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  • 笑い神 M-1、その純情と狂気 第11回「『おもろい』至上主義へ」――笑い飯の存在は「ポップ」から「おもろい」へお笑いを一回転させた。(ノンフィクションライター・中村 計)

    2022-01-27 05:00  
    「笑い飯病」あるいは「千鳥病」。
     仲間内で、そんな風に呼ばれる病が流行した。
    「それまで『デートの練習をしたい!』みたいなネタをやってたやつらが、笑い飯さんと千鳥さんに憧れて、柄にもなく急に下ネタを言い始めたり、男臭いネタをやって失敗するというパターンが急増したんです」
     そう苦笑するのは、かつて大浦梶という漫才コンビを組んでいた芸人の梶剛だ。そういう梶らのコンビも例外ではなかった。
    「僕らがいちばん失敗したのは麻雀ネタでしたね。架空の役を作って、これは何点みたいなことを笑い飯さんみたいに交互に言い合うんですけど、ぜんぜんウケなかった。なのに、大丈夫、大丈夫、って。笑い飯さんとかも最初の頃はウケてなかったから、と。ただ勘違いしているだけなんですけど、気分だけは笑い飯さんであり、千鳥さんなんですよ」 
  • 笑い神 M-1、その純情と狂気 第10回「世代交代の波」――03年大会。決勝舞台には麒麟、フットボールアワーら若手が並んだ。(ノンフィクションライター・中村 計)

    2022-01-13 05:00  
     チュートリアルの福田充徳は、どこかでこう安堵してもいた。
    「決勝に残らんでよかったと思いましたね。出とったら、こんなやつらと勝負せなあかんかったのかって」
     二〇〇三年十二月二十八日。場所は、パナソニックセンター東京というショールーム内の出場者控え室だった。二〇〇二年から二〇〇四年まで、M-1の敗者復活戦は、同施設の野外ステージで行われた。夜に行われる決勝が、隣接するパナソニックセンター有明スタジオで開催されていたためだ。
     チュートリアルは、M-1において未来永劫、語り継がれる名コンビだ。ただ、この時点では、まだ何者でもなかった。準決勝で敗退し、敗者復活戦でも最後の枠を逃した。敗者復活戦の勝者は、決勝の二組目がネタを終えたところで発表された。名前を呼ばれなかった五十八組のその後は二つに割れた。控え室のテレビで決勝を観戦するか、家へ帰るか。福田は前年同様、後者を選んだ。
     ところが、控え室に戻り、決勝が映し出されていたモニターが目に入ると、その場から動けなくなってしまった。黒い革ジャケットを着た長髪の男と、黒いスーツを着た短髪の男が、しゃがんだり立ち上がったりしながら大爆笑をさらっていた。
     四番手のコンビ、笑い飯だった。福田は、何よりもまず、その設定に度肝を抜かれた。 
  • 笑い神 M-1、その純情と狂気 第9回「新し過ぎた漫才」――第二回大会。穴馬の笑い飯が、困惑や笑いと共に会場を丸呑みにした。(ノンフィクションライター・中村 計)

    2022-01-06 05:00  
     赤らんだ顔で、酒の臭いを周囲に撒き散らしていた。
    「あん時の会見、ベロベロやったんで記憶にないんですよ……」
     笑い飯の哲夫は、気まずそうにそう振り返る。
     二〇〇二年十二月二日。年末に開催されるM-1決勝のファイナリスト八組に選ばれた笑い飯は、朝イチの飛行機で大阪から東京へ飛んだ。芝公園にある東京プリンスホテルで開かれる記者会見に臨むためだった。
     道中は「やらかし放題」だった。
     飛行機が苦手で「一生、乗らないつもりやった」という哲夫は、明け方まで西田らと痛飲し、確信犯的に酩酊状態で機上の人となる。しかし、羽田空港から乗ったモノレールの荷棚に会見用のスーツを置き忘れ、その回収に手間取り、無名の新人の分際で会見に遅刻してしまった。
     二年連続でファイナルに進出していたアメリカザリガニの柳原哲也は「記者会見、すごかったもんな……」と引き気味に振り返る。 
  • 笑い神 M-1、その純情と狂気 第8回「ヤバいやつら」――笑い飯と千鳥は大阪で奔放に暴れ天然ものの笑いを身に着けていた。(ノンフィクションライター・中村 計)

