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2018年10月の記事 12件

復刻版【夢と夕陽】 ⑱ 1991年11月13日 横浜アリーナの夜

 2014年9月16日に配信されたブロマガ記事を復刻版としてお届けしますオリジナルは https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar623518 になります同時期の 特別寄稿 もあわせてごらんください 1991年11月13日。 僕はメンバーから浴びたビールまみれになっていた。 横浜アリーナで行われた、Violence In Jealousy Tourのファイナル。 2Daysの最終公演と4ヶ月にわたるアリーナツアーが無事終了した後の、広い打ち上げ会場は、明るい照明の下、恐ろしいほど盛り上がり、笑い声とアルコールの香り、そして明るい興奮に満ちあふれていた。 ボーカルTOSHIの声が枯れているのは素晴らしいパフォーマンスの結果だけれど、僕を含め、TOSHI以外の人間の声がひどく枯れているのは、ツアーが無事終わった喜びに、大量のアルコールを浴びながら叫び続けた、または吠え続けた結果だった。 ビールまみれになりながら、反撃でビールを掛けるためにメンバーを追いかけながら、ここまで明るくはしゃいで全国ツアーの最終日を迎えたことが、過去一度もなかったことに、僕は気づいた。 そして、V2の制作やNHKホールのオーケストラコンサートなど、まだまだ忙しい最中ではあったけれど、命を懸け、身を削るような闘いが、そろそろゴールに近づいているという確かな感覚が、明るい会場の雰囲気と共に、僕自身の心の中で強くなっていった。 大学生の頃から酒を飲むことが好きになり、酔うほどに明るく、熱くなる感覚と共に、数えきれないほどの「自由な夜」を経験してきた僕だけれど、ここまで強い高揚感と達成感、そして喜びと興奮に満ちた「自由な夜」は、間違いなく初めてだった。  ちょうど半年前。健康に問題があったわけではないが、果たしてこの後普通に生きていけるのか、それとも死が待っているのか、それすら曖昧になるほど朦朧とした異常な精神状態の中、ラストスパートを懸けていたLAでの日々は、無事、帰国を果たしても、そのまま徹夜続きの毎日へとつながり、長いレコーディング中にリリースは絶望的かも知れないと思ったことすらあったアルバム「Jealousy」が奇跡的な作業の連続の結果、無事マスタリングに辿り着き、数ヶ月振りに人間並みの夜を迎えた直後、今度は全国アリーナツアーの準備とシングルのレコーディング準備に突入、再び睡眠時間を削る毎日が始まった先には、3年前、夢にまで見た東京ドーム公演が待っていた。 そして初の東京ドーム公演が終わった後、僕は深い感動と引き換えに、体調の崩れと極度の不安感に襲われ、その微妙な感覚を引きずったままAlbum「Jealousy」の発売を迎え、続くシングルのライブ音源収録という責任を抱えつつ、ツアーに同行した。 そしていくつもの公演を終え、迎えた10月24日。 

