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記事 3件
  • 2024年5月31日号:ニュースに一言

    2024-05-31 07:00  
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    ●新年度が始まり学校にも春休みを終えた学生たちが元気な姿で戻って来ました。新学期で気になるのはなんと言ってもクラス分けでしょう。新入生はもちろん、進級した生徒たちもその対象になりますので「○○さんと同じならいいな」「○○君と一緒は嫌だ」など期待と不安でいっぱいのことと思います。そんなクラス分けを滋賀県守山市の中学校が1回決めて発表したにもかかわらず、保護者からの指摘で白紙に戻したというニュースがありました。
    学校側はやり直しの理由を「人間関係などを考慮し修正する中で、最終的に大事な部分が抜けていた」と話していますが、クラス分けをする際には成績上位者をまんべんなく振り分けるほか“いじめっ子”と“いじめられっ子”を一緒にしないなどの配慮は当然されていたはずです。
    それにもかかわらずご破算にしたのは「○○さんと同じクラスになるくらいなら学校にいかない」と言うわが子を説得できなかった、たった一人の親の申し出をそのまま受け入れたからにほかなりません。今回の措置のために始業式がやり直しとなり、授業開始が遅れたといいますから、仮に“生徒のため”だったとしても、一人のために大多数の生徒が迷惑を被っているのは事実です。学校側が事なかれ主義に陥り保護者の言いなりになったのでは、生徒は先生を信用できません。なにより心配なのは学校に意見した親が誰だか分かってしまうことです。その子に対して「なに勝手なこと言ってんだ」「おまえが俺たちを嫌なように、俺たちもおまえが嫌い」なんてことになりかねません。
    学校は一人の保護者の満足のために大きな課題を背負うことになりました。中学校は勉強だけでなく社会性を学ぶ場でもあります。3年間クラス替えがなければ40名だけで終わるクラスメイトが、それにより3倍の120名に増えます。仲の良い友達と離れるのは寂しいでしょうが、クラスが替わろうと友情がなくなることはありません。それよりそれまで親しくなかった人たちと芽生える新たな友情に期待しましょう。今まで頑張ってきた人はさらに頑張る。頑張ってこなかった人はリセットして今度は頑張る。気持ちを新たに未来を向く、そんな新学期であってもらいたいものです。
     
     
    ●大阪府の吉村知事が会見で自身の発言を謝罪撤回したというニュースがありました。吉村知事はテレビ朝日が放送する「モーニングショー」でコメンテーターの玉川徹氏が再三にわたり来年に開催が迫る「大阪万博」に異議を唱えることに反発し、党の集会で「玉川さんは万博に出入り禁止、来たいと言っても入れてやらない」などと発言していました。彼の言葉はすぐにSNSで拡散され「何様のつもりだ」「万博に対しては自由に意見を言うこともできないのか」と批難があふれました。
    吉村さんや維新を嫌いな人がここぞとばかりに攻撃したい気持ちはわからないでもありませんが、わたしは今回の彼の発言を大した問題とは思っていません。実際に知事が来場者を選別する権限を持っているわけでもなく単なるジョークでありいちいち反応する必要はないと考えるからです。さらにその場は“身内”ばかりの私的な会合であり、その中でさえ軽口のひとつも許されないなんて、それこそ発言の自由の侵害です。
    吉村知事の出禁発言ばかりが注目されていますが、重要なのは万博開催の是非であり、玉川さんの来場の是非なんてどうでもいいことです。吉村知事は会見の中で「テレビは公平な放送をお願いします」とも言いましたが、こちらは“出禁発言”と違って重要なことです。新聞なら「万博反対」の論陣を張り一歩的に攻め立てることも許されます。しかしテレビはそうもいきません。放送法第4条に「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」とあるからです。これは新聞が自身の力だけで発行するのに対し、テレビは国民の共有財産である電波を“借り受けて”放送しているからです。
    国民それぞれが違う意見を持つのにテレビが「これ以外は認めん」なんてあり得ないのです。しかし現在のテレビの傲慢ぶりはすさまじく「我こそがオピニオンリーダー」とばかりに偏向放送を垂れ流しています。テレビ放送が始まって以来、放送免許が取り消された事例はありません。正常な放送を取り戻すためにも既得権に守られたこの体制を見直す時期が来ているのではないでしょうか。また、放送法第4条には「政治的に公平であること」ともあります。いよいよ衆院選の補選が始まります。皆さん、ちゃんと守られているかよく監視していて下さい。
     
