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記事 37件
  • 復刻版『想いのすべて 0723』〜僕が見た17日の奇跡…そして心を込めてYOSHIKIに伝えたメッセージ

    2021-09-03 19:00  
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      2017年7月23日に配信されたブロマガ記事を復刻版としてお届けします
    オリジナルは https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar1300950 になります 7月17日、横浜アリーナ最終日に招かれ、貴重なライブを観ることができた。用意されたボックス席は、上手側の上の方に位置しているため、右斜めにステージが見える。この位置のおかげで、今回のライブの奇跡がすべて、メンバーとファンがひとつになって起こしたものであることを、僕は深く確信できた。何より、音楽家である僕が驚いたのは、ファンの歌声の素晴らしさだった。力強く美しいその歌声は、オーディエンスのものではなかった。本来、ステージで披露されるレベルのものだった。 
  • 復刻版『想いのすべて 0709』〜あのレコーディングについての個人的な想い出と深い意義

    2021-09-03 09:00  
    220pt
      2017年7月9日に配信されたブロマガ記事を復刻版としてお届けします
    オリジナルは https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar1295899 になります
    7月14日に掲載される、あるウェブマガジンに向けて書いた記事の中に、「BLUE BLOOD」のレコーディングをしていた頃、26才だった僕の密かな決心について記述しているところがある。そこには、『一切の妥協を排除して、メンバーが望む限り、とことんレコーディングをさせてあげること』という僕の決心について、『自分自身がミュージシャン時代、妥協しなければならないレコーディングで残念な思いをしたことと、アーティストの才能よりもビジネス的な都合や商業的な価値観が先行する日本の音楽業界の特質に対する反発から生まれた決心だ』と書いてある。
    当時の僕は、そうやって「BLUE BLOOD」をレコーディングすることで、「100年残る音楽」を完成させ、Xの音楽を世に送り出し、強い疑問とともに義憤を感じていた「日本の音楽シーンの問題点」に一石を投じてみようと考えていたわけなのだが・・・
     
  • 復刻版【夢と夕陽 最終回】 82. 最終章〜ライナーノーツに込めた想い(3)

    2021-09-02 21:00  
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      2016年2月7日に配信されたブロマガ記事を復刻版としてお届けします
    オリジナルは https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar963712 になります 3. 「VISUAL SHOCK Vol.4破滅に向かって」のライナーノーツに込めた想い
     《ライナーノーツ原文》
      

    闘いから愛へ
     出会った頃のXは、未知数のかたまりだった。 僕が彼らをよく知らなかったから、ではなくて 彼ら自身が、未来に何があるのか知らなかったからだ。 知らない未来に期待を抱くことなどなく、 ひたすら悔いのない今を生きること、それだけにまるで命をかけている。 そんな5人だった。そんなトシ、ヒデ、パタ、タイジ、ヨシキだった。 僕には、Xの毎日が闘いに見えた。
    闘いの相手は何だったのだろう? 「ジャンルの壁」「モラルの壁」「常識の壁」だろうか。 それもあったかも知れない。でも、一番の相手はやはり 自分達自身、つまりXそのものだったのではないだろうか。 過去にも書いたとおり、僕の目には、未来のとてつもなく大きな、 そして輝かしいXが、出会った頃から見えていた。 「大丈夫だよ。まだまだ、ずっと、大きく、美しく、素晴らしく、なるよ」 信じ続けていた。そして、5人にいつも、伝えていたように思う。 それは、彼らの自信には、なったかも知れない。 けれども、見えない未来は、想像でしかない。 彼らにとって大切なのは、あくまで、現実となったきのうのこと。 現実にしていく明日のこと。現実である、今。 だから―Xは闘っていた。おそらくX自身と。 その闘いを僕はずっと見てきた。
    1992年1月7日 僕は、気づいた•••。 闘いは、愛に変わっていた。
    トシ、ヒデ、パタ、タイジ、ヨシキの5人が、5万人の大合唱に包まれている。 Xは闘い続けてきたけれど、それを見守ってきた人々の答えは、愛だった。 Xも愛しているのだろう、5万人を。口にしたことは、ほとんどなかったけれど。 4年前、500人と1つになっていたX。
    ずっと同じX。闘い続けて。 同じ気持ちのファン達。受けとったのは愛だと感じ、愛で返し続けて。 何という、4年間だろう。 僕はバンドを探していた。見た事もないようなバンドと出会いたかった。 それがXだった。命がけで走り続けた者だけが持つ輝きが、ここにある。永遠に。

