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記事 19件
  • 「努力」はオワコン、代わりに「やり抜く技術」を学ぶ社会に(その9)

    2016-05-31 22:15  
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     「努力」はオワコン、代わりに「やり抜く技術」を学ぶ社会に(その8)/「広島訪問」というスモールステップ  のつづきです。 「やり抜く力」の一つ「スモールステップ法」について、その効果を見ています。ここまで「子供が夢を実現する」「三日坊主がなくなる」を紹介しました。 大きな課題に取り組む必須手段 前回オバマ大統領の広島訪問を取り上げたように、大きな課題に取り組むには、小さなステップに分解となければなりません。 ですから、大きな課題を上手に小さなステップに分解できる能力は重要な「やり抜く力」です。 たとえば、ラピッドプロトタイピング。とりあえずちゃちゃっと作ってみて、試してみるという手法が有名です。アプリだけに限りません。 たとえばリーンスタートアッブ。地方の交通弱者対策に取り組んでいるとして、とにかく1台で始めてみて、地域にうまくあいそうか試して、問題点を洗い出すことから始められます。 現在私たちを取り巻く様々な課題は、簡単には解けません。簡単に解けるものはとっくに解かれているからです。たとえば政府の政策一つで解決するなんておいしい話はなかなかありません。問題の起きている場所で、小さく検証しながら最適な解を探っていかなければなりません。 違う言い方をすれば、「解けそうな小さな問題」を自ら切り出し取り組む力と言えます。つまり「解けそうな問題を選ぶ力」との複合した能力なのです。 この能力については、学校や家庭で大いに支援することができます。かなり技術的な力だからです。子供達に、結果の出る課題を与えること。また子供達が大きな目標を持って動こうとしているとき、うまく小さな目標に誘導して、その目標を達成させることです。そういった成功体験を積むことで、子供達はスモールステップに分解して取り組むことにモチベーションが働くようになり、着実に結果を積み上げることができるようになるでしょう。 この取り組みは、結果的に子供達に「解けそうな問題を選ぶ力」を育むことになります。 「やり抜く力」は、超人的な力のように見え、学校で鍛えることが難しいように見えますが、このように冷静に分析することでとっかかりができてくるのです。(つづく)《ワンポイントミライ》(?)ミライ: 偉業をやり抜いた有名人たちの「やり抜く力」って、すごすぎて常人には真似できないんじゃないかと感じますけど、こうやって見ていくと、なんとかなりそうですね!フツクロウ: ホウじゃ、ホウじゃ。少なくとも全員が尋常ならざる「やり抜く力」を持つ必要はない。ほどほどの「やり抜く力」があれば、身の回りの小さな社会問題をどんどん解決していくことが可能じゃ。 

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  • 「努力」はオワコン、代わりに「やり抜く技術」を学ぶ社会に(その8)/「広島訪問」というスモールステップ

