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復刻版【夢と夕陽】78. 夢の始まり(23)
2020-02-06 09:00220pt
2015年12月8日に配信されたブロマガ記事を復刻版としてお届けしますオリジナルは https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar925112 になります
TOSHIが突然、進化し始めた。 このことを確認した僕は、すぐに新たな動きをした。 いよいよ新しいセクションのメンバーにXというバンドを見せる時が来たのだ。 鹿鳴館ワンマンライブの翌日、僕は新しいセクションのミーティングで全員に伝えた。 Xというバンドのプロデュースをこのセクションで手がけたいこと。 そのために、XとSony Musicとの間で契約を締結したいこと。 なるべく早めにXのライブを観て欲しいこと。 突然の提案だった。 でも、あっけない程すんなりと、その提案は全員に賛成された。 きっと最近の僕の動きでみんな気づいていたのだろう。 僕がXのメンバーと共闘を始めていることを。 そしてその志が高く、未来を見つめるエネルギーがとても強いことを。 3月に新しいセクションが発足してからもう3ヶ月経っていた。 発足直後、毎日のように繰り返していたディスカッションもブレーンストーミングも、最近はすっかり落ち着き、各自が新たなビジネスの可能性につながる情報収集を始めていた。 時折、エンターテインメント業界で優れた仕事をしている人を招いて話を聞いたりもした。 選抜メンバーによる海外視察の予定もあった。 そんな中、Xとの共闘を始めていた僕には、新しいセクションのメンバーとは全く別の考え方を構築し始めていた。 それは新しいセクションのあり方に大きな影響を及ぼすことだった。 僕はそれを誰にも話さず、自分の心の中だけで構築していった。 -
復刻版【夢と夕陽】77. 夢の始まり(22)
2020-02-05 09:00220pt
2015年12月1日に配信されたブロマガ記事を復刻版としてお届けしますオリジナルは https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar920903 になります
YOSHIKIと作曲について語り合う時、僕は意図的にメジャーキー(長調)の名曲を取り上げたり、メジャーキーの魅力あるコード進行について触れたりしていた。 ちょうどリリースされたばかりのインディーズアルバム「Vanishing Vision」を聴けばわかる通り、Xの楽曲はマイナーキー(短調)だ。 けれど僕のイメージでは、進化したXの楽曲にはメジャーキーの楽曲も含まれていた。 たとえ全体がメジャーキーでなくとも、セクションの一部にメジャーキーの部分があったり・・・。 アップテンポの曲なのに、部分的にメジャーキーの魅力が炸裂していたり・・・。 そんなイメージを共有しつつ、実際のところ僕が一番待ち望んでいたのは、メジャーキーの美しいスローバラードだった。 僕にとって、YOSHIKIは曲を「作る」のではなく「生む」ことのできる天才作曲家だった。 そんなYOSHIKIの才能がとても美しいメロディーが生み、そのメロディーが美しいメジャーキーのコード進行に包まれていたら、どれだけ感動的な曲になるだろう・・・。 僕はそのイメージに深い期待を寄せていたのだ。 -
復刻版【夢と夕陽】76. 夢の始まり(21)
2020-02-04 09:00220pt
2015年11月23日に配信されたブロマガ記事を復刻版としてお届けしますオリジナルは https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar915302 になります
全国ツアーに入るまでにメンバーとたくさん会って話しておこう、と考えた僕は、タイミングをみては色々な現場に出かけていった。
そのうちに、だんだんバンドの生態のようなものがわかってきた。 リハーサルはどのように始まり、終わった後はどうなるのか。 打ち合わせはどのように行われるのか。 メンバーが個々の動きをする時、どんな組み合わせで行動をするのか。 メンバーとスタッフの関係はどんな雰囲気なのか。(インディーズであっても、Xにはマネージャーやローディー、テクニシャンなど、多くのスタッフがいて行動を共にしていた) どんなタイミングで、どう酒を飲む状態に突入するのか。 そういった、バンドならではの生態のようなものは、Xというバンドが人を惹きつける不思議な魅力をそのまま物語っていた。 そう、その生態を観察しているだけで楽しいのだ。 メンバーがピュアな人間性をそのままむき出しにして行動するため、常に笑が絶えない一方で、常に怒号が炸裂する危険も潜んでいる。 「事件」のようなことが何かと起きがちだし、それが収まるまでの様子がまた興味をそそられる。 ただ、何が起きてもそこにはちゃんとした理由があるから、そのストーリーを追っていくと、また新たなバンドの性質やヒストリーが見えてきたりする。 そんな風にバンドの生態を少しずつ理解しながら、メンバーとは音楽的な会話を進めていった。 -