     
     《僕の想い》  1992年1月7日 僕は、気づいた•••。 闘いは、愛に変わっていた。
     
     この文章を書いたのは、僕がライナーノーツに自分の想いを忍ばせる、ということを始めてから3年目だった。
     
     僕はこの文章に、今までとは比較にならない位に強い想いを託した。 もはや忍ばせるのではなく、僕なりの想いをそのまま文にした。
     
     何といっても、命懸けで闘ってきた日々がファンの愛によって終わりを告げた、と書いているのだ。 見方によっては、とんでもない文章かも知れない。 でも僕は、東京ドーム3Daysを観て確信したのだった。 『もう闘いは終わった』と・・・。
     
     それに加えてこの頃、海外進出を目指して活動拠点をロサンゼルスへ移すメンバーと別れ、日本のソニーミュージックに残ることを僕は考えていたのだ。
     
     4年間、メンバーと共闘を続けた僕にとって、その決断もまた『闘いの終わり』を意味していた。
     
     だから僕は、東京ドーム3Daysで『闘いの終わり』を確認し、安心して別れを決意したのだった。
     あの会場で、闘い続けたメンバーに『愛』を返してきてくれたファンを観ながら、僕は号泣した。
     やっぱり、辛くて苦しかったけれど自分たちを信じて続けた、あの闘いの日々は間違っていなかったんだ・・・。 そしてとうとう『Xという物語』は、こんなに美しく、素晴らしいものになったんだ・・・。 
     この文章に込めた想い。
     
     それは、4年前には想像すらできなかった奇跡、『運命共同体の愛』への感謝 そして、その愛に支えられ、新たな闘いに挑んでいくXのメンバーに向けた、僕からのエールだったのだ。
     
     
      

    4. 「ART OF LIFE」のライナーノーツに込めた想い
     《ライナーノーツ原文》   3年前の夏を思い出す。冷房のきいたスタジオの一室で、YOSHIKIと僕とシーケンサーとシンセサイザー。  一週間以上続いた、曲のイメージ・スケッチ作りのある日、YOSHIKIはひとこと「これで終わり」とつぶやいた。不意をつかれた感じだった。トータル30分弱。終わりはいつ訪れるのだろう、と思っていたところに、ピアノソロ後の、後半部分が、意外に短く、終わった。  僕達は、静まりかえったスタジオの照明を暗くして、でき上がったばかりのイメージ・スケッチを、大音量で聴いた。  30分は、あっという間だった。2人とも、しばらく声が出ない、という感じだった。   
  • 復刻版【夢と夕陽】81. 最終章〜ライナーノーツに込めた想い(2)

    2021-09-02 20:00  
    220pt







      2016年2月4日に配信されたブロマガ記事を復刻版としてお届けします
    オリジナルは https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar963057 になります  前回に引き続き、僕の心の中にあった『ライナーノーツに込めた秘かな想い』を綴っていきたいと思う。 

