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《新連載》『 人生のあれこれ 』 ① 自分の弱さは人生の宝物
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《新連載》『 人生のあれこれ 』 ① 自分の弱さは人生の宝物

2013-11-25 15:00
  • 7

 さて、今回から新しい連載になります。

 題して「人生のあれこれ」

 人生の秘訣を扱うのは以前と共通していますが、サムネイルでお分かりのように、
以前の「主人公という生き方」よりも読みやすく、より自由な内容になっています。

 
 実際は前回からフェイドインしていますので、テーマは前回からそのまま続いて

 「弱さは人生の宝物」です。

 今回は、僕の実体験を題材にして綴ってみます。


***********************************************


 思春期を迎えた頃ですから、たしか13才。僕はとてつもなく不安になりました。

 不安は、これからの人生についてでした。

 おそらくそれは当時、この先、人生というのは自分で創らなければならないのだ、
と気づいたからだと思います。

 まず、普通の中学生なら当たり前のことなのですが、自分が特別な能力を持って
いない、という現実が、不安の大きな原因の一つでした。

 そしてそのために未来、つまり先が見えない、ということがもう一つの不安の原因
でした。

 この二つは、逆の見方をすれば、自分が何か特別な人生を歩むのだ、という意識を
僕が持っていたことを表しています。

 けれども、その根拠は、きっと自分自身から生まれたわけではなく、何か周りの
情報から(自分もそうなれたらいいな)と思う、その程度のことだったと思います。

 つまり僕は、大した根拠もなく、自分は何か特別な人生を送るのだ、と決めていた
のです。(今で言えば厨二病ですね)
 そしてその根拠がないために、不安になっていたのです。

 問題はそれだけではありませんでした。

 親や友達との関係、成績や毎日の課題、自意識や異性に関わることなど、悩んだり
思うように行かない事が沢山あって、そのどれかがうまくいっても、一方で必ず何か
が問題となっていたりしていて、心が傷ついたり苦しくなったり行き場がなくなった
り、とにかく複雑な毎日でした。

 おそらくこういったことは、思春期に、ほとんどの人が経験することではないかと
思います。

 そんな毎日の上で、さらに人生の問題ですから、まあ、大変だったわけです。

 さらに、ひょっとすると自分は、人と比べて取りわけ弱い人間なのでは、と心配す
るよう
になっていきました。

 心に嵐が起きるたびに、深く気持ちや自信が揺れ動いて、何かに守ってもらわない
と生きて行けないような複雑な気持ちで、いっぱいになってしまうからです。

 そうしているうちに、ある時発見したのが、以前から好きだった音楽が、そんな風
に傷ついた心を救ってくれる、特別な力を持っている、という事実でした。
 
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わかりやすくお話頂きましてありがとうございました。私は、高校の頃ノートの隅に、「欲しいもの。強い精神力。」と書いていたのを覚えていますし、よちたんに「どうやったら、強くなれる?」とツイしたこともありました、「自分の弱さを見つめることができれば、強くなることができます。」という事は、自分の中に津田さんの様にもう一人の強い自分を作り、弱い自分をを客観的に見て、その弱い自分に強い自分がエールを送ればいいんですね?一度、それをやった経験があるんです。今は、谷の時なんだ。でも、必ず山は見えると。だから、今がんばり時なんだと。ただ、私はなぜか昔から悩んだ時には、必ず支えてくれる人が現れてくれるんです。凄く不思議なんですけれど。ですから、人生のどん底の辛さをまだ知らないのだと思います。でも、自分自身の力で、乗り越える精神を持ちたいですし、それを持たなければ、息子達が悩みにぶち当たった時向き合い、いいアドバイスもできません。津田さんの教えを胸に、努力していきたいと思います。主人にも、「もっと、ずうずうしく生きろ。」と昔言われたこともあります。私は、感情だけでなく少しオツムを使い生きて行った方がいいですね。津田さん、心を込めてありがとうごさいました。
 

No.1 133ヶ月前
userPhoto 津田直士(著者)

メッセージ、ありがとうございます。
「支えてくれる人が現れてくれる」というのはすごく素敵なことですよね。
そういったことも含めてオリジナルな人生だと思うので、素直に喜んで良いと思います。
きっと、それがsaoriさんの人生の色なんですね。
また、「今は、谷の時なんだ。でも、必ず山は見えると。だから、今がんばり時なんだと。・・」
という過去の話も、その通りだと思います。

ちゃんと読んで頂いて、受けとめてもらえて、嬉しいです。
ありがとうございます。
今後もよろしく!