復刻版【夢と夕陽】75. 夢の始まり(20)
2020-02-03 09:00220pt
2015年11月16日に配信されたブロマガ記事を復刻版としてお届けしますオリジナルは https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar911376 になります 目に見える結果がまだない以上、何が正しいのかは誰にもわからない。 でも、結果がまだなくても高い志と自信があれば、前に進むことはできる。 そう、正しいかどうかより、正しいと信じられるかどうかの方が大事なのだ。 それが若いということの特権であり、誇りだと思っていい。 僕はそう信じていたし、同じ想いを持てる人間しか信じなかった。 そういう意味で、Xのメンバーはまさにそうだった。 もちろんある程度の時間をかけてXは結果を出し、それはいずれ歴史となり、後の人たちにはそれが当たり前の事実となるのだけれど、1988年当時の僕たちにとっては、まだそれは未来のこと。 その時は何の確証もない「今」しかなかった。 それでも強い意志と熱い想いで前へ進むことができたのは、何があろうと自分たちを信じていたからだったと思う。 そんな気持がそのままXというバンドを支えていたのが、1988年だったのだ。 1988年 春。 熱い想いとバンドとしてのエネルギーはおそらく当時の日本で一番だったXというバンドとその5人のメンバーに、僕は名乗りを上げ、共闘を始めた。 -
特別掲載(津田直士 資料室)
2020-01-30 09:00220pt2015年7月5日に配信されたブロマガ記事を復刻版としてお届けします
オリジナルは https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar825307 になります
僕が、Xの制作をしていた当時の想い出と共に、大切に保管してある数々の資料。
その一部を以前、2013年の9月に「津田直士 資料室」と題してご紹介しました。 https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar338685
https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar344341
https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar350842
3回にわたって掲載したその資料を今回、再びまとめ、新たな資料も追加して掲載します。
レコーディング時に使用したノートや譜面、詳細なスケジュールなどを改めて見ていると、当時の記憶が鮮やかに蘇ります。
濃密な時間の連続。
闘いの日々。 本当に命がけでした。
そして何より、音楽に対する情熱がとてつもなく強かったことを、残された紙が語りかけてくれます。
資料をご紹介しながら、そこに眠っている当時の空気も、僕なりにお伝えしていきたいと思います。
ぜひ楽しんで下さい。( ※ 過去の資料をご紹介する上で、当時関係していた人達に迷惑がかかったりすることのないよう配慮し、基本的には僕自身が記したまたは監修した資料、及び僕の視点に基づいて選択された公式な資料に限定していきたいと思います。)
ではまず最初。今回は僕が「ART OF LIFE」のレコーディング中、1993年に書き上げた、ライナーノーツの手書き原稿です。
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復刻版【夢と夕陽】63. 夢の始まり(8)
2020-01-29 19:00220pt
2015年8月18日に配信されたブロマガ記事を復刻版としてお届けしますオリジナルは https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar854058 になります
〜拙著「すべての始まり」より抜粋〜
青山のカフェで僕は(今日は赤ちゃんなのかな、それとも挑戦的な不良なのかな・・・)と、ぼんやり考えながらYOSHIKIを待っていた。 やがてYOSHIKIが、マネージャー君と一緒に現れた。 この時のYOSHIKIの鮮烈な印象を、僕は一生忘れることはないだろう。
挨拶をして席に座ったYOSHIKIを見た瞬間、僕は経験したことのない、異様な感覚に襲われた。