    2016-05-30 21:45  
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     「努力」はオワコン、代わりに「やり抜く技術」を学ぶ社会に(その7)/諦める力 の続きです。  答えがあるかないかわからない課題に取り組む力「やり抜く力」。それは、どんな逆境でも諦めないくそド根性なんかとは全然違います。それはいろんな力が組み合わさった総合力であり、だから簡単ではありません。 今回は「解けそうな問題を選ぶ力」「諦める力」に続き3つ目です。 やり抜く力その3/スモールステップ法
     「やり抜く力」その3は、皆さんもよくご存知の「スモールステップ法」です。今までの身につけるのが難しい力と違い、これはテクニックです。実現可能な小さなステップに分解して取り組むやり方で、ネットのライフハック系サイトでも人気コンテンツの一つではないでしょうか。 大きなことをやり遂げるためにこの「スモールステップ法」は必須です。 先週のオバマ大統領の広島訪問。彼は、核廃絶についてこう語りました。私が生きている間にこの目的は達成できないかもしれません。
     自分が生きている間に核廃絶はできないかもしれないけど、しかし彼は彼ができる「スモールステップ」として、現役アメリカ大統領として初の広島訪問を実現したのです。 いやもうこれは今後「スモールステップ法」で必ず取り上げられる歴史的なステップになることでしょう。 生きてる間に結果は見られないかもしれなくても、それを信じて「小さな」ステップを踏み出す。「小さな」といっても、現役アメリカ大統領にとっては極めて大きなステップです。直前までやるかやらないか相当もめていたようです。 核廃絶の点からは、「小さな」ステップでも、現役アメリカ大統領にとっては「大きな」ステップ。それをあえて踏み出す勇気は、「スモールステップ法」の金字塔としてこれから長く伝えられることでしょう。 では、「スモールステップ法」は実際どのように「やり抜く力」になっていくのでしょうか。 子供が夢を実現する 子供が将来「宇宙飛行士になりたい」と思ったら、どうすればいいでしょうか。いきなりなることはできませんから、それに向かうための何か目標を作る必要があります。「勉強をがんばる」ということもあるでしょう。夢を持つということは、そのまま小さな目標を作ることにつながります。 その1では、「解けそうな問題を選ぶ力」を取り上げましたが、子供が「宇宙飛行士になりたい」と夢を持ったとしても、現実的な実現可能性はほぼ0でしょう。ではそんな夢は持つべきではないのでしょうか。そんなことはありません。宇宙飛行士になることを目標に勉強して身につけた力は、人生で無駄になることはないのです。 オバマ大統領の例と同じく、「宇宙飛行士になりたい」という夢からすれば、外から見て「勉強をがんばる」というのはスモールステップにすぎません。しかし、オバマ大統領にとっては大きなステップだってように、当の本人からすれば後で人生を変えるステップかもしれません。今まで勉強なんてしなかったのに、突然目が覚めるみたいな。  三日坊主がなくなる 子供は好奇心旺盛ですから、いろんなことに手を出しますが、その分飽きるのも早いです。でもそれはいろんな経験をするために必要な仕組みですし、「やり抜く力」その2の「諦める力」に直結する重要な力です。 しかし、何事も始めたのにすぐ飽きた「飽きっぽい子」というレッテルを貼られては、その大切な「諦める力」になる「飽きる力」を封印してしまうかもしれません。 ですが、スモールステップとして、なにかを始めてみて、なにか結果と言えるものができたとしたら、仮にそこで終わっても「飽きた」になりません。世の中の科学系の体験イベントがおおはやりですが、それが理由です。参加して、そこでの課題をこなせば結果が出ます。例え科学的な体験がその日だけで終わっても、その子は「飽きて終わった」ことにはなりません。 したがって、子供が何か興味を持った時、大人の役割は非常に重要です。子供が興味を持ったら、なにかチャンスを与えるけど、それはどんなに小さくても結果が出るような形で与えるのです。 そうすれば「三日坊主」がなくなります。子供は何かに挑戦し、なにか結果が出た状態になります。そこで一旦何もしなくなったとしても、それはただ次のチャンスが訪れるのを待っているだけで、「根気がなくて続かなかった」わけではありません。 ここは大いに大人、つまり親や学校の腕の見せ所です。子供たちがやりたいといったときに、いきなり長く続けなければいけない課題を与えるのは愚かです。スモールステップを与えましょう。逆に何も与えないのもせっかくのチャンスの喪失です。「宇宙に行きたい!」と言われてもできませんが、プラネタリウムに行くとか、図書館から宇宙の本を借りてくるとか、なにかひねり出したいところです。(つづく)《ワンポイントミライ》(?)ミライ: スモールステップで「三日坊主」がなくなる。親としては工夫のしがいのある話ですけど、そもそも「三日坊主」でいいんじゃないですか?フツクロウ: ホッホ、いいとこついてくるの。 

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  • 「努力」はオワコン、代わりに「やり抜く技術」を学ぶ社会に(その7)/諦める力

    2016-05-27 23:30  
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      「努力」はオワコン、代わりに「やり抜く技術」を学ぶ社会に(その6)  のつづきです。 答えがあるかないかわからない課題に取り組む力「やり抜く力」。それは、どんな逆境でも諦めないくそド根性なんかとは全然違います。それはいろんな力が組み合わさった総合力であり、だから簡単ではありません。 ではどんな力の組み合わせでしょうか。やり抜く力その1は「解けそうな問題を選ぶ力」でした。 やり抜く力その2/諦める力
     逆説的なのですが、「やり抜く力」として一番大事なことは「諦める力」です。 明らかにできない課題を選ばない力がその1の「解けそうな問題を選ぶ力」でした。しかし、逆に簡単にできる課題は、誰でもできてしまいますから、やっても大きな結果にならないでしょう。つまり「解けそうな問題を選ぶ力」とは、できるかできないかぎりぎりのところを見定める力とも言えます。 ちょっと話は逸れますが、リーダーシップに一番必要な力はこの力です。アメリカンフットボールのクオーターバック(QB)に例えられます。QBはパスを投げる役です。秀れたQBは、取れるかどうかぎりぎりのところにパスを投げます。簡単に取れるところだと、敵に取られてしまいます。あまりに遠いと味方はそこまで走れず取れません。 リーダーシップにおいて、このパスは目標です。優秀なリーダーは「おっしゃああ、このパス取りに行け〜〜〜」ととんでもない遠いところに目標を投げます。メンバーは「無茶すぎるやろ〜〜」とツッコミを入れながらも、彼が投げるならなんとかなるかもと、必死に走っていて、見事その目標をキャッチするのです。 閑話休題。できるかできないかぎりぎりの課題を選び、取り組み始めますが、それは、つまり、「できないこと」もあるということです。 ですから、どの時点で「できない」と諦めるかという、「諦める力」こそが「やり抜く力」で一番大切な力です。「諦める力」がしっかりあれば、安心して「できるかできないかわからない課題」に取り組むことができます。「諦める力」が「解けそうな問題を選ぶ力」を育てるのです! これ、子供にはもともと備わっている力です。そう、「飽きる」という奴です。好奇心旺盛な子供達はなんにでも手を出しますが、飽きるのも得意です。 ですから、私たち人間社会は、「飽きる」力を育てようとすることはなく、むしろ、根気よく取り組む力を伸ばすことに専念します。 なんでも三日坊主では困りますからね。子供にしても、なんでも三日坊主では、自分は飽きっぽくってダメな人間かと自己評価が下がりそうです。 ですから、「飽きる力」は悪い力として押し込めるのではなく、「諦める力」として昇華させなければなりません。 その一つの対策は、「諦める」といっても、別に諦めずに、一旦棚上げくらいにしておくことです。今はその時期じゃなければ、いずれ良い日和が来るのを待つことにするのです。プロ野球に進むのを諦めたって、またいつか野球できるチャンスはあるのです。 今はITの発展が爆速です。昔はできなかったことが、iPhone できたからできるようになったなんてことが沢山あります。 私は花粉症ですが、ふと、自分の家の外の花粉が測れるかと調べたら、ワンボードマイコン arduino に繋げられるホコリセンサがあって、購入したら数行のコードでとりあえず測ることができちゃいました。爆速でした。何年か前だったらこうは行かなかったでしょう。 少しやってみて、必要なピースが揃ってないとわかれば、とりあえずペンディングすればいいのです。 もちろんそこで踏ん張って実現していく力も大切です。でも、ここぞというところで諦めずに踏ん張るには、「諦める力」があってこそです。「諦める力」のない人が無闇に踏ん張っても多くは徒労に終わるのですから。《ワンポイントミライ》(?)ミライ: 「やり抜く」ためにもっとも大切な力は「諦める力」! 逆説的ですね〜。フツクロウ: ホウじゃな。しかもそもそも子供に備わっている力じゃから育てる必要もない。注目されにくくて当然じゃ。 

