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2020年・女災を読み解くキーワード10!
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2020年・女災を読み解くキーワード10!

2021-01-01 20:29

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    ※この記事は、およそ13分で読めます※

     みなさま、早いもので本年も年を越してから20時間が過ぎ去ってしまいました。
     今年も8740時間を残すのみです。
     年賀状の準備はお早めに。
     というわけで、毎回年末か年始に行っている一年の総まとめです。
     2020年の初め(2月15日)に動画「風流間唯人の女災対策的読書」の第4回において、以下のように述べました。

    実は、ツイッターのフェミ批判界隈が去年辺りから「表現の自由クラスタ」の手から離れ、「非モテ論壇」化したという印象を、ぼくは持っている。

     今年はこのことを象徴する出来事が、あちこちで起こった一年だったのではないでしょうか。
     というわけでまあ、ワード1と2はその辺のことを念頭において、お読みください。

    ・ワード1「ペドファイル」

     ぼくが一貫してペドファイルについて、否、ペドファイルを持ち上げてはしゃぐ左派について批判的なのはご存じかと思います。
     2018年も白饅頭の著作がペドファイルが薄っぺらに擁護していることについて、批判しました*1
     しかし本年、青識亜論は実に熱心にペドファイル擁護を続け、底の浅さを露呈させました(言っては悪いけど、この人は政治的な立ち回りは得意でも、論理的に考える能力は低いとしか言いようがない。長文を書くようになってあっという間に馬脚を顕したように思います)。
     それが以下の記事ですが――。

    『ペドファイル利権を作ろう!』(愛称・ペドつく)
    ペドっ子大作戦――青識亜論「論点整理:少女型ラブドール規制論」を読む
    ペドっ子大作戦――青識亜論「論点整理:少女型ラブドール規制論」を読む(その2)

     彼ら自身に自覚があるかどうかは判然としませんが、彼らの物言いは「清浄かつ神聖かつ無辜のマイノリティ」をでっち上げ、それによる利権を立ち上げようという動機に強く根差しているようにしか、ぼくには見えない。
     また、彼らがペドをそんなにも迷いなく「キヨラカな弱者」にしてしまえる感受性も、奇妙としか言いようのないものなのですが、これは左派独特の「外部のものを崇拝する心性」の最悪の形での表れなのではないか……というのがぼくの分析です。
     即ち、近年の「表現の自由クラスタ」の「ペド擁護」の理由は、彼らが「オタク」だけを主語にしていては「持ちネタ」として弱いと考え始めているのでは、言い換えるならば「彼らがオタクから離反しつつある」ないし「オタクが彼らから離反しつつある」傾向の表れではないか、とぼくには思えるのです。
     これはまた、「異性愛」を否定したくて否定したくてならないフェミニズムが乗っかりたがる論法であることも、見逃せません。フェミがホモの味方をするのはそういう理由からです。
     柴田英里師匠が「異性愛じゃないから」という理由で熱いペド擁護を展開している様は、以下を参照。

    春一番 日本一の認知の歪み祭り! 「小児性愛」という病――それは愛ではない(その2)

     もっとも、ペドもまた男が幼女が好きであれば「異性愛」だと思うのですが、まあ、そういうリクツを超越しているのが、フェミのすごさです。

    *1 矛盾社会序説――表現の自由クラスタの、矛盾だらけの著作がネットを縛る

    ・ワード2「これからのフェミニズムを考える」

     正確には『シン・これからの「フェミニズム」を考える白熱討論会』みたいですが、まあ、どうでもいいし。何か討論会があったみたいですが、ぼくは足を運んだわけではありません(或いはネットイベントだったのかもしれませんが、それすら知りません)。
     ぼくにとって本件は単純に「坂爪真吾師匠と青識がつるんだ」ということ以上の意味を持ちません。
     坂爪師匠の本については夏に、しつこくしつこく採り挙げました。

    「許せない」がやめられない坂爪真吾
    「許せない」がやめられない坂爪真吾(その2)
    「許せない」がやめられない坂爪真吾(その3)
    「許せない」がやめられない坂爪真吾(最終回)

