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記事 22件
  • [S]お金を儲けると社会の富が増える話

    2015-03-31 23:30  
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     今日は火曜日なんですが、短い記事[S]です。 「お金をもうけると誰かのお金が減る?!」という質問への回答が完璧すぎる!  「お金をもうけることは誰かのお金が減るということ。本当にいいのか?」という質問に対し、AさんとBさんの世界で互いに家を作りあって、そのたびにお金を支払うという例などを通して、お金が動くごとに富が増えるという解説を読むことができます。 この話いいですね。昨年末、ここでも、 世界一わかりやすい経済活動の話(その1) というシリーズをやりました。そちらでは水や食べ物といった毎日の消費物を扱って、家というような耐久品ではなかったのですが、その例を見ると耐久品を使った説明もなかなか魅力的です。うまく組み入れて、より面白い話にできないか考えてみたいところです。 お金を交換しながら互いに家を作り富を増やすという話、例えば物々交換との違いはなんでしょうか。それは時間差があるということです。物々交換では交換の瞬間に物と物の取引が成立しなればなりませんが、お金を介せばとりあえず物とお金の交換が成立します。しかも、そのお金を得た人は、無理に元の人と物の交換を実現する必要はありません。別の人から物を買ってもいいのです。そのお金はいずれ元の人に帰っていくことでしょう。つまり人々の生活の潤滑油となっているわけです。 『世界一わかりやすい経済活動の話』でも、お金がぐるっとまわることで、人々の毎日の生活必需品が円滑に動くことを示しています。さらには、 

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  • 私は巻き添え墜落をしないのか。

    2015-03-31 02:00  
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     先日のドイツ機墜落事故、今のところ副操縦士の意図的な行為でないかと見られていて、しかも副操縦士は精神的な問題を抱えていたのではないかと言われています。 その真相はまだはっきりとしたわけではありませんが、人々の反応を見ていると「自殺するなら一人ですればいいのに」みたいな感想や、それに同調するコメントを見かけます。 いたって普通の反応として流れていくのですが、最近はこの反応に危機感を覚えています。 例えば猛威を振るったエボラ熱にかかってしまったとします。広がらないことだけ考えるなら、治るかどうかわからないのに治療して医者に伝染するリスク冒すくらいなら、「一人で死んで」とさっさと隔離して切り離してしまった方が確実かもしれません。 でもそんなことはしません。社会が人をそんな風に切り離すなんてなったら、みんな安心して暮らせません。なにかの拍子に自分だってかかるかもしれません。ですから社会は見捨てようとはいないし、その意思に応えて医療関係者もリスクを冒して治療にあたります。 その背景には、「誰だってその病気にかかる」という共通意識があります。明日には自分もかかるかもしれない、だから、今かかっている人も見捨てず助ける努力をしなければなりません。 一方、今回の墜落が精神的な病が関連しているかもしれないという報道が出ると、冒頭のような感想が出てきます。これ背景には、どうしても「自分はそんな病気にはかからない」という考えが透けて見えます。 似たのに、危険ドラッグによる車の暴走事故があります。危険ドラッグはそもそも見たこともなければどこで入手出来るかもわからない人も多いでしょう。その場合、無意識に「自分は危険ドラッグなんてやるはずがない」と感じるのは自然であり、暴走を起こした人を社会から切り離して考えることにつながります。 しかし、誰かに騙されて吸わされて自分だって同じ事故を起こすかもしれません。 心の病はもっと現実です。STAP細胞騒動の笹井芳樹氏をはじめ、なにかの騒動で社会に騒がれたことであっという間に追い詰められ死に至る人は大勢います。ヒトなんて誰でも簡単に精神的に追い詰められてしまうのです。その時、一人で自殺するのでなく、やけになって他人を巻き込んでやるという気持ちが生まれることもあるでしょう。 もし、エボラにかかったら、「自分は悪いことしてないのに」とやけくそになって周りに移しまくりたくなる気持ちも芽生えることでしょう。実際に行動に出るかはともかくとして。 つまり、仮にその副操縦士の立場に置かれたら、私も巻き添え墜落するかもしれないのです。 話題になっているこのブログもそんな視点だと思います。 男性依存のサキちゃんは風俗嬢へと転身しました - プロセスレコード サキちゃんの言葉を聞いて私が驚いた理由はふたつ。 ひとつは、それまで私は、彼女は馬鹿だから自分の意志でだらしなく生きているものだと固く信じていたのに、そもそも彼女は他の生き方も選択できるのだということすら知らず、男性依存が彼女の意思なのかどうかすら不明だということ
     誰でもサキちゃんの境遇を生きればそうなるのではないかという視点です。 今は共感の時代となり、共感する力はそのまま想像力やイノベーションの源泉です。なので、副操縦士の仮説を聞いて安易に切り離さない考え方や、このようなサキちゃんの話を自己責任とかたずけない気持ちを大切にしていきたいと考えています。 そのために間接的なようで、深く関わっているのではないかと最近考えているのは、常にチャレンジすることではないかということです。 

