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おむつを開けずに排泄確認が未来の普通に
2016-04-28 23:4531pt最近、おむつを開けずに排泄確認できる「排泄検知シートLifi」が話題になっています。 おむつを開けずに排泄確認。排泄検知シートLifi(リフィ)が今後スタンダードになりそう 実はこれ、毎年お手伝いしているMIT-EFJビジネスプランコンテスト&クリニックの第12回で一般の部最優秀を獲得した事業なんです。 【速報】MIT BPCC12 の最優秀賞他結果発表! それから4年近く。パラマウントベッド株式会社と共同開発しているということで、実用化直前でしょうか。 そのせいか、最近自分で集めているわけではないのに、この「排泄検知シートLifi」を取り上げる記事をよく見かけます。注目度が高いようです。感無量です。 おむつを開けて確認というのは、大人にとっては嫌なものであり、開けずにわかるというのは、患者にとっても嬉しいとのこと。 しかも、排泄した瞬間がわかるので、すぐに替えられます。排泄してるかを開けて確かめる場合、もししてなかったら、介護する方からすると「損」ですから、どうしても確認の感覚が長くなりがち。 しかも、いつしたかの記録を取ることができるので、患者さんが排泄するパターンがわかり、そろそろ排泄するかなという頃に声をかけて、自分でトイレに行くこともできそうなのです。それを繰り返せば、また自分でできるようになるかもしれません! 先日別のところでこんな話を聞きました。一人暮らしのおばあちゃんのところに、毎日お風呂を準備しに行く支援があるそうです。一人暮らしになってからは、自分で風呂を準備するのが大変で自分では入れなくなり、ディケアでたまにしか入れなくなっていたのですが、この支援のおかけで、毎日自分で入れるようになったとか。 高齢者が自立して暮らしていくために新しい装置ができたり、ちょっと工夫された支援ができたり、介護の世界はなにかと問題が積み上がっていますが、それだけに多くの人が工夫をこらしていて、日々イノベーションが続いているのです!《ワンポイントミライ》(?)ミライ: 排泄検知シートLifiを手がけてる株式会社abaの代表宇井吉美さん! ずっと粘り強く取り組んでおられて、ほんと頭がさがります。 -
[S] 日本の科学者が人を殺す日、ちょっと延期
2016-04-27 22:4531ptいつもとちょっと違う水曜、今回は気楽に重いネタの[S]です。 日本が潜水艦をオーストリアに輸出するという計画は、フランスに阻まれたそうです。 鯨にこだわり、潜水艦逃した安倍政権のお粗末 中国の圧力も(木村正人) とりあえずはよかったというところでしょうか。 日本人には想像がつかないでしょうが、アメリカで研究するということは、多なかれ少なかれ、人殺しに加担するという覚悟が必要です。アメリカでは軍事研究が盛んですし、実際に人を殺してます。たとえばドローンが中東でばんばん人を殺します。 ドローンに関連する技術を想像するだけでも、それがいかに広範囲であるかわかると思います。 私は日本で高速ビジョンの開発に関わって、のほほんと卓球の球追えて「たのし〜」とかやってますが、アメリカだったら間違いなく軍需に応用されます。 画像認識だ人工知能だって流行りの分野にしても、間違いなく軍需と地続きです。 アメリカでは警官が犯人を射殺することも普通で、正義のもとでの殺人は日常です。アメリカ人は生まれてからずっとそういう世界で暮らしていますし、科学者として研究していれば、直接的に国防省の予算で研究することもありますし、その周辺も地続きに裾野が広がっています。「私は国防省の予算では働かない」と、そこだけ突っぱねて自分だけ綺麗な身でいようとしても、多分間接的には関わることになるでしょう。アメリカには、研究を軍事研究とそうでない研究を隔たらせる壁がありません。 一方日本人が日本で研究している場合は、軍事研究をしないと宣言し、防衛省の予算を取らないということができます。実際そう宣言している大学や研究者は多くいます。 しかし、最近は防衛省予算に前向きな大学や研究者も増えています。たしかに一口に防衛省といっても、自衛隊をみればわかるように防災も重要です。たくさんの研究・開発が必要です。軍事研究といっても、あくまで自衛のためという大義名分もあります。もし仮に、自衛隊が海外で人を殺さねばならない状況に陥ったとしても、それは日本国民全員の問題であって、その兵器の開発に携わった科学者が槍玉にあがることもないでしょう。 しかし、輸出するとなったら話は別です。いったん日本の潜水艦が海外に渡れば、それが人を殺すかどうかはその国が決めることです。私たち日本人がいくらやめてと言っても、武器を売っておいてその言い草はなんだと失笑を買うだけです。 日本人のほとんどすべての科学者は、自分が人殺しに加担する可能性など考えたこともないでしょう。おそらくアメリカに研究に行った人のほとんどもその可能性を考えないまま行ったことでしょう。私もまったく考えてませんでした。 東大発ベンチャー「SCHAFT(シャフト)」は国防省のコンテストに出て、google に買収されましたが、それはつまり兵器としてのロボットに使われるということです。