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記事 49件
  • ツチヤの口車 第1162回 土屋賢二「寝たくない」

    2020-09-17 05:00  
     三歳になる女の子にお母さんが「いい加減寝なさい!」と怒ったところ、娘さんは号泣しながら、こう叫んだという。
    「人生が楽しい!! こんなにも楽しい! 寝たら寝た分だけ減ってしまう! 人生が!」
     三歳児に「人生」ということばは使えるものではない。「人生は楽しい」という表現に至っては、わたしなど、七十五年の間に二度、ギャンブルにボロ勝ちしたときに使っただけだ。「人生はむなしい」という表現はかなり使う。ギャンブルに負けたときや、本棚を何度も組み立て直した末に完成した直後、地震で簡単に倒壊したときなど。
     この子との違いは国語力だけではないのだろうが、もしこの子のような国語力があったら、わたしも幼い頃から同じようなことを言っていただろう。多くの子と同じく、夜はいつまでも起きていたかった。 
  • ツチヤの口車 第1161回 土屋賢二「やる気がなくてよかった」

    2020-09-10 05:00  
     この三ヶ月の間で一番笑い、一番感銘を受けたことばがある。インターネットで見つけたことばだ。
     加藤隆生氏が七歳の娘さんに「最近パパ自信を失ってるから、なんかパパのすごいところ言って」と言ったところ、娘さんは「やる気がないのに仕事がんばっているところ」と答えたという。
     これほど賢くて、やさしくて、奥深くて洞察力のあることばがあるだろうか。ホメようがない相手をホメるのに四苦八苦しているわたしには、この子の才能がうらやましくてならない。
     ホメるところがないのにホメる点を見つける子は、欠点を見つける才能にも恵まれていると推測されるが、それを考慮しても、すばらしいの一言だ。
     この子のことばを敷衍するとこうなる。「やる気があって仕事をがんばっている」では自慢にならない。やる気があるなら、仕事をがんばるのは当たり前だ。仕事をしなければ苦痛だろう(やる気があったためしがないので確かなことは言えないが)。やる気のある人はただ自分のしたいことをしているだけだ。どこにホメる要素があろうか。 
  • ツチヤの口車 第1160回 土屋賢二「詐欺にならない本の書き方」

    2020-09-03 05:00  
     新型コロナの感染予防のため、多種多様なマスク、フェイスシールド、マウスシールドが発売されているが、感染を予防する壺を売ったら詐欺になるだろうか。
     教え子に聞いた。
    「詐欺に決まってます」
    「でも壺を頭からかぶれば予防になる。あるいは使用法に『壺を常に抱えて歩くこと。しかし壺を絶対に人に見られてはいけない』と指示してあれば、人前に出られないから予防になる」
    「感染予防のお守りは売られています」
    「お守りにゴムをつけて無理やりマスクにすれば予防になる。大きいお守りなら頭からかぶれば前が見えないから、出歩けないし、人との接触もなくなる」 
  • ツチヤの口車 第1159回 土屋賢二「ロクでもないことしか気がつかない」

    2020-08-27 05:00  
     酷暑が続いている。今年が特別に暑いのか、それとも歳をとって暑さに敏感になっているのか、それともまだ若いから敏感に感じられるのかもしれない。外に出ると強烈な日差しで唐揚げになりそうだ。唐揚げが食べたいのかもしれない。
     暑い上に、新型コロナが終息しない。そのため、正義を振りかざしてマスクをしない人や帰省する人を弾劾する者が現れ、そういう弾劾行為を弾劾する人たちも現れた。これらの人たちは自分のしていることに罪悪感を抱かない。なぜなら、彼らは「正義を実現するんだ」という正義感に燃えているからだ。だが「何が正義か」は何とでも解釈できる(戦争もケンカも、正義を主張する者同士の争いだ)。だれでも自分は正しいと解釈しうるのだ。
     最近、わたしは彼らとは正反対だということに気がついた。不都合なことがあれば、いつも自らの正義感に従って、謙虚にも自分を責めてきた。そしてまわりの者たちも正義感に従ってわたしを断罪してきた。妻からは長年わたしが悪いと言われ続けてきたため、いまでは自分が極悪人か、よくても人でなしだと確信するに至っている。 
  • ツチヤの口車 第1158回 土屋賢二「ある取扱説明書」

    2020-08-19 05:00  
     取扱説明書は、保険証書の約款と並んで、最も読まれない文章である。哲学書に匹敵すると言っていい。取扱説明書が読まれない最大の理由は、当たり前のことしか書いていないからだ。
     金づちや針や大根に説明書が必要だろうか。電気製品ならプラグを差し込んでスイッチを入れさえすればすべてうまく行くはずだ。この先入観があるために、読むまでもないと思われているが、この先入観は誤りだ。ジェット機を説明書なしで動かせるはずがない。スマホでさえ全機能の数パーセントしか使いこなせていないのだ。以下は、ある取扱説明書の抜粋である。 
  • ツチヤの口車 第1157回 土屋賢二「高齢者の読書離れ」