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  • 『孤独のグルメ』が孤独じゃない件

    2015-03-28 00:30  
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     今ニコニコ生放送で、『孤独のグルメ』Season3 の一挙放送をやっているんですが(28日の24:00まで繰り返し放送されるようです)。 昨日、 健康のために孤独を避けるため、人間は人工知能を友達にするという記事で、これから人間が孤独を避けるために人工知能を活用するのではないかというネタをやりました。 でも、この『孤独のグルメ』見てると、人間の孤独を避けたいという欲望の結実だなあと感動します。 食事するとこに一人で入るのってそこそこ勇気がいるとおもうのです。なんか孤独の象徴みたいじゃないですか。大学の学食の「ぼっち飯」が社会問題になるみたいに。 でも、この『孤独のグルメ』見てると、全然孤独じゃないじゃないですか。お店の人がお客さんを喜ばせるために真剣勝負で出してくるものを、真剣勝負で食べる。 みんなでわいわい来ちゃったら、店の人とのつながりはその分希薄になりかねませんから、本当に味わいたかったらむしろ一人で来たいと思う人はたくさんいます。ラーメンみたいに一人で入ることが問題ないところであれば、積極的に一人行くことでしょう。 しかし、店には一人で入り辛いところもあります。しかし、我らが井之頭五郎は、次々と一人で行きにくそ〜な店に入ってくれます。そして、出された料理をもくもくと孤独に味わう。しかし、ちっとも孤独ではなく、なぜならそれを出す人がいるからです。(うお〜、こう来たか)とか、心の中でめっちゃ店のひとと対話してます。店の人とほんとの会話もいっぱいしてますし。 そして、私たちはなんだかだいって一人でご飯食べる機会はたくさんあり、そういうときみーんな井之頭五郎になって、心の中でぶつぶつ言いながら食べているわけですから、見てる人の共感度は半端ありません。ニコ生なら、コメントががんがん流れて、視聴者のその共感ぶりは目に見えてわかります。 それに、井之頭五郎はやらないですけど、ひとりで飯食うときは、SNS でがんがん友達と会話してたりしますし、それどころか自分の食べてるものアップして、飯テロだ〜って言われたりするわけで。 なぜこんなことになるかと言えば、働き方がどんどん変わり多様化しているからです。 昔主流の農業、その後には工業、みんな一斉に働く必要がありましたから、昼休みも一斉。集団で食べていました。 その後だんだん仕事が多様化し知的労働が増えるにつれ、同じ時間に休む必要もなくなり、しかも同じ職場でもお互いしてる仕事が違って、つまり働くペースも違います。昼飯は職場の仲間と食べに行かなければいけない時期も少しはありましたが、いまやその縛りはどんどん緩んでいることでしょう。お弁当の人もいますし。 かくして、社会は一気に一人でご飯を食べる機会が増えました。一見、孤独な機会が増えたように思われますから、多様化の負の側面かと考えられなくもありません。 しかし、どうでしょう。 

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  • 健康のために孤独を避けるため、人間は人工知能を友達にする

    2015-03-27 00:15  
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    フツクロウ: ミライや。ミライ: はい。フツクロウ: この記事が興味深いぞ。 【若者も要注意】「孤独感」は喫煙や飲酒、肥満と同じくらい寿命を縮めることが明らかに ミライ: 「孤独でいると早死にするリスクが高まり、肥満と同じくらい寿命を縮める要因」ですか。フツクロウ: ホウじゃ。このことは以前から指摘されておるが、たまたままたネットで話題になっておったんじゃ。ミライ: 健康を追求するには、孤独も避けなければならないのですか。健康でいるのも大変なんですねぇ。フツクロウ: ホッホッホ。ホウじゃの。この話がどんどん広まるとどうなっていくかというのが今日のテーマじゃ。ミライ: はあ。それは、「健康のために運動しましょう」みたいな話題がよく取り上げられるように「健康のために人とかかわる活動をしましょう」みたいな話題が増えてくんじゃないですか?フツクロウ: ホウじゃな。増えそうじゃな。 じゃが、それだけかの。孤独を避けるために他にも方法があるんじゃないかの。ミライ: えーと、あ! ペットですね! ペットブームは孤独を避けようとする人間の本能から来ていると。フツクロウ: ホッ。まっことその通りじゃの。ペットで孤独を避けることが、どれくらい寿命や健康に貢献するかも、今後きっと研究されるじゃろうの。ミライ: はい。フツクロウ: じゃが、そこまでかの? もっともっとすごいことが起こるんじゃないかの。ミライ: え? どういうことですか? SNS でつながろうとか?フツクロウ: ホウじゃない。人工知能じゃ。ミライ: 人工知能……。あ! 人工知能に孤独を緩和してもらう! 