     2. 「Jealousy」のライナーノーツに込めた想い 
     《ライナーノーツ原文》
    YOSHIKI ロサンゼルスのノース•ハリウッドにアパートを貸りて、僕達は初めての海外レコーディングをスタートしようとしていた。'90年12月3日。ロサンゼルスに来て10日目の朝、ヨシキは倒れた。生まれて初めて「死にたい」と思ったほどの激痛に首と肩を襲われ、彼はドラムを叩けなくなった。年が明けて'91年5月14日。ヨシキは最後のドラムを録り終えた。その日、本番で彼が叩いた 『Say Anything』はわずか2回。精神統一をした後、叩き出した、最初のテイクを聴きながら、僕はこの半年間で起きた事を思い出していた。正直なところ、僕は初めて、レコーディング中に涙を流した。それ位に素晴らしいプレイだったし、それ位に重い半年間だった。通常のドラム•レコーディングで行われる、激しい僕とヨシキのやりとりもなく、静かに僕はOKを出した。一時はドラムを諦めかけた彼が、このアルバムを完成させたエネルギー。彼を支えた4人のメンバーと周りの全ての人達のエネルギー。このアルバムにはその全てが刻まれている。(1)
    TAIJI タイジが、ロス•レコーディングというチャンスを生かして、本場のグループや音楽に対する姿勢といったものを大変な勢いで吸収しているのは、よくわかっていた。紛れもなく、それはアーティストとして偉大な“成長”だから、僕は嬉しい。彼がいつ、どこで、どうやって吸収しているのかは、誰も知らないのだが。「ねぇ、そのノリ違うね。」「もう一回、録り直そうか。」「8時間練習すると、何でも弾けちゃうんだね。」「ただのアドリブだよ。」そんなさりげない言葉に彼の“成長 ” は感じられた。(2)常識とルールの対極で、妥協を許さず音楽を求める。タイジのオリジナルは、完成するまでに長い道のりを必要とした。'89年夏に原型を生んだ『Voiceless Screaming』は、一時、10分以上に及ぶ組曲にまで発展し、1年をかけて最終的にこの形となった。そして「ねぇ、やっぱり、ちょっと変えたいんだけど...」はミックス•ダウンの前日まで続けられたのである!
    TOSHI ヨシキが倒れている間、他のメンバーはリハーサルとアレンジを続けていた。いよいよヨシキ復帰となった時、トシが言い渡されたのが、のどの医者による“1ヶ月の発声厳禁”というショッキングなものだった。『Voiceless Screaming』と『Desperate Angel』の詩はそんな背景で生まれた。のどの肉体的なリハビリテーションと同時に、歌の表現力を彼なりに研究した不断の努力の成果が、今回のアルバムには色濃く現れている。(3)お馴染みのトシに加え、ヒデ、タイジによって引き出された新しいトシも、『Miscast』『Voiceless Screaming』『Desperate Angel』で体験して欲しい。
    HIDE ヒデにとって、アメリカ•レコーディングの意味は、むしろ本人が気づいていないところにあった。「自由」と「責任」である。(4)BLUE BLOODの『Celebration』と『X clamation #1』で表現されたヒデの「自由」には、まだ「責任」が伴っていなかった。それに対して今回、『Miscast』の詞、『Joker』のメロディー、そして『Love Replica』のコンセプトと実験、3曲に関わるS•Eなどには「自由」の裏にある「責任」が同時に光っている。ヒデにとってはその“瞬間”が大事だから、創るのに時間はかからない。その代わり、その瞬間にどれだけ純粋なヒデにとっての「自由」が、曲の全てに込められているか、が勝負なのだ。3曲を聴いて、その時々の違う“ヒデ”に耳を傾けてもらうのも、一つの良い聴き方かもしれない。そして、今回の作品は(本人は気づいていなくとも)責任の裏づけがあるから、その分「深い」のである。安心して子供のように「自由」を楽しんでいるヒデを感じとって欲しい。
    PATA 速い曲を弾く時のパタは、名人芸を披露する職人の趣きがある。ギターテクニシャンに腕を揉ませて、本人は眼をつぶっている。椅子はパタ専用の椅子である。ギターの音は、出来上がっている。無論、「うーん、かなりいいんだけど、気にくわないな」を何度もくり返した結果である。やがてスピーカーからほとばしる「暴れるヨシキ」と向かい合う時がくる。手は、最高で1分 7~800回のUP&DOWNを繰り返すのだが、顔は微動だにしない。その瞬間、仏に近いパタである。(5) さて、奥を極めればキリのないギター道を旅するパタが、ロスで購入したレスポールは20,000ド ル。さらにプレイについても、自作の『White Wind From Mr. Martin』や『Stab Me In The Back』のソロをはじめ、存分に楽しめることを約束しよう。        ( 〜中略〜 )
     作曲•アレンジに半年、レコーディングに半年を費して完成されたこのアルバムは、前作『BLUE BLOOD』発表後、2年間にわたる5人の成長をそのまま反映したものとなった。5つの個性がXという文字1つのオリジナリティとなる独特のクリエイティビティーは、当然のことながら、このままでは終わらない。(6)『Say Anything』の語りが暗示するように、次の作品となる30分あまりの大作『Art Of Life』は、ヨシキが自らの人生の中で答えを見つけようとする精神世界と、Xだけが表現し得るサウンドの集大成となるはずである。『JEALOUSY』に刻まれた現在のXのすべてを体験しながら、その完結篇となる『ART OF LIFE』の完成を、待っていて欲しい。
       《僕の想い》  (1)一時はドラムを諦めかけた彼が、このアルバムを完成させたエネルギー。彼を支えた4人のメンバーと周りの全ての人達のエネルギー。このアルバムにはその全てが刻まれている。 このライナーノーツを書いている時点では、アルバムが無事完成してタイムリミットまでに日本へ帰国、リリースが間に合う…という確証はまだなかった。
     