     
    ●小池百合子東京都知事の学歴詐称問題が再燃しています。彼女の「エジプト・カイロ大学首席卒業」という経歴は以前から「ウソではないか」との疑問がありましたが、エジプト大使館を経由した大学側の「卒業しました」との声明によりうやむやのまま沈静化していました。それがここにきて「過去の声明は小池氏が捏造を依頼して出されたもの」との証言が出てきたのですから大変です。しかもその証言者が東京都の特別顧問や都民ファーストの会事務総長を務めた小池氏の最側近となると穏やかではありません。その信憑性は極めて高いものと考えられます。学歴詐称はれっきとした公職選挙法違反です。もし告発が真実なら小池氏は政治家失格、いや犯罪者と言ってもいいでしょう。わたしは自身が大学中退ということもあり、他人を学歴で評価することはありません。たしかに“偏差値”の高い大学出身者が勉強得意なのは認めます。しかしそれはあくまで紙のテストの答えをすばやく導き出す能力に優れているに過ぎず、人間としての能力が高いのとは別です。ましてや卒業して社会人となれば、そのときの自分そのものが実力のすべてであり過去の学歴なんてただの“足跡”にしか過ぎません。そんなものに小池氏がなぜ執着したのか。小池氏はテレビキャスターから政界に転身しました。すでに知名度もあり、またその職業からも「賢い(真相は別にして)」と思われていたはずです。もうそれだけでも十分なのに貪欲なまでに「カイロ大学・首席卒業」を謳ったのは、東大卒と聞いただけで「すごい!」という人が多い中、50年以上前に外国の大学、それも首席で卒業となれば選挙においてその効果は絶大なものがあったからにほかなりません。これには有権者も肩書きや経歴でなく、候補者自身を見極める目を養わなければならないことを痛感させられます。小池氏は政界での地位を確立し、周りが忖度するようになるにつれ「わたしは誰にも攻撃されない」と自信満々だったのでしょうが、まさに天網恢恢疎にして漏らさず、報いを受けるときが来たようです。もし、小池氏の学歴が本当なら小池氏自身が疑惑を晴らすことは簡単です。しかし、不思議なことに彼女はその簡単なことをしようとはしません。小池氏はこれまでも「言ったことを言ってない」「やったことをやってない」など平然とウソをついてきました。今回もうまく窮地を脱することができるのか見ものです。
     
     
    ●現在、20歳から60歳までの40年間となっている国民年金の納付期間を5年間延長し、65歳までの45年間とする案を厚生労働省が検証するというニュースがありました。年金支給開始年齢が60歳から65歳に延ばされて以来、国は無収入期間を作らないために国民に65歳まで働くことを求めています。そして企業に対しても「65歳までは特段の事情が無い限り雇用を止めてはならない」との縛りをつけました。これにより希望者はほぼ全員が会社に残れるようになったのですが、給料は現役時代より大幅にダウンするため「こんな給料でやってられるか」と今度は“働かないおじさん社員”が増殖する問題が生まれているようです。
    そんなに不満なら延長しなければいいのですが、サラリーマンでいたら「減ったとはいえ収入は保証される」「会社の健康保険に加入できる」「健康のために少しは動かないと」などの理由で、60歳定年即退職の人は少ないようです。そんな勤め人は今でも年金保険料(厚生年金として)を徴収されていますので、今後65歳まで納付期間延長となったところでなんら変わりはありません。
    問題は“第一号被保険者”自営業の人たちです。彼らにとって5年間延長は100万円以上の支出増になります。そしていよいよ給付の年齢になっても、もらえるのは月に7万円弱(これも今後どうなるのかわかりません)。この金額は生活保護の支給額よりはるかに少ないもので「それなら保険料納付なんてしないで、そのときになったら生保申請したほうが得だ」となり、年金制度の根本を揺るがしかねません。
    「100年安心」といわれる日本の年金制度ですが、財源が足りなくなる度に「徴収額を増やす」「納付期間を増やす」「納付義務対象を増やす」と国民に負担を強いています。こんなやり方がまかりとおるのなら誰がやっても100年どころか千年でも万年でも続けられます。賢い役人、国会議員の方々が揃いながらもっとましな案はないのでしょうか。国民が納得できない年金制度なんて存在価値はありません。
     
     
    ●SNS上に著名人になりすまし投資を誘う詐欺広告が横行しているというニュースがありました。これはフェイスブックやインスタグラムなどに現れた有名なエコノミストや実業家が「わたしが儲かる方法を教えます」と謳い、個別のやり取りに誘い込んだ後に投資金を騙し取るもので、実際の本人の写真を使い声もAIで本人のものを再現しており一目ではニセモノとはわからない精巧さです。中には1億円以上を失った人もいるようで全体の被害額は数百億円にも及ぶといわれています。
    命の次に大切なお金を有名人だからという理由で安易に信用して託すのは非常に危険です。そもそも本当に儲かるのなら誰にも言わずみんな自分だけでこっそりやるものです。国は国民に盛んに投資をすすめていますが、投資はあくまで自己責任ということを忘れてはいけません。詐欺をはたらく者が最も悪いのは当然だとして、投資に関しては騙されるほうにも“欲”という落ち度は否めません。それに対し、なんの関係もないのに勝手に名前を使われて悪事の片棒を担ぐ形になったもう一方の被害者は堪ったものではありません。
    そんな“広告塔”にされた著名人からは怒りの声が上がっており、広告を野放しに掲載した運営会社に対し損害賠償請求の訴えが起こされています。勝手に名前を使われた人は経済評論家の森永卓郎さん、実業家の堀江貴文さん、前澤友作さんなどいかにも「この人の言う通りにしたら儲かるだろう」と思わす人が並んでいます。かくいうわたしも広告塔にされていました。ニコ生「百田塾」の写真がそのまま使われており、自信満々に「わたしが指南します」とあるのですからわが事ながら笑ってしまいます。幸いにもわたしの広告を見て「この人なら信用できる」と考え申し込んだ被害者はまだいないようです。これは喜ぶべきか悲しむべきか・・・。
    『この文章を書いた後、秋田氏に住む70代の女性がわたしの名前を騙った投資詐欺サイトの被害者になったというニュースがありました。それを見た感想は悲しみでも、もちろん喜びでもなく、関係ないこととはいえなぜかとても申し訳ない気持ちになりました。』
     