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  • [S]若者は本当に絶望してるの?

    2015-03-25 23:15  
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     いつもとちょっと違う水曜、今回は気楽に書き始める短い記事[S]です。  日本の若者は人生に絶望していて自信もやる気もなく将来も真っ暗。政治家、路上チューしてる場合じゃない   繰り返し繰り返しこの話題がネタになりますが、違う見方もできるのではないでしょうか。 日本の若者が未来に希望を見つけにくいのは、今の日本社会がつまらなく見えるからです。がんばって勉強してどんな仕事についてもなんだかつまんなそうだからです。 元記事でも出てますが、「つまんないし」「憂鬱だし」「仕事は楽しくない」のです。 それは元記事でも書かれている通り、政治の問題でも学校の問題でもなく社会全体を覆っている問題です。それはみんなの問題です。 ですから、若者自身も、自分たちで変えていきます。大人たちのせいにしてても全然社会に希望は見えてきませんから。 それは難しいことではありません。 無数のイノベーションが出てくる仕組み  でも考えたように、今では誰でもイノベーションが起こせるし起こっています。小さなイノベーションかもしれないけど、自分の周りの人に届くイノベーションを起こす人が増えています。 大人たちの見てる範囲では「自分に自信がなくて」「自分に長所なんてなくて」かもしれませんが、自分の小さな世界でなら自分の小さなイノベーションに取り組むことができます。 

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  • 「全ての人を納得させる難しさ」にぶちあたる大企業

    2015-03-24 23:00  
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     おもしろいツイートを見かけました。
    全ての人を納得させる難しさ。 pic.twitter.com/KIe5leBft3
    ― HERBAL 420JAPAN (@420HERBAL) 2015, 3月 22
     これつい最近取り上げた 【境界のないセカイ】単行本化に大きく前進? LGBT団体が「問題ない」とお墨付き  これを思い出しました。大手企業は全ての人を納得させられるものを出さないといけないために、いろいろ自粛が増えてしまいます。 実際、先日、ルミネのCMが大炎上して即公開中止になりました。 ルミネの“女性応援CM”が炎上 見てないので自分では判断できませんが、聞くところによると第1話はひどいけど、第2話でそれを回収という構成になっているとのこと。でも第1話だけが一人歩きして、大炎上と。 先日取り上げた『境界のないセカイ』について、講談社が心配したのはまさにそういう展開なのでしょう。全体的には LGBT に理解のある話だとしても、そこに持っていくために問題と言われた第5話が逆のアプローチを取るため、その時点で一人歩きするのではないかという点です。 

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  • 「アメリカ企業が日本企業に勝っている一つの事」の見方を変える