     寝る時間を削って作業を続けても、レコーディングは終わらない。
     
     そんな「終わらないレコーディングの日々」の中で、僕がこの文章に込めたもの。 
  • 復刻版【夢と夕陽】80. 最終章〜ライナーノーツに込めた想い(1)

    2021-09-02 19:00  
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      2016年1月31日に配信されたブロマガ記事を復刻版としてお届けします
    オリジナルは https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar1755422 になります 先週末、X JAPANのドキュメンタリー映画『We Are X』が、ワールドシネマドキュメンタリー部門受賞候補作品としてサンダンス映画祭で公開上映された。 この映画の内容はまさに『Xという物語』そのものだ。 実は『We Are X』には、僕のインタビューも登場する。 どこがどう使われたのかは、まだ観ていないから知らないのだけれど。
     昨年の初夏、来日した監督スティーブン・キジャックとの会話という形で、僕はインタビュー撮影に臨んだ。 スティーブン・キジャックが僕に尋ねる内容も、それに対する僕の熱い答えも、みんな「すべての始まり」と「夢と夕陽」に書いたものだった。 インタビューを受けて僕が感動したのは、キジャックがXというバンドのことを、そしてXを支え続けた運命共同体のことを、深く理解していることだった。 Xはすべてが生きている。作品も表現も、メンバーの人生もそれを愛で支える運命共同体も、そしてその物語も・・・。 僕はキジャックに熱くそう伝えたけれど、僕が話さなくても彼は充分そのことを理解していた。 そう。 だからこそ、彼は『We Are X』という映画を創ったのだった。 それがわかって僕はインタビューの後、とても幸せな気持になった。 1988年から28年経った今、世界中に『Xという物語』が発信され始める。  何と素晴らしいことだろう・・・。
     
     この連載「夢と夕陽」と「すべての始まり」で、僕は様々な角度から『Xという物語』を書いてきた。
     
     それは1988年当時、Xを見ていてその姿と毎日生まれていく物語を、文字を書かない作家として心の中に刻み続けていきたい、という強烈な衝動にかられた結果をまとめたものだ。
     
     
     「すべての始まり」で書ききれなかった部分を文章にするためにスタートした「夢と夕陽」は、YOSHIKIの突出した才能と孤独を描き、途中からリアルタイムで X JAPANの活動が素晴らしい展開を始めた結果、そこから見えてくる『Xの輝く未来』を、しばらく書き続けた。
     
     そして「ART OF LIFE」の音楽的な解説と3年間にわたる制作の想い出を綴り、さらに今までどこにも発表したことのない『メンバーとの出会いから契約に至るまで、ソニーミュージック社員だった僕がしていこと』をリアルに、詳しく綴った。
     