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  • 「努力」はオワコン、代わりに「やり抜く技術」を学ぶ社会に(その6)

    2016-05-26 22:15  
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      「努力」はオワコン、代わりに「やり抜く技術」を学ぶ社会に(その5)  のつづきです。 答えがあるかないかわからない課題に取り組む力「やり抜く力」。今まで学校で育むことが難しかった力ですが、もうそんなことは言ってられません。何としてでも取り組まなければなりません。 そこで「やり抜く力」とはどんなものか、分解してみようと思います。 やり抜く力その1/解けそうな問題を選ぶ力
     「やり抜く力」の中で一番重要な力は、やり抜くことそのものより、この問題は解けそうだと見極める力です。 フェルマーの最終定理は最近証明されましたが、解かれるまでの360年間その証明に挑戦して人生を棒に降った数学者は沢山いたようで、解けそうな問題を選べるかどうかは生死に関わる問題でもあります。 でも私たちは子供のころに沢山そんな経験をします。 去年私たち家族は岩国の錦帯橋に行きました。子供達は錦帯橋には目もくれず、河原で遊び始め、石でダムを作り始めました。目標は「川の縦断」です。錦帯橋は200mくらいあるはずで、そんなのどう考えても無理です。それでも彼らは諦めず、まだ錦帯橋渡ってないし日が暮れそうなので移動しようという時には、数m程にはなっていました。彼らはまだまだやる気満々で「明日の朝もう一度来い」とまで言っていました。 本当なら次の日にも来て、とことんさせてあげたかったのですが、大人の都合でそれはしませんでした。 子供の頃のプロジェクトは、ときにこんな風に途方もなく無謀です。私もいくらでも覚えがあります。そうやって、数々のプロジェクトをこなすうちに、だんだんできるプロジェクトのサイズが分かるようになるのでしょう。 この例にあるように、できる課題を見極める力は、子供の頃に遊びの中で自ら設定したプロジェクトに打ちのめされることを繰り返すことで培われます。 つまり、ある意味、学校だけでなく遊びがどれだけ大切かという話でもあります。子供だけで遊んでいれば、勝手に壮大なプロジェクトをぶち立てて、勝手に暴発していることでしょう。しかし、下手に親が見ていると、「そんな無謀なことどうせ無駄だから止めなさい」とせっかく無謀な挑戦を学ぶ機会を摘み取ってしまいます。そこは見て見ぬ振りをしなければなりません。 と、実は「やり抜く力」は家庭での対応も大切なのですが、それはまた別の機会にするとして、それでは学校は「解けそうな問題を選ぶ力」についてなにができるでしょうか。 一つは今フリースクールなどが取り組んでいると思います。子供達は自由に勉強をする過程で、時には大きすぎる目標を立てて挫折もするでしょう。そんな子供達をどう支えるか、実践的に試行錯誤されているはずです。いずれ体系的な支援方法が確立されていくのではないでしょうか。 もう一つは、学校で行われていることです。図工などです。図工の時間は、私が子供の頃に比べて、はるかに良くなっています。たとえば屏風にことわざを書き、それに絵を添えるといったテーマで作品を作らせます。きちんとレギュレーションを決めて、その中で自由に作品を作っていいのです。そうすることで子供達は大いに想像力を発揮します。その展示会を見たことがあります。感心する作品もありますし、思わず吹きそうになるような楽しい作品がたくさんありました。子供達も楽しく取り組んでいるようなのです。 このような授業では子供達は自分の力量に合わせていくらでも凝ることができます。また、実はもっとすごいのを作ろうと思っていたけど、やっぱりできなかったというのもあるでしょう。うちの次男は、海の中の絵を書こうとして、まず魚を一匹ものすごく丁寧に描いたのですが、そのベースではいつまでも終わらないと悟ったのでしょう。そのあとは大きなタコなどが描かれていきましたw (海の部分は少なくして埋め尽くしたかったようです) 答えがあるかもわからない課題の場合、解けるかどうかもわかりませんから、問題の大きさを見極めるのが非常に難しいですが、でも、図工の時間にどれくらいの時間でどれくらいの作品ができるかというのを繰り返し経験することは、課題の大きさの見積もり能力に直接貢献することでしょう。 この点では学校は昔より「やり抜く力」育成に近づいています。 (つづく)《ワンポイントミライ》(?)ミライ: 「やり抜く力」に学校は無力だったと言っていましたが、今回は何もできてないわけではないという話ですね。フツクロウ: ホウじゃな。ミライ: なんかずるい。 

