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記事 24件
  • なんで肩書とか過去とか気になるの?

    2016-03-18 23:00  
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     ショーンKさんの話題で盛り上がっていますね。 そんな中、小田嶋 隆さんの記事が最高に面白いです。  彼にみなさんが騙された理由  彼はとんでもないものを盗んでいきました。私の自尊心です。ああ悔しい。
     この結言に吹きました。 本文では、コメンテーターとしての能力と詐欺師としての能力は同じものだと冷静に分析しています。 だから、要はショーンKさんはコメンテーターとしての能力は素晴らしいものなのでしょう。そこまで認める分析をしているのに、悔しい気持ちに変わりはなく自尊心が傷つけられるとか、つまりは詐称だった経歴でショーンKさんを評価していた自分が悔しいのでしょうね。 英語は非常に上手だそうですし、コメンテーターとしても優秀なようですから、ぜひニコ動などに活動の場を移して、それらの高い能力を活かしてほしいです。 今の時代、別に詐称しなくても、能力が高ければニコ動や youtube で才能を開花させていく道があるのですが、まだまだ知られていませんから、ぜひ第二第三の小林幸子さんとして復活する有名人が出てきてほしいです。 さて、わたしは、ショーンKさんは知りませんでした。なので悔しく思うこともできないのですが、もし知っていたとしても悔しがったとは思えません。 なぜかというと私は肩書きとか、その人の過去とか全然気にならないからです。一番身近な存在である、今の奥様や過去につきあった女性についても、過去とか気になりません。例えばどこの学校に行ってたとか。流石に今の奥様との付き合いは長いので知ってますけど。 小田嶋さんは悔しいというのですから、気になるということでしょう。でも、どうして気になるのでしょう。 気にするのは、気にすることでなにか得なことがあるからだと思うのですが、それが何か良く分かりません。 今回のショーンKさんに悔しがっている人は、是非、なんで騙されたことに悔しいのか、つまり、なぜ自分がショーンKさんの肩書を気にするのか、分析してみるといいのではないでしょうか。で、あんまり得じゃないと思ったら、やめたほうがいいと思います。 私には想像の世界なので、よく分かりませんが、たとえばお医者さんがみんなすごいかと言えば、そうではないですよね。お医者さんは誰にでもなれるものでもありませんが、新しいお医者さんにかかるとき、お医者さんが私のことを、私の病気をちゃんと理解して適切な処置を取ってもらえるのか不安になります。「お医者さんのいうことだからまるまる信じる」というわけにはいきません。 ショーンKさんが持っていると言っていた MBA にしても、それを本当に持っていれば、その人がビジネスについて語ることはなんでも正しいのかと言えば、そんなことはありません。 ショーンKさんは知らなかったので、直接言えることがありませんが、以前東大の助教だったけど、いろいろ捏造だったので、学位を取り消されたアニリール・セルカンさんという方がいて、まだバレてない頃に一度招待講演を聞いたことがあります。挨拶くらいしかしたことないですが、かなり仲の良い知り合いの知り合いで、おお、初めて講演が聞けると楽しみに伺ったことを覚えています。 ですが、研究の話はほとんどなくて「少年よ大志を抱け」的な若者向けメッセージが多くて、「ふーん」と思ってました。 その「ふーん」というのは、別にそういう人は東大にもいます。全く詐称してない人だって、なんか研究いまいちかなー、という人がいるのです。東大の先生だからって、全員研究がすごいわけではないのです。でも、そこは東大ですから、なんらかの能力は長けていて、たとえば「少年よ大志を抱け」的な若者向けメッセージが上手だったりするわけですw ですから、セルカンさんが、研究の話ほとんどしなかったことについても、ま、それでもこれだけしないのも珍しいな、とも思いましたが、あ、そういう能力の人なんだなという意味で「ふーん」と保留したわけです。 その後捏造が発覚し、さすがに天下の東大での大規模な捏造で、発覚した時はびっくりしましたが、「あー、まー、そうだよねー」くらいで、「騙された」とか「彼はとんでもないものを盗んでいきました。私の自尊心です。ああ悔しい。」とかもありませんでした。 東京にいてすっごい大企業と仕事してた時も、全員すごいわけではなかったし、アメリカ西海岸でベンチャーにいた時もいろんな人がいたし、今地方に住んで、すっごい過疎なところに行ったら行ったで、ものすごい人がいたりします。肩書とか学歴とかあんまり関係ありません。というとまた違うんですけど。 このコラボの時代、いろんな人と組んで仕事をする上で、お互いどういう能力を持っているかは非常に重要で、だって足りないところがあったら、誰かがそれをなんとかカバーするか、他に人を呼ぶかしないといけません。そういう意味で、肩書とか経歴とかは、ある能力を持っているかを示唆するという点でとても重要ですが、それが保証にはなっていません。 もし、あるメンバーがそれを持っていることになっているのに、持っていないことでプロジェクトが失敗してしまったら、メンバーだけでなくその人も大損失です。それは本人が気づいてないことだってあります。  