真っ白なシャツを着て、サングラスをかけたYOSHIKIは、少女漫画に出てくる美少年、といった雰囲気だった。 ところが、その真っ白なシャツの胸が、真紅の血で染まっているのだ。 ちょうど心臓の辺り。
まるで、ナイフで胸を刺したように・・・。
でも、それは僕の眼の錯覚で、よく見ると血など、どこにも付いていないのだ。 超常現象とはまったく無縁の僕だった。そんな体験をすることが、不思議でならない。 でもとにかく、僕の眼に、はっきりと胸の血は見えたのだ。
赤ちゃんではなかった。 挑戦的な不良でもなかった。 YOSHIKIは殺気そのものだった。 やがて僕がオーディションの時の感想を話し始めると、フッ、とYOSHIKIの殺気は消えた。 次に僕は、エックスについて、僕なりに見えてきたことを、YOSHIKIに語った。 それは『エックスは日本一美しいバンドになるべきでは?』という提案だった。 そして『そうすれば、いつかエックスは日本一のバンドになれるのでは?』と問いかけたのだった。
YOSHIKIの表情が、また和らいだ。
(あ、赤ちゃんになった!!) 僕は安心して『これから音楽面を中心に、色々な要素を進化させる事で、エックスは今よりはるかに大きいバンドになれるはずだ』と、思っているまま、伝えた。 続けて、バンドの可能性を山に例えて、『裾野を広げればそれだけ山は高くなるはず、その裾野を広げるのは、何よりも音楽性を広げる事であって、エックスなら裾野を広げることで、日本一高い富士山になれるはずなのだ』という話もした。
YOSHIKIはこの話を、うれしい意見だ、とうけとめてくれたようだった。
そして、メンバー5人が日々、闘い続けていることや、負けたくない、という強い気持ちなどを、淡々と、けれど強い情熱をこめて話してくれた。
YOSHIKIの情熱のこもった話を聞くことで、エックスというバンドが、どんなに多くの人たちを惹きつけていけるのか、そしてどれだけ大きく成長していけそうなのか、理解できた。
そんな風にたくさん話しているうちに、僕はYOSHIKIと自分が特別な相性である事に、気づいた。
言葉が必要ない、チャクラのようなものが、1本つながっている感じだった。
つまり、目の前のことはそうでもないけど、少し遠くにある、最も重要な事については、まったく同じところを見据えている、そんな感じだったのだ。
じゃあ今度は、ライブで会いましょう、そう言ってYOSHIKIと別れた後、僕はYOSHIKIが、最後まで「挑戦的な不良」にはならなかった事に気がついた。
ゆっくり話をしたことで、お互いが、何か同じようなところを見ていることは確認できたし、僕がエックスをどう見ていて、どんな風に好きになり始めているか、YOSHIKIにしっかり伝えることができた。
そして何よりこの日、僕は大きな収穫を得た。 彼らがどうやら〈選ばれた人間〉のようだ、ということだった。 『エックスはとんでもなく大きなバンドになるかも知れない』という予感を、僕はYOSHIKIの人間を見て、確信したのだ。
佐藤部長から新たな可能性、つまり各制作セクションへのプレゼンと並行して、FITZBEATレーベルで僕自身がXをプロデュースするという構想を聞かされた僕が、まず初めにリーダーのYOSHIKIと会おうとしたのには理由があった。 初めてメンバー全員と会った時、このバンドはメンバーがそれぞれ強い個性とエネルギーを持っている、と感じた。
つまりワンマンバンドではない。
それでいながら、バンドとしての圧倒的なビジョンや志を持っていて、メンバー全員がそれを共有している。 その上、ある状態になると全員が「赤ちゃんオーラ」を出す。 つまり5人の人間的な魅力がバンドの魅力を形作っている。
そんなバンドに対して自分がプロデュースを手がけるのであれば、僕はメンバー全員を深く知り、バンドのビジョンや志を完全に理解し、何より音楽性を全て把握した上で新たな進化の方向性を提示しなければならない。
相当なエネルギーと時間を費やすことになる。
一方、決選大会を観てバンドの可能性を確信し、なおかつソニーミュージックの制作セクションの人達とは全く逆の評価をしている僕は、何よりもまず、Xの未来に向けて自分の考えやビジョンを正確にメンバーへ伝えたい。 そうなると・・・おそらくメンバー全員と会うことから始めたら、収拾がつかなくなる。
何しろ、まだ彼らのライブをちゃんと観たことすらないのだ。 だから僕は、まずリーダーのYOSHIKIと会うことにした。 初めて全員と会った時、とても聡明で、揺るぎない自信を言葉にし、エネルギーの塊に見えたリーダーのYOSHIKI。
彼なら、まず一番大事なメッセージを僕から伝えれば、ちゃんとメンバー全員に届くだろう、と考えたのだ。
そしてそれは予想通り正解だった。