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  • 「努力」はオワコン、代わりに「やり抜く技術」を学ぶ社会に(その5)

    2016-05-25 23:00  
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     「努力」はオワコン、代わりに「やり抜く技術」を学ぶ社会に(その4)  のつづきです。 「やり抜く力」はできるかどうかわからない課題に取り組む力ですから、「がんばればできる課題」を与える学校では、それを鍛えることが一見できません。今までの学校は「やり抜く力」に対してほとんど無力でした。 そこで学校が何ができるのかが次の興味ではありますが、その前に少し寄り道です。 というのも、このような問題を考えていると、不幸にして不登校になってしまった子供達の大きな可能性に気づかざるをえません。 なぜなら、その子たちは、もはや学校のペースにとらわれずに物事に取り組むことができるのです。実際、フリースクールに出てこられるようになった子供達には、一つの物事にじっくり取り組んで、そして自分の生きるペースを取り戻していく子がたくさんいます。ひたすら漢字を勉強したり。 ある人は、不登校にはならなかったようですが、「実は数学の日は1時間目から6時間目まで全部数学にして欲しかった」という人がいました。1時間ごとに科目が変わるのがすごく負担だったそうです。言われてみれば、私もたしかにそれいいかもと思いました。みんないろんなペースがあるのです。 不登校になった子が何か自分の意志で始めるとたら、そこからは全て「やり抜く力」を鍛えることになります。途中で飽きて違うことに行っても構いません。詳しくは後ほどですが、それも重要な「やり抜く力」です。 この話を始めれば、今一番熱いのはなんといっても、分身ロボットオリヒメを作っているオリィ研究所の代表吉藤オリィさんでしょう。彼は小学5年~中学3年まで不登校でしたが、今やAERA「日本を突破する100人」に選ばれるほどです。最近、2億2,977万円を調達したと話題になりました。  以前彼らのビジネスプランをメンタリングする機会があり、それ以来親しくさせてもらっています。そんな彼から聞いた一つのエピソードがあります。それは折り紙に熱中したけど、従来のぴったり折る折り紙が嫌いで、机を使わず手元で折る折り紙を追求したというのです。 そんな彼が身につけた「芸」はすごいです。手元でバラを折れます。ぴっちり折るわけではありませんから、ある意味より本物のバラをよく表しています。この「芸」は、もう幼い子からおばあさんまで、全ての女性の心を鷲掴みにします。なんどかその場面に居合わせましたが、受け取った女性の嬉しそうな表情は、それはもう若くても老いてても変わらぬかわいさです。 彼の「やり抜く力」は分身ロボットオリヒメにも現れていますが、折り紙一つでも、世界中の女性を虜にする技も生み出しているのです。 ですから、日本中の不幸にして投稿できない子供達には、ぜひ彼の生き方を知って欲しいし、フリースクールなど不登校生を支援する組織は、自分たちこそ「日本を突破する人材」を生み出す場になれるという自信を持って、「やり抜く力」を育むツールを生み出していって欲しいと思います。そのノウハウは多くの不登校生に生きる力をつけ、やがて、普通の学校にもそのノウハウが取り入れられていくことでしょう。 そういった長期的な展望のなかで、いずれ学校でも「やり抜く力」は育てられるようになっていくことでしょう。その時は「中学校もまともにでないでどうするんだ、まじめに学校に取り組め」という言葉が復活します。今は親ですら「こんなことまじめにやっても、将来使わないんじゃ」と思いがちです。それが再び学校が重要視されるようになっていくのです。 (つづく)《ワンポイントミライ》(?)ミライ: 私もみましたけど、カリオストロの城の名シーンそのものですよね。何もないところからバラ作り出して、お姫様に渡すとか……。あざといっ。フツクロウ: ホッホッホッ。欲しいんじゃろ。ミライ: クッ。 いいんです。確か動画があるから、欲しかったら自分で折ればいいんですっ。 

