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記事 12件
  • 欽ちゃん83歳の人生どこまでやるの!? 第63回「『新しいテレビ』ってどんなだろう?」

    2024-12-19 05:00  
     今年もいよいよ暮れて、新しい年が始まっていくね。
     この時期になると、奥さんのスミちゃんとのある思い出が、ときどきふと心に甦ってくることがある。
     それはぼくが浅草の劇場で売れない芸人をしていたときのこと。
     浅草のアパートの三畳間に暮らしていたぼくに、スミちゃんはずいぶんと目をかけてくれてね。初めて部屋に来たときも、
    「何にもないのね」
     と、テレビなんかを置いていってくれたものだった。
     それで、ある年の大晦日にも突然、彼女が野菜などの食材を両手に持ってやってきたの。 
  • 欽ちゃん83歳の人生どこまでやるの!? 第62回「スーパースター、そして伝説へ…」

    2024-11-28 05:00  
     今年はアメリカのMLBで大谷翔平選手が大活躍だったね。ぼくもすっかり彼のファンになって、ドジャースが優勝したワールドシリーズもテレビにかじりつくようにして見ていたよ。
     シーズン中も大谷選手の活躍が楽しみでさ。朝五時からの試合でも、始まるまで必ず起きていたものだった。いつもは午前二時くらいに寝るんだけれど、朝まで次の舞台のことなんかを考えながら、試合が始まるのを待っていたんだ。
     彼の活躍はまさにスーパーヒーローという感じで、日本中が熱狂したのもよく分かるよね。
     で、ぼくはこの連載でも何度か話してきたように、日頃から物事を「運」という視点で見ている。 
  • 欽ちゃん83歳の人生どこまでやるの!? 第61回「『失敗』は『成功の始まり』だ」

    2024-10-31 05:00  
     人生というのは、つらいことや後悔することの連続だよね。
     だけど、実はこの「つらい」や「後悔」という気持ちを、ぼくは自分の人生の中に持ち込まないようにしているんだ。
     それはどうしてかというと、「マイナスの感情は“運”を遠ざける」と思っているからなの。
     例えば、誰かに裏切られたと感じたとき、多くの人は「あの野郎」と怒りを覚えるものだ。
     あるいは、仕事が上手くいかないとき、多くの人は「どうして自分はこんなにひどい目に遭うのだろう」と感じるかもしれない。
     そんなとき、ぼくが真っ先にしているのは、目の前の「言葉」や「気持ち」の解釈を変えること。「ひどい目に遭う」ではなく、「次の『物語』に出会った」というふうに考えてみるの。 
  • 欽ちゃん83歳の人生どこまでやるの!? 第60回「コメディアンに『反省』は禁物」

    2024-09-26 05:00  
     八月に日本テレビで放送された「24時間テレビ」で、「欽ちゃんのスミちゃん」というドラマが作られていたね。
     放送の前、俳優の伊藤淳史さんがぼくの役、波瑠さんがスミちゃん役、そして、マネージャー役に(香取)慎吾ちゃんが出るのだと聞いて、ぼくは「へえ!」と驚いちゃったよ。
     実は、ぼくは自分を主人公にしたドラマが作られることを、直前まで詳しく知らなかったんだ。
     だから、番組の放送が近づいてきたとき、
    「今度、欽ちゃんとスミちゃんのドラマをやるんですね」
     と、人に教えてもらって、
    「そうなんだ。それは何だか笑っちゃうねえ」
     と、言った。 
  • 欽ちゃん83歳の人生どこまでやるの!? 第59回「ぼくと阿久さんの『物語』」

    2024-08-29 05:00  
     ぼくは昔、作詞家の阿久悠さんに、「拝啓おかあさん」という曲の詞を作ってもらったことがあるんだ。
     あれは日本テレビで「スター誕生!」の司会をしていた頃のこと。「スター誕生!」は知っての通り、山口百恵さんや中森明菜さんなど、たくさんの歌手を輩出したオーディション番組。阿久さんはその審査員だった。
    「拝啓おかあさん」は作詞が阿久さんだっただけではなく、作曲は同じく審査員だった都倉俊一さんが担当してくれてね。超大物の二人に曲を作ってもらったのだから、当時のぼくは本当に幸せ者だったんだなァ。 
  • 欽ちゃん83歳の人生どこまでやるの!? 第58回「人生の経験に無駄なものなし」

