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記事 10件
  • 世界遺産「富士山」は本当に美しいか?

    2013-06-28 08:30  
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    ようやく富士山が世界遺産に登録された。日本の象徴ともいえる「SUSHI」「KARATE」くらい有名な「Mt.FUJI」が、2007年6月の暫定リスト入りから6年を経て、やっと「世界」(でもないのだが、メディア報道ではそうなっている)から認められたのだ。喜ばしいことではないか! 朝から晩までメディアの中の人々が喜んでいるのだからきっと「慶事」に違いない。しかし、いまや世界遺産は900を超える。そのうちのひとつに登録されたことがそれほど価値のあるものかどうか、私には甚だ疑問だ。世界遺産委員会は、当初の慎重な姿勢から一転して、この十数年、ずいぶんと乱発気味に「インフレ化」に舵を切った(1978年第一回登録はわずか12件、現在は960件を超えている)。その件に関して、私自身、ここ数年何度も言及してきたし、せっかく盛り上がっている「日本」(のメディア)に「水を差す」ようなことをしたくないという気持ちもある。だが、私が水を掛けなくても、しっかりとぶっかける人は存在するのだ。ある意味、富士山の世界遺産登録にもっとも貢献した野口健さん、その人である。 
  • 本当の政治ジャーナリストとは?

    2013-06-27 08:30  
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    尊敬する政治ジャーナリストを挙げよ、と聞かれると私は迷わず藤本順一さんの名を出すことにしている。10年前、こう答えると大抵の新聞記者やテレビ記者、あるいは雑誌編集者たちですら怪訝な顔をしたものだった。「もっと有名な人ではないんですか?」「立花隆さんとか筑紫哲也さんとかにはなりませんか?」こう言ってくる記者もいた。私は笑いながら、こう返したものだった。「立花さんや筑紫さん、あるいはテレビに出ているコメンテーターの中でも、藤本さんにお世話になっている人、たくさんいますよ、あなたの会社の上司もね」実際、藤本さんの政治報道の深さとその政局観は舌を巻くものがある。議員秘書を経験した私は、日本の政治報道の偽善性に嫌気が差していた頃だっただけに、藤本さんとの出会いは新鮮だった。こう書くと僭越かもしれないが、政治のなんたるかを最もよく理解している政治ジャーナリストのひとりが藤本さんであったのだ。その鋭さはいまなお衰えていない。 
  • 中学教師と放射能~被曝の真実

    2013-06-26 08:30  
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    中学校の教諭にあまりよい思い出はない。
    暴走族の友人とつるんでいただけで内申書の点数を削られたり、クラスメートが家出しただけで往復ビンタを喰らったりと(いまだに理由は不明)、中学時代、私にとっての教諭はすなわち「敵」だった。
    先日、久しぶりにある中学教諭と再会した。川根眞也さん、現役の中学校の教諭である。
    川根さんは私の「恩師」ではない。初対面は2年前、私がキャスターを務めるテレビ番組『ニュースの深層』(現「深層の火曜日」)にゲストのひとりとしてお越しいただいたのが初対面だ。
    「埼玉県の私の学校の周辺ですらいまだに低くない空間線量が認められるんです。とくにあの年の3月15日は一マクロシーベルトを超えて、とんでもないことが始まっているんだなと緊張し、生徒たちには(学校として)自宅待機を命じたのです」
    中学校教師という職業だけで川根さんを考えると間違いを犯す。かれは教諭というよりもジャーナリスト、いやむしろ「伝道師」ともいうべき人物だ。あの当時、日本において被曝の危険性を訴えることがどれほど厳しいことだったかは、当事者でなければ理解できないだろう。
    私自身も驚くほどの誹謗中傷を受けたが(いまなおそれは続いている)、川根さんは、その比ではないかもしれない。
    なにより、当時、私はジャーナリストだったが、川根さんは公職に就く中学教諭だったのだ(現在も)。
    教育委員会だけではなく、メディアの報道を信じたPTAなどから相当の圧力と非難があったことは想像に難くない。
     