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  • 「努力」はオワコン、代わりに「やり抜く技術」を学ぶ社会に(その4)

    2016-05-24 20:15  
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     「努力」はオワコン、代わりに「やり抜く技術」を学ぶ社会に(その3)  のつづきです。 無駄な「努力」が疎まれる一方で、身に付けたい力「やり抜く力」。社会を見渡せばいい大学を出てなくたってこの力を持って成功している人はいくらでもいます。 これはつまり今までの学校教育は、この「やり抜く力」を育むという点ではうまくいっていないようにも見えます。 なぜ今までの教育は「やり抜く力」を育むことに無力なのでしょうか。 その原因はいくつかあります。 無力な理由その1「努力すればできる課題しか出さない」
     「やり抜く力」というのは、いわゆる「根気」だけの話ではありません。分厚い本を読み切るには、根気が必要ですが、読み切ったからといって、今回のテーマである「やり抜く力」そのものではありません。 なぜならここでいう「やり抜く力」とは、取り組む課題にそもそも答えがあるかどうかわからないものをやり抜く力を指すからです。 たとえば地域で交通弱者問題の解決が切実であっても、持続的に回る仕組みができるとは限りません。地域ごとに事情があってよそでうまくいったものがうまくいくとも限らず、そういうのを参考にしながら、自分たちの地域にあった方法を編み出していかなければなりません。でも、できるとは限らないのです。 できるかどうかわからない問題に地道に取り組み、結果を出す力、それが「やり抜く力」です。 「やり抜く力」は様々な力の総合力です。詳しくは改めて考えるとして、たとえばできないことは諦めるか一旦休む力が必要です。安西先生の「諦めたらそこで試合終了ですよ」という言葉は美しい言葉ではありますが、できるかどうかわからない問題に取り組むには、諦める力も必要です。 しかし、学校が出す課題というのは、どれも「できる」ことでしかありません。 それらの課題が難しいものであれば、達成することで「根気」を育むことにはなりますが、ここで考える「やり抜く力」を直接育てるわけではありません。 無力な理由その2「時間がない」
     答えがあるかどうかもわからない課題というのは、したがって結果を出すのにどれくらい時間がかかるか読めません。オルタナティブスクールなどでは、プロジェクト式学習として自分でテーマを決めて主体的に活動したりしますが、まさに最初から結果がわかってない課題に取り組む活動です。 今の普通の学校ではこのような活動をする時間は設けられていません。どこか隙間時間に取り組んでできるようなことではありません。 あえていえば、夏休みの自由研究がそれです。私の子供の頃からすでに普通にありましたから、昔から自由研究の重要性は認識されているのでしょう。 しかし、自由研究のやり方や指導は家庭に丸投げです。学校は「やりぬく力」は大事だけど自分たちには育てられません!と言っているようなものです。 学校にしても、子供達の成績を上げるなり、成果をあげなければなりませんから、自由研究のように途中で挫折するかもしれないようなことに力を割いても、挫折しようものならかえって非難されかねません。 このような歪みは、全て、「努力」と「根気」と「やり抜く力」が、社会の中でごちゃまぜになっているからです。 「努力」と「根気」だって全然別のものです。私たちはゲームの中で、レベル上げるために単調な作業を実に根気よく続けられます。そのゲームにハマってない人から見ればものすごい「努力」に見えるかもしれませんが、当の本人達は必要だから当然のようにやっているだけで「努力」かと言われるとよくわかりません。誰だって好きなことには「根気」を発揮するのです。 その「根気」と「やり抜く力」が必ずしも一緒ではないことをこれまで見てきました。 今までの学校では「やり抜く力」を育てるのは困難なことでした。 でも、学校だってただ手をこまねくことはないでしょう。だって、これからの社会を生き抜いていくには、そういう力が必要だというのは明らかだからです。 「やり抜く力」を育むために学校に何ができるのか、次回考えます。(つづく)《ワンポイントミライ》(?)ミライ: 「やり抜く力」とは答えがあるかないかわからない課題に取り組む力!フツクロウ: ホウじゃ! 

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  • 「努力」はオワコン、代わりに「やり抜く技術」を学ぶ社会に(その3)

