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【夢と夕陽】55. 『100年残る音楽』 を生み続けるYOSHIKI.22 【ART OF LIFE -最終回】
2015-06-09 01:45220pt
【 ART OF LIFE 最終回 】 「輝く未来」と「ART OF LIFE」
2014年5月。
今から1年ほど前、僕はこの「夢と夕陽」の連載を始めた。
YOSHIKI CLASSICAL WORLD TOUR 2014 と、全世界ベストアルバムの発売がきっかけだった。
世界的な活動がいよいよ本格的になり始めたYOSHIKI、そしてX JAPAN・・・という現実が嬉しかったのと、メンバーと共に僕が人生を傾けた大切な作品、「BLUE BLOOD」が25周年を迎えた直後という感慨もあって、僕は「夢と夕陽」の連載でX JAPANとYOSHIKIの「輝く未来」について熱い想いを綴り始めた。
そんなある日、ニコ生番組を共に進行しているあくあ君が僕に話しかけ、とても重要なことを教えてくれた。
「それにしても、今 ART OF LIFE っていうのが感慨深いですよね。」
「えっ?どういうこと?」
「まず、海外で評価が高いですよね」
「えっ、ほんと!? そうなの? 凄いね、それは。嬉しいなあ・・・」
「クラシカルのソロコンサートで演奏したのが印象的でしたよね。」
「なるほど…」
「それに最近は、 X JAPANのライブでもART OF LIFEの演奏が当たり前になりつつありますけど。・・・以前は違いましたから」
「そうなんだ・・・。」
「ART OF LIFE発表直後に一度ライブがあったんですけど、それから解散まで、まるで封印されたように演奏されませんでしたから」
「そういうことか・・・。で、最近はART OF LIFEの演奏が多い、と・・・」
「はい。復活後、X JAPANのライブでは定番曲なんですよね」
確かに僕の中でも、特別な意味はないけれど、「ART OF LIFE」の存在は、心の奥深い所にしまってあった。
もしかしたら「ART OF LIFE」がそのまま、YOSHIKIのある時期の人生・・・だからかも知れない。
その後の様々な出来事を想うと・・・。
そこは、あくあ君の想いも同じだろう。
だからこそ、最近になって積極的に「ART OF LIFE」を演奏するYOSHIKIの姿勢に、何か特別なものを感じ取ったのだろう。
さらに、僕の知っているYOSHIKIなら、あれだけ演奏が大変な曲を敢えて選ぶ背景に、ファンやオーディエンスの熱い反応、という要素がないはずはない。
こういった事実に加え、YouTubeでのあらゆる国の人々からの熱いコメントや、ニコニコ動画、NAVERまとめの取り上げられ方などを重ね合わせれば、「ART OF LIFE」という作品が、国内を始め、海外のユーザーにも、今というこのタイミングできちんと評価されつつある、という見方は、おそらく間違いないだろう。
「ART OF LIFE」という、YOSHIKIの人生がそのまま生きた芸術作品となっている曲が、世界的に評価されつつある・・・。
これが事実なら、僕が心から待ち望んできた「YOSHIKIの生む100年残る作品が世界中に伝わり、X JAPANが世界的なアーティストとして多くの人々に夢を与える」という『YOSHIKIとX JAPANの輝く未来』は、そう遠くないだろう、と思ったのだ。
やがて僕が想いを連載に綴っているうちに、横浜アリーナ公演が始まり、その直後には、とうとう待望のマジソンスクエアガーデン公演が実現した。
最高のパフォーマンスを見せてもらったマジソンスクエアガーデン公演の興奮と、そこで得た強い確信をもとに、僕はさらに強い想いを込めて『YOSHIKIとX JAPANの輝く未来』について文を綴った。