     
    ●ことし2月に福岡・博多の繁華街で赤信号の交差点に進入し、タクシーと衝突して4人にけがを負わせた会社員の男2人が危険運転傷害の疑いで逮捕されたというニュースがありました。事故後、男は自ら通報していましたが、警察が付近の防犯カメラを確認すると、なんと彼らのクルマが事故当時屋根に赤色灯を点け、ご丁寧にマイクで「交差点に入ります」と覆面パトカーになりすましていたことがわかったといいますから呆れます。
    本物のパトカーなら緊急走行時であっても細心の注意を払って交差点に入りますが、ニセモノの彼らは「パトランプさえ光らせておけば大丈夫」と高をくくっていたのでしょう。そうは問屋が卸さず案の定事故を起こしてしまいました。
    パトカー、救急車、消防自動車などの緊急車両は市民の命や財産を守るために「信号を守らない」「逆走する」「制限速度を守らない」などの特権が許されています。それを何の任務も無いだけでなく訓練も受けていない者がその権利を得るために成りすますなんて絶対に許されることではありません。調べに対し、この20代の男2人は「職務質問を見たかったから前のパトカーを追いかけようと“緊急走行”した」と供述していますが、当の本人が職務質問にとどまらず、容疑者としての取調べを受けることになったとは笑い話にもなりません。
    なにはともあれ、彼らが憧れていた本物のパトカーに乗れたのは良かったです。しかし、それは希望していた運転席ではなく両脇を本物の警察官に挟まれた“後部座席”でしたが。
     
     
    ●買い物をするにもスマホをピッ!、レストランに入ってもスマホをピッ!、電車に乗るのもスマホをピッ!と最近では「キャッシュレス決済」がすっかり浸透し、お財布を持たずスマホひとつだけで外出する人も増えているようです。そんな人たちがパニックに陥ったというニュースです。
    5月15日午後0時過ぎから3時間ほど決済アプリ「PayPay」が使えなくなったのです。不通になったのがちょうど昼時でしたから、サラリーマンの中にはランチを食べて「さあ会計」となって青ざめた人も多かったそうです。ポケット中の小銭をかき集めてようやく支払いができた人はまだましで、店に腕時計を置いたままATMに走ったり、同僚にお金を持って来てもらったりと“無銭飲食”を避けるためオフィス街の飲食店は大混乱だったようです。
    便利なものには必ず落とし穴があるものです。何もかもが1台のスマホに集約されている現代ではそれが使えなくなったら何もできなくなります。支払いや通話はもちろん、電池切れにでもなれば電話帳さえ開くことができず公衆電話があっても番号がわかりません。かつては自宅や会社などよく架けるところの電話番号ぐらいは暗記していたものですが、指先ひとつで架電する現代では市外局番すら覚えていません。
    さて、今回の不具合に懲りて明日からは少額でも現金を持ち歩く人も増えることだと思います。わたしの友人の中にはいざというときのためにスマホケースの中に小さく折りたたんだ1000円札を常に入れている人がいます。しかし、昨今の物価上昇で昼飯も随分と高くなっており1000円では心もとなくなっています。さあ、いまこそすっかり忘れていた“2000円札”の出番です。でも、最近はとんとお見かけしません。
     
     
    ●愛知県に住む30代の男性が、“男性”のパートナーと戸籍上の名字を同じにするよう求めていた審判で、名古屋家庭裁判所が男性の申し立てを認めたというニュースがありました。
    これは「結婚により夫婦は同じ姓を名乗るとなっているにもかかわらず、現行の法律で同性同士の結婚が認められていないからといってパートナーと同じ名字になれないのはおかしい」と訴えていたものです。それに対し裁判所は戸籍法に「やむを得ない事由があれば変更できる」とあるのを「彼らは社会観念上、夫婦と同様だ。よってこれはやむを得ない事由にあたる」と拡大解釈したのです。
    この男性は2017年に相手の男性と公正証書により結婚契約などを結んだ後、翌年から同居を開始し2023年からは里子も養育していました。しかし、この“結婚生活”では里子の保育園の通園手続きで、姓が違うパートナーとの関係確認を求められるなどの不具合が生じていたそうで今回の申し立てとなりました。
    夫婦になっておきながら「同じ姓は嫌だ。別姓を認めろ」というカップルがいれば一方で「夫婦じゃないけど同姓を認めろ」というカップルもいる。千差万別、人間の数だけ「あーしたい、こ-したい」の要望があります。しかし、そのすべてを認めていたら社会秩序なんて成り立ちません。そこで大多数の納得できる「常識的な落としどころ」として法律を定め社会の安寧を保っているのです。それが昨今、個人の権利ばかりが尊重される風潮となっています。
    さらにそれらが裁判で争われることで、本来“例外”として処理されるべきものまで判例により“一般的”のお墨付きを得るのですから困ったものです。それらの審判を下す裁判官は判決理由に「法律制定の時代と状況が変わっている」と言いますが、それなら「昔とちがって現代の子供は身体も大きいのだから中学生でも運転免許をとらせろ」、あるいは「昔は家の外に繋いでいた犬も現代では室内で家族同然に暮らしているのだから結婚させろ」も認めなければならなくなります。個人の権利が最大限尊重されることに異論はありませんが、その個人が社会の一員であることを忘れてはなりません。そして、その社会は一定のルールの下で成り立っているのです。