    2021-12-23 05:00  
     会場の時が止まった。
    「もうええわっ」
     笑い飯の哲夫が締めのセリフを発してから数秒、間があった。そして、思い出したかのように合格音が鳴った。
     ジャッジを下した放送作家の「オパヤン」こと林龍雄が言う。
    「何がきっかけでこんなに覚醒したんやろうって、思いましたね」
     二〇〇一年五月、若手の劇場「baseよしもと」のオーディションイベント、プレステージにおいて、笑い飯は十一回目の挑戦にして、初めて合格を勝ち取った。
     その記念すべきネタは「関西サイクルスポーツセンター」というネタだった。林が思い起こす。
    「お互いがボケ合うネタだったんですけど、後半、どんどんペースが上がっていって。尻上がりで、どんどんウケていったんです」
     のちに「ダブルボケ」と称される互いにボケ合うネタは、この頃から少しずつ形になりつつあった。 
  • 笑い神 M-1、その純情と狂気 第7回「ハリガネロック、そして中川家」――審査員は第一線を走る芸人と一般客。何に笑い、何を見抜くのか。(ノンフィクションライター・中村 計)

    2021-12-16 05:00  
     気分は、さながら「生贄」だった。元ハリガネロックのボケ役で、現在は、一人で活動するユウキロックが当時の会場の様子を思い起こす。
    「実験台にされているような、得体の知れない恐怖感がありましたね」
     記念すべき最初のM-1決勝は、若手芸人にとっては、何もかもが初めてのことばかりだった。収録現場の東京・砧(きぬた)のレモンスタジオには、オンエアのおよそ五時間前に招集がかかった。通常の番組では考えられない念の入れようだった。入り口にはレッドカーペットが敷かれ、ロビーには一万円札を千枚並べた透明の巨大なアクリルボードが掲げられている。優勝賞金を視覚化しようという番組サイドの演出だった。
     楽屋で待機していると、そこへ審査員を務める島田紳助や松本人志ら生きる「伝説」たちが激励に訪れた。怒濤のごとく押し寄せる「非日常」に、芸人たちの平常心は少しずつ蝕まれていく。優勝候補と目されていた中川家の兄、剛は手を震わせながらタバコをくゆらし、空えずきを繰り返していた。
     ユウキロックも、時間とともにこれから立つことになる舞台のスケールに圧倒されかけていた。
    「大会というより、全国のゴールデンでネタをやるということの重責ですよね。そんなこと、二十年近くなかったわけでしょう? ここで俺らがコケたら、もう、この番組の道は閉ざされてしまう。だから重苦しい雰囲気でしたよ。会話があるわけでもなく。今とは全然違いましたね」 
  • 笑い神 M-1、その純情と狂気 第6回「ますだおかだのコンプレックス」――漫才トップを競う舞台は整った。だが、松竹芸人には不満があった。(ノンフィクションライター・中村 計)

    2021-12-09 05:00  
     怒っていた。ますだおかだの増田英彦が闘争心をむき出しにする。
    「もうケンカしに行ってますよ、あそこに。センターマイクの前に。めっちゃくちゃ怒ってましたね」
     二〇〇一年十二月二十五日。ようやく開催にこぎつけたM-1グランプリ決勝は、「漫才番組ではなく、格闘技」だと語った大会委員長、島田紳助の目論見通り、若手漫才師たちの激情の溶鉱炉と化していた。
     ますだおかだは八番目に登場した。そして増田は冒頭、肩をいからせながら言った。
    「松竹芸能のますだおかだです!」 
  • 笑い神 M-1、その純情と狂気 第5回「筋書きのない漫才コンテスト」――衰退した漫才再興のため“生死”を賭けた格闘技的番組が動き出した。(ノンフィクションライター・中村 計)

