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義足でプロレス復帰する凄いヤツ! 谷津嘉章■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」
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義足でプロレス復帰する凄いヤツ! 谷津嘉章■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

2021-06-13 10:47
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    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは
    義足でプロレス復帰する凄いヤツ! 谷津嘉章です!


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    ――2
    019年に糖尿病の影響から右足を切断した谷津さんですが、「サイバーファイトフェスティバル」で義足を装着してプロレス復帰。谷津さんって人当たりがいいんですけど、プロレスラーとしての評価はイマイチなところがあったんですが、ここにきてプロレスラーとして一番輝いているような……。

    小佐野
     現役の頃より必死にプロレスに取り組んでる雰囲気があるよね。生き方も前向きでポジティブだし。

    ――
    いろんなものを失っていく中で最後に残ったものが“プロレス”だったのかもしれないですね……。

    小佐野
     谷津さんが右足を切断したのは長州さんの引退の頃でしょ。「なんで長州は幸せで、俺はこんな目にあうんだ」みたいなことを言ってたけど。リハビリをやり通してオリンピックの聖火ランナーをこなしたり、こうやってプロレスに復帰した。こんな前向きな人だったんだなって尊敬しますよ。

    ――
    あの歳で義足でリングに立って試合をするのは相当なことですよね。

    小佐野
     だって義足でタックルってなかなかできることじゃないよ。片足であんな動きができるのはちょっと信じられない。

    ――
    いくら義足の性能がいいとは言っても。

    小佐野
     だって片足の感覚がないわけだから。 ヘッドロックをやるにしても3点のバランスが成り立たたないとできない。谷津さんはロープワークやスープレックスまでやっちゃうんだから、すごい身体能力ですよ。

    ――
    いまになってこんなに“すごいヤツ”だと(笑)。

    小佐野
     すごい人であることはわかってたんだけど。30歳のジャパンプロレスのときにレスリングのプロアマオープン化で、日本選手権に出て男子フリースタイル130キロ級で優勝した。普通は出ないですよ。負けたら格好悪いもん。

    ――
    あのときの谷津さんの優勝って「プロレスラー最強幻想」を高めるひとつのピースになりましたよね。

    小佐野
      ああいうことにチャレンジできちゃう人なんだよ。北原光騎はあのときの谷津さんの勇姿を見て、スーパータイガージムをやめて、長州さんたちがいなくなったあとのジャパンプロレスに入ったわけだから。

    ――
    よく馬場さんは反対しませんでしたね。

    小佐野
     あのとき谷津さんはジャパンプロレスの人間だったから。プロレスはともかく他の活動は何も言えない。

    ――レスリング連盟の福田(富昭)さんに頼まれたこともあったんでしょうけど、谷津さんは勝てる自信はあったんでしょうね。

    小佐野 なにしろ「日本レスリング史上・重量級最強の男」と呼ばれていたわけだから。切断手術してから数ヵ月後のときのリハビリ映像を見たら、もう歩いていたからね。普通の人なら無理ですよ。 一時期はすごく痩せたけど、いまは身体の厚みもあるし。

    ――
    手術前ですらリングに上がれるような身体には見えなかったんですけどね。

    小佐野
     そうだよね。明らかに不健康だったから。 

    ――
    それが右足がなくなってからのほうが元気に見えるという。

    小佐野
      そういう前向きな気持ちになれるようにサポートしてくれた人たちもいたってことですよね。なかなかひとりでは頑張れないから。 片足がなくなってしまったことは不幸だけど、いま谷津さんは人生の中では不幸な時期ではないんじゃないかな。

    ――
    もともと谷津さんはスーパールーキーとして新日本に入団したわけじゃないですか。

    小佐野
     新日本としては80年代は谷津さんをエースにしようと考えていたはずなんだよね。東西冷戦の西側諸国によるモスクワオリンピックボイコット後、すぐに新日本に入団して。日本代表の赤のジャケットを着た谷津さんの入団会見を私も取材してますからね(笑)。

    ――
    歴史の証人ですね(笑)。

    小佐野
     そのときの谷津さんは、とくに気負った感じはなく、こっちが拍子抜けするぐらい力が入ってない。のちのち本人に聞いたら「自信があった」と言っていたんだけどね。入団する前に猪木vsルスカがあったでしょ。そのときのルスカの公開練習で谷津さんはスパーリングの相手をやったんですよ。

    ――
    大学生時代の谷津さんですよね。裸では谷津さんが圧倒したけど、柔道着だとボコボコにされて。ルスカを猪木さんに繋いだのは福田さんだから谷津さんが選ばれて。

    小佐野
     猪木さんとも入団前に知り合ってはいたはずだから。

    ――
    レスリングでアメリカ遠征中に猪木さんと会う機会があって、猪木さんから小遣いをもらったことがあったとか。 

    小佐野
     谷津さんは「やれば一番になれるのかと思ったら、プロレスは強さだけじゃなかったんだよね」と。谷津さんが不幸だったのは、誰にも教わらないでいきなりデビューしちゃったこと。 新日本の道場で基礎練習をやらされるんだけど、谷津さんは充分に体力はあるから、それよりも早くプロレスの技術を教えてほしかった。ちゃんと教えてもらえないうちにニューヨークに行かされてね。仕方ないからニューヨークにいたキラー・カーンに受け身を教わって。 

    ――大物新人をなんという扱いなんですかね(笑)。育成システムは当時は確立されてなかったというか。

    小佐野
     谷津さんはカール・ゴッチのところに送り込まれなかった初めての新日本のレスラーなんですよ。 だいたいはタンパのゴッチのところで教わるんだけど、谷津さんの場合は実験的にいきなりニューヨークだから。あの頃の新日本はもうゴッチの教育はいらないと判断したのか。谷津さんは最初から強かったしね。

    ――
    シュートテクニックを身につける必要はないと。同じオリンピアの長州さんもゴッチさんのところで揉めちゃいましたね……。

    小佐野
     ニューヨークに渡ったのはジョン・レノンがニューヨークで殺されて数日目とか言ってたよ。2~3週間後にMSGでデビューだからね。

    ――
    すごい扱いですよね。

    小佐野
      パット・パターソンに預けられたんだけど、べつに何か教えてくれるわけでもなく、ただ居候してるだけ。それでいきなり日本でもデビューさせられちゃった。

    ――
    伝説のデビュー戦ですよね。

    小佐野
     猪木さんと組んでブッチャー&スタン・ハンセンとメインで戦うという、これまた破格の扱いなんだけど、ボコボコにさてしまってね。大流血。

    ――
    何も知らないうえにブッチャー&ハンセンなんだから、そりゃそうですよね(笑)。

    小佐野
     あのときはブッチャーが移籍したばっかりで張り切ってるし、ハンセンと「どっちが強いか」って張り合いが谷津さんに向けられてしまったというね(笑)。


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