ドローンが人を殺しまくっているように、いずれそこから生まれたロボットが人を殺しまくることを覚悟しなければなりません。 アメリカに行った人は、それぞれが自分が殺人に加担するという現実を受け入れれば済む話ではありますが、日本で研究をする人にとっては、まったく想定に入っていないことでしょう。 しかし、防災のための防衛省の予算で研究をしたら、それがいずれ兵器に転用され、しかも輸出され、それが正義の名の下に人を殺すことはもはや絵空事ではありません。すでに海外との共同開発は進んでおり、F35の部品を輸出したりしています。まあ、そういう企業で軍事研究している人たちは、もともと覚悟していることでしょうが、今後はそれ以外の研究者にも広がっていくかもしれないのです。大学も防衛省の予算に前向きだし、国は武器を輸出したくてたまらないからです。 今回の潜水艦は輸出されませんでしたが、科学者は一人一人、自分の研究成果が人を殺す可能性を認識し、加担したくない人は注意深く行動することが求められる時代になってしまったのです。関連記事 日本の研究者が人を殺す日〜研究者は自衛せよ〜 《ワンポイントミライ》(?)ミライ: [S]なので出てくるつもりではなかったのですが。フツクロウ: ホ?ミライ: みてください、さっき出てきたこの記事。 -
ビットコインで戦争激減
2016-04-26 22:1531pt伊東乾さんのこのタイトルにしびれました。 仮想通貨から仮想が取れたら戦争は激減する 確かに減りそうです。素晴らしいことです。 なぜ減るのでしょう。 国々の間で政治が不安定になると、当然為替も不安定になります。為替相場が乱高下するとか、暴落するとか。国債の価格も不安定になるでしょう。それによって経済が混乱しますから、ますます政治を不安定にするでしょう。つまり戦争を助長します。 しかし、ビットコインが普及したらどうでしょう。輸出入をする人々は、ビットコインを活用するでしょう。戦争とは関係なく、普段から為替はちょっとしたきっかけですぐ乱高下して、商売するのに迷惑極まりません。ビットコインが使えるとなれば、ビットコインで取引したほうが商売は安定するでしょう。通販では消費者も手軽にビットコインを使うようになっていることでしょうから、かなりの部分をビットコイン決済だけで運営できる企業もできるはずです。フリーランスの人にはビットコインで報酬を受けとる人も出てきて、生活の主要な部分をビットコインでやりくりする人も出てきます。(ニコ動でも、「ビットコインデビットカード」活用してる方おられるようです。) こういう企業や人が増えてくると、為替に一喜一憂しなくて良くなります。そうなれば政治が多少不安定になったところで、経済への影響は少なくなり、より戦争が起こりにくくなるというわけです。 つまり、経済活動には統一通貨のほうが安定しているのですが、今までそれがなかったのは、技術的にできなかったからです。米ドルに統一しようと思っても、アメリカの都合で金利が上がったり下がったりしては、他の国は困ります。しかし、今ビットコインという政治からは切り離された通貨ができたのです。規模の小さい国では、自国の通貨をビットコインにペッグ(連動)するようなところが出てくるのかもしれません。 そして、その先の展開については、2年前に考えました。 [S]ビットコイン妄想。〜日本円がなくなる時〜 かつては同時ハイパーインフレーションの可能性が懸念されていました(岩井 克人さんの貨幣論 (ちくま学芸文庫) )。一国のハイパーインフレーションは、他の通貨にペッグするとかで食い止めることができるのですが、世界で一斉にハイパーインフレーションが起こったら止める手段が見当たらない、という危機です。 しかし、もう怖くありません。それが起こったら、ビットコインにペッグしてしまえばいいのです。 そして為替はなくなってしまうのです。だからといって、各国の通貨がなくなるわけではありません。いまでも、地域通貨がいろいろあるように、そのブロックブロックでの地産地消を促す役割があり、円やドルがビットコインが固定レートで取引されるようになっても円やドルはなくならないのです。 完全にお金の国境がなくなる瞬間です。戦争を誘引する一因が消えるのです。待ち遠しいです。 なかなか興味深い世界です。ぶっちゃけ、資金調達が全世界から行えます。マイクロファイナンスがますます活発になりそうです。 今行われているような金融政策は、ほとんど使えなくなりそうです。少なくとも、各国の通貨安競争はなくなりますから、それだけでもずいぶん世界は平和になりそうです。というか、通貨安競争こそ同時ハイパーインフレーションの引き金になりそうです。 戦争も減るけど、為替もなくなる。なかなか想像するのが難しいですが、楽しそうな未来です。過去記事 たくさんのローカル通貨を使いこなす未来の普通 ビットコインの「ブロックチェーン技術」は私たちの暮らしを一変する 《ワンポイントミライ》(?)ミライ: 日本円は地域通貨として生き残れるのでしょうか。フツクロウ: ホ? -
P: 無数の環境センサ前夜
2016-04-26 21:1510ptミラフツのピックアップ記事(?)
