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  • 【夢と夕陽 最終回】 82. 最終章〜ライナーノーツに込めた想い(3)

    2016-02-07 15:00  
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     3. 「VISUAL SHOCK Vol.4破滅に向かって」のライナーノーツに込めた想い
     《ライナーノーツ原文》
      

    闘いから愛へ
     出会った頃のXは、未知数のかたまりだった。 僕が彼らをよく知らなかったから、ではなくて 彼ら自身が、未来に何があるのか知らなかったからだ。 知らない未来に期待を抱くことなどなく、 ひたすら悔いのない今を生きること、それだけにまるで命をかけている。 そんな5人だった。そんなトシ、ヒデ、パタ、タイジ、ヨシキだった。 僕には、Xの毎日が闘いに見えた。
    闘いの相手は何だったのだろう? 「ジャンルの壁」「モラルの壁」「常識の壁」だろうか。 それもあったかも知れない。でも、一番の相手はやはり 自分達自身、つまりXそのものだったのではないだろうか。 過去にも書いたとおり、僕の目には、未来のとてつもなく大きな、 そして輝かしいXが、出会った頃から見えていた。 「大丈夫だよ。まだまだ、ずっと、大きく、美しく、素晴らしく、なるよ」 信じ続けていた。そして、5人にいつも、伝えていたように思う。 それは、彼らの自信には、なったかも知れない。 けれども、見えない未来は、想像でしかない。 彼らにとって大切なのは、あくまで、現実となったきのうのこと。 現実にしていく明日のこと。現実である、今。 だから―Xは闘っていた。おそらくX自身と。 その闘いを僕はずっと見てきた。
    1992年1月7日 僕は、気づいた•••。 闘いは、愛に変わっていた。
    トシ、ヒデ、パタ、タイジ、ヨシキの5人が、5万人の大合唱に包まれている。 Xは闘い続けてきたけれど、それを見守ってきた人々の答えは、愛だった。 Xも愛しているのだろう、5万人を。口にしたことは、ほとんどなかったけれど。 4年前、500人と1つになっていたX。
    ずっと同じX。闘い続けて。 同じ気持ちのファン達。受けとったのは愛だと感じ、愛で返し続けて。 何という、4年間だろう。 僕はバンドを探していた。見た事もないようなバンドと出会いたかった。 それがXだった。命がけで走り続けた者だけが持つ輝きが、ここにある。永遠に。

     
     《僕の想い》  1992年1月7日 僕は、気づいた•••。 闘いは、愛に変わっていた。
     
     この文章を書いたのは、僕がライナーノーツに自分の想いを忍ばせる、ということを始めてから3年目だった。
     
     僕はこの文章に、今までとは比較にならない位に強い想いを託した。 もはや忍ばせるのではなく、僕なりの想いをそのまま文にした。
     
     何といっても、命懸けで闘ってきた日々がファンの愛によって終わりを告げた、と書いているのだ。 見方によっては、とんでもない文章かも知れない。 でも僕は、東京ドーム3Daysを観て確信したのだった。 『もう闘いは終わった』と・・・。
     
     それに加えてこの頃、海外進出を目指して活動拠点をロサンゼルスへ移すメンバーと別れ、日本のソニーミュージックに残ることを僕は考えていたのだ。
     
     4年間、メンバーと共闘を続けた僕にとって、その決断もまた『闘いの終わり』を意味していた。
     
     だから僕は、東京ドーム3Daysで『闘いの終わり』を確認し、安心して別れを決意したのだった。
     あの会場で、闘い続けたメンバーに『愛』を返してきてくれたファンを観ながら、僕は号泣した。
     やっぱり、辛くて苦しかったけれど自分たちを信じて続けた、あの闘いの日々は間違っていなかったんだ・・・。 そしてとうとう『Xという物語』は、こんなに美しく、素晴らしいものになったんだ・・・。 
     この文章に込めた想い。
     
     それは、4年前には想像すらできなかった奇跡、『運命共同体の愛』への感謝 そして、その愛に支えられ、新たな闘いに挑んでいくXのメンバーに向けた、僕からのエールだったのだ。
     
     
      