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  • 2024年5月17日号:ニュースに一言2通目

    2024-05-17 20:43  
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    ●ゴールデンウィークが終わり街中にサラリーマンが戻ってきました。ベテラン社員は気分も新たに「さあ、また頑張ろう」となるのでしょうが、心配なのは今年4月の新入社員です。初めて社会に出て緊張の中での1ヶ月が過ぎ、ようやく仕事に慣れた頃の長期休暇により、また学生気分に戻ってしまい「会社に行くのが嫌だ」となる人が毎年現れるからです。いわゆる“五月病”です。
    発病した若者の中には数日の欠勤の後そのまま退社してしまうケースもあるようで、この時期には新入社員を預かる職場では「ウチの部下は大丈夫だろうか」と気を揉む上司も多いようです。
    ところが、そんな“五月病”が最近は随分と様変わりしているようです。なんと5月を待たずして4月中に会社を辞める新入社員が増えているというのです。中には入社式の当日に辞表を提出することもあるようで、急に欠員の穴埋めを強いられる会社側は大迷惑です。さらに、たった1日での退職理由が「配属先が希望と違った」「思っていた雰囲気と違う」などおじさんからみたら「そんな理由で・・・」というもなのですから困ったものです。
    現代の風潮は「いやな事はしないでいい」「やさしくしてもらうのは当然」で、少しでも気分が悪いことがあると「ハラスメントだー」となる傾向があります。生まれてこのかた“我慢”をしたことのない若者は辛抱できないのでしょうが、せっかく入った会社をすぐに辞めるのは実にもったいないものです。
    もちろん社員を人間扱いしないブラック企業と呼ばれる会社や、このまま続けていたら心身が持たない職務内容から逃れることも必要でしょう。しかし、それを社会人になりたての新入社員がごく短い期間で判断できるのか疑問です。
    日本の雇用形態は長らく“終身雇用”が主流でしたが、近年は「最後までこの会社で」と考える新入社員は2割ほどしかいなくなっているそうです。希望に満ちた若者は転職によりステップアップ(地位や収入が増えていく)を期待するのでしょうが、夢が叶うのはほんの一握りですべての人が成功するわけではありません。そして成功者に共通するのは仮に転職しなくても元の会社で成功できた人物ということです。すなわち「頑張れる人間はどこでも頑張れる、頑張れない人間はどこでも頑張れない」のです。流行に乗っかっての安易な転職ほど愚かなことはありません。一般的に転職は繰り返す毎に条件が悪くなり、やがては採用そのものも危うくなるのですから。そのときになって「正社員になれない社会はおかしい」と叫んだところで後の祭りです。
     
     
    ●韓国の最大野党「共に民主党」の国会議員ら17名が、わが国固有の領土「竹島」に上陸したというニュースがありました。竹島は日本海の南西部に浮かぶ岩山からなる島で、17世紀半ばに日本の領有権が確立され1905年に島根県に編入されました。しかし、第二次大戦後の1952年に韓国初代大統領が突然、隣接海洋に対する主権宣言(いわゆる李承晩ライン)を行い「竹島は韓国のものだ」と主張し乗り込んできたのです。その後、70年以上竹島には韓国の警備隊が常駐しています。
    今回の暴挙に対し日本側の対応は「誠に遺憾である」「厳重に抗議する」といつもの決まり文句だけなのですから歯がゆいことこの上ありません。わたしは冒頭に竹島を“わが国固有の領土”と書きましたが、こんな状態で果たして世界の国々も同じように「竹島は日本の領土」と認めてくれるのでしょうか。国家は他国民が不法に領土内に侵入して来たら実力行使によってでもそれを阻止します。ところが竹島に関して日本は「日本のものだ」と言うだけで、警備隊を追い出すどころかほかの韓国人の上陸も易々と許してしまうのです。これではどうみても竹島は独島(韓国側の呼び名)であって、日本がいちゃもんをつけているようにしか思えません。
    領土問題で優位性を得る材料のひとつが実効支配の有無です。これほどまで長きにわたり韓国の占有があれば国際司法裁判所も簡単に「日本のもの」とは言えないでしょう。そうなると取り返す手段は“戦争”しかなくなります。争いを避けるために穏便に済ませ続けた結果が最も避けなければならない戦争だなんて本末転倒にもほどがあります。
    今日も南の海では中国船が、北の海ではロシアの船が日本の領海を我が物顔で航行しています。もしこれが逆だったら日本船は直ちに拿捕、あるいは最悪撃沈されているところですが、相も変わらずわが国は「遺憾である」「厳重に抗議する」の一点張りです。残念ながらこんなことでは尖閣は中国のもの、北方領土はロシアのものと世界が認める日も遠くないでしょう。
     