10月に入ってからこのチャンネルでのニコ生も、再び快進撃を始めた X JAPANの動きに合わせて賑わいが増し、未来が見え始めた喜びを分かち合う人達のエネルギーが番組を暖かく包んでいた。 そして僕は、とうとうはっきりと「YOSHIKIとX JAPANの輝く未来」が現実となり、きちんと始まっていることを、文章で、そして声で伝え始めた。 そう、僕にはそれが確信に変わったのだった。 だから僕は、この連載の一区切りとして、第30回目にこう締めくくった。 『 僕は、X JAPANとYOSHIKIの輝く未来は、奇跡だと思う
その奇跡が今、実現し始めたのは、長い長い時間と その時間に負けなかったメンバー、そして運命共同体の、人生の力ゆえだと思う
思えば、この奇跡と出会えたのも、たった1曲を聴いた瞬間から始まったのだ
それが音楽の素晴らしさだ
音楽に人生を賭けてきたTOSHI、PATA、HIDE、TAIJI、HEATH、SUGIZO そして YOSHIKI・・・
7人のバンドは、日本で初めて世界的なバンドとなった
そしてその「輝く未来」を
バンドを支える運命共同体も
同じように手にすることができたのだ』
HIDEを失い、TOSHIが去った結果、時計の針を止めてしまった悲しい時を経て、途方もない苦しみから、ファンの声援によって復活を目指したYOSHIKIが、再びX JAPANというバンドを始動させたのは、悲しみが始まってから、実に10年という月日の果てだった。
けれどその10年間という長い時間は、誰も知らない間に、X JAPANというバンドの存在と、YOSHIKIという才能が生む100年残る名曲を、世界中に伝えていくゆりかごの役目を果たしていた。
1990年から1991年にかけてファンが起こした、あの奇跡と同じだった。
ただ、今回その奇跡は、世界的な規模で起きている。
言葉の壁を、国境の壁を、そして民族性の壁を超えて、奇跡が起き続けている。
そんな奇跡を支えている作品の、大事なひとつが「ART OF LIFE」である、という事実は、僕の心を強く打った。
理由はきっとわかって頂けるだろう。 そう、「ART OF LIFE」がYOSHIKIの人生そのものだからだ。
人生がそのまま作品になっているからだ。
そんな作品が、世界中で正しく評価され始めている・・・?
あくあ君からそんな見方を聞いた時、僕が心底嬉しかったのは、そのことがYOSHIKI自身をどれだけ勇気づけてくれるだろう・・・と感じたからだ。
僕にはわかる。 -
【夢と夕陽】54. 『100年残る音楽』 を生み続けるYOSHIKI.21 【ART OF LIFE -18】
2015-06-04 01:50220pt
【 ART OF LIFE ⑱】
49.(27:33〜)CHORUS(サビ) いよいよラストのサビだ。
このサビで「ART OF LIFE」は終わる。 何度かサビについて書いてきたので、もうここで説明することはない。 けれど、最後のサビで、しかも曲の終わりだ。 やはりこのサビならでは、という要素はある。
日本人らしい情感が溢れる、哀しみを伴った美しいメロディーを、 X JAPANのバラードサウンドが支える。
曲のフィナーレを飾るように、オーケストラもフルスケールで演奏、豊かな音でバンドサウンドを包む。 YOSHIKIによるトータルプロデュースが見事に実を結んだ素晴らしい音だ。
他のサビより一回り多く、3回目のコーラスが繰り返されると、Drumsの6連フィルに合わせて「In My Life」という歌詞がTOSHIの振り絞るような声で切なく鳴り響き、約30分の「ART OF LIFE」は終わりを告げる。 ひとつの純粋芸術であり、X JAPANという伝説のバンドの代表曲であり、作者YOSHIKIの人生がそのまま刻み込まれた『生きている作品』ART OF LIFEが、聴く人の心に、深い感情を残して、終わる。