  • 「安倍政権。おとなしい記者たち――」

    2013-06-25 08:30  
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    先週、政権中枢の人物と会食した。ジャーナリストを休業してからこうした機会が増えた。取材ではないという安心感からか、先方からの誘いも少なくない。これまでは違った。何かの会合でたまたま同じテーブルに着いても「これは書かないでください」「これは取材じゃないですよね」といちいち確認を求めてくるほどだった。「こうした取材はしない」、「オフレコを破ったことはない」と返しても、疑念の表情が晴れることはなかった。無理もない。1999年にジャーナリズムの世界に入って以来、私は、永田町や霞が関、あるいはマスコミなどに「敵」を作るような記事ばかりを遠慮なく書いてきた。一貫して、公権力、およびメディアの問題以外は扱わないというスタンスから逸脱することはなかったが、書かれた方からすればそんな理屈はどうでもよく、書かれる「恐怖」を感じるのは当然だったのかもしれない。さて、最近、そうした過去の取材対象と話していて、異口同音に出てくる言葉があったので書き留めておこうと思ったのだ。 
  • 編集長たちの夜~日本のジャーナリズムの未来(後編)

    2013-06-21 08:00  
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    そういえば、休業宣言してから2年以上が経つ。日本国内での取材活動を止めてからでも1年半が経過した。私は編集長たちに最近のネットジャーナリズムの現状を報告した。「で、そのネットからは新しい人材がでそうなの?」「上杉君のところの自由報道協会を注目していたがあれじゃダメだな。取材よりも活動になっている。あれではジャーナリズムとはいえないよ」「ネットなら、津田大介とかは?」「あれを取材というのか?」「では、おしどりマコなんかは? 何年後かは出てくるんじゃない?」 
  • 編集長たちの夜~日本のジャーナリズムの未来(前編)

    2013-06-20 08:00  
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    昨夜、久しぶりに雑誌の編集長たちと食事をした。愉快だった。いやある意味では不愉快だったといえる。なにしろ、取材者の苦労や厳しさをもっとも知っている人物たちである。前の世紀から取材と執筆の苦労をともにし、少なくとも日本の雑誌ジャーナリズムの一翼を担ってきた人々である。ジャーナリストとして共通の言語と体験を前提とした会話は楽しくないはずがない。実はあの時の取材はこうだったとか、あの記事の失敗の原因はあれに違いない、などと話すだけで、厳しいながらも豊かな時間に戻れることができたのだ。私自身で言えば、橋本、小渕、森、小泉、安倍、福田、麻生、鳩山、菅政権の9政権(野田政権以降は休業に入っている)、15年近くに及んだ政治取材活動は、確実にその後の活動の基盤になっている。たとえば、メディアカンパニーNOBORDERの活動基盤は、まさしく当時の人脈や経験の延長線上にあり、彼ら編集者たちから学んだことが良きエッセンスとして生きている。一方で、編集長たちに共通の感覚として日本の出版ジャーナリズムへの不安が大きくなっていることもわかった。 
  • 一周忌 あるジャーナリストとの「約束」

    2013-06-14 12:00  
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    きょう(6月12日)、日隅一雄さんの一周忌を迎えた。東京電力福島第一原発の事故直後から鬼気迫る勢いで取材を続けた第一人者、癌に身体が蝕まれていることを知ったのちも東京電力の会見に通い続けた「真に国民栄誉賞に値する人物」(上杉)が亡くなって、もう一年が経つ。この間、様々な人々が、様々な思惑で彼について言及してきた。死後になって急に日隅さんとの信頼関係を強調する人、ありもしない約束をでっちあげる人、さもしいこの世の現実を目の当たりにして、私は、静かにそうした人々と距離を置くことに決めた。なにより、それは日隅さんが求めていないことだろうし、この世を去った日隅さん自身が「地獄」(日隅さん自身は天国じゃなくて地獄に行くと自ら冗談めかして語っていた)から、きっと怒りの目で見ているに違いないとも思える所業の数々であると確信しているからだ。それはさて置き、病院に駆けつけたあの夜以降、私は、自分の心の中で勝手に冥福を祈り、自らの方法で日隅さんを追悼することに決めている。墓参りも行っていない。遺族との連絡は年頭を最後に取っていない。それで十分だということは日隅さんが一番理解してくれているだろう。さて、きょうは一周忌、生前(といっても私と日隅さんの付き合いは本当に晩年に限られるが)、日隅さんと私の間で交わされた当時の「約束」をここで簡単に披露したい。いまだ終わっていない原発事故、そして、ほとんどのことで考え方が一致しなかった私と日隅さんの間で、不思議なことに原発事故とジャーナリズムの在り方については同意一致していたものが多かった。その共感の交差点がある「約束」となって、日隅さんと私の短くはあるけれど友情になっていたのだと思う。 
  • メディアの政治報道でみる「選挙は必要悪」か?

