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記事 11件
  • 欽ちゃん80歳の人生どこまでやるの!? 第24回「ぼくが八十歳になって直面したこと」

    2021-07-15 05:00  
     今年の五月に八十歳になってからというもの、「なんだか自分も年を取ったなァ」と思うことが増えてきた。
     これまで七十代だったぼくが、「実は年を取ったと感じたことがなかった」なんて言うと、流石にそれを不思議に思う人もいるかもしれないね。
     でも、本当なの。実際の感覚としては、七十代の半ばくらいまでは、ぜんぜん年を取ったという気がしなかった。それこそ六十代の頃を思い返したら、「欽ドン!」をやっていた三十代と全く一緒の気持ちだったものだよ。
     ところが、八十歳というのはすごいものだねェ。 
  • 欽ちゃん80歳の人生どこまでやるの!? 第23回「ぼくの『努力』哲学」

    2021-06-24 05:00  
     先月、ぼくはついに八十歳になった。
     二年前、駒澤大学を「中退」したとき、ぼくはこう考えていたものだ。まだぎりぎり体が動くと思える八十歳になるまでの時間を、自分の「笑い」を追求する時間として使おう、って。
     そのときテーマにしたのが、若い頃に修行をした浅草の劇場にあったような軽演劇の笑いでね。
     テレビが「言葉」の世界だとすれば、舞台は「動き」の世界。喋り方や表情、体の動きによって、一つの同じセリフを「笑い」にも「感動」にも変えていく。そのための技術というものを、若い人たちに伝えたい、という思いがあったんだ。
     それで日光江戸村の劇場を借り、コメディアン志望の若者たちと軽演劇をしたり、東京で公開オーディションをしてみたり――と新しい試みをしていたのだけれど……。
     そんななか、世界中を襲ったのが新型コロナの流行だった。
     
  • 欽ちゃん80歳の人生どこまでやるの!? 第22回「『欽どこ』を生んだ上手なウソ」

    2021-05-27 05:00  
     ぼくは五月七日に八十歳になったんだけれど、同じ年に三日早く生まれた皇(すめらぎ)達也さんが今年三月二十日に亡くなった。
     彼はテレビ朝日のプロデューサーで、一九七六年に「欽どこ」(「欽ちゃんのどこまでやるの!」)を一緒に始めた人でさ。その後もいくつもの人気番組を手掛けて、会社の中でもすごく偉くなったんだよね。
     コメディアンとしてテレビに出るようになって以来、ぼくはその世界のたくさんの人と知り合ってきた。そのなかで、彼はまさに「プロデューサー」の何たるかを見せてくれた人。今回はそんなスメさんの思い出を話してみようと思うんだ。 
  • 欽ちゃん79歳の人生どこまでやるの!? 第21回「東貴博へ贈る言葉」

    2021-04-15 05:00  
     東京の街に桜が咲く季節になると、六年前に駒澤大学に入学した日のことを思い出すなァ。
     あの年の入学式の日はみぞれ模様の寒い日。家からタクシーで正門の近くまで行ったのはいいけれど、車を降りたら傘を持っていなかった。思えば芸能界で仕事をしていると、車でテレビ局や事務所に行き来するばかりで、傘をさす機会がほとんどなかったから。それで仕方なく大学の構内を濡れながら歩いていたら、一人の学生さんが声をかけてくれてね。持っていた傘に入れてくれたんだ。
    「大学生になったんだ」と実感したのはそのときだった。初対面の若者と相合傘をしながら講堂に向かっていると、「ああ、ぼくは芸能界とは全く違う世界に来たんだ」ってしみじみと思ったよね。
     当時七十三歳で初めての大学生になったぼくにとって、そんなふうに始まった大学生活はこれまでの日々を一変させるものだった。 
  • 欽ちゃん79歳の人生どこまでやるの!? 第20回「仮装大賞を“退(ど)く”」

    2021-03-18 05:00  
     ぼくもこの年齢になってくると、いろんな立場や役割から離れたり、身を引いたりすることを考える機会が増えてくる。
     今年の「仮装大賞」(日本テレビ系、二月六日放送)のときもそうだった。
     一月の番組収録中、昔からよく出てくれる顔馴染みの出演者の番になったとき、「今回で私はこの番組、終わり」と言った。
     ただ、その発言は全くのアドリブだったから、いろんな噂が立って、番組の人たちにはちょっと迷惑をかけちゃったかな。一緒にやっている香取慎吾ちゃんも、なんだか目を丸くして驚いていたしね。 
  • 欽ちゃん79歳の人生どこまでやるの!? 第19回「息子たちが見ていたスミちゃんの背中」