復刻版【夢と夕陽】 ⑱ 1991年11月13日  横浜アリーナの夜

復刻版【夢と夕陽】 ⑰ ピュアであることの大きさ 〜 X JAPANが長く深く愛される理由 その2

2014年9月9日に配信されたブロマガ記事を復刻版としてお届けしますオリジナルは https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar618510 になります同時期の 特別寄稿 もあわせてごらんください 私たちは日々、さまざまな判断をしながら生きています。 ランチで何を食べるか、といった些細な判断から、人生がかかっている大きな決断に至るまで。  しかも場合によっては、ほんの些細な判断が人生に大きく影響することもあります。  目の前のことを日々、どう判断していくか。  その積み重ねが、その人の人生の色あいを決めるといって良いでしょう。 では、その判断を、私たちはそれぞれ、どのような心で行っているのでしょうか。 そしてその心の違いは、結果にどんな影響をもたらすのでしょうか・・・。 X JAPANというバンドのこれまでの道のりは、メンバーのどのような判断の結果から生まれているのでしょうか・・・。 ******************************* 前回、 『100年残る作品』を生む主体は、ピュアでなければ成立しない  『ビジネスの都合から生まれる商品』を生む主体は、ピュアでは成立しない  という、僕が辿り着いた明確な真理、そして  Xのメンバーがピュアであることと、その作品との関係を書いた。 この説明は、芸術の本質を知る人には   『 Xの作品は芸術だ。     だから消耗品ではなく、100年残る。     芸術作品を生めるのは、作者がピュアだからだ。』  と、すんなり理解できるだろう。  しかし、僕がこのように簡単に「芸術」という書き方をしなかったのには、理由がある。  それは、学校で教わるような芸術という概念は、誤解を生むからだ。  芸術作品というと、私たちはつい、既に100年以上の長い月日を経て評価され続けている、過去の作品ばかりを思い浮かべてしまう。  もちろん、芸術に対する正当な評価がとても時間のかかるものだから、それは結果としては自然なことだ。 では、まさに今、現代に生まれている芸術は、どう評価されるのだろう?  これは興味深いことだが、芸術をきちんと理解している人が知っている通り  『芸術作品は、生まれた当初はあまりにも新し過ぎて、一部の理解者を除き、一般にはなかなか理解されにくい』  という事実がある。  まさにX JAPANの作品がそうだ。  YOSHIKIの生むメロディーも、hideを中心に創り上げたビジュアル面も、メンバー全員で奏でる演奏やパフォーマンスも、そしてバンドのあり方自体も・・・。 全てがオリジナリティの塊であり、芸術だ。  だからこそ、すべてを理解しているファンを除けば、過去の何にも似ていないからこそ、一般にはその魅力が、なかなか簡単に理解されない。 とはいえ、見方を少し変えると、X JAPANとその作品は、大変ポピュラーであり、その人気も日本を代表するレベルだ。 ある時期の首相がファンを公言していたくらいだ。 では、僕が書いている『一般にはなかなか理解されない』というのは、一体どんな状況のことを指しているのか。 