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  • 「人の気持ちを察する」は未来を作る原動力

    2016-03-17 23:00  
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     少し前、この ShortNote を読んでとても印象に残っていました。 いつから「人の気持ちを察する」の事が、当たり前の世界になったんだろう。  いつから「人の気持ちを察する」の事が、当たり前の世界になったんだろう。みんな疲れないかな? 私の学生時代は、「人の気持ちを察する」のではなくて、「人の気持ちを考えよう」って生活だった。
     人々は「十人十色」なんだから、「私はあなたじゃない」んだから、「あなたの望む世界、あなたの望む言葉や行動を全て考える事は不可能」なんだから、昔みたいに、「自分がされて嫌な事は他人にしない。」くらいシンプルでいいんじゃないか、 というお話です。 これを読むと、なんと生き辛い世の中になったことかと嘆きたくなる人もいると思いますが、 でも、これは社会の発展のマイナス面が見えているだけで、この裏側では、社会が昔よりずっと発展しているから、「人の気持ちを考えよう」から、「人の気持ちを察する」に変わっているのです。 なぜなら、「自分がされて嫌な事は他人にしない。」という行動原理は、あなたもわたしも同じ人間が出発点です。でも私にはたとえば盲目の人の気持はよくわからないし、「自分がされて嫌なことをしない」程度では、盲目な人が嫌なことをしてしまいそうだというくらいの想像力は働きます。 それは極端な例だと思うかもしれませんが、もっと生々しい例で言えば、知り合いには子供のいない夫婦は何組もいます。私たち自身も、結婚してかなり長い間子供はいませんでしたが、まあ、その頃から、子供のいない夫婦に「なんで?」とは聞いたことがありません。欲しくてもできないのか、そうでないのかなんてわからないし、前者だったらすごい地雷かもしれません。 自分たちは仮に聞かれても平気でしたけど、聞かれたことないし。さすがに親はほのめかしてきましたけど。 つまり、自分たちは聞かれても平気だけど、だからと言って、他人に聞いたりはしないわけです。余計な地雷は踏まないように。 昔は、盲目の人は例外扱いだし、結婚したら子供は作らなければならなかったし、そういった画一性があったから、「自分がされて嫌な事は他人にしない。」でやれてたわけです。 でも今はそういう画一的な人間像から外れた多様性が認められるようになってきて、それは一方で「人の気持ちを察する」必要が出てきたのです。 なんてことを感じていたのですが、それを象徴するような衝撃的な記事を発見しました。 中学入試、ある超難関男子校の国語問題に涙した理由   なんと、ある超難関男子校では「小学生男子に、戦後すぐの31歳独身女性の気持ちを考えさせる」問題が出ているというのです。 当然、今の「小学生男子」に「戦後すぐの31歳独身女性の気持ち」を経験的に知っている子はいません。つまり、学校側は「この人物がどれほどキミ自身とかけ離れ、身近に似たような人物がいなくとも、この人物のここでの心情を、他でもないキミが背景と文脈と細部から読み取って、表現しなさい。そういうことのできる子に入学してほしいんです」
    と、このテストを通して伝えているわけです。 すでに学校は、直球で「人の気持ちを察する」ことのできる人材を求めているわけです。 なぜか。 それは簡単です。 これからはコラボの時代だからです。 