    2020-08-06 05:00  
     一か月に一冊も本を読まない人は、日本人全体の半数近くにのぼる。驚くことに、一か月に一冊も読まない人が一番多い年齢層は七十代だという。たぶん二百歳以上の人を調べれば、読む人はほぼいないことが判明するだろう。
     なぜ高齢者は本を読まないのか。視力が衰え、小さい活字が見づらいためかもしれない(視力が劣化していない幼児向けの本はなぜか活字が大きい)。だが、視力はなくても、高齢者には資力と時間がある。 
  • ツチヤの口車 第1156回 土屋賢二「タイトル獲得後の記者会見」

    2020-07-30 05:00  
     藤井聡太棋聖が誕生したとき、日本中が喜んだ。輝くばかりの才能が花開き始めたことを喜びながらも、わたしは後悔した。道を誤った。わたしも同じ才能を与えられ、五歳から将棋を始めていればよかった。
     記者会見でも藤井棋聖は完璧だった。わたしがタイトルを取ったらこうなる。
    ――いまのお気持ちをお聞かせ下さい。
    「『いまのお気持ちは?』と聞かれるだろうという読みが当たったと思ってます。もっと予想しにくい質問をしてほしかった」
    ――すみません。タイトル獲得のご感想はいかがですか? ちなみに藤井棋聖は「うれしい気持ちがある一方、身が引き締まる思いです」と完璧なお答えでした。
    「うれしいと言うしかない。どんなうれしさかを細かく言うのは難しい。タイトルを獲得したうれしさと競馬で当てたうれしさは違うはずだし、タイトルを獲得した上に競馬で当てたら、うれしさは倍増してもおかしくないのに、それぞれのうれしさを表現する方法がない。 
  • ツチヤの口車 第1155回 土屋賢二「味にうるさい男」

    2020-07-22 05:00  
     グルメが嫌いだ。グルメを気取る男は自分の味覚が絶対だと思い込んでいるが、民族によって味覚は違う(ケイ素でできた宇宙人はものすごく好みが違うはずだ)。昔、鯛料理と勘違いしてタイ料理の店に入ったら、どのメニューも食べられなかった。そのとき思った。タイに生まれなくてよかった(鯛にも生まれなくてよかった)。
     夫婦間で味覚が違ったら悲劇だ。自分の好みを伝えればいいと思う人は世の中を簡単に考えすぎている。 
  • ツチヤの口車 第1154回 土屋賢二「究極の願い事」

    2020-07-16 05:00  
     七夕だ。老人ホームにも笹が置かれ、願い事を書いた短冊が飾られる。幼稚園児が書く短冊とは大きく違う。「一日も早く夫のもとに行けますよう」とか「メガビッグが当たりますように」といった短冊がある。
     子どもの書く願い事は、「警察犬になりたい」や「恐竜になりたい」のような意味不明のものや「地獄に落ちませんように」「パパの足がいいにおいになりますように」などだ。このころは父親の足のにおいをかぐ可能性を認めている分かわいい。五年後には「パパの足がにおわなくなりますように」となり、さらに五年後には「パパの足がなくなりますように」となり、その五年後には「パパがいなくなりますように」になる(五十年後には「パパがいつまでも生きて年金が入りますように」になる)。
     わたしなら何と書くだろうか。最初に浮かんだのは、「まわりが温厚になりますように。百分の一でいいから」だ(どれだけやさしさに飢えていることか)。 
  • ツチヤの口車 第1153回 土屋賢二「不安を感じない能力」

    2020-07-09 05:00  
     なぜ人間は不安を感じるのだろうか。答えは明らかだ。不安がなければ、行動は軽率になり、簡単にウイルスに感染し、事故で命を落としてしまう。生き延びるためには不安が必要だ。
     だがそうすると説明がつかないことが出てくる。不安のタネは無数にある。大災害に見舞われる、ガンが見つかる、核ミサイルが誤射される、地球が突如崩壊する、新型ペストが流行するなど、ありえないことではないのに、なぜ全部に不安を抱かないのだろうか。
     さらにわたしの子ども時代が不可解になる。
     子どものころ、世界は死ぬほど怖いものに満ちていた。人さらい、お化け、幽霊、鬼、父親などだ。そんな世界で暮らしていれば不安にさいなまれても不思議ではないが、不安を抱くことはほとんどなかった。予測する能力がなかったのか、待ち受ける恐怖に直前まで気づかなかった。毎日宿題を忘れては叱られ、翌日また宿題を忘れるのだ。