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記事 12件
  • 欽ちゃん82歳の人生どこまでやるの!? 第47回「スミちゃんとはずっと恋人みたいな関係だった」

    2023-06-08 05:00  
     ぼくの奥さんのスミちゃんが亡くなってから、早いもので三年が経つんだね。
     今でもときどき思い出すのは、スミちゃんが作ってくれるお味噌汁の味。
     ぼくは彼女と一緒になったとき、「料理が上手になろうなんて考えなくていいからね」と伝えた。
     仕事柄、いつも外で誰かに食事をご馳走したりされたりしているから、せっかくスミちゃんが作ってくれた料理を「お腹がいっぱいで食べられない」というのが嫌だったからだ。
     なので、彼女はぼくが(神奈川県の)二宮の家にときどき帰った時も、豪華な食事は決して作らなかった。
     でも、そのとき作ってくれるアジの開きやお茶漬けは、いつも、素朴だけれど心に沁みるようにほっとする味だった。 
  • 欽ちゃん82歳の人生どこまでやるの!? 第46回「スミちゃんは『情黙』の人だった」

    2023-05-10 05:00  
     神奈川県伊勢原市の遠くに海が見える山に、能満寺と高岳院という寺院がある。
     以前にも少し話したけれど、ぼくはそのお寺の敷地に、小さな「欽ちゃん寺」を作らせてもらうつもりなんだ。
     協力してくれている住職の松本(隆行)さんは、駒澤大学の仏教学部に通っていた時に出会った人。大学でのご縁によって結ばれた彼のご好意で、お寺ではいま、いろんな計画が進んでいるの。 
  • 欽ちゃん81歳の人生どこまでやるの!? 第45回「何より大事な『間』の話」

    2023-04-13 05:00  
     去年からぼくが続けてきたYouTubeの「帯欽」。実は今は配信の回数を減らして、木曜日だけにしているんだ。
     一年間、YouTubeを続けてきて思ったのだけれど、やっぱりテレビや舞台とは勝手が違ってさ。
     なので、しばらくお休みをもらって、どうしたらぼくなりの「笑い」をそこで表現できるのかを、もう一度ゆっくり考えてみようかな、と思ったの。
     ぼくが「帯欽」をやっていていちばん気になっていたのは、「笑い」にとって何より大事な「間」についてのことだった。
     YouTubeの番組で生配信をしていると、視聴者の人たちは次々に流れてくるコメントを同時に見ているでしょ。
     ぼくはその感覚にどうもうまく馴染めないものを感じちゃってさ。
     というのも、自分が浅草で修行して、テレビでもやってきた「笑い」というのは、いかに「間」を活用していくかというものだったからだ。 
  • 欽ちゃん81歳の人生どこまでやるの!? 第44回「ぼくの母ちゃんは『可愛さ』があった人だった」

    2023-03-23 05:00  
     ぼくの母ちゃんは、とても子供を育てるのが上手な母親だった、と今になって思う。
     たとえば子供の頃、ぼくが学校から通知表をもらって帰ると、必ず「褒めるところ」を探してくれてね。十段階評価でオール五の成績を見せたときには、こう言って喜んでくれた。
    「まあ、なんて数字がそろっていて綺麗なんでしょう!」
     高校時代のある時もそうだった。
     ぼくは二百五十人の中の二百十番という成績をとってしまってね。その通知表を見た母ちゃんは、「あらまあ」と甲高い声を上げ、しばらく紙を「うーん、うーん」と見続けてから言ったんだ。
    「わー、後ろに四十人もいるじゃないの!」 
  • 欽ちゃん81歳の人生どこまでやるの!? 第43回「『家にいない父』との思い出を話そう」

    2023-02-22 05:00  
     ぼくはこれまで、あまり父親について語ったことがなくてね。今回はその父との思い出を、いくつか振り返ってみようと思うんだ。
     ぼくの父の名前は萩本団治という。香川県小豆島のまんじゅう屋の三男で、小学校を卒業した後、戦前は大阪で丁稚として働いていたと聞いている。
     彼はぼくを含めて六人の子供の父親だったわけだけれど、何しろ「家にいない父」でさ。
     というのも、東京でカメラ屋をやっていた父は、土日にならないと全く家には帰ってこなくてね。
     ぼくは小学生の頃、埼玉県の浦和の家に住んでいたんだけれど、父が帰って来るといつも何だか緊張したものだった。 
  • 欽ちゃん81歳の人生どこまでやるの!? 第42回「素人の面白さを教えてくれた『スター誕生!』」

