閉じる
閉じる
×
関東軍主導で建国された満洲国には、日本から開拓移民と呼ばれる人たちが国策として送り込まれました。しかし敗戦によって悲惨な結末を迎えることになります。今回は満洲の成り立ちから、この移民の意味をとらえ直してみましょう。
満洲というのは概ね今の中国の東北部、東三省(遼寧省、吉林省、黒龍江省)ですよね。ここは清朝を打ち立てた女真族(のちに満洲族)にとって、自分たちの故郷であり聖地としていたので始めは中国人(漢人)の流入を防ぐ封禁政策を取っていました。変わったのは一六五三年です。遼東招民開墾令を出して、「どんどん来てええで。広い土地やから開拓してや」という方針転換をしたのです。ところがその後人口が増え過ぎました。そこで一七四〇年に再び封禁政策を取ります。「中国人は来たらあかんで。もう十分やで」と。
この記事は有料です。記事を購読すると、続きをお読みいただけます。
入会して購読
チャンネルに入会して、購読者になればこのチャンネルの全記事が読めます。
入会者特典:当月に発行された記事はチャンネル月額会員限定です。
週刊文春デジタル
更新頻度:
毎週水,木曜日
最終更新日:2024-09-27 18:00
チャンネル月額:
¥880
(税込)
ニコニコポイントで購入
この記事は月額会員限定の記事です。都度購入はできません。