【回想】 ホテルの部屋からは、ロサンゼルスの街が見渡せる。 サンセットブールバードとラ・シエネガブールバードの交差する辺りにあるホテルは高台にあって、眺望はとても良い。 眩しい太陽に照らされた街並をしばらく眺めてから、デスクに座り、僕は原稿を書き進めることにした。
1993年5月。 もうオケのレコーディングはほぼ完了し、ボーカルの一部とハモのレコーディングを残すばかり、となった。その後は10日間にわたるミックス作業に突入する。 長かったレコーディングも、もうすぐ終わりだ。 レコーディングスケジュールはだいぶ楽になったけれど、発売に向けてライナーノーツの文章を書く、という僕のもう一つの大切な仕事をしなければいけない。 デスクに座った僕は文を綴り出す前に、「ART OF LIFE」に関わる色々な情景を想い浮かべた。 -
【夢と夕陽】53. 『100年残る音楽』 を生み続けるYOSHIKI.20 【ART OF LIFE -17】
2015-05-26 03:00220pt
【 ART OF LIFE ⑰】
「ART OF LIFE」の音楽解説も、いよいよクライマックスに近づいてきた。 今回は2度目のShubertセクションからだ。 43.Shubert(6/4)(26:27 〜) キーは違うけれど、基本的には29.Shubert(12:07 〜)と音楽的にほぼ同じ状態からこのセクションは始まる。
けれど、やはりそこは『生きている作品』らしく、後半のクライマックスということで、ちゃんと29.との違いが存在している。 そしてさらにその違いが、30分という長さを感じさせない結果につながっている。まさに曲が生きている理由だ。 まず、ここのShubertセクションでは、HIDEのギターメロディー、PATAの速いビートを刻むギター、オーケストラの3者がとても美しく絡むアレンジになっている。 つまり役割分担がはっきりしていて、しかも音的にとても良いバランスとなっているのだ。 最初の2小節(26:27 〜35)は、Amのキーから始まり、あっという間にEmへ転調する。
この2小節間は、右寄りに聴こえる艶のあるHIDEのツインギターをメインとして、それを支えるPATAのリズムギターが実にワイルドに音を刻む。
そして木管楽器を中心としたオーケストラが控えめに登場してくる。
次の2小節(26:35 〜42)はEmのキーから始まってやはりすぐにBmへ転調する。 ここではまずHIDEのギターに代わって、オーケストラのストリングがメインとなって力強くメロディーを奏で始め、後半になると再びHIDEのギターがメインになり、オーケストラは美しい和音を響かせる。PATAのリズムギターが更にスピード感のあるビートを刻み、メロディーの美しさを支える。 そして続く 44.Shubert(6/4)(26:43 〜)からは、29.Shubert(12:07 〜)にはなかった、新たな世界が展開していく。
そう、シューベルトの未完成第2楽章のメインとなっている部分をYOSHIKIなりにアレンジした、切なく美しい世界だ。 シューベルトの場合は当然、すべてがオーケストラの楽器によって成り立っているのだが、YOSHIKIはそのシューベルトの世界を発展させ、ギターとドラムスというオーケストラにはない、音的にもかなり異質な存在によって、新たな音楽を生み出している。 もし良かったら、ぜひシューベルトの未完成と、この「ART OF LIFE」を聴き比べてみて欲しい。「ART OF LIFE」という作品の凄さがわかりやすく見えてくるはずだ。 音楽的には、HIDEのギターがメインメロディーを、そしてオーケストラがカウンターメロディーを奏でていく。そのメロディーが美しく交わりながら展開していくのを、YOSHIKIのドラムス、HEATHのベース、PATAのリズムギターが支えている、というわけなのだが・・・。 僕の考えでは、「ART OF LIFE」という作品にとってどういう意味合いなのか、ということではなく、全く別の観点からとらえた場合、ここのセクションの存在が、『YOSHIKIの生み出す音楽の凄さ』を最も分りやすく表していることになるのだ。 それを説明してみたい。 -