     
    ●中国軍の3隻目となる最新型の空母「福建」が試験航行を始めたというニュースがありました。この試験がうまくいけば3隻で「任務・訓練・整備」のローテーションを組むことが可能になり、中国軍は常時戦闘態勢をとることができます。
    中国の空母といえばウクライナから購入して改修した「遼寧」が初めて配備されたとき、日本の軍事評論家たちはそろって「あれは空母といっても戦闘機が満足に発着できない張りぼての船だ」と嘲笑っていました。しかし、時が経ち中国はいまや経済だけでなく軍備においても世界有数の大国となっています。同様に北朝鮮も「核開発といっても所詮は花火程度の爆弾」と思われたものが、すでに核弾頭を装着したうえで大陸を横断できるほどの性能を備えたミサイル開発に成功しています。
    さて、その間の日本はというと防衛費を増やそうとすれば「戦争をしたいのか」、戦闘機を購入しようとしても「戦争したいのか」、自衛隊の活動範囲を広げるために憲法を改正ししようとしても「戦争したいのか」と、反対の大合唱が起きています。日本を攻撃したいと考える国からしたら、日本内部から応援してもらっているのも同然でこんなちょろい国はないでしょう。軍備を増強するのは戦争をするためではありません。十分に報復できる力を見せつけ安易に攻撃させないため、また万一攻撃された場合に反撃し、国土と国民を守るためです。戦後80年近く経過しましたが、いままで戦争に巻き込まれていないからといってそれが未来永劫続く保証はありません。状況は刻々と変化しています。自然災害と同じくあらゆることを想定し、いつでも対処できるようにしておくことがなにより肝心です。
     
     
    ●群馬県が生活保護受給者や、その希望者に向けて配布する「生活保護のしおり」を改訂したというニュースがありました。これは同県桐生市で発生した生活保護関連の問題を調査するために社会福祉の専門家や支援団体関係者らで結成した全国調査団が、県の担当者に対し「丁寧でわかりやすい内容とするように」と改善を申し入れたことを受けたものです。
    せっかくのしおりが複雑で読み手が理解できなければ何の役にもたちません。“丁寧でわかりやすく”は結構なことですが、その改訂内容を見て驚きました。なんと旧のしおりの冒頭にあった「一日も早く自分たちの力で暮らしていけるように、また、毎日の暮らし“はり”をもっていただけるように手助けをする制度です」という文言がすべて削除されているのです。そして、その理由が「生活保護の目的には“一日も早く”なんてなく、生活保護利用は悪と言わんばかりだから」というのですから呆れます。
    生活保護は、なんらかの理由で働くことができなくなり収入を得られなくなった人が利用するもので、それは本来一時的なものであるべきです。病気やけがで恒久的に働けないのなら障害年金など他の給付で対応すればよく、「生活保護があるから働けるけど働かない」なんて許されることではありません。「(今は無理でも)一日も早く保護なくして自分の力で稼ぐ」のどこに問題があるのでしょう。
    また、生命保険は解約して返戻金を生活費に充て、自動車の保有も原則として認めないとあったものも、生命保険は保険料や返戻金が少額ならば継続加入が可能、自動車の保有も障害があったり公共交通機関の利用が著しく困難な地域に居住し通院や通勤に必要ならば認められる場合があると改められています。普通に働いて自分が稼いだ金で生活している人の中にも「貯蓄がそこをついたから保険を解約する」「維持費を捻出できないから自家用車を売却する」ことはいくらでもあります。みんなぎりぎりの中で遣り繰りして頑張っているのです。その人たちが、「貯蓄があり自家用車を乗り回す生活保護受給者」を見てどう思うのか。
    わたしは生保受給者からは「何もかも取り上げろ」と言っているのではありません。場合によっては認めざるを得ない場合も当然あるでしょう。しかし、それはあくまで例外であって個々に判断すればよく明文化する必要はないと言っているのです。これらの文言により、いたずらに希望をちらつかされた来訪者に対し“少額”や“不便”なんてあいまいな言葉で可か不可を決めなければならなくなった窓口担当者の疲弊が目に浮かびます。
    篤志家が自分の金を「かわいそうだから」とばら撒くのなら何も言いませんが、生活保護費の原資は税金です。税金を使う福祉に不公平感があってはなりません。自助、共助、公助と生活保護は最後の命綱であるはずが、いきなり「さあ、どうぞ」となれば税金を納める国民の不公平感は増すばかりです。
     
     
    ●SNS上に著名人になりすまし投資を誘う詐欺広告が横行しているというニュースがありました。これはフェイスブックやインスタグラムなどに現れた有名なエコノミストや実業家が「わたしが儲かる方法を教えます」と謳い、個別のやり取りに誘い込んだ後に投資金を騙し取るもので、実際の本人の写真を使い声もAIで本人のものを再現しており一目ではニセモノとはわからない精巧さです。中には1億円以上を失った人もいるようで全体の被害額は数百億円にも及ぶといわれています。
    命の次に大切なお金を有名人だからという理由で安易に信用して託すのは非常に危険です。そもそも本当に儲かるのなら誰にも言わずみんな自分だけでこっそりやるものです。国は国民に盛んに投資をすすめていますが、投資はあくまで自己責任ということを忘れてはいけません。
    詐欺をはたらく者が最も悪いのは当然だとして、投資に関しては騙されるほうにも“欲”という落ち度は否めません。それに対し、なんの関係もないのに勝手に名前を使われて悪事の片棒を担ぐ形になったもう一方の被害者は堪ったものではありません。そんな“広告塔”にされた著名人からは怒りの声が上がっており、広告を野放しに掲載した運営会社に対し損害賠償請求の訴えが起こされています。勝手に名前を使われた人は経済評論家の森永卓郎さん、実業家の堀江貴文さん、前澤友作さんなどいかにも「この人の言う通りにしたら儲かるだろう」と思わす人が並んでいます。
    かくいうわたしも広告塔にされていました。ニコ生「百田塾」の写真がそのまま使われており、自信満々に「わたしが指南します」とあるのですからわが事ながら笑ってしまいます。幸いにもわたしの広告を見て「この人なら信用できる」と考え申し込んだ被害者はまだいないようですが、これを喜ぶべきか悲しむべきか・・・。