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  • [S] 男の子の「かわいい」は危険と背中合わせ

    2016-03-16 23:30  
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     いつもとちょっと違う水曜、今回は気楽に書く記事[S]です。  天才現る(笑)!女性の言うカワイイをラーメンに例えた結果が分かりやすすぎる 女性にとっての『カワイイ』は、ラーメンを食べた時に、『味がする!』くらいの意味だという説で大変共感を得ているようです。 ふむふむ、なるほど、確かに言えてる気がします。 これは男の子にとっては衝撃的なことです。 なぜなら、男の子にとって『カワイイ』は、それこそ真逆です。昔、ツイッターの女子高生な bot だったかが「男の子だって、『カワイイ』もの大好きだよね。私達のこと大好きでしょ」みたいなことつぶやいててウケたことがあります。引用したいけど、見つけられません。すいません。 はい、男の子だって、『カワイイ』は大好きです。 でも女の子のそれとはかなり異なります。 男の子にとって『カワイイ』といえばまずは女の子です。たんに見た目だけの問題ではなくて、ちょっとした仕草とか、声とか、いわゆる萌え要素で、様々な『カワイイ』があるでしょう。 そして、男の子の『カワイイ』が女性のそれと違うのは、なんといっても、そういった『カワイイ』に惹かれると、男の子はときにその女の子に恋してしまいます。 恋に落ちてしまったら、自分で自分を制御することは難しくなり、それが二次元だろうか三次元だろうが、寝ても覚めてもその娘のことばかりになってしまいます。もう日常が根本から変わってしまいます。 つまり、男の子が『カワイイ』を感じることは、それくらい危険と背中合わせなのです。 知り合いが「男性のカワイイは連帯保証人のサインくらいのハードルです。」と表現していましたが、まさにそれくらい大問題なわけです。 もしも、逆に男の子が女の子のように『カワイイ』のハードルを下げてしまったら、男が生涯の伴侶を見つけるための重要な感覚を一つ失うことになってしまいます。自らの生存競争のためにも、うかつに『カワイイ』感情を発動してはいけないのです。 もしかしたら女性の『カッコイイ』に似ているかもしれません。多分男性は女性より『カッコイイ』を多用しています。ヒト・モノ問わず、ちょっとしたことに男は「うわ、かっけぇ」と反応し、女性は何がカッコイイのかさっぱりわからないという世界です。 これも、女性にしてみれば、『カッコイイ』男性は恋愛感情に直結してますから、安易に『カッコイイ』を感じていては身が持ちません。男はそんなことありませんから、『カッコイイ』を乱発できます。『カワイイ』ほどの落差はないように思いますが、この言葉と比較するとお互いの使い方の違いがわかりやすいのではないでしょうか。 さて、ここまでの『カワイイ』は「男の子」にとってと、あえて「男の子」という言葉を使ってきましたが、そうです、男性にとっても『カワイイ』はやがて変化するタイミングがあります。 それは、子供ができたときです。 

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  • 「保育園落ちた日本死ね!」ブログからちょうど1ヶ月。