    2016-05-23 23:00  
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     「努力」はオワコン、代わりに「やり抜く技術」を学ぶ社会に(その2)  のつづきです。 少し寄り道をしてしまいましたが、今回は「やりぬく力」にまつわるの衝撃的な事実に話を戻します。 「やりぬく力」は私たち自身も持ちたいと思うし、自分の子供にも持って欲しいと思う力です。 その「やりぬく力」について考え始めると私たちはある衝撃的な事実に遭遇します。 それはこの「やりぬく力」に学歴は関係ないということです。 いい大学を出てなくたって、世の中で活躍している人はいくらでもいます。 将棋の羽生4冠とかなら、目指してれば東大くらい軽く受かってそうな気がしますが、トップアスリートになると目指してもトップクラスの大学には入れなくても不思議ではありません。だれもそれを非難することはないでしょう。 私が学生の頃、御飯を食べに通った居酒屋の常連さんたちは、有名人ではありませんが、基本的に何かをやり抜いた人生の先輩たちでした。私は基本的に「おまえは苦労してないからいかん」と説教される立場なのですが、つまり彼らは苦労をくぐり抜けた勝者なのです。 一方で彼らに共通する愚痴は、「もっと勉強しておけばよかった」でした。逆にいえば、それは社会で生き抜くためには学力以外のものがいるということであり、私は学生時代にそれを徹底的に思い知らされたのでした。 だいたい、「成功するには」というライフハック系の記事で、「小学から高校あるいは大学までの勉強を徹底的に復習せよ」って聞いたことがありますか?  成功するためには学校で学んだことこそが重要であり、したがって今からでも遅くない、徹底的に復習しよう なんて聞きません。まあ、人は聞きたくないことは聞きたくない傾向にあって、こんなの聞きたくないことの筆頭ですから、言ったところで、みなガン無視なのかもしれませんが、まあ冷静に考えて、「学問」の内容そのものをいくら理解したところで、物事をやり通すこととはあまり関係はなさそうです。 そこまでわかっているのなら、義務教育でも「やり抜く力」を育むべきです。 もちろん全員がトップアスリート級の最上級の「やり抜く力」を身につけることはできませんが、地域社会の中で地域の問題を解決するくらい、それはたとえば「道の駅」で売れる商品を作り出すといったことでもかまいません、それくらいの「やり抜く力」を身につけることは、これだけ社会に無数の地域の問題がある現代では喫緊の問題です。 そんなことはわかりきっていますから、義務教育の場でも「粘り強く問題に取り組む生徒を育成しよう」なんて目標はさんざん語られていることでしょう。調べてませんけど。 でも、この目標に対して、今までの学校教育はほとんど無力だったのです。 どうして無力なのでしょうか。《ワンポイントミライ》(?)ミライ: え、と、ここまで「努力」はいらないけど、「やりぬく力」がいる、ということでしょうか。フツクロウ: ホウじゃな。 

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  • 「努力」はオワコン、代わりに「やり抜く技術」を学ぶ社会に(その2)

    2016-05-20 23:30  
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     「努力」はオワコン、代わりに「やり抜く技術」を学ぶ社会に(その1) のつづきです。 「やりぬく力」を考える前に、もう一つ、子供の学習のしかたがどれだけバラエティに富んでいるか例を紹介しようと思います。 これは何人かの塾の先生が実際に体験したことを元に作った半分実話、半分創作です。 A君は、決して算数が得意なわけではありませんが、小学生の時、□を使った式問題は理解が早かったと言います。 3 × □ = 6  というような問題があれば、すぐに「2」と答えられたのです。 ところが中学になったとき、A君はつまづきます。 3x = 6という方程式には、 x = 2 と答えますが、 7x = 6 という方程式は「答えがない」というのです。 実はA君は、見たものをぱっと覚えるのが得意なタイプで、漢字は見ればすぐにその漢字を書いて再現することができます。なので漢字は得意なものとして親や先生は気を払っていませんでしたが、実は書き順はめちゃめちゃだったのです。それから苦労して書き順を覚え直さなくてはいけませんでした。 □を使った式のときにも、同じようなことが起こっていました。どうやら、A君は 3 × □ = 6 を見ると、一瞬で  3 × 2 = 6と答えの入った式が浮かんでいたようなのです。頭の中で、 6÷3 を通らずに答えが出てくるのです。 ですから、中学に入り、3x = 6 は問題ないのですが、7x = 6 を見た時、そこに入る数字がなく「答えがない」ことになってしまったのです。 この事例でいくつか興味深い点があります。 一つ目は、A君にとって、 3 × □ = 6 は努力なしに理解できる問題だという点。この問題を解く時A君は考えていなかったそうです。わかっちゃうのです。 もう一点は、それゆえに、A君はかえって落とし穴にはまってしまった点です。 こんな風に子供が物事を理解する過程は多様ですから、つまづき方も多様です。(その1)で紹介したように、「字を丁寧に書くから」つまづく子だっているのです。 ですから、私たち社会はまだまだいろんな教材も必要だし、子供がつまづいてないかを見抜くツールも必要です。小三でつまづいた子は中三になったとき、学力は中二レベルではなく小三レベルのままになりかねません。この少子化の世の中、社会はそんな損失を放っておけません。 そのためには子供がつまづく事例をどんどん収集しなければなりません。eラーニングが注目されている理由の一つです。さらにその理由を解析し、その子がつまづきそうになったら、すかさずその子にとって「努力せず」に理解できる教え方に切り替えなければなりません。 「努力せず」に引っかかる人もいるかもしれませんが、それなら「その子が理解できる方法で」でもいいかもしれません。ある教え方では、どんなに「努力しても」その子には理解できないかもしれません。 誰にでもある経験ではないでしょうか。あの先生の教え方ではちんぷんかんぷんだったけど、この先生になったらその教科が好きになるくらいわかったということが。ある人にとって、どんなに努力しても分からない教え方と、すらすらわかるわかる教え方はありますが、その間というのはそれほど多くありません。 つまり、「努力せよ」と子供を変えようとするよりも、こちらが手を替え品を替えた方が「手っ取り早い」のです。自分の子供もそうです。ちょっと与えてみて、食いつかなければ別のものを考える方が、無理強いするよりよほど楽です。 さらに、自分自身の問題に還元するのであれば、必死に「努力」しているのに伸びないとか辛いのであれば、やり方が悪いか、才能がないかと考えた方が手っ取り早いのです。 私は学生の頃英会話教室とやらに入ってもちっとも続きませんでしたが、その後、NHKラジオの英語講座は3つ同時にずっと続きました(その一人遠山顕さんがいまだに現役と最近知り驚愕しています。多分アンドロイドです)。当時はラジカセのタイマーを使って、カセットテープに録音し、それをウォークマンにセットして通学の電車で聞くというスタイルでした。3つをきちんと録音するのはなかなか大変です。でも、「努力」したとかあんまり思ってません。自然と続いたのです。 子供が私から見て努力していれば、「すごい!」と褒めますが、「努力」を強いるのはあまり益がありません。 結果として人から「努力してるね」と感嘆してもらえることはあっても、本人は別にそんなにと思っています。 努力を強いるとか、無理して努力するとかは、元がとれない。 ということがじわじわと知られるようになっているのです。(つづく)《ワンポイントミライ》(?)ミライ: 所ジョージさんの名言「苦労とか努力っていう人はたぶん才能ないんだと思う」ってやつですね。フツクロウ: ホッホ。いやいや、そこまで単純じゃないという話じゃないかの。 

