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記事 49件
  • ツチヤの口車 第1339回 土屋賢二「三人の頭の中」

    2024-04-25 05:00  
     意思疎通はどこまで大切なのか。他人の考えていることが分かったら、冷静ではいられない。たとえば電車で立っているときだ。
    【席に座る若い男】前に立っているジジイ、わざとらしく咳をして弱っているところを見せたいんだろうが、そうはいくか。紳士ヅラしやがって、歳を取れば譲ってもらえると思ったら大間違いだ。世の中甘くない。ちょっとイケメンだからって図にのるな。頭がいいことを自慢したいのか知らないが、手に持っているのは英語か何かのプリントか? おれだってプリントを持つぐらいできるんだ。そんなことで大きい顔をするな。「大きい顔」と言ったが、よく見れば小顔じゃないか。どこまで念がいってるんだ。 
  • ツチヤの口車 第1338回 土屋賢二「寿命を延ばす器具」

    2024-04-18 05:00  
     運動と睡眠が不足している。その分、食事でカロリーを補っているが、それでは不十分な気がして緑茶を飲むことにした。
     メカニズムは知らないが、緑茶は身体にいいという記事を読んだか、読まなかったか、どちらでもないかだ。原理はともかく、緑茶を飲めば健康になり、健康になれば長生きし、長生きすれば……何をするのか分かっていないが、とにかく何かすることができる。
     緑茶は苦いので、粉末にして湯に入れて飲むとやはり苦い。しかしオブラートで包んで飲む手がある。
     お茶挽き器が届くと、妻が組み立てた。妻も長生きしたいのだ。早速緑茶を挽いて飲んだ。寿命が一週間か一年か延びた気がした。延びた寿命をどう過ごすか考えるが、何も浮かばない。むしろ二百歳まで延びるのが心配になった。 
  • ツチヤの口車 第1337回 土屋賢二「父の疑念」

    2024-04-11 05:00  
     どの家にも分担がある。わたしの実家では、箏を教えることと娯楽は母の担当、残りは父が担当していた。
     子育ても父の担当だった。わたしがよちよち歩く後についていたのも父だった。
     演奏会の舞台で弾いているのが母だと分かると、わたしがお乳を求めて泣き叫ぶので、父が演奏会の合間にお乳をやってくれと母に頼むと、母は着崩れするからイヤだと断ったらしい。
     わたしがブランコに乗れないでいると、他の子をどかして乗せてくれた。本人は野球などしたこともなかったのにバットを作ってくれた。いつも父と一緒だったので、幼稚園の入園テストで、ヒヨコと一緒にいるニワトリの絵を見せられ、「これは何?」と質問されたとき「お父さんドリ!」と答えたらしい。子どもと一緒にいるのは父親だと思っていたのだ。そのとき付き添っていたのは父だった。 
  • ツチヤの口車 第1336回 土屋賢二「感謝の心は必要か」

    2024-04-04 05:00  
    「ありがとう」「ごめんなさい」の二つはちゃんと言えるようにしなさい。こう口を酸っぱくして教えられてきた。教えたのは妻だ。妻自身は、わたしに対してどちらのことばも使ったことはない。
     わたしは感謝も謝罪も数えきれないほど表明させられてきたため、いまでは心の中で鼻歌を歌いながら口に出せるまでになった。そのため、謝らなくてはならないとき、にこやかな顔を作って「ありがとう!」と言って激怒されたほどだ。
     なぜ感謝しなくてはならないのか。人間関係を円満にするためだと言う人がいるが、本当だろうか。むしろ「好意でやってくれたのかと思ったら感謝がほしいだけだったのか。感謝しない相手は助けないのか」という不信感が芽生えるのではなかろうか。 
  • ツチヤの口車 第1335回 土屋賢二「誤解を招く表現」

    2024-03-28 05:00  
     わたしは世の中に何の貢献もしていないと思われているが、大間違いだ。
     かつて埼玉県の和光市駅はホームも階段も老朽化が進み、崩れないようにそっと歩いたほどだった。池袋から二十分の位置にあって駅員がいることを除けば田舎の無人駅のようだった。
     だが、わたしが引っ越しして税金を和光市に払うようになった途端、老朽化していた駅のホームは一新され、複数の路線が通るようになったばかりか、駅前がきれいに開発されたのである。もう少し待っていたら、わたしの自宅も再開発されたかもしれない。 
  • ツチヤの口車 第1334回 土屋賢二「手を抜くにもほどがある」

