーディションに向けてマネージャーの小村君と打ち合わせしているうちに、分かって来たことがあった。
それは、インディーズで全国規模のツアーもしている謎のバンド、エックスは、その組織や活動がメンバーの人数以上の人間によって支えられている、という事実だった。
支えられている、といっても、そこに大人はいない。
全てメンバーと同じか年下、つまり23才以下の若者達だった。
メンバーそれぞれに付き人のような存在がいて、さらに小村君のように全体に関わる人間も何人かいる。
バンド活動だけではなく、インディーズレーベルもオーガナイズしているから、そのための人間もいるし、リーダーのYOSHIKIに至っては、数名の人間を常に従えている、ということだった。
小村君の話を聞けば聞くほど、得体の知れないエックスというバンドに強い興味が募っていく。
「ねえ、そんな風にメンバーの周りに人が集まるのは、なんでなの?」
すっかり親しくなっていた小村君に、ある日僕は尋ねた。
「さあ…。何ででしょうねぇ〜」
相変わらず小村君は答えない。
真面目な顔をしていても、心の中は少しふざけている、そんな感じの小村君は、核心に触れるようなことは一切話さない、不思議な男だった。
そこがまた僕とは妙に気が合い、僕は心を許した親友のように、エックスについて思うことを何でも小村君に話すようになっていた。
人の心を惹きつける何かを強く持っているバンドなのかな…。
僕はそんな気がしてならなかった。
メンバーと初めて会った時の印象が、しっかりと僕の心を掴んでいたからだ。
そう、この間ソニーミュージックの5階に現れ、自然体でだらだらと歩いていたメンバーは、見事に全員が「赤ちゃん」だったのだ。
そんな風に、自分を作ったりせずに自然体で存在することができるメンバーに、それを支えようと若者が集まるとしたら、よほどメンバーの人間性に魅力があるのだろう、と僕は考えたのだ。
いや、何といっても目の前にいる、とぼけた小村君こそ、メンバーに惹かれている見本じゃないか…。
僕は再び小村君に尋ねた。
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特別掲載(津田直士 資料室)
2015-07-05 23:00220pt僕が、Xの制作をしていた当時の想い出と共に、大切に保管してある数々の資料。
その一部を以前、2013年の9月に「津田直士 資料室」と題してご紹介しました。 3回にわたって掲載したその資料を今回、再びまとめ、新たな資料も追加して掲載します。
レコーディング時に使用したノートや譜面、詳細なスケジュールなどを改めて見ていると、当時の記憶が鮮やかに蘇ります。
濃密な時間の連続。
闘いの日々。 本当に命がけでした。
そして何より、音楽に対する情熱がとてつもなく強かったことを、残された紙が語りかけてくれます。
資料をご紹介しながら、そこに眠っている当時の空気も、僕なりにお伝えしていきたいと思います。
ぜひ楽しんで下さい。( ※ 過去の資料をご紹介する上で、当時関係していた人達に迷惑がかかったりすることのないよう配慮し、基本的には僕自身が記したまたは監修した資料、及び僕の視点に基づいて選択された公式な資料に限定していきたいと思います。)
ではまず最初。今回は僕が「ART OF LIFE」のレコーディング中、1993年に書き上げた、ライナーノーツの手書き原稿です。
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【夢と夕陽】57. 夢の始まり(2)
2015-07-01 02:30220pt
僕がまだ23才、ソニーミュージックに入社して1年目の秋のことだった。
当時、僕が尊敬していた先輩に、突然こう聞かれた。
「津田は3年後、ってどうしてるの?」
レベッカのプロデューサーであり、鋭い洞察力と深い人間性が特徴の先輩らしい、示唆に富んだ質問だった。
突然、しかも今まで考えた事のない質問だったから、僕は迷ったり考えたりする間もなく、直感だけで答えた。
「ディレクターになってバンドのプロデュースをしてます」
「なるほど・・・。まあ、津田には、いいビジョンじゃないかな」
笑顔で先輩にそう返されてから、そんなビジョンを持っていたのか、と、むしろ無意識下の自分自身に教えられた気がした。
その質問をされるまで、3年後の自分などをイメージしたことがなかったからだ。
しかも、バンドなんて…。
ほんの1年前まで、大学生兼ミュージシ
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