閉じる
閉じる
×
11月29日、キッシンジャーが死んだ。100歳だった。
自分の世代にとってキッシンジャーは、ニクソン訪中の黒幕だった。東西冷戦の最中にアメリカと中国が国交を結んだのは「ウルトラC」(当時、掟破りの技をそう呼んだ)で、その端緒を開いた大統領補佐官キッシンジャーの外交テクニックが絶賛された。
キッシンジャーは1923年にドイツに生まれ、ユダヤ人迫害を逃れてアメリカに移民。ハーヴァード大学で国際政治を学んで、1961年、ケネディ大統領の顧問になった。その後、1969年、ニクソン大統領の補佐官になり、1973年、ベトナム戦争終結に尽力したと評価されてノーベル平和賞を受賞した。同時期に国務長官に就任。ニクソンがウォーターゲート事件で辞職した後を継いだフォード政権でも留任し、以降も共和党政権の外交に隠然たる影響力をふるい続けた。しかし……。
この記事は有料です。記事を購読すると、続きをお読みいただけます。
入会して購読
チャンネルに入会して、購読者になればこのチャンネルの全記事が読めます。
入会者特典:当月に発行された記事はチャンネル月額会員限定です。
週刊文春デジタル
更新頻度:
毎週水,木曜日
最終更新日:2024-11-15 18:00
チャンネル月額:
¥880
(税込)
ニコニコポイントで購入
この記事は月額会員限定の記事です。都度購入はできません。