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  • 2024年5月17日号:ニュースに一言

    2024-05-17 20:38  
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    ●総務省が発表した人口推計によりますと、2023年10月1日現在の日本の人口は約1億2430万人で、前年に比べて59万5000人減っています。この1億2430万人の中には24万2000人増加した外国人が含まれていますので、日本人だけをみるとなんと83万7000人も減っているのです。
    そして総人口のうち75歳以上は71万3000人増の2007万8000人とはじめて2000万人を超えた一方で、15歳未満は32万9000人減の1417万3000人と少子高齢化がますます進んでいることがわかります。
    今後の日本の人口は現在の予測では24年後の2048年に1億人の大台を割り、さらにその12年後の2060年には8670万人にまで落ち込むとされていますが、このままではその速度はより加速しそうです。国は少子化に歯止めをかけようと、いろいろな策を講じますが一向に改善の兆しがみえません。なぜなら、そのどれもが付け焼刃、それもみみっちいものばかりだからです。1回や2回10万円もらったところでどこに「さあ、子供を産もう」なんて考える人がいるのでしょう。どうせ配るなら“子供ひとりにつき1000万”くらいのインパクトがないと何も変わりません。
    なにより少子化の要因は金銭面だけではなく多岐にわたるのです。1970年代は「22歳の別れ」( “結婚適齢期”に差し掛かった女性がそれまで付き合っていた男性と「この人とは結婚できない」と感じ別れを決心する内容)にもあるように20代前半で結婚する女性が大半でした。そのため若い女性をクリスマスケーキに例え「24は売りごろ、25は売れ残り、26以降は誰も手を出さない」なんて、現代では絶対に口に出せないようなことも平然と言われていました。
    それが80年代になり4年制大学に進む女性が増えるにつれ結婚年齢が徐々に上がり、1985年の男女雇用機会均等法の施行で晩婚化の流れが決定的になりました。能力のある女性が「女だから」という理由で不当に差別されることはあってはなりませんが「女性も仕事をするのが当たり前、そうしないのはダメな女」「結婚なんていつでもできるからまずは仕事」となったのは良いのか悪いのか。その結果、女性の平均初婚年齢は現在ほぼ30歳にまで上がっています。もちろん結婚は個人の自由、したい人がしたい時にすればいいのですが、「結婚適齢期」はなくても「出産適齢期」は間違いなくあるのです。
     
     
    ●開幕まで1年を切っているにもかかわらずパビリオン建設が遅々として進まない大阪万博で、参加各国が敷地内に自由なデザインで建設する「タイプA」のパビリオンが当初に予定していた60カ国から3割以上減の約40カ国になる見通しだというニュースがありました。
    「タイプA」とは奇抜なデザインやその国々の特色を表すことのできる建物で万博の華とも称され、それがなければそこらのミュージアムで開催される普通の展示会となんら変わらなくなります。大阪万博ではいつまでたっても着工されないパビリオンに対し「こんなことで間に合うのか」「完成しなければどうするのか」と心配の声も多くありましたが、必死になっていたのは主催者(なんとしても開催したい大阪維新)だけで、参加予定国は「出来なければほかのタイプでも構わない」「最悪、出展を取り止めればいい」くらいにしか考えていなかったようです。
    パビリオンの建つことがなくなった場所は“芝生広場”などに活用されるといいます。現在、跡地として緑の芝生が広がる1970年開催の大阪万博では“無線電話”や“自動運転”などの「未来」が多く展示されていましたが、今度の2025大阪万博では開催中からそこかしこに“芝生”という閉幕後の跡地を展示することになりそうで、未来は未来でも近未来にも程があります。
    こんな万博が果たして成功するのでしょうか。気になる入場券の売れ行きは昨年11月末の販売開始以来、2300万枚の目標に対し830万枚となっています。しかし、この830万枚のうち700万枚は企業に押し付けたもので、実際に自らの意思で購入されたものは130万枚に過ぎません。身銭を切って買ったチケットなら来場も確実でしょうが、企業からタダでもらったものなら必ず来場するとは限りません。すなわち、まだ予定している6%の来場者しか見込めていないのです。これではチケットは売れたのに会場内は毎日ガラガラなんてことにもなりかねません。
    実際に見学者が来なければ物品販売や飲食収入が確保できず「運営費」が大幅赤字となります。その場合それはいったい誰が負担するのか。チケットでとことん無理をさせられた企業がそっぽを向くことは確実です。そうなるとも税金で補填するしかないのです。維新はなにかというと「身を切る改革」と言いますが、身を切られるのはいつも市民、国民です。時と場合によっては「身を切る」ことも必要でしょうが、それが致命傷になっては元も子もありません。
     