    2016-03-15 23:45  
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    「保育園落ちた日本死ね!」ブログからちょうど1ヶ月。
     私は投稿された次の日、16日に読みましたが、「なんべん読んでも惚れぼれする」とめちゃめちゃに感動してました。 汚い言葉をつかっているのにそんなに清々しいのは、なんといっても当事者だからこそ。最近、当事者でもないのにいちゃもんつける、しかも当事者のそんな風には考えていない「イチローチョップスティック」が横行して、私たちは日々辟易しています。むしろ通常当事者はいろいろ配慮して何重にもオブラートに包んだような話し方をしますから、「保育園落ちた日本死ね!」と当事者の怒りを一点の曇もなく真っ直ぐに表現したあの文章は、読む人の心に突き刺さりました。 ぶちきれるといえば、野球の監督が審判に抗議するのが伝統芸能として定着しています。各監督の切れっぷりはそれぞれ見応えがありますが、でも、あれも、その直前「私はいまブチ切れるべき」と冷静に計算し尽くしていて、その上で、感情をぶちっと切って、そこからは本当に感情的に怒りを表現していますが、いわばあれも芸なわけです。 そういえば、アラブの人はそういうの得意なイメージがあるんですが、なんかの展示会で、そういうの見ました。何に怒っているのかはまったく分かりませんでしたが、猛烈に抗議していて、すごいあんなのやれって言われてもできないなあと遠目に感激したことがあります。 さて、このブログが共感を呼びまくり、国会で紹介されたのは 2月29日。この時安倍首相は「匿名である以上、実際本当に起こっているか、確認しようがない」とこれ以上ない間違えた対応をしてしまい、その後さらに騒ぎになりました。逆に言うと対応を間違えてくれたおかげで、ここまで話題になり、きちんと対応をすると約束することにまでなったわけですから、良かったのかもしれません。 匿名のブログそのものは、確かにそれが本当かどうかはわかりませんが、そのブログに爆発的な共感の渦が発生したのは事実ですから、そのブログが本当かどうかなんてもはや関係なく、そういう声を持っている人はたくさんいるという事実は確かなのです。怒りの言葉をぶつけているブログなんて、今この瞬間にも誰かが書いていることでしょうが、必ず、それが多くの人の目に触れることにはならないわけです。国会議員がバズってもいないようなどっかの匿名ブログを引用したって、笑いものになるだけでしょう。 首相や政治家にとって今回のことは、匿名ブログとはいえバズったものにはきちんした回答をしなくてはならないという、教訓になったことと思います。 一方、都会で子供を産もうとしている人は、今回の騒動をきっかけにぜひ地方で暮らす可能性を考えて欲しいと思います。 ちょっとすぐにデータが出てこなかったのですが、待機児童は都会に集中しています。自治体も実は懸命に努力していますかが、保育園は簡単には増やせないのが実情です。反対運動が起こって計画見直しなんて記事、定期的に見かけます。 都会はベビーカーで電車に乗ることすら疎まれる不寛容な社会ですから、保育園だって反対する市民がわんさかいます。どんなに安倍さんが指示したって、魔法のように待機児童が消えてなくなることはないでしょう。 政治家には努力してほしいですが、もうすぐ子供を作ろうと考えている都会の人は、この問題の表面的な騒ぎに惑わされることなく、じっくり調べてほしいです。問題は、政治家の怠慢ではなく、都会の子育てへの不寛容なのですから。たとえ無事保育園に入れたとしても、しばらくの間、ずううううっと社会の迷惑者として生きなければなりません。 私は子供が小2と幼稚園の時、東京から福山に引っ越しました。 それまでは、社会の迷惑者として生きてました。福山に越してからは、そんなことはありません。 

