• このエントリーをはてなブックマークに追加

記事 11件
  • 欽ちゃん83歳の人生どこまでやるの!? 第59回「ぼくと阿久さんの『物語』」

    2024-08-29 05:00  
     ぼくは昔、作詞家の阿久悠さんに、「拝啓おかあさん」という曲の詞を作ってもらったことがあるんだ。
     あれは日本テレビで「スター誕生!」の司会をしていた頃のこと。「スター誕生!」は知っての通り、山口百恵さんや中森明菜さんなど、たくさんの歌手を輩出したオーディション番組。阿久さんはその審査員だった。
    「拝啓おかあさん」は作詞が阿久さんだっただけではなく、作曲は同じく審査員だった都倉俊一さんが担当してくれてね。超大物の二人に曲を作ってもらったのだから、当時のぼくは本当に幸せ者だったんだなァ。 
  • 欽ちゃん83歳の人生どこまでやるの!? 第58回「人生の経験に無駄なものなし」

    2024-08-28 07:00  
     世の中はもうすぐ夏休みだね。
     子供たちはみんな楽しみにしているだろうけれど、自分のことを振り返ると、ぼくは学校のお休みに家族とどこかに出かけたり、遊んだりした思い出が全くないんだ。何しろ家が貧しかったからさ。
     それにぼくは子供の頃、人と話すのが大の苦手でね。授業中に先生に指(さ)されると顔が真っ赤になっていたし、みんなが手を挙げていても、一人黙って下を向いているような少年時代を過ごしていた。
     だから、その頃のぼくの夢は「画家になること」。絵を描いて生きていければ、人と喋らなくてもいい、と思っていたの。
     なので、夏休みも友達と遊ぶことはほとんどなくて、いつも家の近くの小石川植物園に行き、一人で絵を描いてばかりいたものだったよ。 
  • 欽ちゃん83歳の人生どこまでやるの!? 第57回「勝俣州和という男」

    2024-08-28 07:00  
     いま、ぼくは新宿の小さな劇場で、ときどき軽演劇や実験的なコントのような舞台をやっている。それでつい最近、その舞台に勝俣(州和)に出てもらったんだ。
     彼にやってもらったのは、以前にも試した「カメラマンさんの指示に従って動きながら時代劇をやる」というもの。
     いつもの調子で動き回る勝俣に、カメラマンさんが、
    「そこじゃない、そっち!」
    「なにやってんの! それじゃ映らないよ」
     なんてツッコミを入れていく。
     ツッコミに対してムキになって右往左往する勝俣の様子が、お客さんにもウケていたよ。
     それにしても、勝俣というのは面白い男でさ。 
  • 欽ちゃん83歳の人生どこまでやるの!? 第56回「のり平先生は『笑いの教科書』」

    2024-05-30 05:00  
     コメディアンとしての長い人生の中で、ぼくには今でも「先生」と呼んでいる人がいる。昭和を代表する喜劇人・三木のり平さんのことだ。
     のり平さんのすごさを初めて目にしたのは、まだコント55号を結成する前、浅草の劇場にいた頃だった。
     当時、劇作家の菊田一夫さんが、
    「コメディアンは大晦日に大笑いさせなければならない」
     と言って、日劇で錚々たる顔ぶれの集まる恒例の公演が行われていた。
     客席は溢れんばかりの超満員。切符が取れなかったぼくは、三階席から客席を見渡すように舞台を観ていた。 
  • 欽ちゃん82歳の人生どこまでやるの!? 第55回「プロを素人にしてみたら……」

    2024-04-25 05:00  
     今年二月に放送された「第99回全日本仮装大賞」が終わった後のことだ。
     視聴者の人たちからこんなメッセージが寄せられたと聞いて、ぼくはとても嬉しくてさ。
    「久しぶりに家族みんなで、テレビの前で笑いました」
     確かに、今は家の中に「お茶の間」というものがなくなって、テレビは昔のように家族がみんなで見るものではなくなったよね。
     でも、「仮装大賞」はそんな昔ながらの「お茶の間の時間」を、久々にテレビの中に作り出せたのかもしれない。そう思うと、何とも嬉しい気持ちが湧いてきたんだ。
     そんななか、ぼくが「やっぱり人生は面白いなあ」と思ったのは、放送後、ディレクターのTさんからすぐさまこう提案されたことだった。
    「欽ちゃん、第100回もやりましょう。そして、その前に一度だけ、僕とテレビを作ってみませんか?」 
  • 欽ちゃん82歳の人生どこまでやるの!? 第54回「『不適切!』と言われたらチャンス!」