受けた電波で発電するのでバッテリー不要&ワイヤレスでプログラムの書き換えが可能なコンピューター「WISP」 - GIGAZINE きたきた。これパラダイムシフトですよね。 -
批判が多すぎるなら読まなきゃいいじゃない
2016-04-25 22:0031pt批判が多すぎて意味がわからないのだけれど日本っていつからこうだっけ? 「熊本地震以降、必要な情報を集めようとネットで調べることも多いのだけれど、うんざりする話が多くて困って」いるというお話なので、解決策を。 読まなきゃいいだけです。 そこに例が挙がっているのですが、
井上晴美が自宅全損したとブログに書けば批判されたり、
割り込み給油してた関西テレビが批判されたり、
オスプレイが政治利用されてる批判がされたり、
ボランティア団体が御船町に入ったら批判されたり、
紗栄子が500万寄付したら売名行為って批判されたり、
余って廃棄されたおにぎりが出たとか批判されたり、
被災地の前で取材してたTBSが批判されたり、
雨の中焼き芋配ってる人を取材したミヤネ屋が批判されたり、
私は見事にどれも読んでません。タイトルは知ってますけど。最後のミヤネ屋のは存在すら知りませんでした。 割り込み給油の話は、その後こんな記事が出ていて興味深かったです。 テレビ局スタッフによる弁当ツイートとガソリンスタンド割り込みは、マナーやモラルの問題ではない。(中嶋よしふみ) - Y!ニュース この件は二次災害を起こしかねない重大な問題で放送局のありかた全体に警鐘を鳴らしています。 話元に戻しますが、例として上がっている批判はどこかで見たことあるようなものばかりで、一通りパターンを知ってしまえば、タイトルを見れば内容はわかります。 批判に限らずニュースなんてそんなもんで、今も SmartNews 開いてみたら、ニュース10個中の9個くらいはタイトルだけで十分です。 たとえば、「「野党共闘、更に深化させていくべき」小沢一郎氏」とかあって、あー、昨日の北海道の選挙で与党が勝った後の反応なのでしょう。私にとっては特に今すぐ読まなくていい記事のようです。 批判が多いのは嘆かわしいことかもしれませんが、実際にはこういう無数にある記事のごく一部であり、慣れればタイトル見て無意識にスルーされていくことでしょう。 元記事の方も今回熊本地震について詳しく調べているうちにあまりの批判の多さに驚かれたのでしょうが、これからはスルーしていく力が身につき、困ることもなくなるでしょう。 そして、そのみんなのスルー力こそが、多すぎる批判を抑制する力となります。 批判そのものはなくなりません。ここミラフツも昔は無料記事がたくさんあったので、たまに炎上していましたが、だいたい1万人に読まれると、乱暴なコメントをする人が現れます。もう少し多くの人に読まれて、そういうコメントがいくつか重なると、連鎖反応が起こり炎上が始まります。 それ自体は防ぎようがありません。 たとえば、今18歳は120万人くらいで、東大の入学者数は3000人くらい、つまりなんと400人に一人は東大に入っています。 いわゆる医学部の理科三類は100人、つまり1.2万人に一人です。乱暴なコメントをぶつけてくる人も1万人に一人くらいで、つまり東大医学部くらいの激レアキャラです。 たったそれくらいしかいない激レアキャラたちによって炎上は始まります。 炎上が始まれば、それに乗っかる人はもっと遥かに多くなるので、燃え上がるわけですが、それでも乗っかってくるのは、せいぜい400人に一人つまり東大生くらいです。それくらいレアキャラです。 東大生と東大医学部生だけで、大学生を語るのがばかばかしいように、炎上に参加するごく一部の人を見て、「日本っていつからこうだっけ? 」と社会を憂うのもばかばかしいことです。世の中にはいろんな人がいる、それだけです。 でも、その先は少し考えどころです。たとえば「井上晴美が自宅全損したとブログに書けば批判」というのは、どこで知ったでしょう。おそらく「メディア」ですよね。直接彼女のブログを見て知った人はほとんどいないはずです。 ではなぜ「メディア」はそれを取り上げるのか。それは「読んでもらえる」からです。メディアはそれらが読まれることを知っていて記事にしますし、実際読まれることで、メディアはさらに記事を書きます。