    2013-06-06 20:00  
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    参院選が近づき、永田町にも独特の活気が戻って来た。政治家は選挙で規定される。選挙経験のある者であるならば、それが候補者であろうと運動員であろうと、誰であれ、この言葉を否定するのは難しいだろう。選挙を汚らわしく、まるで「必要悪」であるかのようにみる風潮は、おそらくメディアの影響だろうか。きょうもまた、テレビでキャスターやコメンテーターたちの、政治家は選挙のことばかり考えているという批判にぶつかった。その浅薄な表現にこそ、政治を理解していない者たちの限界が見てとれる。選挙を完全に無視した活動を行う政治家は偽物である。政治家は、選挙、あるいは選挙活動を通じて、有権者の拾い集め、世論の方向性を感じ取り、自らの政策に反映することができる。それは、テレビやインターネットの発達した現代においても変わらぬ政治の現実である。実は、日本の政治報道が、政治や政治家の実態を映さず、大きく現実と乖離してしまっているのは、「選挙」についての認識にこそあると私はみている。 
  • 原発賠償特例法可決に思うこと

    2013-06-03 08:00  
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    5月29日、参議院本会議で“原発賠償特例法”が全会一致で可決した。これは東京電力福島第一原発事故の被災者が、民法上の損害賠償請求権の時効(3年)にかかわらず、東電に賠償を求めて提訴できるようにするものだ。もちろん、当然の可決であり、この事故が一体いつ終息するのか解らない状況で、何年先に発症するか解らない健康被害を含め、民法上の通常の期間を当てはめること自体ナンセンスな話である。原発事故のあった2年前、「放射能は飛んでいない」、「(2011年の4月17日の段階で)原発事故での原状回復は9ヶ月で戻します」などと国や行政は発表し、それを多くの大手メディアは報道していた。それに対し私は、「国、行政ならびに大手メディア必ず態度を翻しますよ。裏切りますよ」と言い続けてきた。その結果がどうだったか、現状をみれば明らかである。 
  • 取材なき記事が紙面を飾る悪しき習慣

    2013-06-01 09:00  
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    先日、ヤフーニュースランキングで1位になっていた次のような記事が目についた。<栗原類、マスコミの“手抜き”報道を痛烈批判 「いいねー 楽して稼げる」>記事内容の是非を問うているのではない。問題は記者のあり方と取材方法だ。大手メディアの記者たちの劣化がここまで進んでいるのかと呆れてしまったのだ。「今の記者の人達って放送されたバラエティ番組を一時間見て記事に出来るなんていいねー」(栗原類のツイート)栗原さんの言う通りだろう。取材もしない記者を記者とし、その人物の書いた記事をニュースといえるのか? 同様の疑問は私が提起し続けてきたことでもある。この記事を書いた記者は自分の仕事を自己否定しているのではないか。これを記事というのならば、読者はニュースの当事者の発表しているブログやツイッターなどをみて、一次情報にアクセスすればいいのだから。完全に読者をバカにしているとしかいいようがない。これが取材だって言うのなら、誰にでもできる。そう、まさに今春、ダルビッシュ有がシーズン開幕前、同じくツイッターで「俺にでもできるぜ」とツイートしたことがあったことを想い出す。