     
    ●冬季オリンピックにおいての日本人金メダリスト第1号、元ジャンプ選手の笠谷幸生氏が亡くなったというニュースがありました。日本が何もかも失い、世界の最貧国のひとつとなった敗戦からわずか19年で開催したアジアで初めてのオリンピック、1964年「東京オリンピック」から8年後の1972年に札幌で行なわれた、こちらもアジア初開催となる冬季大会「札幌オリンピック」の70メートル級ジャンプで彼は優勝したのです。
    夏の大会とちがい1928年スイス・サンモリッツ大会に初参加して以来、半世紀近くで獲得したメダルは1956年の猪谷千春選手の銀メダル1個だけという、外国にまったく歯が立たなかった冬の大会での金メダルですから日本中が歓喜の渦に巻き込まれました。さらにこの70メートル級ジャンプ競技では2位、3位にも金野選手、青地選手が入り日本人だけで表彰台を独占する快挙となったのですから、そのときの熱狂ぶりはすさまじいものがありました。それからしばらくの間は全国どこの公園でも、笠谷選手を真似てひざを折った体勢て靴底で滑り台を滑り降り、下に着く瞬間に飛び上がる「ジャンプ」に興じる子供たちの姿が多く見られたほどです。
    笠谷氏の逝去を受けて過去の映像や画像が繰り返し流されましたが、それらを見て驚くのはその格好です。現代のジャンプ選手は衝撃を吸収すべくモコモコとしたスーツにヘルメットと完全防備の姿ですが、笠谷選手のそれは体操選手が着るような細身のウエアに毛糸の帽子と、よくそんな格好で100メートルちかくも飛んで怖くないものです。これではヘルメットをかぶらずにバイクに乗り、時速100キロ以上で疾走するようなものです。いや、バイクはまだ地面に密着しておりいつでも止まることができますが、ジャンプ競技は空中を飛んで自由がきかない分さらに危険です。強靭なその胆力には今さらながら恐れ入ります。
    笠谷選手の優勝記録は84メートルでした。直近開催の2022年北京大会での70メートル級が呼び名を替えたノーマルヒルの優勝記録は日本の小林選手の104メートルとなっており、札幌大会の笠谷選手と比べ“記録”は大きく伸びています。しかし、今でも50年以上前の彼の勇姿を鮮明に覚えていることを考えると、スポーツが後世に残すものは記録ではなく記憶だとつくづく思わされます。
     
     
    ●警察庁が全国の交番や駐在所の勤務形態を変更するという方針を明らかにしました。それによりますと、現在は24時間体制の交番を日中だけにしたり、警察官が住み込んでいる駐在所を通勤制に変更したり、さらに複数の交番をまとめて運用するブロック制を取り入れるようにするというのです。
    日本は世界でもっとも治安の良い国のひとつだと言われていますが、その理由に交番があります。交番とはその名の通り「交代で番をする所」で街のいたるところに警察官がいるのですから犯罪者にとっては鬱陶しいことこの上ないでしょう。その効果に注目した外国にはそのまま「KOBAN」として導入するところも増えており交番=KOBANは日本が世界に誇る善き文化です。
    そんな“そこにさえ行けば必ず警察官が助けてくれる”という安心感にあふれた交番が“ただいまの時間は閉店中”となるのですから市民としては戸惑います。警察官の仕事は犯罪者の検挙だけではありません。交通事故や落し物の処理、尋ね人の捜索など多岐にわたります。都内で道に迷い近くの交番に駆け込んだことのある地方出身者も少なくないしょう。それらが今後は「用件があるなら電話か最寄りの警察署へ」となるのですから明らかにサービス低下です。
    その背景には警察官のなり手不足、働き方改革による労働時間の制限があるのは明らかです。警察官だからといって「時間無制限で働け」なんて言うつもりはもちろんありませんが、白昼堂々と強盗事件が発生するなど以前より治安悪化が進むわが国で、さらに犯罪が増えないか心配です。犯罪者は「いまは交番が閉店中だからやめておこう」なんて考えるはずもなく、逆に「今がチャンス」となるでしょう。もうこうなったら泥棒などの犯罪者にも“働き方改革”を導入させ、夜間の交番が閉まっている時間帯の活動を制限するしかありません。もっとも「わしらは夜勤で昼に休んでいるから対象外」と言われたらおしまいですが。
     
     
    ●東京・世田谷にある公園近くの路上で午前3時頃、下半身裸で自転車に乗っていた56歳の自営業の男が公然わいせつ容疑で逮捕されたというニュースがありました。春になり暖かくなったとはいえ真夜中にちんちん丸出しで自転車に乗るなんて、想像しただけでこちらまで“縮み上がって”しまいそうです。
    しかし、男の犯罪は単に下半身を露出しただけではなかったのです。警察官が男の携帯電話を調べると、そこには公園で全裸で過ごす男の姿が写っており、さらに自身の肛門を水道の蛇口にこすりつけているものまであったのですから驚きです。公園は幼児から高齢者まですべての市民が安心してくつろげる場所であるはずなのに、誰も気付かぬうちにこんなことをされていたなんて油断も隙もありません。
    知らせを受けた公園側は、衛生上の理由としてすぐさま蛇口の使用を禁止しましたが、浅はかな若者が回転すし屋での不適切動画をSNSに投稿したとき、すべてのすし屋の醤油差しに疑心暗鬼になったように、もうこれからは安心して公園の水道を使うことができなくなりました。
    露出の被害はいても一部の人たち、しかも今回は真夜中でしたから幸か不幸か被害者はいませんでしたが、水道が使えなくなるのは不特定多数の人たちを被害者にする大事件です。いや、これから使えなくなるだけでなく、この公園で過去に水を飲んでいた人たちの気持ちを考えると・・・、なんとおぞましい。男は調べに対し「性欲を満たすためだった」などと供述しています。性癖は人それぞれ千差万別とはいっても、裸で肛門を水道の蛇口に押し付けることで満足する“性欲”なんてわけがわかりません。
     