    風流間唯人の女災対策的読書・第10回『「許せない」がやめられない』


    風流間唯人の女災対策的読書・第11回『「許せない」がやめられない』(その2)


     動画を二本、文章記事を四本という大盤振る舞いで、ちょっと自分の著作をダシにされただけで過剰反応では……との感想を持った方もいたかもしれません。
     しかしこれはそれなりに大きな出来事だったと、ぼくは考えます。
     この数年のツイッター上におけるアンチフェミの流れ、表現の自由クラスタが騒いでいるだけであれば、「何か、オタクが騒いでいる」というだけで済んでいました。
     ひるがえって本件においては一応、一般的な業界で名のある人が、表現の自由クラスタに同調し始めた。即ち、「ツイフェミ」をスケープゴートにした「フェミ」延命に乗り出したわけです。
     まあ、坂爪師匠がそこまで有名人かはわかりません。アカデミズムの人ではなし、文筆家としてもプロではないでしょう(正直、本書の低質さは、語り降ろしをゴーストが無理にまとめたのではないか、と思っているのですが)。
     しかし一般的な業界で名のある人がこの流れを共有し始めたことは、それなりに重要です。原田実師匠、斎藤環師匠など、それなりに責任も名もある人が、この「ツイフェミ批判」に乗っかる傾向が、いよいよ顕著になってきました。
     繰り返すようにこれは「左派が仲間の中の後ろ盾のない弱い者を、スケープゴートとして殺す」卑劣極まりない行為であり、坂爪師匠の著書を見ればわかるように、必死になって殺している「ツイフェミ」と「本来のフェミ」がどう違うのか、どこをどう引っくり返してみても、わからない。書けば書くほど欺瞞が露わになる。
     そんな愚かな振る舞いを、責任のある者がし出したことが、ぼくとしては驚きでした。
     もう、彼らは進退窮まり、正常な判断力もなくなっているのでしょう。

     ――さて、しかし、では、何故「表現の自由クラスタ」はこうも急速に「オワコン化」したのでしょう?
     以下、ワード3、4、5、6ではその理由となるトピックスについて、見ていきましょう。

    ・ワード3「セカンドレイプの町」

     みなさんご存じでしょう。草津町の町長のレイプ疑惑にフェミが噛みついた件です。
     これ、一番重要なのは問題とされる町長に対して、被害者を自称する新井祥子町議が当初、(性暴力があったとされるその後も)好意を抱いていると述べていたことだと思うのですが*2。つまり新井町議は町長の自分への感情が変わったことを受けて、過去の経験を「性被害」だったのだ、実は嫌だったのだと後づけしたように思われるのです。
     これはまさにぼくがずっと言ってきた、「女災」そのものです。
    「女はウソを吐く」発言が叩かれたことは、左派がいかに「女のウソ」を「兵器利用」してきたかを表しています。
     白饅頭、本件について記事を書いていましたが*3、それは上のような論点をまるッとスルーした、相変わらずバランス感覚に優れたおりこうさんな文章で、別に間違っちゃいないが薄っぺらな批判に留まったもの。いえ、左派メディアでそれを書くだけでも勇気の要ることであり、むしろ評価してあげるべきなのかもしれませんが、それは同時に左派がいかにダメかを如実に示してもいます。

    *2 令和電子瓦版  2019年12月3日茶番劇? 新井祥子元議員「町長室で気持ちが通じた時には本当に嬉しかった」
    *3 草津を「セカンドレイプの町」と断定…冷静さを失うリベラルへの疑問


    ・ワード4「お母さん食堂」

     はい、これもまたホットなワードですね。
     実はぼく、モデルになっているのが香取慎吾だということすら知らずにいたのですが(与謝野晶子みたいな女だなー、とは思っていたのですが)、そう考えるとむしろ、この企画の担当者はフェミにセンシティブなヤツ、フェミに誉めてもらえるだろうと思ってやったことかも、という気もします。
     考えれば家事のアウトソーシングを旨とするフェミにとって、コンビニほど好ましいシステムは他にない。
     しかしそれにすらも、フェミは噛みついてくる存在だということが、本件では明らかになったのです。