    4. 「ART OF LIFE」のライナーノーツに込めた想い
     《ライナーノーツ原文》   3年前の夏を思い出す。冷房のきいたスタジオの一室で、YOSHIKIと僕とシーケンサーとシンセサイザー。  一週間以上続いた、曲のイメージ・スケッチ作りのある日、YOSHIKIはひとこと「これで終わり」とつぶやいた。不意をつかれた感じだった。トータル30分弱。終わりはいつ訪れるのだろう、と思っていたところに、ピアノソロ後の、後半部分が、意外に短く、終わった。  僕達は、静まりかえったスタジオの照明を暗くして、でき上がったばかりのイメージ・スケッチを、大音量で聴いた。  30分は、あっという間だった。2人とも、しばらく声が出ない、という感じだった。   
  • 【夢と夕陽】81. 最終章〜ライナーノーツに込めた想い(2)

    2016-02-04 18:00  
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      前回に引き続き、僕の心の中にあった『ライナーノーツに込めた秘かな想い』を綴っていきたいと思う。 

     2. 「Jealousy」のライナーノーツに込めた想い 
     《ライナーノーツ原文》
    YOSHIKI ロサンゼルスのノース•ハリウッドにアパートを貸りて、僕達は初めての海外レコーディングをスタートしようとしていた。'90年12月3日。ロサンゼルスに来て10日目の朝、ヨシキは倒れた。生まれて初めて「死にたい」と思ったほどの激痛に首と肩を襲われ、彼はドラムを叩けなくなった。年が明けて'91年5月14日。ヨシキは最後のドラムを録り終えた。その日、本番で彼が叩いた 『Say Anything』はわずか2回。精神統一をした後、叩き出した、最初のテイクを聴きながら、僕はこの半年間で起きた事を思い出していた。正直なところ、僕は初めて、レコーディング中に涙を流した。それ位に素晴らしいプレイだったし、それ位に重い半年間だった。通常のドラム•レコーディングで行われる、激しい僕とヨシキのやりとりもなく、静かに僕はOKを出した。一時はドラムを諦めかけた彼が、このアルバムを完成させたエネルギー。彼を支えた4人のメンバーと周りの全ての人達のエネルギー。このアルバムにはその全てが刻まれている。(1)
    TAIJI タイジが、ロス•レコーディングというチャンスを生かして、本場のグループや音楽に対する姿勢といったものを大変な勢いで吸収しているのは、よくわかっていた。紛れもなく、それはアーティストとして偉大な“成長”だから、僕は嬉しい。彼がいつ、どこで、どうやって吸収しているのかは、誰も知らないのだが。「ねぇ、そのノリ違うね。」「もう一回、録り直そうか。」「8時間練習すると、何でも弾けちゃうんだね。」「ただのアドリブだよ。」そんなさりげない言葉に彼の“成長 ” は感じられた。(2)常識とルールの対極で、妥協を許さず音楽を求める。タイジのオリジナルは、完成するまでに長い道のりを必要とした。'89年夏に原型を生んだ『Voiceless Screaming』は、一時、10分以上に及ぶ組曲にまで発展し、1年をかけて最終的にこの形となった。そして「ねぇ、やっぱり、ちょっと変えたいんだけど...」はミックス•ダウンの前日まで続けられたのである!
    TOSHI ヨシキが倒れている間、他のメンバーはリハーサルとアレンジを続けていた。いよいよヨシキ復帰となった時、トシが言い渡されたのが、のどの医者による“1ヶ月の発声厳禁”というショッキングなものだった。『Voiceless Screaming』と『Desperate Angel』の詩はそんな背景で生まれた。のどの肉体的なリハビリテーションと同時に、歌の表現力を彼なりに研究した不断の努力の成果が、今回のアルバムには色濃く現れている。(3)お馴染みのトシに加え、ヒデ、タイジによって引き出された新しいトシも、『Miscast』『Voiceless Screaming』『Desperate Angel』で体験して欲しい。
    HIDE ヒデにとって、アメリカ•レコーディングの意味は、むしろ本人が気づいていないところにあった。「自由」と「責任」である。(4)BLUE BLOODの『Celebration』と『X clamation #1』で表現されたヒデの「自由」には、まだ「責任」が伴っていなかった。それに対して今回、『Miscast』の詞、『Joker』のメロディー、そして『Love Replica』のコンセプトと実験、3曲に関わるS•Eなどには「自由」の裏にある「責任」が同時に光っている。ヒデにとってはその“瞬間”が大事だから、創るのに時間はかからない。その代わり、その瞬間にどれだけ純粋なヒデにとっての「自由」が、曲の全てに込められているか、が勝負なのだ。3曲を聴いて、その時々の違う“ヒデ”に耳を傾けてもらうのも、一つの良い聴き方かもしれない。そして、今回の作品は(本人は気づいていなくとも)責任の裏づけがあるから、その分「深い」のである。安心して子供のように「自由」を楽しんでいるヒデを感じとって欲しい。
    PATA 速い曲を弾く時のパタは、名人芸を披露する職人の趣きがある。ギターテクニシャンに腕を揉ませて、本人は眼をつぶっている。椅子はパタ専用の椅子である。ギターの音は、出来上がっている。無論、「うーん、かなりいいんだけど、気にくわないな」を何度もくり返した結果である。やがてスピーカーからほとばしる「暴れるヨシキ」と向かい合う時がくる。手は、最高で1分 7~800回のUP&DOWNを繰り返すのだが、顔は微動だにしない。その瞬間、仏に近いパタである。(5) さて、奥を極めればキリのないギター道を旅するパタが、ロスで購入したレスポールは20,000ド ル。さらにプレイについても、自作の『White Wind From Mr. Martin』や『Stab Me In The Back』のソロをはじめ、存分に楽しめることを約束しよう。        ( 〜中略〜 )
     作曲•アレンジに半年、レコーディングに半年を費して完成されたこのアルバムは、前作『BLUE BLOOD』発表後、2年間にわたる5人の成長をそのまま反映したものとなった。5つの個性がXという文字1つのオリジナリティとなる独特のクリエイティビティーは、当然のことながら、このままでは終わらない。(6)『Say Anything』の語りが暗示するように、次の作品となる30分あまりの大作『Art Of Life』は、ヨシキが自らの人生の中で答えを見つけようとする精神世界と、Xだけが表現し得るサウンドの集大成となるはずである。『JEALOUSY』に刻まれた現在のXのすべてを体験しながら、その完結篇となる『ART OF LIFE』の完成を、待っていて欲しい。
       《僕の想い》  (1)一時はドラムを諦めかけた彼が、このアルバムを完成させたエネルギー。彼を支えた4人のメンバーと周りの全ての人達のエネルギー。このアルバムにはその全てが刻まれている。 このライナーノーツを書いている時点では、アルバムが無事完成してタイムリミットまでに日本へ帰国、リリースが間に合う…という確証はまだなかった。
     
