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記事 49件
  • ツチヤの口車 第1333回 土屋賢二「冷蔵庫にモヤシがある」

    2024-03-14 05:00  
     冷蔵庫を開けると数日前に買ったモヤシがある。使わないと傷んでしまう。それではもったいない。モヤシを使う料理で知っているのは、野菜炒めと焼きそばだけだが、野菜炒めはおいしくできたことがない。焼きそばなら市販の焼きそばソースを使えば失敗しない。そこで麺、豚肉、ソース、人参、ピーマン、キャベツを買ってきて焼きそばを作る。
     だが一袋二十円のモヤシを救うために何十倍もの金を投じるのはもったいなくないか? 「もったいない」が分からなくなった。
     かりに大谷翔平と藤井聡太の二人の才能を合わせもった人が野球にも将棋にも進まず、まったく才能がない演歌の世界に身を投じたらどうだろうか。 
  • ツチヤの口車 第1332回 土屋賢二「父の職業」

    2024-03-07 05:00  
     子どものころ、ほとんど何も分かっていなかった。いまと同じである。
     大人は確固とした世界観、倫理観をもち、明確な原理に基づいて行動していると子ども心に思っていた。そうでなければ、わたしにはどうでもいいように思えること(たとえば弟と将棋をするなど)に父がなぜ激怒したのか、説明できない。初めて訪れた外国で自分の知らないゲームをしているのを見て怒ることができるだろうか。世の中の仕組みや善悪の基準がはっきり分かっていなければ、怒る理由がない。天才棋士への道を断たれたわたしは大人には善悪の明確な基準があるに違いないと思っていた。
     だが大人になって分かったが、何事についても確固たる基準や原則はなく、気まぐれで怒り、行き当たりばったりで暮らしている人ばかりだった。わたしもめでたくその一人になった。 
  • ツチヤの口車 第1331回 土屋賢二「急がば転ぶ日々」

    2024-02-29 05:00  
    『急がば転ぶ日々』(文春文庫)が発売になる。
     ツチヤ本の購買から遠ざかっていたため、「ツチヤ? だれそれ? 本? 何それ?」と言って認知症を疑われた人もいるだろう。
     いまや、購買意欲を満たせなかったくやしさを、思う存分晴らすことができる。読書用、保存用、予備用、投資用、贈答用と、何冊でも買いたい放題だ。とくに入学祝、就職祝のシーズンのいま、そして誕生日、病気見舞い、クリスマスを十カ月後に控えたこの時期に、タイミングよく贈り物になる物を諸兄姉にお届けできるのは欣快の至りである。 
  • ツチヤの口車 第1330回 土屋賢二「透明人間になりたい」

    2024-02-22 05:00  
     カッコをつけることほどカッコ悪いことはない。わたしはどんなことがあっても、カッコをつけていることを悟られないよう長年、細心の注意を払ってきた。
     わたしから見ると最近の若者は理解を超えている。男が臆面もなくファッション誌を読み、脱毛し、パックし、メイクし、エステに行き、整形し、その上、散髪し、爪を切り、風呂にまで入って、テンとして恥じることがないのだ。
     若者がこんなに軟弱でいいのか。わたしの中には、「男たるもの、見た目には無関心であれ」という確固たる信念がある。
     立ち居振る舞いも例外ではない。女性タレントは脚を斜めに揃えて座り、コンテストに出た犬は見栄えのいい立ち方をさせられるが、もし男に「美しい座り方」があっても、そんなカッコをつけた座り方は心理的にできないだろう。 
  • ツチヤの口車 第1329回 土屋賢二「大谷選手と瓜二つ」

    2024-02-15 05:00  
     大谷翔平選手はいまや世界のスーパースターである。疑問に思っていることを教え子に聞いた。
    「大谷選手のような並外れた能力の持ち主に憧れる気持ちは分かる。だが彼とは大違いなのに、まるで自分のことのように自慢する者がいるのはなぜだ?」
    「憧れの人との共通点を探してつながりたいからじゃないですか? 日本人だとか出身地が同じなら自分も特別だと思えますから。大谷選手の親戚なら完全に自慢になります」
    「自分の母方の祖母の姪の孫の結婚相手の従弟の息子が大谷選手でもか?」 
  • ツチヤの口車 第1328回 土屋賢二「見る目が変わった」