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  • 「努力」はオワコン、代わりに「やり抜く技術」を学ぶ社会に(その1)

    2016-05-19 23:45  
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     今回からしばらく、 無駄な「努力」はしなくなり、学校では「やり抜く技術」を育てるようになるというテーマを考えてみようと思います。 「努力しなさい」とはよく言われますが、「努力」っていいことなのでしょうか。 長男が小6になったこともあって、図書館から織田信長をはじめ日本史の有名人を取り上げたマンガを片っ端から借りてきました。私は歴史が苦手なので、何冊か読みとても楽しんでいるのですが、とても子供達のペースには追いつけないうちに、全50巻ほどでしょうか、全部読んでしまったようです。小3の次男まで。 そうすると、すでに日本史の有名人は一通り覚えているわけで、試しに大河ドラマを見せたら、加藤清正とか石田三成とかも知っているわけですよ。私は子供の頃苦労して覚えたのかもしれないけど大人になってすっかり忘れていたような人物たちを、彼らはただ楽しくマンガを読んだだけで覚えてしまっているわけです。 つまり世の中、いくらでも努力せずに学ぶ方法があるということです。最近はITの発展で、いわゆるゲームのように学べる仕組みがどんどん発達しています。義務教育で学ぶような勉強は、なんでも楽しくできちゃうような時代がすでに現れているのです。 「そんななんでも楽して覚えて、本当に力になるのか!」というテンプレには後で答えるとして、このように楽しく学べる環境というのは、手放しで喜ぶべきです。 私にそれを確信させた象徴的な事例は、小学生低学年に、字を丁寧に書くために、授業についていけなくなる子がいるということです。真面目な女の子を想像するといいのではないでしょうか。字を丁寧に書くけど遅いために、授業のペースについていけないのです。字を丁寧に書くくらいですから、素質としては勉強に向いている可能性が高いでしょう。何かの能力に著しくわけでもないのに、でも字を丁寧に書いていて落ちこぼれてしまうのです。 現在の教育のやり方の限界を示す例だと思います。その子に「字を早く努力をしろ」ということがその子にとって良いことでしょうか。それよりその子にあった学び方で学ぶほうが、その子にとって圧倒的に「効率」が良さそうです。もしも学校の教育のペースがその子にあっていたら、その子は努力とも思わずぐんぐん学力を伸ばしているかもしれません。今成績のいい子なんて、単に今の学校教育のペースにたまたまあっているだけかもしれないのです。 ですから、いろんな学び方が増えることは、それだけ子供達が自分にあった学習法に出会える可能性が高くなるわけで、悪いことであるはずがありません。楽して学習できるならどんどん楽すればよくて、その分他のことを学べばいいのです。 でも、そうやってなんでも楽して学んでばかりいて、将来なにかと大変な人生を渡っていけるのだろうかと心配になります。 たとえば「やりぬく力」。なにごとであっても、なにかを成し遂げた人の話を聞いていると、「諦めずに最後までやったからできた」という話をよく聞きます。スラムダンクの安西先生の「諦めたらそこで試合終了ですよ」というセリフも超有名です。 「やりぬく力」がほしいと思っている人はたくさんいるでしょう。あるいは我が子に「やりぬく力」をつけてほしいと思う親もたくさんいることでしょう。私もその一人です。 でも、この「やりぬく力」について考え始めると私たちはある衝撃的な事実に遭遇するのです。(つづく)《ワンポイントミライ》(?)ミライ: eラーニングという言葉が流行ってますけど、それだけじゃないですよね。フツクロウ: ふむ。 

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  • 和食ブームの次は、日本のお酒!