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  • つまり変態は仕事になるのか。うん、なってる。

    2016-03-14 23:45  
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     はあちゅうさんの記事は以前から感動するものが多いのですが、最近特に多いです。 今日のこれは、特にどころか、自分でも気づいてなかった自分を発見してびっくりです。 はあちゅう 変態だけが好きなことを仕事にできる<生き方を仕事にする方法> それでも、自分的には「人よりちょっと本が好き」 くらいだと思っていた。
     人から見たら、変態にしか見えないくらい本が好きなのに、自分では「ちょっと好き」くらいの自覚しかなかったという振り返りと、そういうものは仕事になるから信じよう!って話です。 あー、言われてみれば、マンガとかのお決まりのパターンですよね。 本人は「ちょっと好き」くらいの自覚しかないけど、なんかの拍子にそれを人に示したら、ものすごい能力高くて、どんどん人に認められていくみたいな。 言われてみたら、今の自分がまさにその通りでした。高速アルゴリズムというとてもニッチな世界で。 自分では変態的に好きだという自覚もないし、しかも、能力高いと思ってないので、仕事になるとは思ったこともないのに、いつの間にかお金もらえてました。多分変態なんでしょう。このネタで人と話あったことないし。 私は今いろんなことしてて、楽しくてもあんまりお金にならないのもいろいろある中、これについてはきちんといただけています。ニーズがあるわけです。 その高速アルゴリズム開発との出会いは、私が、ちょうど私の長男(小5)くらいのころです。 当時エプソンから出ていたハンドヘルドコンピュータ「HC-20」というのを持っていて、それで円周率の計算をして遊んでました。夜に走らせて寝て起きると計算した分付属の小さなプリンタに出てくるのです。プリンタが内蔵されてるんですよ。クールでしょ? が、計算するけたを増やそうとすると時間がかかりますし、なんだか動かなくなってしまいます。それを塾の先生に個人的に見てもらったら、こんな非効率なアルゴリズムがあるかと、次々と高速化のポイントを教えてくださいました。ちょっといじると飛躍的に計算速度があがるのが面白く、自分でもいろんな工夫をした覚えがあります。 その後プログラミングは好きでしたけど、世の中の得意な人ほどできるわけではありませんでした。アプリを作るとかはからきしだったのです。なので職業にしようと思ったことはありません。 が、修士の頃だったか、先輩研究員が作ったシミュレーテッドアニーリングというアルゴリズムのプログラムを引き継いで研究してました。これも一晩とかコンピュータ回して結果を得るものなのですが、引き継いだだけでなにかしないと自分の研究になりませんから、高速化や最適化を始めます。以前一晩かかってたようなのが30分くらいでできるようになったりして、そうすると今まで現実的でなかったような大きい問題が解けるようになりました。 ベンチャーで専用画像処理装置を開発したことがあって、大学の共同研究者から論文に画像処理の処理速度を載せたいので測定してほしいと頼まれました。測れと言われたら、ちょっとでも速くしたいのが人情。自分たちで設計した処理装置ですが、当初は想定してないような高速化の手法を見つけて、結果を送ったら、なんでこんなに速いのとたいそう驚かれたのを覚えています。大きなプロジェクトの一部ではありますが、仕事として成立したのはこの頃からだと思います。 そして今現在も高速ビジョンの分野で、限られた処理時間にどれだけ処理を詰め込めるかと日夜奮闘しているのです。 で、個人的に自分はそれが得意らしいというのに気づいたのは割と最近です。高速化って科学系のプログラミングをする人だとそれなりに必要になると思うので、そういう人はみんな自分くらいできるんだろうと思っていたわけです。 世の中のオープンソースのコード見てると、多分それはその通りで自分なんてたいしたことないんですけれど、たまたま、世の中にはそれ以上に需要があるということなんだと思います。 でもはあちゅうさんの記事も含め、世の中まだまだミスマッチングだらけということではないでしょうか。 なにしろ、「変態」は自分の「変態」ぶりに気づいてないわけです。自分にその能力があるとも思っていないし、すなわち、その能力を必要としている人がいることにも気づいていないのですから、必要としている人に見つかるわけがありません。  

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  • グーグルが突きとめた!社員の「生産性」を高める具体的な方法は日本初「ポジティブサラダバー」