【夢と夕陽】52. 『100年残る音楽』 を生み続けるYOSHIKI.19 【ART OF LIFE -16】
2015-05-19 01:00220pt
【 ART OF LIFE ⑯】 さて、再び詳細な音楽解説に戻る。 ピアノソロ後の勢い溢れる世界を見てみよう。
37.RIFF-38.Aメロ③ (24:19 〜)
YOSHIKIの激しいドラミングから後半が始まる。 この16ビートのほとんどを連打するDrumsリフパターンは、YOSHIKIがとても得意とするところだ。
このような激しいYOSHIKIのドラミングが大好きな僕にとって常に謎なのが、その勢いとかっこよさが、どこから生まれているのか、というところだ。 厳密にいえば、16ビートすべてが埋め尽くされる連打のそれぞれは、正確なテンポに対して、僅かにズレている。 つまり機械的にピッタリとしたリズムなのではなく、若干「人間らしいリズムの揺れ」があるわけだ。 音楽の世界では、これを「グルーブ」と呼ぶ。 まずはYOSHIKIならではのグルーブがこのような連打にはあって、その揺らぎがリズムに強い魅力を与えているのだろう。 グルーブを波形で確認したわけではないが、僕の音楽的な耳と、過去YOSHIKIのDrumsについて分析した経験(「夢と夕陽」12. Xの音楽性〜YOSHIKIの速いドラムが聴いている人の心を熱くさせる理由 :参照)でいえば、その揺らぎは常に弧を描くように変化しているはずだ。 -
【夢と夕陽】51. 『100年残る音楽』 を生み続けるYOSHIKI.18 【ART OF LIFE -15】
2015-05-11 18:00220pt
【 ART OF LIFE ⑮】 前回に引き続き、ピアノソロの後半の様子から音楽解説をしていきたい。 Piano Solo(15:06 〜)後半(18:19 〜) ピアノソロの後半では、狂気がそのまま音になっている、凄まじい世界が展開する。 音の衝突を嫌い、常に完璧に調和した音の響きを求めるYOSHIKIの感性を考えると、信じられないような不協和音の連続。YOSHIKIの音楽的な美意識の対極とも思えるが、これもまたYOSHIKIの心に横たわる感性そのものなのだ。 そして、その不協和音すら「美」であるところにこそ、「ART OF LIFE」という作品の凄さが表れている。
前回、デモ音源創りをしていた頃の様子を描いた。 そしてその際、YOSHIKIがイメージを固めるために仮で演奏したインプロヴィゼーションが、あまりに素晴らしくて僕が感動したこと、そのインプロヴィゼーションが素晴らしかった理由、さらにはその時のテイクを結果的にそのままリリースする音源に使用したことなどを綴った。 そのインプロヴィゼーションがどんどん激しくなっていくのが、 (18:19 )でシューベルトのフレーズが登場する辺りからだ。
