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【 タブーと自主規制(2) 】
2014-04-30 08:30398pt「本当はタブーなんてないのに、勝手に自己規制をしているのが日本のマスコミだ。記者やディレクターたちは勝手に自己規制をして、勝手にタブーのふりをしている。これが最大の問題だ」
こう言い切った田原さんの発言を端緒に、議論は白熱していく。
「政治家に質問できない政治記者が増えた」
「論争になることを避けようとする」
「ディレクターが上司から怒られることを嫌がって勝負しない」
こうして自主規制をテーマに話が広がっていった。
確かに日本のメディアの「タブー」と言い訳される自主規制はヒドい。
1999年、私がニューヨークタイムズに入った際に一番驚いたのは、ほかでもない日本のメディアとの「タブー」における感覚の違いだ。それは善悪の問題ではなく、根本的な価値観の違いだとシンポジウムの冒頭でも私は述べた。
ニューヨークタイムズでは「自主規制」は明確に「恥」であり、ジャーナリズムにおける「罪」であっ -
【 タブーと自主規制(1) 】
2014-04-29 10:00398pt下村満子さん主催のシンポジウム「下村満子の生き方塾」に参加した。
朝日新聞では細川護煕元首相と同期、初の女性海外特派員でもあり、さらに『朝日ジャーナル』の編集長も務めた下村さんは数々のタブーを打ち破って来た、メディア業界では「超」が付く有名人である。
その下村さんから「ジャーナリズムの現状を話してちょうだい」と頼まれたのは2月のことだった。登壇者は新聞やテレビ界の大御所たちだという。
下村さんとは、震災直後から福島(下村さんの故郷)の復興・支援に取り組み、佐藤栄佐久前知事ともお互いに知己ということもあって、共感し得る部分が多かった。
その下村さんが熱意をもって誘ってくれたことに心を動かされた……、というよりも、いまや日本の記者クラブメディアでの「タブー」となっている私(上杉)を呼ぼうとするのだから、きっと何か企んでいるにちがいないという悪戯心が働いたのが正直なところである。
寒 -
【テレビが自由だったあの頃 『週刊リテラシー』始まる】
2014-04-12 15:00398ptテレビが自由だったあの頃…それはそんなに昔のことではない。
あの頃、現場にはよい意味での緊張感が絶えず、演者もスタッフも、時にはプロデューサーでさえ、それを楽しむ余裕があった。
私が、テレビの世界に最初に足を踏み入れたのは90年代前半のことだった。渋谷のNHK放送センターの報道局ニュースセンターから毎朝放送されるニュース番組のスタッフというのが最初の仕事だったのだ。
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【 岩上安身氏のテレビ復帰を歓迎する 】
2014-04-02 08:30398pt春の改編期、久しぶりに岩上安身氏の顔がテレビ画面に映し出された。テレビ朝日の朝の情報番組、毎週一回のレギュラー出演だという。
並びのコメンテーターを観れば、高木美保さん、舘野晴彦さんと「とくダネ」の元レギュラー陣ばかりだ。視聴率競争で勝ったテレビ朝日がフジテレビからコメンテーターをも獲得したという、わかりやすいテレビ局の力関係を見るようで興味深い。
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