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  • 秋元康さんに聞いてわかった「AKB48の戦略」に隠されたすごいノウハウ

    2013-01-30 13:40  
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    「秋元康」という人物は、僕にとって長い間、謎の人物だった。 テレビの構成作家出身であり、作詞家として手がけた作品はなんと4千曲以上あるそうだ。 チャート1位80曲以上という記録は、歴代の作詞家で1位を誇る。 売り上げ総数は4500万枚で、これは歴代3位だという。 これだけでも「おばけ」だが、さらに脚本も書き、映画も撮り、小説も漫画原作もある。 そして何よりAKB48グループの総合プロデューサーだ。 秋元さんが「大作家」であることは間違いないが、僕が知っている「作家」と彼の活動は まったく違う。 作家というのは、個人の表現活動に徹する存在だ。 だが、秋元さんはAKB48という女の子の集団を世に送り出し、社会現象まで生み出しているのだ。 「秋元康」とは、いったいどんな男なのか? 謎を見つけたら近づいてみたくなるのが僕の習性である。 たまたま同じ整骨院に通っているという縁もあり、早速、僕は秋元さんの取材を 始めたのだ。 インタビューを重ねるたびに、秋元さんがたいへんな「知識の塊」であることが よくわかった。企画力もある。 だが、なぜ次々にヒットを出すことができるのか? どこまで取材しても、謎は深まっていくばかりだった。 やはり、その謎を解くためにはAKB48を見なければと思い、僕は秋葉原の AKB48劇場を訪れた。 ナマのAKB48を見て、僕は見事にハマった。 客席を埋めたファンたちが女の子たちの一挙一動を見逃すまいと一心不乱に見つめ、 歌を口ずさみ、踊りに合わせて体を揺らしている。 劇場全体が熱気で燃え上がっていた。 そういう熱い場に身を置いていることに興奮を覚えながらも、僕は、なるほどと うなずいていた。 秋元さんはAKB48を「高校野球」と表現していた。 プロのようなテクニックはないが、平凡なゴロでも全力疾走し、ヘッドスライディングする。 ファンは、そんなメンバーたちを温かく見守り、熱い声援を送るスタンドの観客なのだ。 AKBメンバーとAKBファン、こんな不思議な集団を僕は見たことがなかった。 熱かった。 秋元さんは、この熱さこそを実感させたかったに違いない。 AKB48劇場オープンの日の観客はわずか7人だった、と秋元さんは言う。 けれど秋元さんは「このままでいい」と、特に手を打つことをしなかった。 そこには「根拠のない自信」があったという。 だから慌てて何か変えなくても、いつか「その時」が来ると泰然としていられたのだろう。 そして、2005年12月のスタート時に7人だった観客は、7年目の2012年8月には、 東京ドームで3夜連続の公演を行うまでになった。 「自分がおもしろいと思うのが正解で、根拠なんか要らない」 この秋元さんの言葉を、僕はとてもよく理解できる。 なぜならば、僕にも通じるものがあるからだ。 僕が78歳になったいまも現役でいられるのは、才能はないが、好奇心が 人一倍強いからだと思っている。 好奇心とはすなわち、「おもしろがる精神」だ。 好奇心を失ったとき、仕事は終わりだと僕は思っている。 彼へのインタビューは、とても刺激的で、回を重ねるごとに、 「もっとこの人物の奥へと入っていきたい」 と思わせるものだった。 秋元さんは、僕がどれほどぶしつけなことを聞いても、どんな意地の悪い問をぶつけても、 逃げもはぐらかしもせずに、つねに正面から、なるほどそうか、と感心せざるをえない 答えを返してきた。 AKB48を題材としながらも、「ヒットメーカー・秋元康」の頭の中身、仕事のノウハウを すべて聞き出せたのではないかと思う。 その刺激に満ちた内容を『AKB48の戦略! 秋元康の仕事術』という一冊の本にまとめた。 秋元康という稀代の大作家・プロデューサーの発想は、AKB48ファンばかりでなく、 企画や仕事術について日々考える、ビジネスパーソンにこそ読んでほしい。