     寝る時間を削って作業を続けても、レコーディングは終わらない。
     
     そんな「終わらないレコーディングの日々」の中で、僕がこの文章に込めたもの。 
  • 【夢と夕陽】80. 最終章〜ライナーノーツに込めた想い(1)

    2016-01-31 18:15  
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     先週末、X JAPANのドキュメンタリー映画『We Are X』が、ワールドシネマドキュメンタリー部門受賞候補作品としてサンダンス映画祭で公開上映された。 この映画の内容はまさに『Xという物語』そのものだ。 実は『We Are X』には、僕のインタビューも登場する。 どこがどう使われたのかは、まだ観ていないから知らないのだけれど。
     昨年の初夏、来日した監督スティーブン・キジャックとの会話という形で、僕はインタビュー撮影に臨んだ。 スティーブン・キジャックが僕に尋ねる内容も、それに対する僕の熱い答えも、みんな「すべての始まり」と「夢と夕陽」に書いたものだった。 インタビューを受けて僕が感動したのは、キジャックがXというバンドのことを、そしてXを支え続けた運命共同体のことを、深く理解していることだった。 Xはすべてが生きている。作品も表現も、メンバーの人生もそれを愛で支える運命共同体も、そしてその物語も・・・。 僕はキジャックに熱くそう伝えたけれど、僕が話さなくても彼は充分そのことを理解していた。 そう。 だからこそ、彼は『We Are X』という映画を創ったのだった。 それがわかって僕はインタビューの後、とても幸せな気持になった。 1988年から28年経った今、世界中に『Xという物語』が発信され始める。  何と素晴らしいことだろう・・・。
     
