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記事 49件
  • 夜ふけのなわとび 第1796回 林真理子「ボーン」

    2023-06-01 05:00  
     池袋の駅前で、私の体は宙に舞った。
     一ヶ月前のこと、お芝居を観に行った帰りである。
     私はスニーカーを履いていた。この頃は、猫背気味になるのもよしとして、足元をちゃんと見る。ヒールのあるものはほとんど履かない。かなり用心していたのであるが、ついあたりを見わたした。一緒にいた人に、
    「私、学生の頃、池袋に住んでいたことがあるの」
     と話しかけた。
     東京芸術劇場がある西口にはしょっちゅう来ているのであるが、西武がある東口は何年かぶりだろう。
     私が大学生の頃、西武の前はごちゃごちゃした商店街であった。その路地を入ったところにあんみつ屋があり、私はそこでアルバイトをしていたのである。
     
  • 夜ふけのなわとび 第1795回 林真理子「揺れている」

    2023-05-25 05:00  
     綺麗な少年を持つお母さんに、慣用句ともいえる誉め言葉がある。
    「将来、ジャニーズに入れるんじゃない?」
     すると、
    「まあ、そんな」
     とたいていの親は相好を崩す。
     が、中には四分の一ぐらいの割合で、こう言うお母さん、お父さんがいる。
    「絶対にそんなことしない。ジャニーさんに何かされるから」
     そのくらい、一般人にとってもそのことは知れ渡っていたのである。 
  • 夜ふけのなわとび 第1794回 林真理子「故郷の作文」

    2023-05-18 05:00  
     連休は故郷山梨の温泉へ。
     最近、私の実家の近くに、ものすごくいい旅館が出来たというのだ。
    「ふつうの田舎に、あんないい宿が出来たなんてびっくり。あまりよかったので、さらに二泊してきた」
     と温泉通の友人が言う。
     ネットで調べてみると、確かに今流行のおしゃれな宿が出来ている。これといって何もない、桃畑が続くところに、だ。さっそく予約しようとしたところ、休日はすべてふさがっていた。それならばと、平日の五月一日と二日を調べたところ、一日だけ予約することが出来た。せっかくなので、近くの石和温泉にも一泊することにした。
     姪を誘うと大喜び。
    「ゴールデンウイーク、仕事があって何にも予定してなかった。嬉しい」
     先日の箱根も一緒に行った姪。外資系のIT企業の広報をしている彼女とは、とにかく気が合う。お芝居や歌舞伎を見に連れていくと、
    「伯母ちゃん、本当に面白いよ」
     とどんどん吸収していくさまが嬉しい。 
  • 夜ふけのなわとび 第1793回 林真理子「わが母国」

    2023-05-10 05:00  
    「母国」という、やや古めかしい言葉がある。「スーダンから日本人脱出」のニュースを見て、久しぶりにこの言葉を思い出した。
     強くお金がある母国があることの幸せ。(議論はあるとしても)立派な飛行機が降り立ち、全力をあげて自国民を助けてくれる。
     フランスの救援機には、ペット用の大きなキャリーも積み込まれた。可愛がっているものならば、ワンコだって助けてくれるのだ。戦火の中を逃げまどうスーダンの人たちを尻目に。国家の体をなさない、混乱の国に生まれた人たちは本当に気の毒だ。ニュースを見るたびに心が痛む。どうすることも出来ないこともつらい。ウクライナもそうだが、生まれてきた国によって、幸せは左右される。
     そこへいくと日本はまだまだいい国だと思いませんか。 
  • 夜ふけのなわとび 第1792回 林真理子「動き出した」

    2023-04-27 05:00  
    「コロナで、もうクラシック業界はおわりだね」
     ある人が言った。
    「クラシックは、中高年によって支えられてきたけど、もうそういう人たちが行かなくなったんだもの」
     私はオーケストラや器楽のコンサートにはあまり出向かないが、オペラは大好物。毎月のように新国立劇場に出かけていた。
     しかし、確かにコロナの間中、空席が目立つようになった。外国からの主役級が来なくなり、日本人歌手が抜てきされ大活躍したこともあったのに。
     それより心配だったのが歌舞伎であった。一階の観客を数えて十八人、というのもこの目で見ている。ものすごくいい配役なのにびっくりだ。
    「コロナが明けても、オペラや歌舞伎に行く習慣がなくなったとしたら、今後大丈夫なんだろうか」
     胸を痛めていたのであるが、それは杞憂に終わった。先日歌舞伎座に『新・陰陽師』を観に行ったらほぼ満席。嬉しかったのは、若い人たちがいっぱい来ていたことだ。 
  • 夜ふけのなわとび 第1791回 林真理子「ありきたり」