    2021-02-10 05:00  
     年が明けてからしばらくして、久しぶりに三人の息子たちと会ったよ。
     奥さんの澄子さんが亡くなってから半年が経ち、彼らと思い出話でもしようということになってさ。神奈川県二宮町にある長男の家で集まったんだ。
     二宮にはぼくの「家」もあるから、まずはそっちに行って荷物の整理もした。同じように久々に訪れた家にスミちゃんはもういない。しーんと静まり返っていたなァ。
     ぼくは東京で仕事をしているから、二宮に帰るのはたまにある休みの日くらいだった。だから、その家はスミちゃんのために買ったものだったんだ。
     引っ越したのは次男が生まれてすぐの頃でね。事務所代わりになっていた東京の家には、毎日、深夜まで作家さんやらテレビの人がいて、落ち着ける時間が全くない。それで静かな場所に家を探し始めたんだ。 
  • 欽ちゃん79歳の人生どこまでやるの!? 第18回「箱根駅伝優勝・大八木監督が心配していること」

    2021-01-28 05:00  
     ここ数年、ぼくは年が明けると神奈川県の二宮町の自宅に行って、家族と過ごすことが多かった。なので、今年も息子たちに会い、亡くなった奥さんの思い出でも語り合おう、なんて話していたんだ。
     でも、新型コロナが流行中だから、今回はひとまず自粛。東京の家でずっと「ステイホーム」の日々を送っていたよ。
     そんななか、ぼくにとって一つ嬉しいニュースだったのが、箱根駅伝で駒澤大学が十三年ぶりの総合優勝を遂げたことだった。
     最終十区、残りわずかのところで石川拓慎くんが逆転したときは、思わず手に汗握ったよ。 
  • 欽ちゃん79歳の人生どこまでやるの!? 第17回「スミちゃんが亡くなって知ったこと」

    2020-11-26 05:00  
     奥さんの澄子さんが八月に亡くなって以来、たくさんの人からお悔やみをもらった。
     お線香や果物と一緒に、「お寂しいでしょう」とか「毎日、悲しくお過ごしでしょう」とお手紙をくれる人も多くてね。その気遣いがとても嬉しい。ただ、一方で何だか心配をかけてしまっているような、そんなちょっと申し訳ない気もしているんだ。
     というのも、スミちゃんを亡くして三か月が経ったいま、ぼくは「寂しい」というのとは違う気持ちを感じているの。
     だって、誰かとの関係というのは、その人が亡くなってしまったからといって、そこで終わってしまうものじゃない。むしろその後もずっと、「新しい物語」が続いていくものだと思っているから。
     よく「お別れ」というけれど、どうして別れないといけないんだろう?
     そんな思いもあって、ぼくはお葬式や告別式のとき、亡くなった人の顔は一切見ないようにしていてさ。
     見てしまうと、そのときの顔がずっと記憶に残ってしまいそうで、たまらない気持ちになる。「もう会えないんだ」という悲しさが、心に染みついてしまうような気がするの。
     だから、お葬式ではお棺の足のところにお花を置くだけ。同じ理由で、親しかった人には手も合わせられないし、お悔やみの言葉も言わない。「さよなら」をしているみたいで、何とも言えず悲しくなってきちゃうから。
    「私はお別れに来たのではありません。今日は久しぶりに会いに来て、またどこかで会いに来るつもりです。それじゃあね」
     そう言って帰ってくることが多いんだ。 
  • 欽ちゃん79歳の人生どこまでやるの!? 第16回 「『スミちゃん、ありがとう』欽ちゃん(79)、糟糠の妻(82)を看取る」

    2020-10-08 05:00  
    三つの冠番組が大ヒットして“視聴率100パーセント男”という異名をとった欽ちゃん。コメディアンとして頂点を極めた陰には、下積み時代から支え続けてきた女性の存在があったのだ。彼女との出会いから別れまで、60年以上にわたる二人の思い出を初めて明かす。 
  • 欽ちゃん79歳の人生どこまでやるの!? 第15回「ぼくは二線級のコメディアン」

    2020-09-24 05:00  
     新型コロナの流行で始まった「新しい生活様式」で、どんな笑いが可能なのか。最近、ぼくは家にこもってそのことばかりに集中していてね。前回も話したように、コメディアン志望の若者たちと一緒に、週に何度もビデオ会議システムの「Zoom」を使って、リモート軽演劇の練習の日々を送っているんだ。
     そんなふうに「笑い」を作り上げていく時に鍵となるのは、「間」や「溜め」といった普段は全く人が意識せずに使っている感覚を、いかに意識的かつ上手に使えるかだ。どんなに素晴らしい「ネタ」や「言葉」があっても、そこが上手くいかないと「笑い」を生み出すことはできない。
     でも、新しく世の中に出てきた技術というのは、人間のそういう微妙な「普段は意識していない感覚」を踏まえた上で作られているわけではないでしょ。だから、それを「笑い」に活用するときは、ぼくらの側が新しい使い方を考えなきゃいけない。