     この連載「夢と夕陽」と「すべての始まり」で、僕は様々な角度から『Xという物語』を書いてきた。
     
     それは1988年当時、Xを見ていてその姿と毎日生まれていく物語を、文字を書かない作家として心の中に刻み続けていきたい、という強烈な衝動にかられた結果をまとめたものだ。
     
     
     「すべての始まり」で書ききれなかった部分を文章にするためにスタートした「夢と夕陽」は、YOSHIKIの突出した才能と孤独を描き、途中からリアルタイムで X JAPANの活動が素晴らしい展開を始めた結果、そこから見えてくる『Xの輝く未来』を、しばらく書き続けた。
     
     そして「ART OF LIFE」の音楽的な解説と3年間にわたる制作の想い出を綴り、さらに今までどこにも発表したことのない『メンバーとの出会いから契約に至るまで、ソニーミュージック社員だった僕がしていこと』をリアルに、詳しく綴った。
     
     ソニーミュージックとの契約後については「すべての始まり」に詳しく書いてあるので、これで僕が描きたかったことは、ほぼ書き終えた。
     
     僕の心に刻み込まれた「Xの物語」は、過去で終わったわけではない。現在も生き続けているし、まだまだこれから続いていく。
     
     それはXのメンバーと運命共同体が創っていく、永遠の物語だ。
     
     これほど素晴らしい物語が続いていく源には、YOSHIKIという人間の生きかたとその人生がある。
     
     だから僕はこれからもYOSHIKIを見つめ続けたいと思う。
     
     誰よりも音楽を愛し、納得のいく名曲を生むためにあらゆる能力を使って全力で生き、たくさんの愛に守られながら、フロンティア(開拓者)として世界を変えていくYOSHIKIを。    さて、【夢と夕陽】はいよいよ最終章となるのだが、最後に、ある文章の解説をしてみたいと思う。
      1988年から「文字を書かない作家」として『Xという物語』を心の中に刻み続けた僕だが、そんな中、唯一文章として書き残していたものが、アルバムなどのブックレットに記載されているライナーノーツだ。 それぞれのライナーノーツは「Co Producer」としてメンバーと共にアルバムを制作していた僕の立場からアルバムの解説をしたものだが、実は意図的に「今のX」と「未来のX」、そして僕のXへの深い想いを、その文章の中に忍ばせていたのだ。
      今回は『夢と夕陽』の締めくくりとして、今まで僕の心の中だけにあった『ライナーノーツに込めた秘かな想い』を綴っていきたいと思う。 (解説するライナーノーツは「BLUE BLOOD」「Jealousy」「VISUAL SHOCK Vol.4 破滅に向かって 」「ART OF LIFE」の4作品に掲載されたもの)   1. 「BLUE BLOOD」のライナーノーツに込めた想い 
  • 【夢と夕陽】79. 夢の始まり(24)

    2016-01-19 03:45  
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     新しいセクションでXのプロデュースを手がける、という方針が正式に決まると、僕は全国ライブハウスツアーに同行して全てのライブを観てまわった。
     ライブの様子をすべて動画で記録し、ライブ後の打ち上げでメンバーと語り合い、「とにかく大きな存在になっていく」という大事なビジョンを共有しながら、メンバーの人間性を見つめ続けた。
     
     そこにはまだ「音楽的な作業」はなかったけれど、僕にとってはとても大事な時間だった。
     
     僕のプロデュースの基本が「愛」だったからだ。
     
     何よりも大事なのは 夢
     
     未来
     
     可能性・・・。
     
     それを実現する鍵はすべて、メンバーの人間性にあった。
      そして僕は、5人を愛していた。 5人が生む作品とライブパフォーマンス、そしてその魅力とエネルギーをそのまま受けとめるファンに、深い愛情を感じていた。
     ツアーの毎日でそのことを実感しながら、僕は自分が期待しているXというバンドの無限の可能性が揺るぎない確信となっていく幸せを、自分の大切なエネルギーにしていった。
     