もし、反応が薄ければ「メディア」はさっさと次のネタを探しに行きますし、私たちの大半も彼女のブログが炎上したことを全く知らずにいたことでしょう。 したがって、乱暴な批判をなくすことは難しいですが、それを取り上げる記事は今後減るでしょう。今はまだそういう記事を読んで、ひどい批判だと憤る人も多いようですが、一通り経験すればそんな話題に飽き飽きするからです。実際私もほとんど読んでなかったわけです。開かれない記事は多くなり、「メディア」も取り上げることが減っていきます。 とはいえ、若い人を中心に、そういう経験をしていない人はいつまでもいるわけで、今後も乱暴な批判が取り上げられ、ある程度読まれること自体は無くならないでしょう。 が、暇つぶしに消費されるその他の下世話なゴシップとして扱われるようになり、つまり棲みわけるのではないでしょうか。 嫌韓記事もすっかり目につかなくなったように。その手のサイトに行けば、今でも大量の記事が生まれていますが、そういうのが読みたい人のためのものとして棲みわけが終わっており、その他大部分の人はもう飽きていて、見かけてもスルーされ、大々的に共有されることはありません。 ネットの鉄則「荒らしはスルーで」。行きすぎた批判も「荒らし」と思われ始めた時点で、スルーされる運命にあるのです。平常時のいきすぎた批判は流行らなくなることでしょう。 とはいえ、熊本地震のような大災害は滅多にありませんから、そのような時は思わずいきすぎた批判も読んでしまう人も増え、たくさん拡散してしまうかもしれません。そんな時は自衛しかありません。しっかり意識してスルーしましょう。《ワンポイントミライ》(?)ミライ: 言いがかりみたいな批判、早く下火になるといいですね。フツクロウ: 今がピークじゃないかと思うんじゃがの。 -
「なぜMARCHの学生は、大学に入ったら東大生より勉強しなければならないのか」
2016-04-22 17:4531pt藤代裕之さんの記事を拝見しました。 なぜMARCHの学生は、大学に入ったら東大生より勉強しなければならないのか - ガ島通信 そのタイトルの問いに私が答えるとしたら、 MARCHは今日本で一番熱い課題に取り組めるからでしょうか。 東大を頂点とした大学の仕組みは、優秀な人材を集めるという機能と共に、そういう人材を国や大企業にマッチングさせるという機能も担っています。 この仕組みは戦後の昭和で大そううまく働き、日本は一気に豊かな国になりました。 一方で、国や大企業が力を発揮しやすいところは、一通りやり尽くしてしまい、最近の国や大企業の活動は、国民の豊かで活発な経済活動につながりにくくなっています。日本のエリートが結集しているであろう日銀の金融政策は、金融業界を一喜一憂させ彼らの活動には直接つながるものの、私たちの暮らしにはほとんど影響がありません。金融業界が金融政策の効果をすべて吸収してしまうのです。 東大などのエリート校から輩出される人材は、当然国や大企業などグローバルな組織に行くことが期待されます。しかし、その輩出先の組織の活動は、この日本をより豊かにしようとするものの、どこか「あさって」の方向なのです。 今日本をよりよく、より豊かにするために直接効く活動は、その一段下から広がっています。上でMARCHが取り組む課題が「一番熱い」とは書きましたが、日本に点在するそれぞれの道の駅で飛ぶように売れる人気商品を生み出すことだって、同じくらい「熱い課題」です。 たとえば、私が通う離島では、地元の工夫で畑の上に太陽光パネルを隙間を設けて設置して、なかなかうまくいっています。 ではそれを広めるには、その仕組みがうまくいく条件はなにかとか、広げる仕組みとか、より俯瞰的な視点も必要になります。 それがどこでもうまくいく場合には、いわゆる国や大企業が大活躍できます。しかし、そういうのは一巡してしまっていて、畑の上発電みたいなのは、そうなりません。きっとどこでもできるわけではないし、おそらく地域地域でその地域の事情にあわせた工夫をする必要あるのです。 今こういうちょっと工夫すれば他の地域でも使えるような成果が、日本の至るところで生まれています。 そういう成果を拾い上げ、それが他ではどういうところで活かす事ができて、またどう一工夫すればその場所でうまくいくか、といった問題を扱うのに、MARCHというのはベストな立ち位置にいます。 