    2024-08-28 07:00  
     世の中はもうすぐ夏休みだね。
     子供たちはみんな楽しみにしているだろうけれど、自分のことを振り返ると、ぼくは学校のお休みに家族とどこかに出かけたり、遊んだりした思い出が全くないんだ。何しろ家が貧しかったからさ。
     それにぼくは子供の頃、人と話すのが大の苦手でね。授業中に先生に指(さ)されると顔が真っ赤になっていたし、みんなが手を挙げていても、一人黙って下を向いているような少年時代を過ごしていた。
     だから、その頃のぼくの夢は「画家になること」。絵を描いて生きていければ、人と喋らなくてもいい、と思っていたの。
     なので、夏休みも友達と遊ぶことはほとんどなくて、いつも家の近くの小石川植物園に行き、一人で絵を描いてばかりいたものだったよ。 
  • 欽ちゃん83歳の人生どこまでやるの!? 第57回「勝俣州和という男」

    2024-08-28 07:00  
     いま、ぼくは新宿の小さな劇場で、ときどき軽演劇や実験的なコントのような舞台をやっている。それでつい最近、その舞台に勝俣(州和)に出てもらったんだ。
     彼にやってもらったのは、以前にも試した「カメラマンさんの指示に従って動きながら時代劇をやる」というもの。
     いつもの調子で動き回る勝俣に、カメラマンさんが、
    「そこじゃない、そっち!」
    「なにやってんの! それじゃ映らないよ」
     なんてツッコミを入れていく。
     ツッコミに対してムキになって右往左往する勝俣の様子が、お客さんにもウケていたよ。
     それにしても、勝俣というのは面白い男でさ。 
  • 欽ちゃん83歳の人生どこまでやるの!? 第56回「のり平先生は『笑いの教科書』」

    2024-05-30 05:00  
     コメディアンとしての長い人生の中で、ぼくには今でも「先生」と呼んでいる人がいる。昭和を代表する喜劇人・三木のり平さんのことだ。
     のり平さんのすごさを初めて目にしたのは、まだコント55号を結成する前、浅草の劇場にいた頃だった。
     当時、劇作家の菊田一夫さんが、
    「コメディアンは大晦日に大笑いさせなければならない」
     と言って、日劇で錚々たる顔ぶれの集まる恒例の公演が行われていた。
     客席は溢れんばかりの超満員。切符が取れなかったぼくは、三階席から客席を見渡すように舞台を観ていた。 
  • 欽ちゃん82歳の人生どこまでやるの!? 第55回「プロを素人にしてみたら……」

    2024-04-25 05:00  
     今年二月に放送された「第99回全日本仮装大賞」が終わった後のことだ。
     視聴者の人たちからこんなメッセージが寄せられたと聞いて、ぼくはとても嬉しくてさ。
    「久しぶりに家族みんなで、テレビの前で笑いました」
     確かに、今は家の中に「お茶の間」というものがなくなって、テレビは昔のように家族がみんなで見るものではなくなったよね。
     でも、「仮装大賞」はそんな昔ながらの「お茶の間の時間」を、久々にテレビの中に作り出せたのかもしれない。そう思うと、何とも嬉しい気持ちが湧いてきたんだ。
     そんななか、ぼくが「やっぱり人生は面白いなあ」と思ったのは、放送後、ディレクターのTさんからすぐさまこう提案されたことだった。
    「欽ちゃん、第100回もやりましょう。そして、その前に一度だけ、僕とテレビを作ってみませんか?」 
  • 欽ちゃん82歳の人生どこまでやるの!? 第54回「『不適切!』と言われたらチャンス!」

    2024-03-28 05:00  
     ぼくは普段、テレビを見ることがほとんどないの。
    「欽ドン」や「欽どこ」をしていた時も、自分の出ている番組は全く見ないくらいでさ。周囲にも「ぼくは見てないから」と、いつも言うようにしていた。
     というのも、「欽ちゃんが見ている」となると、スタッフや共演している人たちが気にしちゃうところがあってさ。コントをするとき、「後で欽ちゃんが見たらどう思うかな」なんて気になってしまうと、番組作りの姿勢がどうしても鈍ってしまうもの。だから、テレビを見ないと宣言することで、周りのスタッフや共演者に欽ちゃんは「結果」を気にしないと思って欲しかったんだね。