    2016-03-11 23:15  
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     こんな記事が目に飛び込んできました。 グーグルが突きとめた!社員の「生産性」を高める唯一の方法はこうだ  様々な要素を調べたけど、関係ないものばかり。例えば生産性の高いチーム内には共通のルールがあるのかと調べたけど、 あるチームでは、会議中にリーダーがチームメイト全員に等しく発言する時間を与え、それを別のチームメイトが途中で遮ることを許さなかったのに対し、別のチームでは互いに発言の途中で割って入るのが常態化していた。
     正反対のルールがあったりしたのです。 苦労しながら、様々な要素を検討した結果、次のような結論を導き出したそうです。社員一人ひとりが会社で本来の自分を曝け出すことができること、そして、それを受け入れるための「心理的安全性」、つまり他者への心遣いや共感、理解力を醸成することが、間接的にではあるが、チームの生産性を高めることにつながる。
     「本来の自分」w えー、「本来の自分」とか若い人が探すのは仕方ないけど、そんなものないことは、日本では割と知られてると思うんですが・・。 人はいくつもの性格を持ちます。渡邊 芳之先生のこの本の表紙にもあるように。 あなたはなぜ変われないのか: 性格は「モード」で変わる 心理学のかしこい使い方  学校では丁寧な言葉づかいの女子高生が家に帰ったら、父親に「クソジジィ!」と叫んだりするわけです。そしてどっちも本当の自分だったりもするのです。 会社ではいつも厳しい「部長」が家ではネコにメロメロだったりするのです。それを会社で隠しているとが「自分をさらけ出せてない」という問題なんだと思うかもしれませんが、ではたとえばトップアスリートはどうでしょう。 私達がテレビなどを通して見るトップアスリートの姿です。彼らが真剣にプレイしている姿から、家でペットのネコにメロメロかどうかなんてわからないし、それで当然です。 人は、自分の置かれている環境や立場で、性格を使い分けるのです。 ですから、家と職場で全然正確が違うように見えても、両方が「本来の自分」であることは大いにありえることですし、でも、もしかしたら、職場ではものすごく無理をしていて、グーグルのレポートで心配している「自分をさらけ出せてない」状態なのかもしれません。 では、どういう状態が「自分をさらけ出せてない」状況なのでしょうか。 こう考えていくと、生産性を高める具体的な方法は、やっぱり日本発「ポジティブサラダバー」だよねと思います。 「ポジティブサラダバー」とは、あるプロジェクトがあるとき、そのメンバーで、自分はそのプロジェクトを通してなにを得たいかということをお互いに共有する手法です。 

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  • ついに未来の小学生が逆上がりできなくて悩まなくていい技術が生まれた

    2016-03-10 23:45  
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     2月10日にアップされた動画ですが、今見ました。 コンピュータで人間を操る、プログラミングされる手と指 ついに来たか!という感じです。電極を腕につけることで、手や指がコンピューターの指示で動くという技術です。 世の中、できるようになってしまえばなんでもないことなのに、習得に手間がかかる運動っていっぱいあるじゃないですか。お箸とか自転車とか。そしてその最高峰が逆上がり。 そういうのって、言葉でこうやるんだよって言われたり、他人がその人を補助したりして教えようとしますが、なかなかうまく行きません。学生の頃、スキーを教わるのもそうだったし、逆に教える時もそうだったし。自分で何度も失敗してやるしかないみたいな。 子供にボールの投げ方教えるのも大変でした。 だから、昔から、動作を直接教えられればいいのにと思っていました。外から直接筋肉を動かしてあげる。「こう動かせばいいんだよ」というのを言葉でなくて直接筋肉を動かして教えて上げるのです。 もちろん今は腕だけですが、これを応用すれば、逆上がりができない子に、逆上がりはこうするんだよって、筋肉を動かしてあげることができるのです。 あるいは、トップアスリートの筋肉の動きを記録すれば、それを他の人が体験できます。動画では楽器の習得なんかも例示されていました。 子育てしたことある人なら、赤ちゃんがどうやって動きを獲得するか見たことあると思います。ひたすらトライアンドエラー。 次男が赤ちゃんの頃、顔の上にぶら下がっているおもちゃに触りたくて、手足をめちゃめちゃに動かすのですが、ある時ピタッと止まり、考えに考えてえいって動かしたのは足でした(苦笑 動作の獲得はかくも効率が悪いのです。 でも、それを直接筋肉を動かすことで教示できるとしたら。今まで、子は親の動作を見て真似て、獲得してきた動作を、直接自分の筋肉を通して、教示されて学習されるとしたら。 いったいどんな学習をするようになるのでしょう。 そう考えていくとさらにとんでもない世界が想像できます。 漢字の練習。筆算。  