たとえば地方大学であれば、よりその地方に密着した活動になり、それはそれで「熱い」です。 一方、MARCHであれば北海道の成果を東北から九州までそれが有効な場所に広げていける立ち位置にあり、つまり日本全体に影響力させる潜在的な力を持つ点で「一番熱い」のです。 しかし、そのような課題を解決するのはもちろん簡単なことではなく、必要な勉強はたくさんあることでしょう。でも、上で例に出した「道の駅で飛ぶように売れる商品を開発する」場合も、必要な勉強はあります。どんな課題だってそれに取り組むには必要な勉強があるのです。 自分たちが一番活躍できる課題を見据え、それに取り組むべき勉強をしましょう。東大などトップ校から将来国や大企業に行くのであれば、象牙の塔にこもりっきりで勉学に励むというアプローチもありですが、たとえばMARCHでは、一定期間地方留学くらいのフィールドワークが重要になってくるでしょう。都会で机上の空論こねてても成果は出ません。 でも、努力という点では、なるべく楽しい方法を見つけましょう。私は東大行きましたが、何度考えても「勉強が楽しかった」から受かっただけです。勉強時間は膨大でしたが、それが努力だったのかと言われてもよくわかりません。 それでも、何かに取り組む上で、いくつか「弱点克服」は必要になります。「自分はその弱点克服が苦手」と思う人いるかもしれませんが、心配ありません。 子供のうちはみな「弱点克服」が苦手です。 でも大人になるにつれ、その力が伸びます。地方から東京に出た人が、訛りが恥ずかしいと感じて、一気に直したりするようにです。そのように辛い「努力」はピンポイントに的を絞って取り組めるように、他のとこではなるべく楽しんで取り組めるように工夫しましょう。 私は歴史が苦手ですが、子供のたちのためにと図書館から借りてくる歴史マンガが、昔に比べてずっと読みやすくて楽しくて、仕事の合間に楽しく読んでます。これが自分のときにあったらなあ。(蛇足ですが、あるところから歳とるにつれ、「弱点克服」は面倒になっていきます) 英語が苦手なら、とりあえず「英語物語」始めるとか。 逆に言うと、努力しないといけないことがあまりにたくさんあるなら、根本的に身を置く分野を変えることも考えるべきです。所ジョージさんの名言「苦労とか努力っていう人はたぶん才能ないんだと思う」有名です。(ミラフツでも取り上げました) そして、しかし、何かに取り組んでいれば、必ず困難な場面が現れます。そんな踏ん張りどころには粘り強さが必要です。でも、その力は東大出身が一番というわけではありません。私自身は、学生の頃、ご飯食べさせてもらってた居酒屋のペンキ屋さんとかの常連さんたちから、学びました。 東大の人は、むしろ、なんでもスマートにやる方がかっこいい精神を持ちますから、泥臭いところ見せたがりません。でも、社会の大人たちは、そりゃもうただ粘るだけで物事やり通す人が五万といるわけです。それをまた、おっちゃんたちは、居酒屋で学生の私に自慢そうに語るわけです。居酒屋のおっちゃんのトークなんて、この世でもっともうざいものと思う人もいるかもしれませんが、私はなぜか好きでした。 おかげで、踏ん張りどころに必要な粘り強さとは、勉強とは別のものであることを学べたし、おかげで人生節目節目の踏ん張りどころで粘り通せたこともありました。だめだったときもありますけど。 そんな粘り強さとはどうやって鍛えるものなのか、私自身はよくわかりません。身も蓋もない言い方をすれば、苦しかった時、あのペンキ屋のおっちゃんたちですらできるのに、自分ができないとか悔しい的な対抗意識こそが原動力だった気もします。 それはあまりに身も蓋もないので、もう少し言い換えておくと、踏ん張りどころに必要な粘り強さは、学力に関係なく多くの人が持っています。その気で周りを見ればいくらでも見つけられるのではないでしょうか。今、暖かい食事を作り続け、自分たちは冷たい缶詰食べる自衛隊の姿とか? そんな中から自分のロールモデルとなる人を見つけ、その人のやり方を取り入れるなり、心の支えにするなり、私のように対抗意識を燃やすなり、原動力にしてふんばるということでしょうか。 強いモチベーションに突き上げられる人もいます。祖母の介護がうまくいかず、家族同士がぎすぎすした経験から、介護をよりよくしたいと介護機器を粘り強く開発している知り合いを思い出しました。 