様々な感情が渦巻きながら徐々に狂気へと変化していく様子が、恐ろしいほどリアルに聴く人の心に響いてくる。 (18:19 )辺りから、激しさは落ち着いたように感じられるが、哀しい狂気の雫のようなものがまだ滴り落ち続けている。 やがて(21:41 )から静かにストリングスのメロディーが聴こえ始める。 そのストリングスは、狂気の果て彷徨い続けるようなピアノに対して、何らかの意志を持って近づくように、少しずつ大きくなっていく。 (23:00 )の辺りに差しかかると、ストリングスは更に存在感を増していき、ピアノの奏でる和声と衝突し、不協和音を発生させながらも、構わずに世界を創っていく。 (23:40 )辺りからでピアノは消え、ストリングスだけとなる。 そこで私達が感じるのは、YOSHIKIの人生に内包されている悲しみのような感情と共に、ピアノの狂気を包み込んだストリングスの大きさと強さだ。 YOSHIKIはこの大きくて強いストリングスに、一体どんな記憶を、感情を、そして想いを込めたのだろうか。 僕は「ART OF LIFE」のライナーノーツで、ストリングスをレコーディングしていた時の不思議な体験を描いている。 引用してみよう。 それは、いくつかの感情が重なった、心の震えのようなものだった。 悲しみ、苦しみ、彷徨、絶望、そして美・・・! 素晴らしい曲を聴いて、魔法にかけられたように心を動かされることは、幾度となくあった。 けれど、ここまでリアルで、しかも悲しみが核となった感覚を、僕は、今まで一度も味わったことがなかった。 曲にこめられたYOSHIKIの“想い”が、生きたまま、心を叩いてくるのだ。 例えれば、病室で独り、病と闘い続けているような、重苦しい、感覚。記憶のすべてを辿り、想像できる世界のすべてを探し求めるような、焦り。もがけばもがく程、恐怖に近づいていく、恐怖とその向こうに見えかくれする、愛への期待、迷い。 それは本当に異様な感覚だった。
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【夢と夕陽】50. 『100年残る音楽』 を生み続けるYOSHIKI.17 【ART OF LIFE -14】
2015-04-28 01:45220pt
【 ART OF LIFE ⑭】 Piano Solo(15:06 〜)
前半が終わり、いよいよピアノソロが始まる。
このセクションのベースにあるのは、坦々と続くピアノのリフレインだ。
基調となるメロディーを音階で表すと、
『ミーファーソーファ』
実にシンプルだ。
メロディーを支えるコードも、Am - Fの繰り返し、と、これもまたシンプル。
けれど、そのシンプルな中に、YOSHIKIが表現したい微妙な感情や、心の温度感のようなものがちゃんと息づいていて、聴く人にしっかりと伝わってくる。
僕にはそれが、YOSHIKIが自分自身を見つめている状態のように感じられるのだ。
そのベースとなるリフレインに、少しずつ音が重なっていく。
このピアノソロを聴くと、やはり二人でスタジオに籠ったデモテープ創りの、あの時を思い出す。 前半が完成すると、次はピアノソロだ、とYOSHIKIから知らされる。 譜面を見せてもらうと、かなりシンプルに見える。
まずベースとなるリフレインをレコーディングしていくことにする。 時々オクターブが変わったり、リフの代わりに上へ上っていく8分音符のフレーズになったりしながら、ソロの世界が構築されていく。 いつものように、時々首を傾げたり譜面を確認したりしながら、ベースとなる部分が出来上がっていく。 やがてそれが終わると、今度はそのフレーズに重ねるパートを弾いていくのだ、とYOSHIKIが説明する。 (ピアノにピアノを重ねるのか・・・) 漠然とそんなことを考えながら、その作業のためにトラックを整理する。 準備が整うと、YOSHIKIはそのベースとなるトラックを聴きながら、時々ピアノを弾く。
いつもと違って、そのための譜面はないようだ。
少し弾いては、YOSHIKIが(なるほど・・・)という表情を浮かべたり(おかしいな・・・)という表情を浮かべたりするのだが、僕にはどんな演奏が正解なのか、さっぱり分からない。
でも、YOSHIKIにはきちんと表現したいイメージがあるのだろう、慌てることなく、試行錯誤をしながら、音を重ねるための演奏を続ける。
そのうちに、僕は少し不安になってきた。