    2023-01-26 05:00  
     ぼくの「母校」駒澤大学が箱根駅伝で総合優勝を遂げた。今シーズンは出雲駅伝と全日本大学駅伝につづいて学生駅伝三冠を達成したから、とても嬉しかった。
     ところで、今年は箱根駅伝も見たけど、ぼくは毎年、お正月は「仕事について考える日」にしてきた。
     元旦というのは、多くの人が仕事のことは忘れて、お酒を飲んだり、テレビでお正月番組を見たりしているものでしょ。
     でも、ぼくはみんなが何かをしているとき、それと逆のことをするのが好きでね。天邪鬼かもしれないけれど、そうすると「運」が自分の方に向かってくるような気がするの。 
  • 欽ちゃん81歳の人生どこまでやるの!? 第41回「さんまちゃんと二度とゴルフしない理由」

    2022-12-15 05:00  
     あれは一九八七年のことだから、もう三十年以上前になるんだね。「欽ドン!」の最終シリーズに、(明石家)さんまちゃんが出演してくれたときのことだ。
     その日の舞台は僕にとって、今でも忘れ難いものでさ。何しろ当時三十一歳だったさんまちゃんは、学生服姿で障子を開けて舞台に入ってきた途端、ずっと喋りっぱなし。次々にボケを繰り出しては、お客さんを大いに盛り上げ続けたのだから。
     このときのことが忘れられないのは、そんなさんまちゃんを見て、何とも不思議な気持ちになったからだ。
     というのも、コント55号で二郎さんとやるときもそうだったんだけれど、コメディアンは相手が「攻めて」くると、「負けてたまるか」という気持ちになるものだ。
    「この人、俺をやっつけようとしてるな」
     そう感じて、こっちもどんどん攻撃をしかけよう、と思う。そこにはいつも、ちょっとだけ「嫌だな」「やりにくいな」という気持ちも混ざっている。
     ところが、さんまちゃんと一緒に舞台にいると、そんな気持ちが全然湧いてこなかったの。 
  • 欽ちゃん81歳の人生どこまでやるの!? 第40回「風見しんご“60歳からの挑戦”」

    2022-11-24 05:00  
     この前、ぼくのやっているYouTubeの「帯欽」に、風見しんごちゃんが出たいと言ってきたんだ。
     何でも「お伝えしたいことがある」ということで、それなら記者会見風にやってみよう、という話になってさ。
     以前、この番組にかかわってくれているディレクターの土屋敏男さんが、「たいしたことのない話を記者会見で話す」というコントっぽい試みをしていてね。
     単に会社を辞めました、というくらいの他人には関心のない話を、大げさに会見で話す趣向が面白かったんだ。 
  • 欽ちゃん81歳の人生どこまでやるの!? 第39回「ぼくがコロナで入院して気づいたこと」

    2022-10-27 05:00  
     十月になってすっかり涼しくなってきたね。ただ、今年の夏のぼくはずいぶんと「病院通い」が多かったんだ。
     六月にはかかりつけのお医者さんから、「欽ちゃん、ヘルニアになっているから、そのうち手術しましょう」と言われてさ。
     心の準備をしていたら、翌七月のある朝、今度は何だか右腕に痺れを感じた。
    「何だかおかしいなあ……」
     そう思って病院に行くと、先生が難しい顔をしてすぐ検査に。そうしたら軽い脳梗塞を起こしていることが分かったの。
    「あと三時間遅かったら危なかったですよ」
     先生に言われて、ぼくは四日間ほど入院することになった。退院するとき、
    「欽ちゃんがすぐに来てくれたから、後遺症がなく帰れるんですよ」
     と、教えられたんだけれど、八十歳を超えるとやっぱり体のあちこちにガタが来るんだねェ。 
  • 欽ちゃん81歳の人生どこまでやるの!? 第38回「テレビの常識を破った『欽ドン!』の話」

    2022-09-01 05:00  
     八月の中旬、ぼくはコロナにかかって、持病もあるから、お医者さんに勧められて入院したんだ。みんなに心配かけちゃったけど、無事に退院して、元気だから安心してね。
     さて、入院中はいろんなことを考えた。思えば今年でぼくは八十一歳、ラジオ番組で「欽ちゃんのドンといってみよう!」を始めてから、ちょうど五十年の節目に当たるんだね。
     そこで、コロナの話はまたの機会にするとして、今回はあの番組のことについて話したいと思う。
     リスナーからのハガキをもとにしたこの番組は、二年半後にテレビでやるようになって、視聴率三〇%を超えた。ぼくにとっては、「テレビ」という世界での成功につながった本当に思い出深い番組だ。
     ぼくが「欽ドン!」をテレビでやりたいと思ったのは、ラジオでのハガキで募集していた「2行コント」のコーナーを、とても面白いと感じていたからだった。