     ソニーミュージックとの契約後については「すべての始まり」に詳しく書いてあるので、これで僕が描きたかったことは、ほぼ書き終えた。
     
     僕の心に刻み込まれた「Xの物語」は、過去で終わったわけではない。現在も生き続けているし、まだまだこれから続いていく。
     
     それはXのメンバーと運命共同体が創っていく、永遠の物語だ。
     
     これほど素晴らしい物語が続いていく源には、YOSHIKIという人間の生きかたとその人生がある。
     
     だから僕はこれからもYOSHIKIを見つめ続けたいと思う。
     
     誰よりも音楽を愛し、納得のいく名曲を生むためにあらゆる能力を使って全力で生き、たくさんの愛に守られながら、フロンティア(開拓者)として世界を変えていくYOSHIKIを。    さて、【夢と夕陽】はいよいよ最終章となるのだが、最後に、ある文章の解説をしてみたいと思う。
      1988年から「文字を書かない作家」として『Xという物語』を心の中に刻み続けた僕だが、そんな中、唯一文章として書き残していたものが、アルバムなどのブックレットに記載されているライナーノーツだ。 それぞれのライナーノーツは「Co Producer」としてメンバーと共にアルバムを制作していた僕の立場からアルバムの解説をしたものだが、実は意図的に「今のX」と「未来のX」、そして僕のXへの深い想いを、その文章の中に忍ばせていたのだ。
      今回は『夢と夕陽』の締めくくりとして、今まで僕の心の中だけにあった『ライナーノーツに込めた秘かな想い』を綴っていきたいと思う。 (解説するライナーノーツは「BLUE BLOOD」「Jealousy」「VISUAL SHOCK Vol.4 破滅に向かって 」「ART OF LIFE」の4作品に掲載されたもの)   1. 「BLUE BLOOD」のライナーノーツに込めた想い 
  • 特別掲載(津田直士 資料室)

    2021-09-02 09:00  
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       2015年7月5日に配信されたブロマガ記事を復刻版としてお届けします
    オリジナルは https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar825307 になります
     僕が、Xの制作をしていた当時の想い出と共に、大切に保管してある数々の資料。
     その一部を以前、2013年の9月に「津田直士 資料室」と題してご紹介しました。  https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar338685
      https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar344341
      https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar350842
     3回にわたって掲載したその資料を今回、再びまとめ、新たな資料も追加して掲載します。
     レコーディング時に使用したノートや譜面、詳細なスケジュールなどを改めて見ていると、当時の記憶が鮮やかに蘇ります。
     濃密な時間の連続。
     闘いの日々。 本当に命がけでした。
     そして何より、音楽に対する情熱がとてつもなく強かったことを、残された紙が語りかけてくれます。
     資料をご紹介しながら、そこに眠っている当時の空気も、僕なりにお伝えしていきたいと思います。
     ぜひ楽しんで下さい。( ※ 過去の資料をご紹介する上で、当時関係していた人達に迷惑がかかったりすることのないよう配慮し、基本的には僕自身が記したまたは監修した資料、及び僕の視点に基づいて選択された公式な資料に限定していきたいと思います。)
     ではまず最初。今回は僕が「ART OF LIFE」のレコーディング中、1993年に書き上げた、ライナーノーツの手書き原稿です。
     