     1988年初夏。
     
     僕はもう「Xという物語」を心の中で描き始めていた。
     
     その物語はまだ始まったばかりだけど、いずれ数え切れないほど多くの人たちの人生を輝かせていていくだろう、という想いが、僕の心を奮い立たせた。
     

      「大丈夫」  
      この言葉を、何度繰り返したことだろう。
      本当は、もうだめだ、と思っていても、大丈夫。
      前がまったく見えなくなっても、大丈夫。
      この言葉に、魔法のような力があった理由。
      それは、「たった一つ」だったからだと思う。
      たった一つの夢を手にするために。
      たった一つのやり方で。
      たった一つのバンドが、
      たった一つの闘いをしていた。
      5人だけど、たった一つになって。

     そんな気持ちで送る毎日は、青春そのものだった。
     
     辛いことがあればあるだけ、未来が見えた。
     
     流す涙が多ければ多いほど、自分達のエネルギーが自信に変わった。
     
     気がつくと、僕はメンバーと共に大きな炎の中にいた。
     
     熱い熱い炎は、ひたすら広がっていくばかりだった。 (「すべての始まり」より) 
  • 【夢と夕陽】番外編:『Xという物語』〜優れたアーティストが教えてくれること

    2016-01-12 00:00  
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    人間というのは、それほど器用な生きものではないのだろう。
     
     33年間音楽業界にいると、多くのアーティストやクリエイターと知り合うけれど、久しぶりに会っても良い意味で「変わらないな・・・」と感じることはよくある。
     
     特に作品の生みかたや表現のしかたがオリジナリティに溢れた人ほど、そういう傾向は強い。

     長年同じ姿勢で表現をしているアーティストに「デビューからずっと変わらないねぇ…」と話しながら、二人で笑う、そういう時間は悪くない。
     
     たとえそのオリジナルな姿勢を確立するのにデビュー前、何年かかかったとしても、一度確立したその姿勢で多くの人に伝わる作品を生み、多くの人の心を打つパフォーマンスができれば、その姿勢は変える必要がなくなるのだろう。
     
     とはいえ、いわゆる音楽業界あるいは芸能界といった世界で見ると、Xが展開してきた世界はそんなオリジナリティの豊かなアーティスト・クリエイターの中でも際立ったところがある。
     
      それは

     「本人たちがその姿勢に飽きたりしない」

     「どんなに同じ姿勢でいてもマンネリには陥らない」

     この2つだ。
     
      ライブのクライマックスで、イントロのあと「紅だーー!!」というTOSHIの叫びから始まる「紅」

      ライブ本編のラストを飾り、「Xジャンプ」で広い会場がひとつになる「X」

      そしてアンコール後、別れを惜しみながら会場全体が合唱する「ENDLESS RAIN」・・・。
     
     音楽的なアレンジも、ライブの中でのありかたも、27年間まったく変わっていないけれど、毎回新たにファンの心を揺さぶり、歓喜と涙、興奮と感動が広い会場を包む。
     
     その理由は大きくとらえて2つある。
      
  • 【夢と夕陽】番外編:『Xという物語』〜2015年 JAPAN TOURで見えたこと(2)