No.2 133ヶ月前

お話を読んで、「強い自分」「弱い自分」どちらも必要なんだと気づかされました。
どちらが欠けても津田さんでは無くなってしまうのですね。あと音楽も。
私はどちらも自分の中に隠してしまっているかもしれません…。だからかな?人と居ると凄く疲れます(^^;)
津田さんの言葉の「本当の自分と外面のギャップ」、私はまさにいつもこれに苦しめられているんです。
本当の自分…考えれば考えるほど分からなくなってしまいました…。
もっと自分を見つめなおしてみようと思います。有難うございました☆

No.3 133ヶ月前

『自分を正しく知ることで
 無理をする必要もなくなり
 本当の自分と外面のギャップもなくなり、常に純粋、素直な状態でいられるようになります。』←この部分、すっごく同意します。

10代の頃は、なかなか自分の弱さを見ても、受け入れられず、向き合う事もできなくて、強く見せようと色んな鎧を身につけました。
弱さを隠すために。

見栄、強がり、自分をよく見せるための嘘、傷つけた相手を従わせるための巧みな言葉。
ホントに嫌な奴でした。
でも、どれほど身につけ鎧でガチガチに塗り固めても、弱い自分を救う事も、守ることも、周りに理解してもらうこともできませんでした。
虚しく、寂しく、傷を深めるだけでした。
そんな自分が嫌な奴にしか思えず、自分を嫌いになっていきました。
当たり前ですよね。
そんな鎧でガチガチに固めた人を、周りも自分も好きになれるわけがない。理解できるわけがない。

ある時、そんな醜い部分を持った自分を受け入れる事もできず、さらに塗り固めようとする自分を、もう一人の自分が客観的にみていて、
「お前にゃうんざりだ。何がホントの気持ちなのかわかんない。」と言い出したんです。
それからは、自己否定の日々でした。
でも、それは気づき始めた第一歩でした。
醜い感情だらけの自分、鎧だらけの自分と向き合い、ひとつひとつ鎧を脱いでいきました。
すごく怖かったけど、脱いで行ったら、徐々に周りからも理解され始めたんです。
同時に、自分自身でも気付き始めました。
何に傷付いたのか、何を伝えたかったのかを。

そうか!
鎧を脱いで、弱さも悲しみも、素直に見せて、ありのままの自分で向き合えばいいんだ。
もちろん、ありのままを晒す事によって、色んな傷を負うこともありました。
離れていく人もいました。
でも、もう鎧だらけで、もがいていた頃の自分には戻りたくなかった。
だから、ひとつひとつ鎧を脱いで行ったんです。
ふと気付くと、私の周りには、弱い私も、傷つきやすい私も、全て受け止め、そばにいてくれるホントの仲間がいました。

ああ、何かにならなくていいんだ。
見栄なんて張らなくても、強がらなくても、ありのままの自分でいいんだ。
そう気付いたら心が軽くなり、より自分らしくいられるようになりました。
弱さと向き合い、ホントの自分と出会い、ありのままでいる事の大切さと強さを知りました。

それからというもの、私はどんな人と向き合う時も、無理をする事なく、見栄を張ることもなく、ありのままの自分で接するようになりました。
自分の心と向き合う時もありのままの自分を見つめ、受け入れられるようになりました。
自分の事が少し好きになれました。

心に嘘偽りなく、ありのままの自分で居続けたら、表面だけの付き合いを好む人は離れていき、
似たような魂を持った人が自分の周りに自然と集まって来るようになりました。

自分らしくいれる仲間と過ごす時間はとても濃厚であり、心地よいです。

私の中にいる『強い子』は、もしかしたら、このありのままでいる自分なのかもしれません。
私の中の『弱い子』は、
①すぐ泣きます。人の悲しみや痛みに敏感で、それを知ると、自分がその悲しみの中にいるかのようにワンワン泣きます。
そして、人の喜ぶ姿を見るのが大好きでしょうがない子です。
②すぐ自信をなくして自分を責めもす。
③自信が無いため、人からの評価を気にして、イイコで居ようとします。
そして、すぐ、私は必要とされてる存在?と問いかけます。

そんな弱い子を認め、励まし、時には叱り、時には大丈夫だ!貴方は貴方のままでいいじゃないか!
と言って、支えているのは、『強い子』なのかもしれません。

ただ、たまに『強い子』が『弱い子』の負のパワーに負けてしまう事もあり、
そう考えると『強い子』が、まだ成長している途中なのかもしれませんね。

まだまだ、これからも色んな事が起こるでしょうし、そのたびに学ぶ事ばかりだと思いますが、自分の弱さがくれた宝物を大切にして歩いていきます!