    2024-02-08 05:00  
     いまお笑い芸人の行動が問題になっているが、それ以外にも近年、芸能界、スポーツ界の闇が次々に暴かれている。告発されているセクハラ、パワハラのひどさは目を覆うばかりだ。
     こう感じるのは、わたしの見る目、わたしの価値観が変わったからだ。昔、子どもは当たり前のように親や教師に殴られ、後輩は先輩に殴られていた。当時は殴られても痛いとしか感じなかったが、いまは違う。幼児虐待のニュースを見ただけで身体が震えるほど腹が立つ。それほど大きく価値観が変わったのだ。
     人権だけではない。犬はたいてい家の外で鎖につないで飼っていた。イギリスの動物愛護団体が日本の状態を虐待だと非難したときは違和感を覚えたほどだ。それがいまでは犬はたいていの家では中高年男よりも大事にされており、中高年男は家の外の犬小屋以外に寝る場所がなくなりそうな予感におびえている。 
  • ツチヤの口車 第1327回 土屋賢二「不便だったころ」

    2024-02-01 05:00  
     便利な世の中になったものだ。
     人類は、動物の丈夫な皮膚を失うかわりに、気温に応じて細かく暖かさを変えられ、その上、ドブネズミからヒョウまで模様も変えられる衣服を発明した。
     動物の鋭い聴覚を失うかわりに、必要に応じて補聴器から耳栓まで聴覚を調節できるようになった。視覚も、望遠鏡から顕微鏡まで、暗視鏡からアイマスクまで調節できる。
     動物の速く走る能力を失うかわりに、人類は用途に応じて多様な移動手段を発明し、陸上だけでも、レーシングカーから車椅子まで、乳母車から霊柩車まで使い分けられるようになった。
     中でも目ざましいのは、知的能力を増強したことだ。 
  • ツチヤの口車 第1326回 土屋賢二「三十五年前の自分へ」

    2024-01-25 05:00  
     お~い! 賢二! 七十九歳のお前だよ。こんなに長生きすることに驚いているだろうが、ここまで生きるのは、努力なしにできる数少ないことの一つだ(百歳の人に聞いても、「何もしていない」としか言わないだろう?)。なお、同じぐらい努力なしにできることは、死ぬことだ。
     自分が歳をとるとは思ってもいないから関心がないだろうが、歳をとっても気持ちは若いよ。義務や仕事から逃げたり、何でも先延ばしにする気持ちは若いときと変わらず旺盛だ。
     問題は身体だ。高さ三十センチの柵を飛び越そうとして失敗する。懸垂や腕立て伏せは一回もできない。真っ平らな地面で転ぶ。こうなった原因は、若いときからの鍛え方にある。若いときから、思い出したように腕立て伏せをしたり、トレーニングジムに入って三日でやめるなど、中途半端なやり方をしたが、いまからでも遅くない。歳をとるとこんな結果になるのだ。腕立て伏せもジムもやめろ。 
  • ツチヤの口車 第1325回 土屋賢二「高齢者の創意工夫」

    2024-01-18 05:00  
     歳をとると心身が衰えてくるが、高齢者は簡単にはくじけない。創意工夫をこらして切り抜けている。
     たしかに感覚は衰える(残念なことに、痛覚は衰えない)が、衰えた分は経験で補える。聴力が衰えても、相手の表情や口調から、過去の経験をもとに何を話しているか推測できる。わたしを叱っていないことが分かれば、それ以上知るべきことがあろうか。
     視力も衰えるが、細かい文字を大体の見当で読むようになる。若いころと違って、正確に理解する努力は払わない。はっきり読み取るために、虫眼鏡を長時間かけて探して読むほどの内容ではないだろうと過去の経験から判断する。はっきりさせる労力はもっと重要なこと(昼寝など)のために取っておく。 
  • ツチヤの口車 第1324回 土屋賢二「断り切れない男」

    2024-01-10 05:00  
     早熟な人はいるが、わたしは大器晩成タイプだ。なぜそう言えるかと言うと、これまで一度も芽が出なかったからだ。
     花開くのがいつなのか、どんな大輪の花が開くのか、楽しみにしてきた。今年こそ花開くのではないかと待ち続けて六十五年になる。それなのにまだ萌芽も見られない。この調子でいくと、花開くまであとどれぐらいかかるか分からない。これからは長生きできるかどうかが勝負だ。
     だが問題がある。長生きできるような生活をしていないのだ。これまで自然に従う生活を心がけてきた。自分の身体に耳を傾けて、身体が欲していれば肉の脂身を食べ、身体が休息を欲していれば休んできた。
     その結果、どう考えても長生きできない生活を送っている。なぜ自然に従うと長生きできないのか納得できないが、それが事実だ。