いや、予想以上だったかも知れない。
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復刻版【夢と夕陽】62. 夢の始まり(7)
2020-01-29 09:00220pt
2015年8月10日に配信されたブロマガ記事を復刻版としてお届けしますオリジナルは https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar843773 になります 決選大会が終わると、しばらくの間、各制作部や制作スタッフから、エントリーアーティストへの確認が相次ぐ。
まず、同じアーティストに複数のセクションから獲得希望がある場合は、その調整をするために制作部サイドとやり取りをしなければいけない。
また、決選大会でライブパフォーマンスを観た結果、審査の際には申し出はなかったけれど賞にもれたアーティストに興味を持つスタッフがいたり、契約やデビューは確約できないけれどアーティストと前向きに話がしてみたい、と考えるスタッフなどがいる場合は、該当するアーティストの情報を詳細に伝えつつ、そのコーディネートをしていく。
僕の担当はXだから早速、興味を持った制作スタッフと会い、コミュニケーションを取り始めた。
そもそも、今回Xに贈られた育成賞というのは、決選大会後も、我々SD事業部が継続的に制作セクションへプレゼンをし、契約へ結びつけていく、ということを意図したものだ。
そのためにも、僕は少しでもXに興味のあるスタッフと、どんどん会って会話を重ねていった。
やがて、会話を重ねることによって、とても興味深いことがわかってきた。
Xというバンドに対する見方や意見、感想に、各制作スタッフ間で共通点があるのだ。
まず、動員力やエネルギー溢れるインディーズ活動への評価からだろうか、現時点での実績を高く評価していること。
そして、バンドの音楽性がヘヴィーメタルやハードロックといったジャンルであることが重要な前提として扱われていること。
どちらも、至極当然のことだ。
事実だからだ。
ただ、もう一つ重要な共通点があった。
前の2つの共通点を前提として、なのだろうが・・・。
『Xは即戦力になるけれど、圧倒的なセールスをあげるメジャーなアーティストになるとは考えにくい』
という予想・・・。それが制作セクションの共通した見解だったのだ。
僕は積極的に色々なスタッフと話をして、この点にとても驚いた。
Xの話をしている時、スタッフはそれぞれの感性や見方であの不思議なバンドをとらえ、音楽性に触れ、メンバーのキャラクターについて話したり僕に聞いたりする。
その時点では、僕にとってそれぞれの人がとても好感触なのだが、大事な音楽プロデュース、アーティストプロデュースの話になると、結局みな、同じ結論に至ってしまう。 話の最後で必ず「あれれ?」と僕が感じる結果になってしまうのだ。
そんな風に、スタッフの方々のX評は僕にしてみれば疑問ばかりなのだが、尾崎豊にしろユニコーンにしろ佐野元春にしろ、僕が知っている制作の人達は、とても素晴らしいアーティストをプロデュースし、レベルの高い仕事をしている、むしろそのプロデュースに、いつも僕がたくさんのことを教わってきた人達なのだ。
それがなぜか、Xのことになると、ことごく僕には納得できない結論に至ってしまう。
当然のことだが、彼らはプロだ。 そして僕はレコード会社でのプロデュースという経験はない。
つまり素人だ。
だから、最初は自分を疑った。
僕は何を勘違いし、何を見失ってしまっているんだろう、と。
でも、僕の中で一番重要だったのは、そのプロである制作の人達が一向に興味を抱かない『バンドメンバーの人間的な魅力』であり、そこからイメージできる『アーティストとしての限りない可能性』だった。
そして、そこを起点に考えると、僕の思い描くXの未来は、制作スタッフの人達のちょうど逆になってしまうのだ。
そう、今は決して完成形ではないので、ちゃんとプロデュースの方針を共有して、新たな進化の道を歩んでいくこと。
その結果、今のメジャーシーンにはない、新しくて圧倒的な存在のアーティストとなること。
少なくとも、僕の考えるこういったビジョンを同じように想い描く制作スタッフは全くいなかった。
SD事業部の担当者としては、それは頭を抱えることだった。
しかし・・・
全く別の見方をすれば、そんな事実は、あるとんでもない可能性を示していたのだった。
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復刻版【夢と夕陽】61. 夢の始まり(6)
2020-01-28 23:30220pt
2015年7月28日に配信されたブロマガ記事を復刻版としてお届けしますオリジナルは https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar838687 になります