     ――この3と4の二件は、「アンチフェミ」を自称する「表現の自由クラスタ」の刃が、全く敵を斬るだけの性能を有していなかったことを露わにしました。
     彼らのロジックではフェミの本質的な悪辣さを、全く批判できないことを明らかにしたのです。
     もっとも、2020年に起こったのは、そうした「人口に膾炙した」ケースばかりではなく……。

    ・ワード5「災害時の性暴力」

     2020年3月、NHKにおいて極めて重大なデマが流されました。
     以下がそれです(もっとも、こちらもちょっとしたミスをしてしまっているので、訂正を加えさせていただきました)。

    物語の海、揺れる島(再) ――NHKのデマ放送の元ネタが、デタラメ極まる件
    エンタのフェミ様!(再)――NHKのデマ放送の元ネタが、デタラメ極まる件

     国営放送が血税でこんなデマを垂れ流すなど、重大事だと思うのですが、どこからも批判の声は聞こえてきません。
    「女性はウソを吐く」が望ましい発言かどうかはわかりませんが、「フェミはウソを吐く」はまごうことなき真実だと、本件からも明らかになりましょう。
     そして――。

    ・ワード6「SAVE JAMES」

     これです。
     ぼく的に本年、一番デカい事件です。
     また、以下にあるように『Daily WiLL online』においても記事を書かせていただくことができ、それは大変よかったのですが……。

    9歳の少年を去勢⁉行き過ぎたLGBTはここまで来ている

    風流間唯人の女災対策的読書・第12回「フェミニストの母親が、息子のペニスを切除…!?」


    「双子の症例」始末記

     いわゆるアンチフェミの中でも、左派的なスタンスに与しない人たちは、大いにこれについて反応してくださったのですが、「表現の自由クラスタ」の中でこれに言及してくれた人はいません。
     これはご当地のテキサスでも、左派メディアが本件について沈黙を守っていることと、「完全に一致」しています。
     繰り返しますが左派の刃では、フェミに切り傷一つ、つけることはできないのです。
     そんな彼らの無力さの象徴として、今年目立ったフェミニストを二名、ワード7と8で挙げてみましょう。

    ・ワード7「石川優実」

     はい、目下の日本において、一番有名なフェミニストはこの方かもしれませんね。
     もちろん、動画などにおいてもこの方についてはネタにさせていただいています。

    風流間唯人の女災対策的読書・第3回『#KuToo 靴から考える本気のフェミニズム』



     しかしここでは、彼女がいまだ「ツイフェミ」と呼ばれていることに注目したいと思います。
     坂爪師匠の項でも述べたように、左派は煙たいフェミを「ツイフェミ」と呼びつけることで、長年、「真のフェミ」は他にいるのだとのデマを流し続けてきました。
     それは単純に、自分のご贔屓のフェミを延命するための詐術でしかないのですが、その「真のフェミ」、即ちアカデミズムや出版界にいるフェミは実に貪欲に石川師匠を取り込もうとしています。フェミニズム雑誌『エトセトラ』では石川師匠が責任編集を務めた号が出版されました。見ていくと専ら「行動する女たちの会」など古株のフェミたちの「戦歴」に石川師匠が感服しているという、まあ、老人ホームの慰問みたいな内容。
     ここまできてまだ石川師匠をツイフェミと呼び続けるのは、欺瞞としか言いようがないのです。

    ・ワード8「小島慶子」

     はい、この人、何かやたらと今年は目立ちましたね。
     この二人を並べてみると、近年言われ出した、「フェミニズムとは若い頃は女子力でいい思いをしていた者たちの、年を取ってからのファビョり」という分析が真実味を帯びてくるのではないでしょうか。
     ここで重要なのは、フェミニズムとは「ブスコンテンツ」の一種だということ。
     まずは「女性ジェンダー」から得られる快楽という、女性にのみ与えられた、とんでもなく有利でとんでもなく莫大な特権を、彼女らが手放す気は一切、ない。
     しかし「女性の社会進出」という彼女ら自身の行った愚行により、多くの女性たちはそうした「女性ジェンダー」を味わうことが困難となり、結果、それを歪んだ形で疑似的に享受するコンテンツ、即ち「ブスコンテンツ」が世を席巻することとなった――といったことはここしばらく、よく言っていたかと思います。
     というわけで以下は、「ブスコンテンツ」について採り挙げましょう。