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  • [S] 東京がマイナーに見える地図が面白かった

    2016-03-09 23:30  
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     いつもとちょっと違う水曜、今回は気楽に書き始める短い記事[S]です。  これ楽しいですね。 日本は2つの国からできている!?~データで見る東京の特異性~ Yahoo! JAPANビッグデータレポート   東京は電車に乗る回数が飛び抜けて多くマイカー通勤は少ない。地方はマイカー通勤が多く、電車に乗る回数は少ない。大阪など関東関西主要7府県はその中間。 検索回数も東京が飛び抜けてて、後はその3割から6割。概ね大きな都市のある府県ほど多いようです。地方に行くほど、ネットに載ってない情報が多いですからね。 これ、もっともっといろいろやって欲しいですね。 「フィンテック」や「Uber」という語は東京での興味が高いとか、「中学受験」や「TOEIC」は東京を中心に都会の関心が高いとか、当たり前すぎなので、もっと面白いのみつけて欲しいです。 あと、逆ももっと。車への関心は東京が極端に低くと、これまた当たり前の結果だけ。 全体的に、結果よりも、中の人が東京の人なんだなあということの方が面白かったです。 とりあえず「テレビ」とかで見てみたら面白いだろうにとか、このタイミングなら「保育園」だろうとか。 結果は地方の人から見ると、ごく当たり前かなあというものがほとんどでしたが、これを東京の人が見てどう思うのかというのは大変興味があります。 地図には、東京だけ赤、後ほとんど青という地図がいくつも出てきます。まさにタイトルの「日本は2つの国からできている」を印象づけるような地図です。 でもって、地図にすると東京の面積は非常に狭く、大半が青なわけです。 

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  • 【馬】今のままでは陸前高田市は一度失敗する

    2016-03-08 23:30  
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    この記事は【馬車目線】(?)でお送りします。
     今、NHKスペシャルで、津波被害で更地になってしまった陸前高田市を0から作るという話題を取り上げていました。 NHKスペシャル | もう一度"ふるさと"を~岩手・陸前高田の4年間~  申し訳ないですけど、この街づくりはこのままでは一度失敗するでしょう。 恐らく、見ていた全国の人の多くはそう感じると思います。 理由ははっきりとしています。 だって、陸前高田市の外に住んでいる人がそこに移住することを、頑なに拒んでいる内容だからです。 この番組を見て、この0から作る新しい街陸前高田市に引っ越したいと思った人がいたでしょうか。 いなければ、この新しい街は、生き残った人からその後去った人、これから去る人だけが住むことになります。番組の中で昔商店を構えていた人たちが、新しい土地で商店を構えるべきかを悩む姿がひたすら描かれています。当然です。外から人が来る感じが全くしないのに、商売してもしかたないですよね。以前より人が減った街で商売しても前と同じ生活できないじゃないですか。これからどんどん人が増えるという期待があれば、夢持てますけど、そうじゃないなら勝負してもしかたありません。 この番組では役所の人にスポットがあたっていました。役所の人の立場としては、全力を尽くされていると思います。 彼らは、いまの立場では、被災された方が元の生活を取り戻すことがミッションです。彼らが、全国の人が移住したくなるような街にしましょうと言い出したら、それこそ大ブーイングでしょう。 新しい人を積極的に呼びこむのはまず地元の人が生活を取り戻してからと考えたくなる心情はわかります。しかし、その姿勢こそが、かつて商店を構えていた人たちが、新しい土地に店を開くのを躊躇させる最大の理由です。 それを変えるのは、例えばちょっとだけ映った市長さんの役目ではないでしょうか。 陸前高田市は人が少なくなったのですから、新しい人を入れずに元の賑わいを取り戻すことはできません。全国の人が住みたくなるような魅力が必要です。 その視点がこの番組では0でした。もしかしたら積極的に考えているのかもしれませんが、だとしたら、この番組はネガティブキャンペーンです。大いにNHKにいかるべきです。 このままでは、陸前高田市の復興は一度失敗するでしょう。失敗し、人がさらに減る傾向を誰もが認めざるをえなくなれば、みな新しい人を呼びこまなければならないと自覚し、そこから市民が一体となった取り組みが始まることでしょう。 