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  • 大島渚監督に助けられたこと、バカヤロー!と怒鳴られたあのこと

    2013-01-25 12:30  
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    大島渚監督が逝ってしまった。 とても怖くて、けれどいろいろ教えてくれる、僕にとって「兄貴」のような存在だった。 大島さんとは40年来のつきあいだ。
    「大島渚」という映画監督が出現したとき、僕は本当に興奮した。 当時、僕が尊敬していた映画監督は、黒澤明さんだった。 黒澤さんは、映画作りのプロ中のプロである。完璧な映画を撮る。 対して大島さんは、常に新しいものに挑戦していた。 大島さんの世界に「タブー」はない。いつも体を張って闘い、全身全霊で映画を撮っていた。
    大島さんの映画は、人間や社会を鋭くえぐり、それでいて美しかった。 「青春残酷物語」「日本の夜と霧」「白昼の通り魔」「絞死刑」「新宿泥棒日記」「少年」 「愛のコリーダ」「戦場のメリークリスマス」「マックス、モン・アムール」「御法度」など。 大島さんの映画に、僕はどれだけ影響を受けたかわからない。
    こんな思い出がある。 僕が初めてメガホンをとった「あらかじめ失われた恋人たちよ」という映画がある。 その映画のことを、大島さんに話したときだ。 主演は、桃井かおりさんだ。彼女のデビュー作でもあった。 ある日、ロケ先の宿で、僕は桃井さんの部屋に呼び出された。 そして彼女は僕に言った。 「私は男性とつきあったことがない、キスさえしたことがない。だから、セックスシーンを どう演じていいかわからない。どうしよう」 僕はしどろもどろになってしまって、 「撮影のときに指示するから……」 と言葉を濁し、逃げるように彼女の部屋をあとにした。
    この話を大島さんにしたらモーレツに怒られた。 「ばかやろー! そういうときは、手取り足取り、丁寧に教えてやるんだ!」 これは笑い話ではなく、大島さんには、きっとそれができたのだろう。 それだけ映画を撮るのに真剣勝負だったのだ。だが、僕にはできなかった。 やはり僕は、映画監督に向いていなかったのかもしれない。
    大島さんの理不尽なものと闘う精神、挑戦する姿勢は、「朝まで生テレビ!」に 出てもらうようになってもまったく変わらなかった。 むしろ、より過激になったかもしれない。
    昭和天皇崩御の直前、日本全体が自粛ムードに包まれていた。 そのときの「朝まで生テレビ!」は、「オリンピックと日本」というテーマで放送していた。 ところが、大島さんが異を唱えたのだ。 「いま天皇問題をやらなくてどうするんだ!」 そしてその場で、天皇問題についての議論が始まった。 実は、僕の中では織り込み済みの流れだった。 だが、他の出演者はびびってしまって核心に触れようとしない。 すると大島さんは、「皇居一周マラソンばかりしてどうする!」と揶揄したのだ。
    また、番組中で管直人さんが当時のアメリカのレーガン大統領を「役者上がり」と バカにした口調で言ったことがあった。 その菅さんを大島さんは、「役者のどこが悪いんだ」と一喝した。
    大島さんの力強い声と、ストレートなモノ言いは、「朝まで生テレビ!」に開放的な 雰囲気を作ってくれた。本当にありがたかった。
    敗戦のとき、当時11歳だった僕は、これまで「よい」と言われてきたものが一夜にして 「悪」になるという体験をした。それまでの価値観が一瞬にして覆されたのだ。 「国家や偉い人というのは信用ならんぞ」と刷り込まれたのである。 大島さんは、僕より2つ上の13歳のときに終戦を迎えた。 多感な年ごろだった大島少年にとって、なおさら強烈な敗戦体験だったと思う。 それが、大島さんのブレない精神の礎(いしずえ)だったかもしれないと、いま僕は思う。
    大島さんとの出会いは、その後の僕の人生を決定的に変えた。 だが、心強い兄貴のような存在だった大島さんが、亡くなってしまった。 寂しい、ほんとうに寂しい。 大島さんのタブーを恐れない生き方は僕にたくさんの勇気をくれた。 この大島さんの魂を引き継いでいきたい、と僕は改めて感じている。

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  • ジャカルタで見た! JKT48と安倍歴訪への期待、安倍首相は追い風を生かせるか?