いずれにせよ、踏ん張りどころに必要な粘り強さは、学力関係なく誰にでも身につけられるチャンスがあります。 その力が欲しいと思う人は、手に入れられるし、別にと思う人は入れられないものなのかもしれません。 ある程度はテクニックも効きます。たとえば毎日(あるいは継続的に)取り組むということです。どんなに好きなことでも毎日やってると嫌になるときがあります。ある子供がゲームやりたいと言ったところ、親から毎日やれと義務化され、やがて嫌になったというエピソードを聞いたことがあります。それを乗り越えて毎日できることは、一つの粘り強さです。 もし今毎日やっていることがなければ、なにかやってみるといいでしょう。長男は、最近「英語物語」の連続ログイン数が365日を超えました。嬉しかったようです。 なにかを毎日できるようになれば、弱点克服や粘りが必要な場面で、毎日少しずつできることに分解して取り組む作戦が取れます。たとえ少しずつであれ毎日取り組むと着実に進みます。 「なぜMARCHの学生は、大学に入ったら東大生より勉強しなければならないのか」 MARCHは今日本で一番熱い課題に取り組めます。そのために必要な勉強に取り組んでください。東大生はそれ以上に勉強するかもしれませんが、その結果入っていく国や大企業のやることは、今の日本のかゆいところに手が届きませんから、引け目に思うことはありません。 なるべく要領よく楽しく学んでください。弱点克服の訓練だって、工夫して楽しくやってしまえばいいのです。それでも時には努力は必要でしょう。それでもここぞという時に絞ることで負荷をコントロールしましょう。 でも、何か成果を出すには、必ず粘り強さが必要になります。どの大学に行こうか、どんな人生を送っていようが関係なく直面する問題です。いい大学かなど関係なく身につけられますが、誰かが教えてくれるわけでもありません。いろんなアプローチがありますから、自分で工夫しましょう。なにかを毎日続ける訓練は、実践的な効果があります。 ここでは MARCH に焦点を当てましたが、その他地方大学や大学でなくたって、それぞれの「熱い」課題があります。それぞれの課題に必要な勉強をできれば楽しくやり、時に努力もし、そして粘り強く取り組みましょう。 《ワンポイントミライ》(?)ミライ: なんか思いがけない結論になりましたね。MARCH が一番熱い!フツクロウ: 熱い! -
自粛する大企業は、私たち日本人の世界貢献
2016-04-21 23:4531pt前回は、地震を受けて「楽しむなんてできない」と自粛してしまう人は、宗教を取り入れてみようというものでした。 [S] 自粛しないとと萎縮してしまうなら宗教を取り入れよう 地震が起きたからといって、全国で「楽しむなんてできない」と自粛してしまったら、激しい経済停滞が起こってしまいます。私たちは被災地の苦境に心を痛めながらも、活発に生きていかなくてはなりません。 それに対し、自らの心を強く持つとか、あるいは神にその倫理を預けてしまうとか、私たち個人には、答えが用意されています。 実際私の身の回りでは、リアルでもネットでも普通に暮らしています。 しかし、全市民の目にさらされる大企業にはそれができません。自分たちの倫理を「宗教」に預けることは困難です。地元の企業であれば、地元の祭りなどにあえて参加することもできるでしょう。でも大企業は派手なことをすれば少なからず批判も来るでしょう。多くの人は自粛するなと思っているかもしれませんが黙っている人が大半です。かくして、例えばテレビのCMはACばかりになってしまうのです。 グローバル化万歳な時代もありましたが、グローバル化した企業は激しい価格競争でまともに利益を出すこともできず、社員の給料を上げることができません。日本の経済に本当にプラスになっているのか、だんだん微妙になっています。自粛もしないといけない、競争も激しい、なかなか辛い事業です。 でも、その激しい競争でモノを世界に溢れさせることができるのであれば、世界のまだモノが豊かではない人たちの生活を豊かにするという世界貢献ができるのできます。その活動はそれはそれで大きな意義があります。 日本の中小が生き生きと日本をひっぱり、その余力で大企業が世界を豊かにする、そんな構図が未来の普通になるのです。《ワンポイントミライ》(?)ミライ: これまで、これからの大企業は辛いという話題が多かったこのミラフツですが、唐突に世界貢献宣言!フツクロウ: ホッホ。 -