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  • 「失敗したら減点」という文化を変えるには?

    2016-03-07 23:45  
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     とりあえず書き始めますが多分結論は出ません。論点整理だけ。 「失敗したら減点」という文化ではイノベーションは起こらないというフレーズを見かけました。 良く言われますよね。 じゃあどうしたらいいんでしょう。 「失敗したら減点」でなくすには、たとえば「成功したら加点」ですよね。 ところがこの「成功」ってのがなかなか起こらない。会社で言えばいろんないい結果が積み重って、売れる商品になって初めて本当の意味での「成功」なわけです。多分その時は日本でも「加点」されるとは思うのですが、そんなことはたま〜にしか起こらないので、それだけだと、その一方で「失敗したら減点」したら、そっちの方が頻度が多くて目立ってしまうでしょう。 またそういう本当の意味での「成功」はたまにしか起こらなくて、それに関わった人だけ加点では、会社のかなりの部分の人が「加点」されないなんてことにもなるでしょう。 なのでそういう本当の意味での「成功」以外に、会社の中で、これは「成功」として扱おうというものをお互いに了解しあって、ある意味自己満足でお互いを鼓舞する必要があります。 アメリカはこういうところで、ある程度文化として共有できている「成功」があるし、シリコンバレーと地域を絞れば、もっとそういう共有が増えるわけです。つまり、その先本当に成功するかしないかとかは棚にあげて、「おまえのその結果はすごい」と言えるし、した人もこれはきっとすごいと言ってもらえるというのがあるわけです。 日本ではそういうのはたとえば「努力」であって、なので長時間労働が自発的に蔓延してしまうわけです。それが、会社の本当の意味での「成功」、たとえば売上に繋がるかなんてことは、棚にあげて。 つまり、そういう文化の部分で、昔の工業時代、日本のそれはいい方向で働きました。だって、モノを作れば作るだけ売れる時代ですから、労働すればするほど「売れる」わけです。 でも、もうそういう時代じゃないしね〜。 だからといって文化というのは変わりにくいものですから、文化を変えるべきと言ってもうまく行きません。 なにを成功にするかは一旦置いて、では他のアプローチはないでしょうか。 たとえば「失敗してもなかなか減点しない」ということです。 ミスは減らしたいものですが、そんなことよりそこからみんなでどうやって回復するかの方が遥かに大事だと思いませんか? 真の「成功」を見据えたとき、ミスしてしまったものは、まずはそこから回復する。みんなで。その冷静な分析対処チームワーク、そういうのがミスによって鍛えられるのであれば、いわゆる「肥やし」ですらあります。 そのミスを人に属するのではなく、放っておけば誰かが起こしたと考えれば、システムを改良しなければなりません。 それに、子育てしてると子供は同じ失敗を何度も繰り返しますから、「失敗したら減点」してたらあっという間にライフは0になります。大人はそこまでひどくないですが、「失敗ごとに減点」することは、 本当の「成功」につながっていません。我々はその尺度にもっともっと真剣に取り組むべきでしょう。そこで「減点」をすることが、会社の「成功」につながるのか。その尺度で測れば、おおよそほとんどの失敗は「減点」対象ではないことでしょう。  「失敗したら減点」という文化ではイノベーションは起こらない
     のです。 今多くの仕事は、失敗したら一個不良品が出て歩留まりが悪くなるという古典的モノづくりの世界とは違うのです。  

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