     
    ●仙台国税局が兼業を禁止する国家公務員法に違反したとして、福島県内の税務署に勤める20代の男性職員を停職1ヶ月の懲戒処分にしたというニュースがありました。この職員は2022年8月から2024年2月までの約1年半の育休期間中に62台のクルマと4台の携帯電話を転売し、なんと2億円も売り上げていたのです。62台ということは月に4台弱と自動車販売店の営業マン並みの実績です。
    その方法はインターネットやディーラーを通じて購入したクルマをオークションサイトや中古車買取店に売却するもので、中には1200万円で売れたものもあったようです。2022年といえばコロナ禍で世界的に半導体不足となり、新車の生産がストップしたため中古車価格が高騰した時期で、車種によっては新車で買ったものが1年間使ったのにもかかわらず、購入価格よりも高く売れるものもありました。そこにすばやく目をつけるのですから、この職員はすぐれた才覚の持ち主です。また「これは儲かる」と思ってもなかなか実行に移すことは出来ないものですが、短期間でのこの行動力に驚きます。
    彼は聞き取りに対し「楽しくてやめられなかった」と言っていますが、右から左へ飛ぶように売れ、その度に利益が増えるのですから、そりゃ楽しいでしょう。この職員は処分を受けて即日退職したそうですが、今後は心置きなく商売に専念することでしょう。これからはせいぜい稼いで、元税務署員としてたんまり税金を納めていただきたいものです。
     
     
    ●現在、20歳から60歳までの40年間となっている国民年金の納付期間を5年間延長し、65歳までの45年間とする案を厚生労働省が検証するというニュースがありました。
    年金支給開始年齢が60歳から65歳に延ばされて以来、国は無収入期間を作らないために国民に65歳まで働くことを求めています。そして企業に対しても「65歳までは特段の事情が無い限り雇用を止めてはならない」との縛りをつけました。これにより希望者はほぼ全員が会社に残れるようになったのですが、給料は現役時代より大幅にダウンするため「こんな給料でやってられるか」と今度は“働かないおじさん社員”が増殖する問題が生まれているようです。
    そんなに不満なら延長しなければいいのですが、サラリーマンでいたら「減ったとはいえ収入は保証される」「会社の健康保険に加入できる」「健康のために少しは動かないと」などの理由で、60歳定年即退職の人は少ないようです。そんな勤め人は今でも年金保険料(厚生年金として)を徴収されていますので、今後65歳まで納付期間延長となったところでなんら変わりはありません。
    問題は“第一号被保険者”自営業の人たちです。彼らにとって5年間延長は100万円以上の支出増になります。そしていよいよ給付の年齢になっても、もらえるのは月に7万円弱(これも今後どうなるのかわかりません)。この金額は生活保護の支給額よりはるかに少ないもので「それなら保険料納付なんてしないで、そのときになったら生保申請したほうが得だ」となり、年金制度の根本を揺るがしかねません。
    「100年安心」といわれる日本の年金制度ですが、財源が足りなくなる度に「徴収額を増やす」「納付期間を増やす」「納付義務対象を増やす」と国民に負担を強いています。こんなやり方がまかりとおるのなら誰がやっても100年どころか千年でも万年でも続けられます。賢い役人、国会議員の方々が揃いながらもっとましな案はないのでしょうか。国民が納得できない年金制度なんて存在価値はありません。
     
     
    ●技術職として採用された男性が合意なく“総務課”に配転されたのは「職種限定合意」に反して違法だと訴えていた裁判で、最高裁第二小法廷は男性の言い分を認め違法だという判断を示しました。この男性は滋賀県の福祉協議会に福祉用具を扱う技術者として採用され18年間勤務したあと、事務しかない総務課に回されたことに「約束が違う」と異議を唱えていたのです。
    たしかにやりたい仕事をするために入った場所で意に沿わない業務に就くのは辛いものがあります。また今回の技術職に固執する男性の「いまさら新しいことなんかしたくない」と思う気持ちもわかります。しかし、事態は刻々と変化していることも忘れてはなりません。彼が入ったときは福祉用具の製作需要も多く、そのための人材が必要だったのでしょうが、需要が減ればその人材も必要なくなります。1年や2年で状況が変わったのではありません。18年もの期間を経ればある程度変化するのも仕方が無いことです。
    パイロットとして入社した社員が地上職へ、アナウンサーとして入社した社員が他部署へ配置転換されるなんてことも過去にいくらでもありました。最近ではコロナ禍で欠航が相次いだ航空業界で乗務する飛行機がなくなったCA(客室乗務員)が会社から自治体や民間のコールセンターに出向を命じられることもありました。本当は気が進まなくてもみんな状況を理解して甘んじて受け入れているのです。
    今回の最高裁の判断により“会社都合の人事”は制限されることになるでしょう。企業は利益を上げることが存続の第一歩です。そのためには組織を見直し不採算部門を縮小、廃止することも必要となりますが、一部の社員のためにそれが出来ず会社が業績不振に陥ったのでは元も子もありません。労働者の権利を尊重するのは結構ですが、あまりにそれが過ぎれば会社、社会が傾き本末転倒です。今回の判断は4人の最高裁判事の全員一致の意見とされていますが、だれひとりそこに考えを及ばさなかったのが不思議です。

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