    2013-01-17 12:30  
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    新年早々、インドネシアのジャカルタに行ってきた。 目当てのひとつはJKT48だ。 JKT48は、秋元康さんがプロデュースするAKB48の姉妹グループである。 秋元さんは、いま僕が注目する人物のひとりだ。 AKB48グループは、秋葉原を拠点に活動するAKB48のほか、 名古屋の栄を拠点とするSKE48、大阪の難波を拠点とするNMB48、 福岡の博多を拠点とするHTK48がある。 そして、国外へ初めて進出したのが、JKT48である。 そのJKT48の拠点、ジャカルタのJKT48劇場に行った。劇場は満員だった。 「超絶かわいい!」 「遥香(仲川遥香)参上!」 などと、現地のファンの掛け声が日本語だったのには驚いた。 日本文化が受け入れられているのだ。これは、たいへんうれしいことである。 「クールジャパン」輸出の成功例として、政府はおおいに参考にすべきだと思う。 そのインドネシアを安倍首相が訪れる。 1月16日から3日間、ベトナム、タイ、インドネシアを歴訪することになったのだ。 安倍政権になって日本政府の関心が、中国からASEANに移りつつあるという証拠である。 インドネシアの人口2億6千万人は、日本にとって大きな魅力だ。 もちろん現地でも、安倍晋三首相の訪問は、関係者の尋常ならざる関心ごとになっていた。 安倍政権の緊急課題が、景気回復だということは誰の目にも明らかなことだ。 現在、株価は上がっており、円安傾向にもなっている。 まずはいい兆候だと言えるが、これはあくまでも「期待感」によるものだ。 参議院選挙のある7月までに「景気回復」の実感がなければ、この回復傾向は 「ミニバブル」で終わってしまう。 景気回復を「気分」ではなく、実感のともなうものにするにはどうすればいいのか。 まずASEANの国々との関係を深めることが、輸出面でおおいに有効だ、と僕は思っている。 そして、もうひとつ大きな需要がある。 国内のインフラのメンテナンスという公共投資だ。 昨年12月、笹子トンネルで天井板落下事故が起きた。 たいへん不幸なことで、被害者やご家族のことを思うと言葉を失う。 だが、言い方を気をつけなければならないが、あの事故は安倍政権にとっては追い風になった。 首都高をはじめとする高速道路など、高度成長期に建設された建造物が、いま一斉に 老朽化している。 そして、笹子トンネルの事故をきっかけに、老朽化した施設の危険性に注目が集まった。 社会インフラのメンテナンスが急務であるという認識が、行きわたったのだ。 そして、社会インフラのメンテナンスは大きな内需を生み出す。 「公共事業」といってすぐに思い浮かぶのは、「癒着」「談合」といった悪いイメージだ。 自民党の「国土強靭化計画」も「バラマキだ」「昔の自民党に戻った」という批判があった。 ところが、笹子トンネルの事故によって、「国土強靱化計画はやはり必要だ」と、 世論が変わったのだ。 安倍さんは、憲法改正を目標に掲げている。 だが、この目標はしばらくは後回しになるだろう。 参議院選挙のある7月までに、国民の期待に対して明らかな成果を示さなくてはならない。 時間はあまりない。だから大きな結果は、まだ先でいい。 まずは景気回復への何かしらの「光」を見せることが必要なのだ。 2012年の世相を1字で表す「今年の漢字」は「金」だった。 景気回復の光が僕たちの生活を照らし出し、そして、日本が再び明るさを取り戻す--。 今年は「輝」という字が選ばれるような、そんな年になってほしい、と僕は願っている。

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