  • 復刻版【夢と夕陽】21. 横浜アリーナ公演で僕が確信した X JAPANの今と未来 ①

    2021-09-01 19:00  
    220pt
    2014年10月7日に配信されたブロマガ記事を復刻版としてお届けしますオリジナルは https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar637742 になります 多くの人たちの感想に表れているように、横浜アリーナ公演は、かつてのX JAPANにはみられない豊かさと幸福感に満ちた、素晴らしいステージだった。 YOSHIKIのDrums演奏は、鍛え抜かれた身体によるものだろう、速い曲が連続する2日間にわたるステージでも余裕を感じるほど素晴らしかったし、TOSHIの声は30年近い歴史の中で、最もコンディションが良かったように感じた。 そしてSUGIZO、HEATH、PATAの見事な演奏。5人の演奏とパフォーマンスは、スーパーバンドというより、結成してまだ数年、まだ20代前半の最も勢いのある若手バンドのような一体感に溢れていた。 そして何より、演奏レベルの高さやファンの期待にちゃんと応える圧倒的なパフォーマンスは、完全に世界レベルだった。 そのステージをじっくり観ることができた僕は観ているうちに、ある確信が揺るぎないものになっていき、過去27年にわたる長い年月を想い、とてつもなく幸せになり、いつしか我を失うほど心を震わせていた。 メンバーと一緒に闘っていたあの頃、気がつくといつも、悔しさや幸福感でよく泣いていたものだけれど、今回のステージを観ながら流した涙は、過去のどんな涙とも違う、新しい涙だった。 その涙は、予想通りX JAPANの「輝く未来」がちゃんと見え始めた、という幸せの涙だったかもしれない。 これまで綴ってきた通り、桁外れに強いYOSHIKIがちゃんとそこにいてくれた、という感動の涙だったかもしれない。
     あるいは、X JAPANを守り、ずっとメンバーの心を支え続けている、運命共同体の愛の力を改めて感じ、自分もいつの間にかそのひとりになり始めている、という喜びの涙だったかも知れない。 何より、世界で今、一番幸せかも知れない、子どものような、いや、赤ちゃんのような、メンバーの屈託のない笑顔を見て、心から安心した涙かも知れない。 そして、それがどんな涙であれ、僕は泣きながらその涙がもたらしてくれる新しい幸福感に包まれていた。 それは過去、Xに、X JAPANに、メンバーに、外から持ち込まれたあらゆるネガティブな要素や記憶を、すべて消し去ってくれるほどのとてつもなく強いエネルギーを感じたからだった。
     いや、それだけではない。 そんな「夢のような今」を生み落としてくれた源が一体何なのか・・・。その答えが、今回のステージではっきりしたからだった。 今回から僕がこの連載で書いていくことは、すべて、今回の横浜アリーナ公演で見えた「答え」だ。 X JAPANというバンドとそのメンバーが、なぜこれから「輝く未来」を手にすることができるのか、そしてそのことが、普通の日本のアーティストにとって、なぜ、どれだけ、困難なことなのか。 その「答え」を、きちんと書いてみたいと思う。
       1. TOSHIの今   2014年9月。 僕は、外国特派員協会の会見に臨むTOSHIの映像を観ていた。 そのちょっと前、世間を賑わした洗脳にまつわる話題については興味が湧かず、一切の情報から距離を置いていた僕だったが、この記者会見は、バンドの現況について語る部分が感慨深い、という知人の話を聞いて興味が湧いたのだった。 見終わった僕は、ああTOSHIらしいな、とか、この子、本当に奇麗な日本語を使うよなぁ、などとしばらく穏やかな気分だったが、先に控えている横浜アリーナとMSGの公演に想いを馳せた途端、何か大切な答えが見つかった気がして、しばらく考え込んだ。 そして突然、僕は明るい気持ちになった。 ちゃんと、ある確信が持てたからだ。 「もう大丈夫だ・・・」 そして、僕は唐突にある光景を思い出した。 1991年9月。 僕は、二人だけの部屋で、TOSHIと向かい合っていた。  
  • 復刻版【夢と夕陽】 ⑳ X JAPANのライブ その魅力の秘密〜なぜ X JAPANとファンは1対1の関係なのか

    2021-09-01 09:00  
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    2014年9月30日に配信されたブロマガ記事を復刻版としてお届けしますオリジナルは https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar633361 になります 日常の何気ない会話の中でたまたま、僕が「BLUE BLOOD」と「Jealousy」そして「ART OF LIFE」をメンバーと共に制作した人間だ、と気がつき、実は私、X JAPANのファンなんです…と、その相手が話し始める瞬間。
     
     なぜみんな、同じような表情をするのだろう、と僕は興味深く思う。
     
     「何か素敵なことが始まった」というような、期待のこもった特別な笑顔。
     
     「共犯者のように」密やかで、でも湧き出る感情を抑えきれない喜びの顔。
     
     でもどこか、もう分かった以上「わざわざ言葉にしなくても通じるから大丈夫」といった安心感が伝わる、豊かな雰囲気。
     
     僕はそんな空気に、いつも、X JAPANとファンという関係が持つ圧倒的な深さを感じる。
     
     そして、その深さを生んでいる楽曲の凄さと、自分と闘い続けたメンバーの生き方に、改めて感動し、幸せになるのだ。
     『 X JAPANのファンに初心者はいない 』
     
     これは僕が思う、X JAPANというバンドの真理だ。
     
     ちょっとしたきっかけでX JAPANの音楽を聴いたり、そのパフォーマンスに触れたりして、何かが心に響いた瞬間から、その人はコアファンになってしまう。 X JAPANは比較的好きだけど、まだそんなに深く音楽は聴いてなくて…といった人は、ほとんどいない。 そんな真理を表現した言葉だ。
     