賞発表の準備を何人かのスタッフとしていると、その中の一人が僕に話しかけた。
「津田さん、X。あれ、まずいっすよね、危なかったですよね。あんな勝手なバンド、困ったもんですね。俺なんかさぁ、あのダラダラと続けてる煽り、何やってんだよー、と思ってさ、頭来たから止めようとしたんすよー。そしたらさ、何でか分からんけど、止めない指示が出てて驚いちゃった。でも、もう少し続けてたら、俺、PAんとこ行って、勝手に止めてたっすよ」
「ええ!ほんとに〜?」
咄嗟にひとこと、軽く応えながら、僕は自分の心境の変化に驚いていた。
彼の発言を聞きながら、心の中で(こいつ、何もわかってねえな・・・)
と思ったからだ。
そもそも、演奏を止めない指示、というのは僕の判断によるものだ。
オーディションの現場責任者としての判断で、あの煽りを止めなかったのだ。
Xというバンドのわがままではなく、バンドの思想を理解し、応援したいと決意した、オーディション内部サイドの判断なのだ。
そこまで人の心を動かすバンドの魅力・・・そこをわかっていない、ひとりのスタッフの感情など、オーディションという大切な機会に、何の価値があるのか。
そんな思考を一瞬のうちに済ませて、彼の発言がどうでも良い内容だから、ひとことで済ませたのだ。
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復刻版【夢と夕陽】21. 横浜アリーナ公演で僕が確信した X JAPANの今と未来 ①
2018-11-04 09:00220pt2014年10月7日に配信されたブロマガ記事を復刻版としてお届けしますオリジナルは https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar637742 になります 多くの人たちの感想に表れているように、横浜アリーナ公演は、かつてのX JAPANにはみられない豊かさと幸福感に満ちた、素晴らしいステージだった。 YOSHIKIのDrums演奏は、鍛え抜かれた身体によるものだろう、速い曲が連続する2日間にわたるステージでも余裕を感じるほど素晴らしかったし、TOSHIの声は30年近い歴史の中で、最もコンディションが良かったように感じた。 そしてSUGIZO、HEATH、PATAの見事な演奏。5人の演奏とパフォーマンスは、スーパーバンドというより、結成してまだ数年、まだ20代前半の最も勢いのある若手バンドのような一体感に溢れていた。 そして何より、演奏レベルの高さやファンの期待にちゃんと応える圧倒的なパフォーマンスは、完全に世界レベルだった。 そのステージをじっくり観ることができた僕は観ているうちに、ある確信が揺るぎないものになっていき、過去27年にわたる長い年月を想い、とてつもなく幸せになり、いつしか我を失うほど心を震わせていた。 メンバーと一緒に闘っていたあの頃、気がつくといつも、悔しさや幸福感でよく泣いていたものだけれど、今回のステージを観ながら流した涙は、過去のどんな涙とも違う、新しい涙だった。 その涙は、予想通りX JAPANの「輝く未来」がちゃんと見え始めた、という幸せの涙だったかもしれない。 これまで綴ってきた通り、桁外れに強いYOSHIKIがちゃんとそこにいてくれた、という感動の涙だったかもしれない。
あるいは、X JAPANを守り、ずっとメンバーの心を支え続けている、運命共同体の愛の力を改めて感じ、自分もいつの間にかそのひとりになり始めている、という喜びの涙だったかも知れない。 何より、世界で今、一番幸せかも知れない、子どものような、いや、赤ちゃんのような、メンバーの屈託のない笑顔を見て、心から安心した涙かも知れない。 そして、それがどんな涙であれ、僕は泣きながらその涙がもたらしてくれる新しい幸福感に包まれていた。 それは過去、Xに、X JAPANに、メンバーに、外から持ち込まれたあらゆるネガティブな要素や記憶を、すべて消し去ってくれるほどのとてつもなく強いエネルギーを感じたからだった。
いや、それだけではない。 そんな「夢のような今」を生み落としてくれた源が一体何なのか・・・。その答えが、今回のステージではっきりしたからだった。 今回から僕がこの連載で書いていくことは、すべて、今回の横浜アリーナ公演で見えた「答え」だ。 X JAPANというバンドとそのメンバーが、なぜこれから「輝く未来」を手にすることができるのか、そしてそのことが、普通の日本のアーティストにとって、なぜ、どれだけ、困難なことなのか。 その「答え」を、きちんと書いてみたいと思う。