復刻版【夢と夕陽】 ⑰ ピュアであることの大きさ 〜 X JAPANが長く深く愛される理由 その2

復刻版【夢と夕陽】 ⑯ ピュアであることの大きさ 〜 X JAPANが長く深く愛される理由 その1

 2014年9月2日に配信されたブロマガ記事を復刻版としてお届けしますオリジナルは https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar613133 になります同時期の 特別寄稿 もあわせてごらんください 1988年から1992年まで、Sony Musicの担当ディレクターだった僕は、Co-Producerとして「BLUE BLOOD」と「Jealousy」2つのアルバムを、メンバーと共に制作した。  また、当時はアーティストマネージメントもSony Music内で行っていたため、『Xというプロジェクトの基本方針やビジョン』をメンバーと共に描き、実行していく責任者でもあった。 1993年には、既にSony Musicとの契約は終了、XはMMGの所属アーティストだったが、Sony MusicとMMGの特別措置によって「ART OF LIFE」のレコーディングにも、レコーディングディレクターとして参加した。  拙著「すべての始まり」の帯にある『インディーズから東京ドームまでをメンバーと共に駆け抜けた』というフレーズの通り、当時は炎のような情熱で、Xというバンドに自分のすべてを懸けていた。 しかし、Xが日本で成功を納め、海外進出を念頭に活動拠点を海外へ移し、X JAPANというバンド名で新たな展開をスタートした時点で、僕はプロジェクトから離れ、ひとりのファンとして以降の活動を見守ることになった。 X JAPANに続く新たな才能を見つけて世に送り出すためにも、僕はSony Musicに残り、プロデューサーとしてアーティストプロデュースを続けていく道を選んだからだった。 また、新たな才能の可能性は、Xとは違うジャンルの中から見い出したい、という考えから、Xが切り開いた『ヴィジュアル系』というジャンルに関わる音楽関係者との接点もなくなり、純粋な1ファンとして X JAPANの活動を見守るスタンスへと、シフトした。 そうやって客観的にX JAPANというバンドを観るようになってから、プロデュースをしていた頃より更に強く感じるようになったことがある。 それは、メンバーの持つ『ピュアさ』だった。 Xのメンバーがどれだけピュアな人格なのか、共闘していた頃の僕はもちろん深く理解していたし、むしろそのピュアさこそがXというバンドの最大の武器だということも知っていた。 ただ、メンバーが海外へ向かって旅立った後、Sony Musicのプロデューサーとして改めて音楽業界内の実情を把握するために色々な状況を視察・確認した結果、あれだけピュアな人間の集まりがあそこまで大きな成果を上げた、ということがどれだけ奇跡的なことだったのか、深く思い知らされることとなった。 そして、以来たびたび、X JAPANのメンバーのピュアさに想いを馳せることとなった。 これから、「ピュアであること」の大きさとその深い意味を、X JAPANのメンバーのあり方から、見ていこうと思う。********************************* 先ほど書いたように、X JAPANというバンドに対して、僕はもう20年間、関係者ではなく客観的な立場でいる。  いわば一ファンだ。  ついこの前、8月17日に突然行われた新宿アルタ前でのゲリラライブの様子も、後日、写真や動画でゆっくり観た。  いたるところに貼られている横浜アリーナ公演の告知ポスターも立ち止まって見た。  そして何より、待望のマディソンスクエアガーデン公演、全世界ベストなどの様々な告知、それらにまつわる動画なども最近、見る機会が増えた。  そしてそういったものを目にするたびに、僕は、とても穏やかで不思議な、ある感覚を覚えるのだ。  それは、  『ああ、やっぱり大丈夫だ。ちゃんと前進している』  というような感覚だ。  実はこの感覚は、1990年の初頭に感じて以来、長い間ずっと変わらずに感じ続けてきた、言葉では言い表すことのできない、独特な感覚だった。     きっかけはおそらく、1990年2月の武道館公演成功と、一年前に完成した「BLUE BLOOD」が3月に日本ゴールドディスク大賞を受賞したことだろう。  そのさらに2年前から心に描いていた『未来のX』がやっと実現し始め、Xというバンドを完全に理解してくれているファンの存在が明確になってきた、という感覚が土台になっていたのは確かだ。  では、当時の僕が、『大丈夫だ、ちゃんと前進している』と感じたのはなぜか。  実はここに、「Xのメンバー」と「ピュアさ」のとても大事な関係があるのだ。  

復刻版【夢と夕陽】 ⑯ ピュアであることの大きさ 〜 X JAPANが長く深く愛される理由 その1
音楽プロデューサー 津田直士の 「人生は映画 主人公はあなた」

音楽プロデューサー/作曲家の 津田直士が、その経験から得た、「主人公という生きかた」をもとに、① 人生の悩みや迷いへの答えを分りやすく答える『その答えは』 ② 世間の話題や素晴らしい作品、アーティストプロデュースや音楽制作などあらゆるテーマで自由に綴る『本能が吠えるまま』 ③ 伝説のバンド X JAPANと共に過ごした記憶が瑞々しくリアルに綴られた著書「すべての始まり」に記されなかった舞台裏とプロデュースの原点を新たな視点で描く『夢と夕陽』 ④ 自分らしい人生を積極的に生きている人にインタビューをして、生きかたのヒントを見つける『ある人生 』といったブログを定期的に展開します。

著者イメージ

津田直士

小4の時バッハの「ロンドBWV.1067」を聴き音楽の本質に目覚め、14歳の頃、ピアノを触っているうちに “音の謎” が解けて突然ピアノが弾けるようになり、作曲を始める。早稲田大学在学中よりプロ・ミュージシャン活動を始め、卒業と同時にSony Musicに入社。‘03年、フリーランスの作曲家/音楽プロデューサーとしての活動を開始、作曲家としてSony Music Publisherに所属。’11年からは、音楽業界の現状に危機感を覚え、出身母体のソニーミュージックをベースとして、新しい才能の育成とプロデュースを本格的にスタート。今後その才能が順次世の中に登場していく。

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