     もう一つ、X JAPANとファンの関係について、僕が思う真理がある。 それが、こちら。
     『 X JAPANとファンは常に1対1の関係 』
     世の中には、「人気のあるもの」はたくさんある。
     
     そして多くの人は「人気のあるもの」が好きだ。
     
     そういう人たちは、「今、人気のあるものは何か」ということに常に興味を持ち、情報を得るとそれを体験しようとする。
     
     そういう人にとっては、「人気のあるもの」の「本当の価値や魅力」の前に、まず「人気のあるものであること」が大切だったりする。
     
     そういう一般的な風潮を踏まえた上でよく考えてみると、ファンが惹かれるX JAPANの魅力は「人気のあるもの」というところにはない、ということに気づく。
     
     他の人たちにどう人気があるか、というポイントは、X JAPANに惹かれる人にとって、興味の対象ではない。
     
     そこにあるのは、「その魅力を知ってしまった自分」と「X JAPANというバンド」の関係だけだ。
     
     つまりX JAPANのファンにとって、X JAPANの人気というのは、さほど重要なことではない。
     
     そう、すべては自分がひとり、発見してしまった、X JAPANというバンドの魅力と、自分という関係だけ、つまり「1対1の関係」なのだ。
     

     
     これは興味深いことだ。
     
     何万人ものファンが集うライブ会場は、X JAPANのメンバーが登場して演奏が始まった途端、ひとつになる。
     
     といっても、ファン同士が横につながっているわけではない。
     
     むしろ、どんなアーティストよりもその関係は1対1なのだ。 にもかかわらず、ライブが始まると全員が一つになる。
     
     でもよく考えてみれば、これは当然のことだ。
     
     会場がひとつになるのは、その中心にある「X JAPAN」というバンドと、何万人というファンの関係が強い絆で結ばれているからこそ、だからだ。
     
     前回僕が書いた『会場の一番後ろから、ファンとメンバーがひとつになっているのを観て僕が泣いた』理由は、その1対1の関係の深さを感じたからだ。 そしてまた、当時の僕が毎回号泣していたもう一つの理由は、メンバー側の気持ちも良く知っていたからだ。 
  • 復刻版【夢と夕陽】 ⑲ ファンが見つめるXというバンド

    2021-08-31 19:00  
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    2014年9月23日に配信されたブロマガ記事を復刻版としてお届けしますオリジナルは https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar627951 になります 2010年  夏。
      電話の向こうから聴こえてくるTAIJIの声はとても明るかった。  「…そうなんですよー。だからさぁ、津田さん、絶対観に来て欲しいんだよねぇ。」  「そうだったんだ・・・。いや、最高じゃんか。すごいじゃん、たいちゃん。。ああ……俺、めちゃ嬉しいよ、それ。」
     「ははは、そうでしょ、そうなの。だから、絶対観に来てね。待ってるから。ああ、津田さん、ちょっとさぁー、としくんに代わるから…」  TAIJIから電話を代わったTOSHIは笑いながら、そういうわけで、久しぶりにTAIJIも出るんで、是非観に来てやって下さい、チケットを用意しておきますからー、と、これまたとても明るい声で僕に説明した。
      了解、ありがとう、すごく楽しみにしてる、そう言って電話を切った僕は、明るいTAIJIの声に安心した。  ちょうど半年前の冬、僕のアトリエへ突然遊びに来てくれたTAIJIは元気で、作品と音にこだわる、いかにもTAIJIらしい音楽的な話をたくさんしてくれたけど、身体がベストじゃないからさぁ・・・と話す時だけ、とても寂しそうな表情を浮かべていたからだ。

     電話の向こうから聞こえた元気な声には、これから18年振りに昔のメンバーとライブをやるんだ、という喜びがこもっていた。  きっとTOSHIと楽しく話していて、その流れで盛り上がりながら、僕に電話をして来たんだろうな、そんな状況も鮮やかにイメージできたから、僕は暖かい気持ちに包まれた。