『自分を正しく知ることで
 無理をする必要もなくなり
 本当の自分と外面のギャップもなくなり、常に純粋、素直な状態でいられるようになります。』
この言葉を、もう一度胸に刻みます。

津田さん、素晴らしいブロマガをありがとうございます!
とても勇気付けられました。

No.4 133ヶ月前
userPhoto 津田直士(著者)

>>3
コメントありがとうございます。
確かに、僕が今回書いた、「弱さ」や「強さ」の前に、まず本当の自分を知ること、そしておそらくそのためにしっかり自身を見つめる、ということが大切で、前提ですよね。
少し考えたのですが、頂いたコメントを、次回以降の内容に反映してみようかな、と思っています。
こうやって会話できることが、僕はとても大切なことなので、これからも、何かあればぜひコメント下さい!

No.5 133ヶ月前
userPhoto 津田直士(著者)

>>4
深く読んで理解頂き、しかも内容の濃いコメント、ありがとうございます。

書いて頂いた、
「ああ、何かにならなくていいんだ。
見栄なんて張らなくても、強がらなくても、ありのままの自分でいいんだ。
そう気付いたら心が軽くなり、より自分らしくいられるようになりました。
弱さと向き合い、ホントの自分と出会い、ありのままでいる事の大切さと強さを知りました。

それからというもの、私はどんな人と向き合う時も、無理をする事なく、見栄を張ることもなく、ありのままの自分で接するようになりました。
自分の心と向き合う時もありのままの自分を見つめ、受け入れられるようになりました。
自分の事が少し好きになれました。」

という内容ですが、そう気づかれた頃は、おそらくRuiki Kiraさんの人生にとって、大きな分岐点になっていると思いました。
自分らしくいることで起きる問題は、自分を抑えている時に起きる問題と、質と意味合いが全く違いますから。

Ruiki Kiraさんから頂いたコメントに関わることも、やはり今後の内容に反映させたく思いました。
以前から、このブロマガを、なるべくインタラクティブな内容にしたかったので、頂いたコメントは、貴重です。
ありがとうございました。
今後もぜひ、気軽にコメント下さい。

No.6 133ヶ月前

>>6
一字一句、読んでくださり、受け止めてくださってありがとうございます。

そうですね。
ありのままでいいんだ!と気付いたあの頃は、私の人生の大きな分岐点だったと思います。

実は、私の中には、強い自分、弱い自分の他に、もう一人、客観的に見ていて鋭くジャッジを下す自分がいるんです。
その子は強い自分が生まれてくる前からいて、鎧だらけの心を更に鎧で塗り固めようとした時、「お前にゃうんざりだ。何がホントの気持ちなのかわかんない。」と言ったあの子なんです。
あの子が居たから気付く事が出来たのかもしれません。

色んな鎧を一つ一つ脱いでいく時は、真っ正面から自分と向き合い、自分の弱さ、醜さ、強情さなど、嫌な部分、目を向けたくない部分を徹底的に見て、受け入れて、改善する毎日でしたから、精神的にはかなりキツかったです。
でも、自分の底辺というんでしょうか?奥底まで見たら、その中に時々、自分の良さも見えてきました。
だからこそ、まっさらな自分に戻って、もう一度自分らしい人生を生きてみよう!と思えたのかもしれません。

変わりたいと思ったら、変われるんですね。
変わるというより、あの頃の私の場合は、『自分に戻る』のほうが正しいかもしれませんが^_^;

お返事に津田さんが書いてくださった、
『自分らしくいることで起きる問題は、自分を抑えている時に起きる問題と、質と意味合いが全く違いますから。』
という部分、ホントにその通りだと思います。
でも、その違いはわかっても、なぜ起こるのか、どうしたら良いものか、まだまだ、未熟な私はそこで悩み、自分の中で大会議が行われています^_^;

自分らしくいることで起こる問題と、どう向き合い、どう受け止め、どう歩むかが、今、私に課せられている問題なのかもしれません。

うっすらと見えてきた気はしますが、まだ見えず、モヤモヤモヤモヤモヤモヤモヤモヤ。。。(笑)

私の人生で未知の領域!
手探りで、歩みも慎重になります。
慎重になりすぎても良くないのはわかっていても、どうしても石橋を叩きすぎてしまう私。
まだまだ、精進が必要です^_^;

これからも津田さんのブロマガを読ませていただき、学ばせていただきたいと思います。
次のブロマガも、楽しみにお待ちしております☆

No.7 133ヶ月前
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