    2021-12-02 05:00  
    「賞金をな、一千万にするんや」
     芸人であり、かつ天才プロデューサーでもあった島田紳助の口から、その案が漏れたとき、日本最大の漫才コンテスト、「M-1」プロジェクトのエンジンに火が入った。
     二〇〇一年春、吉本興業の社員だった谷良一は、極めて困難なミッションを背負わされていた。
     漫才をなんとかせよ――。
     たった二人の新部署「MANZAIプロジェクト」に異動となった谷は、そこのリーダーだった。
     昭和八年、吉本興業は平安時代にルーツを持つ音曲芸能「万歳」に「漫才」という字を当て、伝統文化の換骨奪胎をはかった。衣装を和服から洋服に変え、鼓などの楽器に頼らず、「しゃべくり」だけで客を楽しませる。必要なのは、マイク一本のみ。その手軽さも相まって、以来、寄席(三百六十五日営業の大衆演芸の劇場)を柱とする吉本にとって、漫才は「主力商品」となった。
     漫才は、ほんの一瞬だけ、エンターテインメント業界のトップにたったことがある。一九八〇年にフジテレビで始まった『THE MANZAI』が火付け役となり、「漫才ブーム」が巻き起こったのだ。そこから生まれたのが、島田紳助・松本竜介の紳助であり、ツービートのビートたけしらだ。しかし、八二年に同番組が終了すると、漫才は一気に下火となる。九〇年代に入ると、漫才番組は本場・関西ですら数えるほどになり、関東ではほぼ絶滅状態だった。必然、劇場への客足も鈍り始める。 
  • 笑い神 M-1、その純情と狂気 第4回「おぎやはぎの勃興、笑い飯の焦り」――新宿のライブで観た斬新な漫才。その衝撃が哲夫の心をはやらせた。(ノンフィクションライター・中村 計)

    2021-11-18 05:00  
     哲夫の記憶では、一九九九年暮れのことだ。すでに二十五歳になっていた。
    〈戻ってすぐ西田と組む〉
     メモ帳に、そう書き記した。
    「西田(幸治)君と組むのは最終手段やったんですよ。ボケ同士やし、言うたら、ライバルやと思っていたんで」
     いずれ衝突する――。それも覚悟の上の決断だった。
     哲夫を「最終手段」に走らせたもの。それは、当時、まだ無名だった東京のあるコンビだった。
     なかなか相方が定着しない哲夫は、四人目のパートナーとも一度舞台に立っただけで別れてしまった。そろそろ本腰を入れて相方を探さなければならないと思い立ち、哲夫は思い切って東京まで足を運んだ。以前、ライブで一緒になった芸人で、ツッコミが抜群にうまい人がいた。その芸人が東京で活動しているという噂を聞きつけたからだ。 
  • 笑い神 M-1、その純情と狂気 第3回「千鳥が受けた狂気のレッスン」――「どなたさん?」。ボケ続ける哲夫への返しがノブを漫才師に変えた。(ノンフィクションライター・中村 計)

    2021-11-11 05:00  
     千鳥の大悟は、神妙な面持ちで語った。
    「笑い飯に今の仕事を見られて、『おもしろうないな、大悟。なんであんなことすんの』って言われたら、僕、愕然とすると思うんですよ」
    ――落ち込みますか。
    「うん。誰に言われるより」
     レギュラー番組十本を持つ千鳥は、吉本興業切っての売れっ子コンビだ。今や、ダウンタウンの後継者とさえ言われている。その千鳥にとって、笑い飯は、この世界における「親」であり、「兄弟」だった。そして、ときに「教祖」でもあった。 
  • 笑い神 M-1、その純情と狂気 第2回「M-1史上最大のどんでん返し」――〇九年決勝で百点を獲得した笑い飯。だが、最終決戦は苛烈だった。(ノンフィクションライター・中村 計)

    2021-11-04 05:00  
     笑い飯には、今も晴れない「容疑」がある。
     わざと負けたのではないか――。
     二〇〇九年のM-1において、二人は優勝をほぼ手中に収めながらも、あえてその「栄光」を手放したのではないか、というのだ。
     八年連続で決勝に進み、二年目以降は毎年、本命視されながらも勝てていなかったことが、そんな「故意説」に信ぴょう性を持たせていた。