P: AI秘書サービス "Amy" 同士のやりとりが見たい
2016-04-21 19:0010pt -
[S] 自粛しないとと萎縮してしまうなら宗教を取り入れよう
2016-04-20 23:4531ptいつもとちょっと違う水曜、今回は気楽に重い話をする記事[S]です。 こんなときに自粛しがちになってしまう私たちに、だから宗教大切とわかりやすく説明してくれたツイートを見かけました。
自粛による経済の停滞は深刻。でも、被災者を思うと楽しむなんて出来ない。そんな時は、例えばこんな風に神様を持ちだして、人間社会より上の次元に倫理の在りようを預けちゃうんです。宗教というのは、そもそもこういう使い方をするものなのですよ。 https://t.co/UqzsMn3a0R
天災とかで自粛ムードになってかえって世の中回らなくなるの、最近やっとよくないっていわれるようになったけど、実のとこ「神様が引きこもる様な災いが起こったら、自粛なんかせずお祭り騒ぎした方がいい」って対策が大昔からマニュアル化されてたりするから、神話とか伝えてくの本当に大事。 ― 清少納言 (@seisyounagon_)
2016年4月18日
日本人には、自分は無宗教という人が多いですが、宗教っていうとなんか悪い宗教のイメージばっかり先行しているから、宗教なんて信じちゃいけないと考えてしまいます。 でも、日本人の大半は、神道と仏教の混ざったような宗教観をしっかりと持っていて、行動規範にしています。無宗教といいながら、とても信心深い日本教の教徒なのです。 面と向かってそれを聞けば、「いやそれは道徳だから」と答えるかもしれません。まあ言葉としてはそれでもいいかもしれませんが、人はその宗教か道徳か言葉はどちらでもいい「それ」が必要です。 なぜか。それが、冒頭で紹介した「倫理を預ける」ための道具が必要だからです。 一番有名なお題は、「なぜ人を殺してはいけないか」です。一見あたりまえのように思えるのですが、考え出すとこれほど難しい問題はありません。だから、宗教に預けてしまいます。神様がだめと言っているからダメと。この状況では、それは道徳だからだと言ってもほとんど同じに聞こえますが、やはりそういうものを必要としているのは確かです。また道徳に頼る場合は、かつて日本が戦争に突き進んだように、道徳は簡単に変わってしまうことを覚悟しなくてはいけません。 科学が発達したことで、いろんなことが科学的に説明できるようになったので、宗教の必要性は昔よりは減ったかもしれません。しかし、冒頭の例のように震災があっても、祭りをしなければならないといった、反射的には従いにくい倫理に従うには、「心を鬼」にする強さを持つか、「神に倫理を預ける」必要が出てくるわけです。 私はかつて自分は無宗教だと考えていたことがあります。それは、いろんな問題を徹底的に考えて、自分なりに答えを持っていたので、「人を殺しちゃいけない」ことにも「震災があっても自粛しない」ことにもその他諸々にもいちいち悩まなくて済んでいたからです。 でも私は今はそう言いません。なぜなら、何冊か仏教の本を手にとって読んでみたら、そうやって自分で考えた答えと同じようなことが、そこに書いてあるからです。しかもより洗練された形で。ああ、自分が悩むようなことは、昔からちゃんと考えてくれてたのかというわけです。もうあるんだったら、どんどん参考にすればいいわけです。 よほど考え抜いて無宗教だというならともかく、なんとなくであれば、ぜひ一度、良さそうな宗教の本を手にとってみるといいと思います。自分が悩んだような問題について人類が連綿と考えぬいてきた上での答えが書いてありますから。 ということで、被災地の方々の苦境に心を痛めつつ、できることがあれば実行しながら、今日も私たちは普段通りの生活を、むしろより積極的に営んでいきましょう。そこに迷いがあるのであれば、無宗教と言う名の自分教をもっと突き詰めるか、自分は仏教と神道の入り混じった日本教の信者なのではないかと受け入れてみましょう。たとえば冒頭の「神に預ける」話を「もっともだ」と受け入れることです。 《ワンポイントミライ》(?)ミライ: って、[S]なのに、いきなり振られましたがっ。フツクロウ: ホッホ。 -