    2024-03-28 05:00  
     ぼくは普段、テレビを見ることがほとんどないの。
    「欽ドン」や「欽どこ」をしていた時も、自分の出ている番組は全く見ないくらいでさ。周囲にも「ぼくは見てないから」と、いつも言うようにしていた。
     というのも、「欽ちゃんが見ている」となると、スタッフや共演している人たちが気にしちゃうところがあってさ。コントをするとき、「後で欽ちゃんが見たらどう思うかな」なんて気になってしまうと、番組作りの姿勢がどうしても鈍ってしまうもの。だから、テレビを見ないと宣言することで、周りのスタッフや共演者に欽ちゃんは「結果」を気にしないと思って欲しかったんだね。 
  • 欽ちゃん82歳の人生どこまでやるの!? 第53回「やっぱり『テレビ』が好きなんだね」

    2024-02-22 05:00  
     先週の二月十二日、三年ぶりに「欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞」が放映されたよ。
     去年、その収録をしたときは、本当に嬉しかったなァ。
     ぼくは八十歳を超えてから、テレビにはほとんど出なくなったでしょ。コント55号で動きのある笑いをしてきたから、年を取って体が思うように動かなくなってまで、お客さんの前に出るのは申し訳ない、という思いがあったんだ。
     ところが、日本テレビのプロデューサーが、「仮装大賞」を復活させるために何度も足を運んでくれた。慎吾ちゃんも、「ぼく大将やらないならやらないからね」って。それで、「応援するくらいならいいよ」と今回の「仮装大賞」に出ることに決めたの。 
  • 欽ちゃん82歳の人生どこまでやるの!? 《特別対談》萩本欽一×伊東四朗「一生一喜劇人」

    2024-02-08 05:00  
    昭和30年代、浅草には東八郎、渥美清、新宿には石井均、三波伸介と錚々たる喜劇人がいた。彼らに憧れ、軽演劇の世界に飛び込んで六十余年。“最後の喜劇人”の若き日々と芸に対する熱き思い――。 
  • 欽ちゃん82歳の人生どこまでやるの!? 第52回「笑って手を振って『また来るね』」

    2023-12-07 05:00  
     すっかり秋の気配になった十月下旬のこと。神奈川県伊勢原市にある能満寺の協力で、ぼくが作らせてもらっている「欽ちゃん寺」に行ってきたよ。
     その日に催されたのは、以前にも話した奥さんのスミちゃんの仏像「情黙弁財天」の開眼供養。それと、ぼくと関根(勤)の言葉を刻んだ石碑をお披露目したんだ。
     とても天気が良くて、ファンや地元の人など、百人くらいが集まった。とても和やかな一日だったなァ。 
  • 欽ちゃん82歳の人生どこまでやるの!? 第51回「お客さんのざわめきを聞く」

    2023-11-02 05:00  
     九月の中旬、ぼくは新宿の「バティオス」という劇場で、「欽ちゃん82歳の挑戦~ちょっとだけ動くライブ~」というものを行った。
     これまで、コロナ禍でライブを自粛していたので、お客さんの前で喋るのはぼくにとって本当に久々のことだった。
     といっても、ライブの内容は普段からYouTubeでやっていることを、みんなの前で同じようにやるだけ。視聴者の人たちからのメッセージを読み上げたり、それにツッコミを入れたり――というわけだ。
     でもね、ぼくはそれでも、最後の十五分は座っていた椅子から立って、文字通りちょっとだけ動いてみたの。
     すると、何だかお客さんの反応を、座っている時よりもしっかり受け止められているような気持ちになってさ。体感では三倍くらい。だから、「八十二歳になっても、コメディアンというのは客席の人たちに支えられ、育てられているんだなァ」と実感したんだ。