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日本は欧州で始まった第二次世界大戦に乗じて北部仏印(現ベトナム北部)に兵を進めます。この連合国フランス領への進駐がアメリカを刺激し、一九四〇年十月十六日、対日経済制裁として屑鉄、鉄鋼の禁輸が開始されました。日米開戦まであと一年。今回はこの間に日本とアメリカでどのような交渉があり、太平洋戦争が始まったのかを説明します。
四一年四月十六日、日本の近衛文麿首相とアメリカのルーズベルト大統領による首脳会談を行うための「日米諒解案」がまとめられました。かかわったのは、米国側は神父、日本側は元官僚。両国とも正式な国の代表ではなく、その内容はあくまで交渉のたたき台ではありましたが日中戦争の収拾と日米関係改善を一気に進められる内容でした。ただ国務長官のコーデル・ハルは野村吉三郎駐米大使に、諒解案は次の原則とセットで扱うよう述べています。それが日米交渉の大前提というわけです。
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最終更新日:2024-11-08 18:00
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