    2015-03-24 00:45  
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     以前印をつけておいたのに、こんな記事があります。 アメリカ企業が日本企業に勝っている一つの事 アメリカの新しいクレジットサービス Square をがんばって日本に導入したという話です。日本のクレジット業界は壁が厚く、日本の中では新しいサービスが難しいところ、「しようがない」という言葉がないアメリカはがんばってサービス開始にこぎつけたという話です。 これ、アメリカ風にもっと押し切っていかなきゃという話で、日本人も見習うべきところもあると思いますが、どうせならもう一つ日本流のやり方があります。 背景はやりぬくという意思 日本流のやり方を述べる前に、まず大事なこと。それは、それをやり抜かなくてはいけないという意思です。日本の中でビジネスをしている場合、日本のクレジット会社の同士ではリスクを冒して革新的なサービスを無理していれるほどの意思は生まれにくいでしょう。 一方、Square サービスが日本にサービスをいれようとしたとき、そのスタッフたちはそれが使命だったのでしょう。日本に入るか入らないか。ちょっとやってみて、「難しいね〜。ま、いっかー」って簡単に諦められるようにはなってなかったのではないでしょうか。 ちなみに、アメリカ自身も、いくらでもなかなか変えられないことあります。銃規制も思うように進みませんし。 そこで書かれている「アメリカ企業が日本企業に勝っている一つの事」という「「しょうがない」のコンセプトは通用しない。既存の常識にとらわれずに、非常識な事をどんどん進める」起業家精神盛んな国ですら、変えるのが難しいものは難しいわけです。 日本は起業家精神はアメリカには負けるかもしれませんが、物事を変えていく力というのは、別の形で持っているはずです。そうでなければとうに滅びていることでしょう。 日本で何かが変わろうとしないように見えるのは、単にまだ変わらなくてもなんとかなるという意思の方が強いからです。みんなできることなら変わりたくないですし。 日本の変える力根回し こう言ってしまうとかなりネガティブな言い回しに聞こえますが、根回しは強力です。というか、物事を変えられる本質的な力です。 よく「総論オッケー、各論反対」という言葉があります。みんな変わらなきゃという意識は共有しているのですが、いざ具体的な変更案が出てくると、いやいやそれはと反対が出てくるという話です。 なんでもなかなか変えられないのはこういう事情があるのは当然で、だから変わっていないわけで。だから、普通にやったらそうなってしまいます。 起業家精神風に行けば、そういう反対がいっぱいあろうとも新しいビジネスモデルでぐいぐいひっぱっていくというのが一つのやり方です。もちろん動き出したらそれは力強い手法です。 でもその一方で、動き出してそういう話が出てくるということは、日本的に言えば根回しをしていないか足りないという見方ができます。 やってみればわかることですが、この手の話は「総論オッケー」なので、事前に関連する組織や人に話を聞きに行くと、話してくれますし、「総論オッケー」という答えが得られます。 で、そこで具体的にどうしたいかを提案してみるといいのです。十中八九、「いやそれはまずいのでは……」という話になります。 

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  • 【境界のないセカイ】単行本化に大きく前進? LGBT団体が「問題ない」とお墨付き

    2015-03-21 01:45  
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     講談社がLGBT団体からのクレームが怖いので、性転換を扱ったマンガの単行本出版をやめたという話がありました。 「境界のないセカイ」、出版社の判断で連載終了 “表現上の問題”が原因か - ねとらぼ   問題とされている第5話は読めていないのですが、その前後読めるところを読む限り、むしろ全体としてはまさに「境界のないセカイ」への啓蒙を目指しているのは明白でその過程で対比として偏見のような表現がでるのは普通に思えます。とはいえ、読めてないのでその点は判断しようがありません。なのでここでも取り上げることができないでいました。 そうしたら、今日びっくりする記事を見ました。 【境界のないセカイ】発売中止にLGBT団体が声明「作品に問題はない」 性的マイノリティ(LGBT)の団体「レインボー・アクション」がわざわざ この作品の性に関する描写に、他の作品と比べて特段の問題があるとは思われません。
    と声明を発表したのです。 もちろん、これが全LGBTの意見ではありませんが、きちんと声明を出すということは画期的ではないでしょうか。「境界のないセカイ」は他の形での単行本化を模索しているとのことですが、これで受け入れ先の確保に大きく前進するのではないでしょうか。 それにしても、「レインボー・アクション」があえて声明を発表した理由がとても示唆に富んでいます。「性的マイノリティの団体・個人の圧力」という多分にフィクショナルな理由に基づき、表現行為に対して自粛を迫るという行為がもしもあったとするならば、それは人権を守るためとても大切な、表現の自由を抑圧するものだろうと考えます。
     講談社のような自粛を許していたら、表現の自由は抑圧され、かえってLGBTを含めみんなの人権を守ることができなくなると訴えています。これを許していては、むしろLGBT問題は悪化するという強い危機感を持ったから、声明をわざわざ出したのです。 なかなか難しい問題ですが、実はテレビの世界ではある流れが生まれています。ローカル番組に出る大物芸人が増えているという話題です。最近ちょくちょく記事を見ます。たとえばこれとか。 日刊ゲンダイ|松本人志も千原ジュニアも 芸人ら続々“ローカル回帰”の裏側  もともと地方はより自由な番組ができました。「吉本新喜劇」は東京の人でも名前くらいは知っているでしょう。私も幼い頃からそれを見て育ちました。福山に引っ越してからちょくちょく見ていますが、まあ、東京でやるのは不可能です。 そんな土壌がありますから、地方で伸び伸びやりたい!という思いが爆発する番組が出てきます。「たかじんのそこまで言って委員会」なんか、その典型でしょう。出てる人みんな生き生きしてます。キー局の番組とスケジュールぶつかったから、こっち選んじゃった☆なんて人もいますし。 つまり、全国区なテレビ局は自由に番組を作れないという状況になってきているわけです。それは東京が悪いというわけではありません。東京の一応ローカルテレ東は、ずっと自由な番組作りができています。つまり全国規模になってくると、いろんなクレームが入るようになり、無難にならざるを得ないのだと思います。 講談社にも似た構造が見えます。大手出版社ですからそれだけ無難にならざるを得ない。したがって、今後、テレビでいう地方局のような、規模の小さい出版社が増えていくのではないでしょうか。出版の場合、地方というローカル商圏が成り立ちにくいかもしれないので、ビジネスモデルに明確なイメージありませんが、いわゆるコミケには、いわばもっとも小規模な出版社が集まっていて、多彩な表現をしています。 今回の「境界のないセカイ」の受け入れ先も、講談社よりはずっと小さい出版社になるかもしれません。 さて、表現の自由といえば、少し前にフランスの風刺雑誌シャルリー・エブド襲撃テロ事件がありました。行き過ぎた表現が戦争を起こしてしまうという現実に、表現の自由のあり方を深く問われる事件となりました。 今回の騒動も私たちに考えるべき問題を投げかけています。 

