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  • 山田玲司のヤングサンデー【第17号】「誰かを傷つける言葉」は使ってはいけないのか?

    2015-01-27 07:00  
    220pt
    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 山田玲司のヤングサンデー 第17号 2015/1/27 「誰かを傷つける言葉」は使ってはいけないのか?
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    今回、新しく始まる連載漫画作品には、何だかんだの打ち合わせを経て、すでにタイトルが決まっておりました。
    放送で何回も言っていた 「メンヘラブートキャンプ」 です。

    このタイトルは、去年の夏くらいに唐突に 「メンヘラっていう言葉から1番遠い言葉は ブートキャンプ だな」 と思いついて「メンヘラブートキャンプ」と書いてみるとなかなか新鮮だったので、何かと使っていたのです。

    新作漫画のアイデアは 「心療内科版のブラックジャック」 だったので、このタイトルにするのもいいんじゃないかと思っていました。何しろ「響き」が新鮮です。誰に聞いても笑ってくれるし、評判もいい。
    ネットの世界ではパッと見で興味を持ってもらってクリックしてもらう必要がある ので、その点でもかなりいいだろうという計算がありました。

    とはいえ、当初から引っかかっていた問題がありました。
    それは 「メンヘラ」 という言葉が精神の病で苦しんでいる人を侮蔑的に表している言葉だという指摘 です。

    僕は 自分自身がちょっとしたメンヘラ で、心療内科のお世話になっていた「当事者」なので、 むしろ「ブートキャンプ」みたいなノリで「心の病」を笑い飛ばしてもらいたい という思いがありました。なので「メンヘラ」という言葉の使用は僕にとってはむしろ「良い意味」だったし、すでに 「メンへラちゃん」 という漫画も存在して単行本も出ています。

    とはいえ「心の病」で苦しんでいる人のすべてが僕と同じ思いとは限りません。

    「お前なんかメンヘラじゃねえか」 と言われて傷ついた経験が心に残っている人もいるかもしれません。
    そうなるとインパクトがあるとかいう理由では通じないとのこと。
    とにかくタイトルは別の案を出すことにしました。


    僕は大手の出版社で仕事をさせてもらってきたことが多いので、こういう事は日常茶飯事でやってきました。
    サブタイトルで 「サイコパス」 というのを書いたら、止められたこともありました。(それが後にアニメ作品のタイトルに普通に使われていたりして、なんともいえない事も多い世界です)

    この件はいわいる 「言葉狩り」 と 「過剰な自主規制」 や 「クレーム対策」 みたいな問題です。
    「表現の自由」と「人権」の対立の話でもあるし、「表現の本質をないがしろにして役人的対応をしてやり過ごすか?」「社会を変えるために戦うか?」みたいな話でもあります。

    僕もかつては 「本当の意味で傷つくってのは 無視 じゃないのか? 実際に使用されていいて、それに傷ついている人がいるなら、それを 無い事にして物語を作る ことは、当事者にとってかえって酷い行為なんじゃないか?」 なんて言ってジタバタしていました。



    この問題で表現の自由を守るために戦うのも大事な事だと思います。でも、 その効果は空しいものです。
    戦うことでエネルギーを消耗してしまって、本来の創作行為に影響する事もあります。
    「表現の自由」を獲得する戦いだけをしていたら、人生は摩耗してしまい新作も出せなくなっていきます。


    どっちにしても 「言葉狩り」「クレーム対策」などの「言えない空気」が増大していくこの国では、そもそも 「心の病」 を扱った漫画を(自由には)描けない のです。
    「誰かを傷つける言葉を使うな」という問題は、実は当事者の問題というより 経済的、文化的に行き詰った中で出てきた「正義原理主義」の台頭で、「良い子」を量産して幸福の本質をないがしろにしてきた先に生まれた「何かしらの怪物」 なのだと思うのです。
    誤字を過剰に笑ったり、少しでも過激な事を言って目立つと叩くのもこの傾向から生まれていると思います。

    単純に言えば 「資本主義の末期、いい子の狂乱」 でしょう。

    この状況は長引くでしょう。ましてや個人の力で変えられるほど甘いものではありません。

    ではこの「自由に描けない空気」の中で表現をするにはどうしたらいいか?