    2015-12-30 03:00  
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      僕が『文章を書かない作家』として、Xというバンドの物語を夢中で見つめ続けた最大の理由は、Xと作品とファンが織りなす時間が「生きている」からだった。  音楽業界を変えたい、という一念で20才から業界内で頑張ってきた僕には、それは奇跡のように美しい時間だった。
      そこに「嘘」がないからだった。  「嘘」ばかりの世の中で日々を送り「嘘」で固められた人間関係に嫌気がさして「嘘」に傷ついた人にとって「嘘」がなくて「全力」で闘って「輝き」に満ちた「感動」の世界は眩しく幸せに違いない。 ライブハウスで、小ホールで、大ホールで、武道館で、そして東京ドームで僕が見つめ続けたファンの顔は本当に素晴らしかった。  あの頃、会場中を歩き回って、輝くファンの顔を見るのが心から幸せだった。 そうやって「生きている」時間を見つめながら、メンバーひとり一人と会話をしながら、そして共に作品を創りながら、僕は『Xという物語』を心の中に書き続けた。 やがて「大人の都合」に決して従うことのないまま「嘘」がないことで自分たちをきちんと理解してくれるファンとつながったXというバンドは、他の人気アーティストと違い、流行という一過性の盛り上がりとは無縁のまま、日本一になった。 「大人の都合」に従わないアーティストゆえ、ファンは流行やマスメディアの仕掛けと関係のない1対1のつながりで密かに大切なバンドを応援し続けた。 それはちょうど、大人たちに理解される必要のない友情のように、密かだけれど確かで、人生にそのまま直結する素晴らしい関係だった。 全てが「生きている」からこそ自然に生まれるその関係は、いつしか国境という壁を越えて世界中に広がっていった。 そう。  「生きている」からこそ、Xとファンとの関係は国境を越えていったのだ。 その様子が特別なものであることに気づいた、アメリカ人クリエイターたちの手によって今年、映画「We Are X」が制作された。 こうして『Xという物語』は「生きた映画」として人の心を揺さぶり、とうとう映画「We Are X」になった。 そして今回、メンバー全員の夢だった『世界的なバンド』になったXは、約20年ぶりの日本ツアーを実現した。    『YOSHIKI自身がXになった』ことに僕が気づいてから1年。  日本ツアーでのステージで、YOSHIKIはまた新たな姿を見せてくれた。  「嘘」がないYOSHIKIだから、その姿から今のYOSHIKIの気持がそのまま伝わってくる。  その深い気持に、僕は1年前と同じように深く心を動かされ、泣いた。  今『Xという物語』に起きていることのスケールの大きさと、そこで生まれた愛の強さに、僕は激しく感動したのだ。 
  • 【夢と夕陽】番外編:『Xという物語』〜2015年 JAPAN TOURで見えたこと(1)

    2015-12-22 03:00  
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     約1年前の横浜アリーナとN.Y MSGの公演を観て、僕はYOSHIKIの新しい姿を見い出した。  それは、再結成の2008年当時とは違って圧倒的なパフォーマンスを誇るドラミング、世界中に広がり続けるファンの存在と世界に通用する作品を生んできたことへの自信から生まれる『輝く笑顔』だった。  それに加えて僕が何より注目したのは、YOSHIKI自身がXになっていた、という驚くべき進化の形だった。 そう。 YOSHIKIは長い時間をかけて、HIDEの死という悲しみを乗り越え、TOSHIと再び力を合わせ、TAIJIの悲運に直面しながらも、世界の厚い壁をぶち破り、X JAPANを世界的なバンドにするために常人では不可能なことを成し遂げていたのだ。 それがYOSHIKI自身がXになる、という進化の形だった。 けれど、そこまでの進化を可能にしてくれた背景に、自分たちメンバーと人生を共にして来た多くのファンの存在があることをYOSHIKIはわかっていた。 だから彼は号泣した。  YOSHIKIとXというバンド、そしてその姿を見守るファンが共に生きた歳月を想い、僕もまた号泣しながらそこに『生きた映画』を見たのだった。  Xというバンドは全てが生きている。 作品が生きていて 人生がそのまま伝わるメンバーの姿が生きていて バンドとファンの関係が生きている。  だからどこまでも行ける。  世界中の人に伝わる。  そして必ず歴史に残る。 それが1年前、僕が確信したことだった。 あの日、僕が『生きた映画』だ、と感じたことと『We Are X』というドキュメンタリー映画が来年から世界発信されることは、まるでデジャヴュのようにシンクロしているけれど、それは真実がひとつであり、Xというバンドが真実であることの証なのだと思う。  
     そして今年。 JAPAN TOURを観ていて、僕はまた新たな発見をした。 その発見から見えてくる、YOSHIKIとX JAPANの今と未来を、これからお伝えしていきたいと思う。
      
  • 【夢と夕陽】78. 夢の始まり(23)