    2024-03-21 05:00  
     コスパやタイパがブームである。映画を早送りで見たり、小説の結末をあらかじめ読んで、無駄を排除する若者の姿勢を嘆く人もいるが、わたしはまだ生ぬるいと思う。
     わたしのまわりには何十年も前からその傾向は存在していた。はるかに徹底した形で。
     イギリスに滞在していたとき、妻は個人教師に英語を教わっていた。毎回、問題集のレッスン一回分の問題を解くことが宿題だった。あるとき、妻が問題を一つおきにしか解いていないことに先生が気づいた。そのときのやり取りは次のようだったと思われる。
    「なぜ一問おきに解いているのですか?」
    「二問おきの方がよかったんですか?」
    「違う! なぜ問題を全部やらないのですか?」
    「間引きを知ってますか?大根を育てるときに間引かないといい大根がとれません」 
  • ツチヤの口車 第1333回 土屋賢二「冷蔵庫にモヤシがある」

    2024-03-14 05:00  
     冷蔵庫を開けると数日前に買ったモヤシがある。使わないと傷んでしまう。それではもったいない。モヤシを使う料理で知っているのは、野菜炒めと焼きそばだけだが、野菜炒めはおいしくできたことがない。焼きそばなら市販の焼きそばソースを使えば失敗しない。そこで麺、豚肉、ソース、人参、ピーマン、キャベツを買ってきて焼きそばを作る。
     だが一袋二十円のモヤシを救うために何十倍もの金を投じるのはもったいなくないか? 「もったいない」が分からなくなった。
     かりに大谷翔平と藤井聡太の二人の才能を合わせもった人が野球にも将棋にも進まず、まったく才能がない演歌の世界に身を投じたらどうだろうか。 
  • ツチヤの口車 第1332回 土屋賢二「父の職業」

    2024-03-07 05:00  
     子どものころ、ほとんど何も分かっていなかった。いまと同じである。
     大人は確固とした世界観、倫理観をもち、明確な原理に基づいて行動していると子ども心に思っていた。そうでなければ、わたしにはどうでもいいように思えること(たとえば弟と将棋をするなど)に父がなぜ激怒したのか、説明できない。初めて訪れた外国で自分の知らないゲームをしているのを見て怒ることができるだろうか。世の中の仕組みや善悪の基準がはっきり分かっていなければ、怒る理由がない。天才棋士への道を断たれたわたしは大人には善悪の明確な基準があるに違いないと思っていた。
     だが大人になって分かったが、何事についても確固たる基準や原則はなく、気まぐれで怒り、行き当たりばったりで暮らしている人ばかりだった。わたしもめでたくその一人になった。 
  • ツチヤの口車 第1331回 土屋賢二「急がば転ぶ日々」

    2024-02-29 05:00  
    『急がば転ぶ日々』(文春文庫)が発売になる。
     ツチヤ本の購買から遠ざかっていたため、「ツチヤ? だれそれ? 本? 何それ?」と言って認知症を疑われた人もいるだろう。
     いまや、購買意欲を満たせなかったくやしさを、思う存分晴らすことができる。読書用、保存用、予備用、投資用、贈答用と、何冊でも買いたい放題だ。とくに入学祝、就職祝のシーズンのいま、そして誕生日、病気見舞い、クリスマスを十カ月後に控えたこの時期に、タイミングよく贈り物になる物を諸兄姉にお届けできるのは欣快の至りである。 
  • ツチヤの口車 第1330回 土屋賢二「透明人間になりたい」

    2024-02-22 05:00  
     カッコをつけることほどカッコ悪いことはない。わたしはどんなことがあっても、カッコをつけていることを悟られないよう長年、細心の注意を払ってきた。
     わたしから見ると最近の若者は理解を超えている。男が臆面もなくファッション誌を読み、脱毛し、パックし、メイクし、エステに行き、整形し、その上、散髪し、爪を切り、風呂にまで入って、テンとして恥じることがないのだ。
     若者がこんなに軟弱でいいのか。わたしの中には、「男たるもの、見た目には無関心であれ」という確固たる信念がある。
     立ち居振る舞いも例外ではない。女性タレントは脚を斜めに揃えて座り、コンテストに出た犬は見栄えのいい立ち方をさせられるが、もし男に「美しい座り方」があっても、そんなカッコをつけた座り方は心理的にできないだろう。