        懐かしい、あの頃の記憶と重なるからだ。  (そうだ、TAIJI、その調子だよ。気持ちが明るくなれば、身体もきっと今より良くなる…)心でタイジにそう伝えて、日産スタジアムの公演を僕は心待ちにした。  8月14日。野外のライブらしく、湿気を帯びた真夏の暑い空気が、広い会場でライブを待ち望む6万人の期待を包み込んでいた。
      開演間近、関係者から渡されたチケットを係員に見せ、誘導してもらった僕は驚いた。
      その席が、今まで経験したことのない、限りなくステージに近い席だったからだ。 確かにスタッフであった頃は、会場のどこにいようがフリーパスだったけれど、一度観客が入場したら、観客のためのエリアはファンの神聖な場所として、近づくことはなかったからだ。  席につくと、僕は公演前のステージを、後ろを振り向いて6万人がぎっしり詰まった広い会場を、次に上を仰いで夕暮れが近づく空を、そして周りを見回して近くの席にいる興奮を抑えきれない表情のファン達の様子を、そしてまたステージを…  そうやって、何度も何度も、会場全体の雰囲気を確認した。  そして、いよいよ本格的に世界展開をスタートした新しいX JAPANのライブと、18年振りにメンバーと共にステージに立つTAIJIに期待しながら、僕の意識は瞬間、ちょうど20年前の1990年にタイムスリップしていた。  
  • 復刻版【夢と夕陽】 ⑱ 1991年11月13日 横浜アリーナの夜

    2021-08-31 09:00  
    220pt
     2014年9月16日に配信されたブロマガ記事を復刻版としてお届けしますオリジナルは https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar623518 になります同時期の 特別寄稿 もあわせてごらんください 1991年11月13日。 僕はメンバーから浴びたビールまみれになっていた。 横浜アリーナで行われた、Violence In Jealousy Tourのファイナル。 2Daysの最終公演と4ヶ月にわたるアリーナツアーが無事終了した後の、広い打ち上げ会場は、明るい照明の下、恐ろしいほど盛り上がり、笑い声とアルコールの香り、そして明るい興奮に満ちあふれていた。 ボーカルTOSHIの声が枯れているのは素晴らしいパフォーマンスの結果だけれど、僕を含め、TOSHI以外の人間の声がひどく枯れているのは、ツアーが無事終わった喜びに、大量のアルコールを浴びながら叫び続けた、または吠え続けた結果だった。 ビールまみれになりながら、反撃でビールを掛けるためにメンバーを追いかけながら、ここまで明るくはしゃいで全国ツアーの最終日を迎えたことが、過去一度もなかったことに、僕は気づいた。 そして、V2の制作やNHKホールのオーケストラコンサートなど、まだまだ忙しい最中ではあったけれど、命を懸け、身を削るような闘いが、そろそろゴールに近づいているという確かな感覚が、明るい会場の雰囲気と共に、僕自身の心の中で強くなっていった。 大学生の頃から酒を飲むことが好きになり、酔うほどに明るく、熱くなる感覚と共に、数えきれないほどの「自由な夜」を経験してきた僕だけれど、ここまで強い高揚感と達成感、そして喜びと興奮に満ちた「自由な夜」は、間違いなく初めてだった。  ちょうど半年前。健康に問題があったわけではないが、果たしてこの後普通に生きていけるのか、それとも死が待っているのか、それすら曖昧になるほど朦朧とした異常な精神状態の中、ラストスパートを懸けていたLAでの日々は、無事、帰国を果たしても、そのまま徹夜続きの毎日へとつながり、長いレコーディング中にリリースは絶望的かも知れないと思ったことすらあったアルバム「Jealousy」が奇跡的な作業の連続の結果、無事マスタリングに辿り着き、数ヶ月振りに人間並みの夜を迎えた直後、今度は全国アリーナツアーの準備とシングルのレコーディング準備に突入、再び睡眠時間を削る毎日が始まった先には、3年前、夢にまで見た東京ドーム公演が待っていた。 そして初の東京ドーム公演が終わった後、僕は深い感動と引き換えに、体調の崩れと極度の不安感に襲われ、その微妙な感覚を引きずったままAlbum「Jealousy」の発売を迎え、続くシングルのライブ音源収録という責任を抱えつつ、ツアーに同行した。 そしていくつもの公演を終え、迎えた10月24日。