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【夢と夕陽】49. 『100年残る音楽』 を生み続けるYOSHIKI.16 【ART OF LIFE -13】
2015-04-21 01:00220pt
【 ART OF LIFE ⑬】 前回触れたシューベルトセクションから、引き続き詳細な音楽解説をしていきたい。
28.〜30.Shubert(11:49 〜)
Shubertというセクション名だが、28.つまり譜面でいうと最初の一段(11:49 〜)は、実際のところ、Shubertのフレーズは用いていない、オリジナルなものだ。
デモ音源制作で最初にこのセクションを記録し始めた時、僕はここもシューベルトのフレーズだと勘違いしていた。 それくらいにメロディーはクラシカルだし、展開も芸術的だ。 ただ、確かに和声(コード進行)はYOSHIKIらしい世界ではある。 このセクションの最初のコード進行を、そのままGのキーに置き換えると、C-D-B/D♯-Emとなり、ちょうど「Week End」のサビ、(手首を流れる血を・・・)の、(絡みつけると一瞬のうちに・・・から、・・・おまえの姿を)までの部分のコード進行と同じになる。 そのオリジナル部分からごく自然に、シューベルトのフレーズを用いた部分へと移っていく。 29.〜30.Shubert(12:07 〜)がそうだ。「未完成」の第一楽章のクライマックスのところに登場するフレーズだ。テンポは実際の「未完成」ではもう少し早めだ。
この28.〜30.Shubert のセクション中、厳密に言えば、キーはCm〜Gm〜Dm〜Gm〜Cmとめまぐるしく転調しているのだが、必然性があるからだろう、転調していることをまったく意識させない。 ちなみに、ここで演奏されるシューベルトのフレーズは、ピアノソロ後の後半、43.Shubert(26:27 〜)にも登場するのだが、そこでは「未完成」の第二楽章でクライマックスの際に登場するフレーズも立て続けに展開する。(26:43〜)
つまり「未完成」の第一楽章と第二楽章両方から、クライマックスの美しいフレーズを抜き出し、キーを変え、巧みに「ART OF LIFE」の音楽世界に昇華させる、という、非常に音楽的にレベルの高いことをYOSHIKIはしているのだ。 そこには、大好きな「未完成」と自らの半生を重ね合わせるという、深い芸術性の発露が見てとれる。 -
【夢と夕陽】48. 『100年残る音楽』 を生み続けるYOSHIKI.15 【ART OF LIFE -12】
2015-04-14 00:40220pt
【 ART OF LIFE ⑫】
2回にわたって「ART OF LIFE」のデモテープを創るために籠っていたスタジオ作業の記憶を描いた。 懐かしくて幸せな記憶だ。 ちょうど前々回、【 ART OF LIFE ⑩ 】の最後に描かれているのが、前日に24. 3/4(10:46 〜)までが終わり、25. Dm(11:06 〜)からの作業を始める日の様子だ。
この辺りのセクションを解説するために25年前の記憶を描いたのは、デモ音源創りの中で、そのセクションの作業が、ある衝撃と共に僕の心に強く残っているからだ。
まずお伝えしたいのが、上にある僕の譜面は、そのデモテープ制作当時には存在しなかった、ということだ。
当時あったのはYOSHIKI直筆の譜面で、そこにはコード進行もセクションの名前も書いてないから、クラシック音楽経験のない僕にはそれを見ても何が何だかさっぱりわからない。
とにかく、YOSHIKIが譜面を見ながら演奏する音を、根気よくシーケンサーに記録していく作業をひたすら続ける。
だから、ある程度進んだところでシーケンサーを再生し、音を聴く瞬間の感動は凄かった。
(なるほど、こうなっているのか・・・!)