    2016-05-18 23:45  
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     海外の人が和食に魅了されている話は、先日も 「なぜ、東京では安くてウマイものが食べられるのか?」=偏西風  で紹介しましたが、和食の次は、日本のお酒が話題になると思います。日本酒だけではありません。ウイスキー・ビール・ワインなども入れてです。日本が名酒大国であると言われるようになるのです。 ウイスキー
     NHKの朝ドラ『マッサン』で日本のブームに火がついた国産ウイスキー。しかし、同じくして海外でもコンクールで賞を取るなど海外でも評価も高まっています。 国産ウイスキーは高いものだけがおいしいわけではありません。角ハイボールで人気に火がついたサントリーの角瓶。おいしくで手頃な値段で最近はかかすことがありません。もうおっさんですから、それなりに高価なウイスキーも飲んだことありますが、角瓶など国産ウイスキーの手軽さは素晴らしいです。 私が20歳の頃は、国産ウイスキーはまずいというイメージしかなく、バーボンとか海外のものばかり飲んでいました。まずいというか、飲むと頭が痛くなるので本当にやでした。 まあ、角瓶はほとんど飲んでなくて、変わったのは国産ウイスキーではなく私なのかもしれませんが、国内外の人気ぶりからしても味はよくなっているのでしょう。 いまや、海外のウイスキーよりも値段の高い国産ウイスキーは珍しくありません。海外の注目もますます高まるのではないでしょうか。 コンクールで賞を取るようなウイスキーもおいしいのでしょうが、手頃なのがおいしいというところが、日本のウイスキーに厚みが出てきたところだと思います。 ワイン そして変わったといえばなんといってもワインです。若い頃飲んだ国産ワインは甘いわ、頭痛くなるわ、二度と飲むかと思ったものです。 でも最近国産ワインが年々美味しくなります。この間甲府に出張した時、赤提灯な居酒屋で、一升瓶でついでくれるグラスワイクがガブガブ飲めておいしい。国産の高価なワインは飲んだことがないのでコメントできませんが、居酒屋ワインがこれだけおいしいのですから、かなり層が厚くなってると思います。 少なくともアメリカにいたときに飲んでたアメリカワインは超えてます。アメリカもその後美味しくなっているかもしれません。 いずれにせよもう日本の文化のひとつになったと思います。これからどんどん注目されるのではないでしょうか。 ビール
     日本人が知らない驚きの事実のひとつは、一番搾りなど大手の国産ビールが世界的に見ても傑作だということではないでしょうか。『もやしもん』でも取り上げられた世界でも傑作と知られた『ピルスナー・ウルケル』。大好きなので、たまにテイルズエールハウス本郷店に飲みにいきます。もちろん別格においしいのですが、コンビニで手に入るサントリーのプレモル、同じピルスナーとして全然負けてません。こんなおいしいビールがコンビニでどこでも手にはいるのですから、日本のビール文化はすごいです。 ただ、日本は長い間、大手の何種類かの似たようなビールばかりが売れ、ちょっと飽きられてしまいました。そんな中、地ビールがじわじわと多様なビールの世界を消費者に訴え広げていきました。 ローソンで「僕ビール、君ビール。」がバカ売れしたのはその象徴的な出来事でした。そんな中、キリンビールも方向転換するということです。 キリンビール、マス広告&大量生産と決別の歴史的転換へ…驚きのビールの店に客殺到   これから日本のビールはますます面白くなります。あとはあのわけのわからない酒税の整理が行われれば障害はなくなるでしょう。毎年話題になりつつ、なかなか実現しませんが、海外からうちのこの「ビール」がビールと言えないのはなにごとかという苦情はなくなりませんから、かならず整理されるはずです。そこからの日本のビール楽しみです! 世界にもある、ビール・ワイン・ウイスキーが、海外のものに負けない実力を持っていることが、確実に知られるようになっています。一方で日本酒や焼酎といった日本固有のお酒についても、そのおいしさに気づく外国人が増えています。 これだけ多様なお酒が世界レベルということで、日本はリカー大国として紹介されるようになるでしょう。今から楽しみです! そしたら、次はお茶とかに視点が向くかもしれません。気にしておこうと思います。《ワンポイントミライ》(?)ミライ: この間松本のお蕎麦やさん「三城」で頂いた日本酒が忘れらません・・。フツクロウ: おいしかったの。ミライ: はい。お昼っからいいの?って思いましたけど、量は少しだし、お散歩の後で喉渇いていたので、すっきりした飲み口がほんとにおいしくて。フツクロウ: 呑んべえじゃのお。ミライ: そんなことないです! あれはきっと誰でも美味しいです! 

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