原発問題で私たちが政治家から聞きたい言葉は何か
2016-04-19 22:3031pt熊本県・大分県で発生した地震の被害により亡くなられた方に謹んでお悔やみを申し上げますとともに、被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。 なんかスマホの設定がたまたまそうなってて、熊本で大きな余震があると通知がきます。さっきも震度5弱というのがきました。震度5弱といえば、私が東日本大震災の時、東京で感じたものです。あんな地震がいまだに来ているとか、再び生活を始めるどころではないことでしょう。早く早く余震が収まることを願うばかりです。 そんな中、川内原発の問題がクローズアップされています。 震源の比較的近くにあり、しかも、今回は震源が拡大しているわけですから、これは被災地の人だけの問題ではなく、全国民が気になります。 すでに気象庁は今回の地震は我々が経験したものではなく、今後どうなるかわからないと明言しています。 つまりここで、私たちには新しい課題が生まれたのです。震源地が拡大する地震の近くに原発がある場合、予防的に止めるべきかという点です。 もし本当に来るなら、あらかじめ止めることには大きな効果があります。 原子炉を事前に停止すれば確かにリスクは下げられるという話 今までも地震が予知されたら止めるかといった議論はあったかもしれませんが、所詮机上の空論で真剣に議論されたことはないでしょう。 しかし、今回は、可能性の大きさはわかりませんが、現実的な危機として、震源地がさらに拡大して川内原発に近づく可能性が示されたわけです。 今回、原子力規制委員会は、たとえ来るとしても想定内だから止めなくていい、つまり「地震が来たら止めればいい」という判断を示しています。 原子力規制委:「川内原発を現状では停止させず」方針決定 - 毎日新聞 今の段階ではそれがせいいっぱいなところでしょう。なにしろ判断基準に「予防的に止める」という項目が入っていないでしょうから、議論のしようがありません。 気象庁にしても、大きな地震の後にさらに本震がくるとか、震源が拡大するとか今までになく、判断基準がありませんから、なにも判断できず、「わからない」というしかありません。 官庁はそういうところです。法律などの取り決めに忠実に動くのが役目です。むしろ、毎回担当者の気分で変えられてはたまりません。 ですから、今回の地震をどう捉えるかについては、一刻も早く学者が集まって議論すべきでしょう。もう考えているとは思いますが。 また、市民に向けて政治家にきちんとメッセージを発して欲しいのです。今までの地震は、突然来るものでしたから、原発はひたすら突然来る地震に耐えるよう作られてきました。 しかし、地震が来そうだというときにどうするか、それが想定の範囲内であっても予防的に止めるべきかという議論はまったくされていませんから、それはきちんと議論する必要があるということです。政治家は法律を作る立場です。今までにないルールを決めるのが仕事です。もしかしたら地震が来るかもしれないという場面に、どう備えるか、それは原発に限りません、それを具体的に考えるべき局面になったのですから、「今後検討していく」というのは、政治家の仕事です。 私たちは、まずそれを聞きたいのです。 が、今回は今までのところ、まるで官僚が言うような発言しかされていません。 検討の結果、それには時間がかかるでしょうが、今回のようなケースでは、やはり止める必要はないと判断するなら、それはそれで一つの答えです。でも前提が変わっているにもかかわらず、「想定内だから止める必要なし」というのは理にかなっていません。前提が変われば最大の安全の考え方も変わります。 議論を始めようというのは政治家の役割です。ぜひその一歩を踏み出してください。 蛇足ですが、現在の耐震基準は連続して来る地震を想定していないとのこと。 「耐震基準は連続した大地震を想定せず」 専門家 | NHKニュース これ、原発もきっとそうなので、耐震基準の議論はいちからやり直しになるのでしょうか。《ワンポイントミライ》(?)ミライ: うわ。フツクロウ: ホ?
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