  • 山田玲司のヤングサンデー【第16号】「甘えるんじゃない」と言ってくる人の対処法

    2015-01-19 07:00  
    220pt
    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 山田玲司のヤングサンデー 第16号 2015/1/19 「甘えるんじゃない」と言ってくる人の対処法
    ─────────────────────────────────── 手塚治虫の漫画には 「甘ったれるな!」 と言われて殴られる シーンが何度も出てくる。 主人公の子供や女の子が殴られるシーンも多いのだけど、 普段は「良い人」のキャラクターもしばしば「甘ったれるな」と言って殴っている。 あの人情家のブラックジャックですら何度も人を「甘ったれるない!」と言って殴っているのだ。 手塚先生は戦前の経済的、文化的に恵まれた家で愛情豊かに育っているのに、どういうわけだろう? これは 戦争経験のある世代が体験した厳しさ から来ているのだと思われる。 多くの戦争体験者が 「甘えは許されなかった」「よく殴られていた」 と言っている。 水木しげる先生の漫画でも、理不尽に殴られるシーンは大量に出てくる。 確かに 「甘えの許されない時代」 だったのだ。 ところが、 甘えの許されない時代が終わっても、世の中には 人が甘えているのを許せない人 が多い。 特に 「ゆとり教育」 を受けてきた世代に対しての「甘えるな」という批判は未だに続いている。 ゆとり世代から言わせれば、激しい同調圧力と陰湿なイジメ、逃げ場のない悲惨な家庭環境で、甘えたくても甘えられない人も多いのに。 単に授業時間が少なくなって休日が増えただけで「恵まれた世代」と言われるのは心外 だろう。 しかし、それ以前の世代がうらやましがるほど「ゆとり世代」に「ゆとり」があるとは思えない。 自由な時間を増やして、子供自身に考える時間や試験に出る勉強以外のことを学べる機会を増やすのが目的だった ゆとり教育 だが、「何を教えてもいい」と言われた教師や親が「国に指示をされずに自由に考える教育」ができなかったように見えた。 子供の頃から「こうしなさい」と言われて育った人間が教育の現場に行っていきなり「自由にやりなさい」と言われて、困惑した のだろう。 自由を奪われて、 良い子 をやって、先生になったのに、自由を与えられたとたんに、どうしたらいいかわからなかった 、というのは悲劇だ。 「こうしなさい」という指示に対する回答は常に「正確」でなければいけない。 そのための訓練を子供の頃からひたすら続けなければ「落ちこぼれ」てしまう。 そうなると職には就けない、ホームレスになると脅されるのが、子供時代だ。 人生が半ばになってようやく 世の中の構造 が見えくると、 答えは「正確」であるよりも「面白い」ほうが得だったり、指示に正確に答えても「幸せ」になれるわけではない ことや、 落ちこぼれても簡単には「ホームレス」にならない こともわかってくる。 自由に発想して「独創的」な仕事ができる人が大成功していく のを目撃する。 だけど、そんなこんなで「これはまずい」と思って、あわてて「独創的な発想」や「自由な生き方」なんかを志向しても、 この手の方向転換はかなり難しい。 慣れ親しんだ「正しいやり方」以外の方法はいきなりは出来ないからだ。 「こうしろ」という問題と回答のある世界から、「なんでもいい」という真っ白な紙の前に放り出された時、対応できない人が多いのは当然のことだろう。 そんな人にとって、 子供の頃から自由にやりたい事をすることを許されてきた人間 は「気に入らない存在」かもしれない。 たとえそれが 本人が選んだことではなく、たまたま生まれた場所がそういう場所だったからだ とわかっていたとしてもだ。 この社会には 「間違いを探す」という仕事 がある。 疑似脱字の処理や、計算ミスを探したりする仕事の類も多い。 そういう仕事には「独創性」より「正確さ」が求められる。 日本の教育はそういう類の仕事をするための人間を育てるものだった し、そういう人材が国際競争力のある製品を生み出すのに貢献してきたのも事実だ。 しかし、その種の産業が中国やインドに移行した後には、 独創性のない人間でなければ通用しない時代 が始まってしまった。 特にコンテンツビジネスや斬新なビジネスモデルの構築は 「真っ白な紙の上で自由に遊べる人」 が圧倒的に有利なのだ。 「甘えるな」と言われて、正確に答えを出せるように頑張っても、その先にかつての 「安定」 や 「満足感」 や 「豊かさ」 はないのだ。 そもそも人間にとって「甘える」ということは、そんなに悪い事なのだろうか?
  • 山田玲司のヤングサンデー【第15号】「さかなクン」の魅力とは?

    2015-01-05 13:30  
    220pt
    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 山田玲司のヤングサンデー 第15号 2015/1/5 「さかなクン」の魅力とは?
    ─────────────────────────────────── 明けましておめでとうございます!

    前回、 「幸せな時間とは、ただ地球がいつものように自転するだけのこと」 みたいな事を書いてましたけど、やっぱり 年末年始の特別な時間は面白い ですね。

    毎年年末になると 「さかなクン」 がメールをくれます。
    いつものテンションで、礼儀正しく 「今年もありがとうギョざいました!」 みたいな、素敵なメールです。

    彼が明るいのは、みんなにとっては当たり前の事かもしれません。
    さかなクンが鬱で 「みんな死ねばいいんだギョ」 なんて言ったりするのは有り得ないですからね。

    でも、実際今年、日本の海は 史上最悪の汚染 が広がっているのです。
    魚の研究で、海洋大学で講義をするさかなクンは、その事実を痛いほど理解しているはずなのです。