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  • もう一つの「第4の産業革命」

    2015-03-19 23:45  
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     ドイツとかで始まったという「第4の産業革命」に遅れるな!なんてスローガンを最近聞きます。昨日かおとといか、朝のNHKでも取り上げていました。 聞いていて、ジリ貧の大企業としてはなにかそういう活路がいるし、もちろんばんばん頑張って欲しいと思うのですが、社会のもっとも熱いところはそこじゃないよねとどうしても思ってしまいます。 私が一番熱いと思うのは、無数の個人や小さなグループが無数のイノベーションを始めているところです。先日も 無数のイノベーションが出てくる仕組み  という記事で、個人が災害時に安価で簡単に組み立てられる段ボール製ベッドを開発し、自治体と段ボールメーカーが契約するに至ったという事例を紹介しました。 今回もふとこんな記事を知りました。 “電気を使わない”自動ドア これ自身は4年前のものです。ここ数日再び話題になっているようです。体の重みで電気を使わずに開く自動ドアというものです。 この記事では、株式会社福島エコロジカル社のミーモ(miimo)という自動ドアが紹介されていましたが、調べてみると他にもあるようです。 餃子の王将が導入した「電気を使わない自動ドア」とは何か?   この記事では、株式会社有紀のオートドア・ゼロというドアが出てきます。 あぁ、すごく乗ってみたいです。こういう機械的なのは、自分が何をすればどうなるかというのが感覚的にわかりやすく、とても安心して使えます。押しても反応しているのかわからない電子機器とか触っていてとても不安になります。自動ドアも昔と違って、開けるのにいろんな方法がありますから、たまに反応悪いのがあって開かないとこちらの操作があっているのかそこから疑わなければならず、大変なフラストレーションです。なんで機械のせいでそんな目にあわなきゃいけないのか悲しくなってきます。 電気を使わない自動ドアなら、反応がないということもないでしょうし、でも調子悪かったら、手で開けるの手伝ってもいいわけです。ああ、体感してみたい。ちょっと前最寄りの餃子の王将に行った時にはなかったと思います。 そして、とても印象的なのは、どちらも社員が10人に満たない会社ということです。 

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  • [S]日食で「前例ない試練」、欧州ガンガレ 超ガンガレ

    2015-03-19 00:30  
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    (2015/3/24 追記: 無事乗り切ったようです! 欧州、日食の危機乗り切る-火力・揚水の出力調整や系統運用で事前対策(1面)-電気新聞- )いつもとちょっと違う水曜、今回は短い記事[S]です。 欧州電力界、日食で「前例ない試練」 太陽光発電ほぼ全停止へ(AFP=時事) - Yahoo!ニュース という記事を見ました。欧州太陽光発電増えたから、20日の日食で一時的に太陽光発電ほぼ全停止になる影響が非常に大きく、いろいろ問題が起きるかもしれないという話題です。 2000年問題を彷彿とさせる話題です。2000年に切り替わった時、機械によっては日付が1900年に戻ってしまって、大きなトラブルが出るのではないかという問題でした。実際は無事大きなトラブルなく過ぎ去りましたが、みんなドキドキしたものです。私はその頃アメリカのベンチャーにいて、中古で買ってきて使ってた、とある半導体関連の巨大な装置が1900年に戻ってしまってちょっと不便になりましたが、覚えているのはそれくらいです。 しかし、2000年問題と同じ問題は当分来ることはありませんが、皆既日食問題はこれから毎回起こります。未来の普通です。その時人類はどういう工夫をしていくようになるのか想像するととても楽しいです。 記事を読むと確かに大きな試練であることは想像できます。あっという間に大量の太陽光パネルが出力を失い、そしてまた一気に復活するのですから。 

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