1. TOSHIの今 2014年9月。 僕は、外国特派員協会の会見に臨むTOSHIの映像を観ていた。 そのちょっと前、世間を賑わした洗脳にまつわる話題については興味が湧かず、一切の情報から距離を置いていた僕だったが、この記者会見は、バンドの現況について語る部分が感慨深い、という知人の話を聞いて興味が湧いたのだった。 見終わった僕は、ああTOSHIらしいな、とか、この子、本当に奇麗な日本語を使うよなぁ、などとしばらく穏やかな気分だったが、先に控えている横浜アリーナとMSGの公演に想いを馳せた途端、何か大切な答えが見つかった気がして、しばらく考え込んだ。 そして突然、僕は明るい気持ちになった。 ちゃんと、ある確信が持てたからだ。 「もう大丈夫だ・・・」 そして、僕は唐突にある光景を思い出した。 1991年9月。 僕は、二人だけの部屋で、TOSHIと向かい合っていた。 -
復刻版【夢と夕陽】 ⑳ X JAPANのライブ その魅力の秘密〜なぜ X JAPANとファンは1対1の関係なのか
2018-11-03 09:00220pt2014年9月30日に配信されたブロマガ記事を復刻版としてお届けしますオリジナルは https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar633361 になります 日常の何気ない会話の中でたまたま、僕が「BLUE BLOOD」と「Jealousy」そして「ART OF LIFE」をメンバーと共に制作した人間だ、と気がつき、実は私、X JAPANのファンなんです…と、その相手が話し始める瞬間。
なぜみんな、同じような表情をするのだろう、と僕は興味深く思う。
「何か素敵なことが始まった」というような、期待のこもった特別な笑顔。
「共犯者のように」密やかで、でも湧き出る感情を抑えきれない喜びの顔。
でもどこか、もう分かった以上「わざわざ言葉にしなくても通じるから大丈夫」といった安心感が伝わる、豊かな雰囲気。
僕はそんな空気に、いつも、X JAPANとファンという関係が持つ圧倒的な深さを感じる。
そして、その深さを生んでいる楽曲の凄さと、自分と闘い続けたメンバーの生き方に、改めて感動し、幸せになるのだ。
『 X JAPANのファンに初心者はいない 』
これは僕が思う、X JAPANというバンドの真理だ。
ちょっとしたきっかけでX JAPANの音楽を聴いたり、そのパフォーマンスに触れたりして、何かが心に響いた瞬間から、その人はコアファンになってしまう。 X JAPANは比較的好きだけど、まだそんなに深く音楽は聴いてなくて…といった人は、ほとんどいない。 そんな真理を表現した言葉だ。
もう一つ、X JAPANとファンの関係について、僕が思う真理がある。 それが、こちら。
『 X JAPANとファンは常に1対1の関係 』
世の中には、「人気のあるもの」はたくさんある。
そして多くの人は「人気のあるもの」が好きだ。
そういう人たちは、「今、人気のあるものは何か」ということに常に興味を持ち、情報を得るとそれを体験しようとする。
そういう人にとっては、「人気のあるもの」の「本当の価値や魅力」の前に、まず「人気のあるものであること」が大切だったりする。
そういう一般的な風潮を踏まえた上でよく考えてみると、ファンが惹かれるX JAPANの魅力は「人気のあるもの」というところにはない、ということに気づく。
他の人たちにどう人気があるか、というポイントは、X JAPANに惹かれる人にとって、興味の対象ではない。
そこにあるのは、「その魅力を知ってしまった自分」と「X JAPANというバンド」の関係だけだ。
つまりX JAPANのファンにとって、X JAPANの人気というのは、さほど重要なことではない。
そう、すべては自分がひとり、発見してしまった、X JAPANというバンドの魅力と、自分という関係だけ、つまり「1対1の関係」なのだ。
これは興味深いことだ。
何万人ものファンが集うライブ会場は、X JAPANのメンバーが登場して演奏が始まった途端、ひとつになる。
といっても、ファン同士が横につながっているわけではない。
むしろ、どんなアーティストよりもその関係は1対1なのだ。 にもかかわらず、ライブが始まると全員が一つになる。
でもよく考えてみれば、これは当然のことだ。
会場がひとつになるのは、その中心にある「X JAPAN」というバンドと、何万人というファンの関係が強い絆で結ばれているからこそ、だからだ。
前回僕が書いた『会場の一番後ろから、ファンとメンバーがひとつになっているのを観て僕が泣いた』理由は、その1対1の関係の深さを感じたからだ。 そしてまた、当時の僕が毎回号泣していたもう一つの理由は、メンバー側の気持ちも良く知っていたからだ。
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