    2015-12-08 11:11  
    220pt









      TOSHIが突然、進化し始めた。 このことを確認した僕は、すぐに新たな動きをした。  いよいよ新しいセクションのメンバーにXというバンドを見せる時が来たのだ。  鹿鳴館ワンマンライブの翌日、僕は新しいセクションのミーティングで全員に伝えた。  Xというバンドのプロデュースをこのセクションで手がけたいこと。  そのために、XとSony Musicとの間で契約を締結したいこと。 なるべく早めにXのライブを観て欲しいこと。  突然の提案だった。  でも、あっけない程すんなりと、その提案は全員に賛成された。 きっと最近の僕の動きでみんな気づいていたのだろう。  僕がXのメンバーと共闘を始めていることを。 そしてその志が高く、未来を見つめるエネルギーがとても強いことを。      3月に新しいセクションが発足してからもう3ヶ月経っていた。  発足直後、毎日のように繰り返していたディスカッションもブレーンストーミングも、最近はすっかり落ち着き、各自が新たなビジネスの可能性につながる情報収集を始めていた。  時折、エンターテインメント業界で優れた仕事をしている人を招いて話を聞いたりもした。  選抜メンバーによる海外視察の予定もあった。  そんな中、Xとの共闘を始めていた僕には、新しいセクションのメンバーとは全く別の考え方を構築し始めていた。  それは新しいセクションのあり方に大きな影響を及ぼすことだった。  僕はそれを誰にも話さず、自分の心の中だけで構築していった。   
  • 【夢と夕陽】77. 夢の始まり(22)

    2015-12-01 03:00  
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      YOSHIKIと作曲について語り合う時、僕は意図的にメジャーキー(長調)の名曲を取り上げたり、メジャーキーの魅力あるコード進行について触れたりしていた。  ちょうどリリースされたばかりのインディーズアルバム「Vanishing Vision」を聴けばわかる通り、Xの楽曲はマイナーキー(短調)だ。  けれど僕のイメージでは、進化したXの楽曲にはメジャーキーの楽曲も含まれていた。  たとえ全体がメジャーキーでなくとも、セクションの一部にメジャーキーの部分があったり・・・。  アップテンポの曲なのに、部分的にメジャーキーの魅力が炸裂していたり・・・。  そんなイメージを共有しつつ、実際のところ僕が一番待ち望んでいたのは、メジャーキーの美しいスローバラードだった。  僕にとって、YOSHIKIは曲を「作る」のではなく「生む」ことのできる天才作曲家だった。  そんなYOSHIKIの才能がとても美しいメロディーが生み、そのメロディーが美しいメジャーキーのコード進行に包まれていたら、どれだけ感動的な曲になるだろう・・・。  僕はそのイメージに深い期待を寄せていたのだ。 
  • 【夢と夕陽】76. 夢の始まり(21)

    2015-11-23 14:40  
    220pt









     全国ツアーに入るまでにメンバーとたくさん会って話しておこう、と考えた僕は、タイミングをみては色々な現場に出かけていった。

     そのうちに、だんだんバンドの生態のようなものがわかってきた。  リハーサルはどのように始まり、終わった後はどうなるのか。 打ち合わせはどのように行われるのか。  メンバーが個々の動きをする時、どんな組み合わせで行動をするのか。  メンバーとスタッフの関係はどんな雰囲気なのか。(インディーズであっても、Xにはマネージャーやローディー、テクニシャンなど、多くのスタッフがいて行動を共にしていた)  どんなタイミングで、どう酒を飲む状態に突入するのか。  そういった、バンドならではの生態のようなものは、Xというバンドが人を惹きつける不思議な魅力をそのまま物語っていた。  そう、その生態を観察しているだけで楽しいのだ。  メンバーがピュアな人間性をそのままむき出しにして行動するため、常に笑が絶えない一方で、常に怒号が炸裂する危険も潜んでいる。  「事件」のようなことが何かと起きがちだし、それが収まるまでの様子がまた興味をそそられる。 ただ、何が起きてもそこにはちゃんとした理由があるから、そのストーリーを追っていくと、また新たなバンドの性質やヒストリーが見えてきたりする。  そんな風にバンドの生態を少しずつ理解しながら、メンバーとは音楽的な会話を進めていった。