    ・ワード9「ジャイ子萌え」

     ――結局、左派は絶対にオタクコンテンツを守ったりはしません。
     ぼくは時々、それを実証する書籍を採り挙げています。2020年は『ドラえもん論』という本についてご紹介しました。

    ドラえもん論 すぎたの強弁
    ドラえもん論 すぎたの新強弁
    ドラえもん論 すぎたの強弁2020

     左派は基本、自分たちのイデオロギーにこと寄せるためにコンテンツを捻じ曲げることしかしない。『ドラえもん』も『セーラームーン』もそうやって破壊されてきた。
     詳しくは上を参照していただきたいところですが、ワードとして「ジャイ子萌え」としたのは、やはりこれが『ドラえもん』を到底理解しているとは思えない、PCにこと寄せた言説であると同時に、「ブスコンテンツ」への親和性を示すものだからです。
     ブスをことさらに持ち上げる行為そのものに、女性ジェンダーへの屈折がないとは言い難く、やはり健全とは言えない。

     ぼくは2019年の暮れ(12月22日)に動画「風流間唯人の女災対策的読書」の第2回において、以下のように述べました。

    目下のところ、フェミニストが増えているかどうかは何とも言えないけれども(いわゆる「ツイフェミ」も急増しているのか、ツイッターで可視化されただけか……)、女性が社会進出したことで相対的に弱体化した男性への不満は、いよいよ募るばかりのはず。
    それが、「負の性欲」の発露を促した……。
    フェミニズムは女性たちの血を吸い、自分たちの仲間にする吸血鬼だったんだよ。

    「フェミニストが増えてるか否か」という疑問に、答えを出すことは難しいのですが、フェミニズムが女性を不幸にし、自分たちの仲間にするという性質をもっていることは間違いがありません。
    「ブスコンテンツ」の隆盛はそうした不幸な女性が増えたことの証拠でしょう。
     2019年はそんな「ブスコンテンツ」である『トクサツガガガ』についてしつこく分析を繰り返しましたが、2020年の代表といえば――。

    ・ワード10『BEASTARS』

     はい、これですね。
     何しろ二十巻以上の長期連載を、そもそも匿名用アカウント氏のnoteをフォーマットに論じ直したという企画なので、目下のところだけでこんだけあります。

    漫画『BEASTARS』から読み取る、女性に内在するフェミニズム的性向
    「漫画『BEASTARS』から読み取る、女性に内在するフェミニズム的性向」を読む(その1)
    「漫画『BEASTARS』から読み取る、女性に内在するフェミニズム的性向」を読む(その2)
    「漫画『BEASTARS』から読み取る、女性に内在するフェミニズム的性向」を読む(その3)
    「漫画『BEASTARS』から読み取る、女性に内在するフェミニズム的性向」を読む(その4)
    「漫画『BEASTARS』から読み取る、女性に内在するフェミニズム的性向」を読む(その5)

     もう、リンクを貼るだけでひと仕事という感じです。
     本作については、恐らく作者も計算して、フェミニズム的イデオロギーを込めたものではありません。ただ女性が自分の感性をあどけなく露呈させ、節度なく描いた漫画、という評がふさわしいかと思います。
     例えばそれが単純に「美人になって男の子からモテモテになりたい」との願望を何の屈折もなく垂れ流した漫画だとしたら、まあ、つまらんし読む気もしないけど、本作を読んだ時のような不快感は受けないはず。
     しかし本作については作者のある種の「ブス性」、これは本人がブスか否かということとはかかわりなく、「女性ジェンダーのこじらせ」とでもいった意味あいの言葉ですが、そうしたものがあまり作者本人に内省されないままストレートに提出され、それがコマから濃厚に立ち現れている……といった感が非常にするのです。

     ――以上、簡単にと思っていたのに結構書き込んでしまい、もうヘトヘトです。
     しばらくは正月休みにしてダラダラ行きたいところですが、まあ、そんなわけで今年もよろしく。

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