そんなことを繰り返し、最初のサビが終わった頃、つまりちょうど上の譜面の辺りから、デモ音源創りをしている僕の驚きと感動はどんどん加速していった。
それまでは通常の曲と同じようにAメロ、Bメロ、サビ、といった要素で成り立っていたからある意味、想定内だったのだけれど、21-22.3/4 & 4/4(9:38 〜)以降の展開は、全く未知の世界だった。
そして、今回解説する辺りに差しかかると、僕の驚きと感動は頂点に達した。
(何とレベルの高い音楽性だろう!信じられない・・・。まさに芸術だ・・・)
作業をしながら、僕は震える心を抑えきれなかった。
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【夢と夕陽】47. 『100年残る音楽』 を生み続けるYOSHIKI.14 【ART OF LIFE -11】
2015-04-06 23:40220pt
【 ART OF LIFE ⑪ 】
二人でスタジオに篭(こも)ってデモテープを創る、というやり方は、このART OF LIFEが初めてだった。 Xはバンドなのだから新しく生まれた曲をレコーディングするのにあたり、まずはバンドメンバーで音を出して演奏し、それを基にアレンジを練り上げていく・・・そんな段取りでレコーディングへ向かうのは当然のことだ。 でも「ART OF LIFE」は違った。 他のメンバーがその作品をほぼ聴いたことのないまま、僕たち二人はスタジオに籠った。 無理もなかった。 30分に及ぶ大作は当時まだYOSHIKIの心の中だけにあって、唯一、音として聴けるのは最初に生まれたサビの部分をYOSHIKI自身がピアノで弾くときだけ。 それ以外の、複雑に絡み合い、息つく暇もなく展開し最後まで辿り着くはずのとてつもない、そして壮大な作品の全貌は、YOSHIKIにしか分らない。 その心の中の音楽を、音として聴ける状態にするには、デモ音源を制作するしかない。 YOSHIKIと僕がデモ音源を形にすべく、小さなスタジオで今後の段取りを話し合った時、僕たち二人の目の前にあったのは、何冊ものノート。 ページをめくると、音符が並んでいる。 そう、それは手書きの譜面をコピーして、ノートに貼付けたものだった。 -
【夢と夕陽】46. 『100年残る音楽』 を生み続けるYOSHIKI.13 【ART OF LIFE -10】
2015-03-31 05:30220pt
【 ART OF LIFE ⑩ 】
前回解説をしたセクションのあたりから、ART OF LIFEの真髄とも言える、他の作品には見られない独特な音楽性が炸裂し始めた。 僕にとっては、これぞ「ART OF LIFE」・・・といった気持ちになるところだ。
だからだろうか。
ART OF LIFEを聴いていてこのセクションのあたりに差し掛かると、たいてい僕の心には、あの夏が蘇る。*******************
1990年 夏。 スタジオに向って歩いていると、アスファルトの道が、あまりの暑さで曲がって見える。住宅街だからか蝉の声はそれほどうるさくないけれど、ひたすら途切れることなく聞こえてくる。 それにしても、暑い。もうTシャツの背中は汗でびしょびしょだ。 僕は一緒に歩くアシスタントのスタッフに、大きい方のスタジオの、今日の予定を聞いた。 「昨日と同じですけど、ギターのメンテでランディーさん来ます」 「あ、そう。ちなみに俺、今日も籠(こも)るから。あ、あとで飲み物大量に買い込んどいて」 「はい。」 「あとさぁ、もうあの中華飽きたから、ほか探しといてくれる?ちゃんと美味しいとこ」 「ああ、わかりましたー。でも津田さん、たべものうるさいからな〜」 小さい方のスタジオに籠るようになって、もう何日も経った。 もはや大きなスタジオには、ほとんど顔を出さず、ひたすらデモテープ創りに没頭している。 「きれいなスタジオで良かったなぁ」 「は?」 「いや、いいよ、何でもない」 本来はリハーサルのために用意されたブースを、僕はデモテープ創りのために、勝手に小さな簡易レコーディングスタジオ状態にしていた。 何日も籠って制作作業に没頭することがわかっていたから、長い時間を気持ちよく過ごせるよう、生活用品を持ち込み、僕なりに快適な作業空間を形作っていたのだ。 そういう意味で、スタジオが新しく、きれいで良かった、と僕は感じていた。 もちろん、それが気に入ってスタジオを選んだのは僕なのだが。
やっとスタジオに着いた。中に入ると、いきなり涼しくて天国だ。 「じゃあ後で」スタッフにそう言い残して、僕は小さな方のスタジオに入った。 (YOSHIKIが来る前に、昨日進行した部分を聴いて、データの確認、整理をして・・・ とにかく覚えた技を駆使して今日の作業の準備をしておかなきゃな。かなり複雑になってきたから・・・) やるべきことを考えつつ、システムに電源を入れ、シーケンサーのロケーターを譜面で確認しながら設定し、昨日苦労したあたりの音を出してみる。
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