    2023-04-20 05:00  
     今年も恒例の「桃源郷ツアー」に出かけた。各社の編集者たちとバスを仕立てて、山梨で美しい桃の花を満喫する、というものである。
     年によっては、
    「桃を存分に食べたい」
     という声が強くなり、真夏に行なわれることもあるが、今年は花を愛でたい、という意見が強かった。
     一宮御坂で高速を下りる。いつもならピンクのカーペットを敷いたような盆地が見られるはずだ。しかしそこにあるのは、さわやかな若葉の畑……。
     いつもより一週間、花が散るのが早かったのである。
     しかし今年初めてのコース、「ぶどうの丘」のテラスでのバーベキューが大好評だ。 
  • 夜ふけのなわとび 第1790回 林真理子「ネーミング」

    2023-04-13 05:00  
     昔から不思議であった。
     どうして保険のレディと、ヤクルトレディは、あれほど職場の奥深く、ふつうに入ってくるのだろうか。
     勤めている時、大きな会社で打ち合わせをしていて、ふと顔を上げると、あきらかに社員ではない中年の女性が、にこやかに社員の人と談笑しているではないか。
    「あの人、誰ですか?」
    「保険のオバさんだよ」
     当時は、オバさんという呼称が許されていた。CMだってあった。
    「ニッセイのオバちゃん、今日もまた、笑顔をはこんでいるだろな~」
     という歌を憶えている人も多いだろう。
     CMに出てくるのは、ぽっちゃりとした、いかにも世話好きそうな初老の女性。自転車に乗って、あたりに挨拶する。
     しかし時代は変わり、呼称は「セールスレディ」になり、CMに出てくるのは、若く綺麗な女性。バリキャリを絵に描いたようなスーツを着ている。
    「ヤクルトおばさん」も「ヤクルトレディ」に。こちらもCMに出てくる女性がぐっと若くなった。
     私は街で、ヤクルトレディを見かけると、よく呼び止めてヤクルトを買う。なぜかとても得したような気分になる。
     私が勤める日大の本部のロビイに、金曜日になるとやや年配のヤクルトレディが立つ。コロナ前は各フロアを歩いていたらしいが、今はこの場所と決められているようだ。 
  • 夜ふけのなわとび 第1789回 林真理子「眠れない」

    2023-04-06 05:00  
     春になると眠くなる。
     車に乗っていても、コンサートの途中でも気づくと意識がとんでいる。
     さすがに会議の時は、
    「寝てはいけない」
     と言い聞かせ、必死で背筋を伸ばすようにしている。
     よくいろんな人から、
    「こんなに忙しくて、眠る時間あるの」
     と聞かれるがとんでもない。毎日、六時間から七時間は確保するようにしている。
     ひと仕事終え、お風呂に入るのが私の至福の時。 
  • 夜ふけのなわとび 第1788回 林真理子「大人の桜」

    2023-03-30 05:00  
     この号が出る頃にはわからないが、今、東京は桜が満開だ。
     今回わかったことであるが、私が通う市ケ谷の日大本部のあたりは、桜の名所だったのだ。まず靖国通りがずーっと桜の並木が続く。ちょっと足を延ばせば靖国神社が、一駅先には武道館。まわりの桜が素晴らしい。
     私が子どもの頃、卒業式の送辞、答辞は、
    「梅の花がほころぶ今日……」
     であり、入学式は、
    「桜の花が満開の下……」
     であったと記憶している。あきらかに季節が一ヶ月ずれている。
     それにしても、と私は思う。子どもの頃は答辞とか送辞といったものにはまるで縁がなかったなあ。ああいうのは優等生がやるものだと考えていたし、実際そうであったろう。 
  • 夜ふけのなわとび 第1787回 林真理子「本を読もう」

    2023-03-23 05:00  
     三月、駅の中の施設に大きな入れ替えがあり、時々行っていた中華料理店がなくなってしまった。トンカツ屋も。ショックだったのは、書店が姿を消したことだ。
     私はこのチェーン店に対し、駅前にあった「幸福書房」ほどの愛着を持っていたわけではない。それでも時々は行き、私の新刊の並べ方をチェックし、まとめてベストセラーを買ったりしていた。
     店長さんいわく、
    「うちは黒字だったんですけど……」
     もっと収益があがる業種にとってかわられたということか。お鮨屋のチェーン店が入るという噂である。
     代々木上原といえば、人気の住宅地。有名人、文化人もあまたいらっしゃる。その街から本屋が一軒もなくなるというのは、全くもって残念でならない。