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  • 長谷川幸洋コラム第41回 ウクライナ危機が突きつける「集団的自衛権の行使容認」の核心

    2014-03-20 08:00  
    330pt

    クリミア自治区シンフェロボリのウクライナ軍基地を警備するロシア軍兵士 photo gettyimages
    先週に続いて、今週もウクライナ危機について書く。先週のコラム「ロシアのクリミア侵攻は『ヒトラーのズデーテン侵攻』の繰り返し!? 国連が機能しない"規律なき世界"はどこへ向かうのか」で指摘したポイントは次の通りだ。つまり(1)今回の危機で国連は機能しない(2)中国が尖閣諸島に両手を伸ばす誘惑にかられる可能性がある(3)日本は当面、集団的自衛権の下で日米同盟の強化が必要だが、将来的にはアジア太平洋地域の集団安保体制を視野に入れるべきだーーの3点である。「戦争反対」の読者からの思わぬ反響
    同じ論点は「クリミア侵攻の意味」と題して、東京新聞のコラムでも指摘した。ちなみに、この新聞コラムは「私説」という欄であり、社説ではない。本文中でも「社説の論調とは違って」とわざわざ断ったのだが、読者からは「東京新聞の社説とは真逆で許されない」といった意見をいくつもいただいた。そこでこの欄を借りて、ひと言言っておきたい。社説というのは論説委員が互いの意見を戦わせた結果、でき上がっている。当たり前だが、論説委員の意見が最初からすべて同じであるわけがない。議論の末、社説の論調がまとまったとしても、それに異論をもつ、たとえば私のようなジャーナリストが別の意見や主張を発表しても何の問題もない。だから、私は自分の意見をこのコラムでもテレビでもラジオでも雑誌でも明らかにしているし、東京新聞だって「社説」ではなくて「私説」なのだから、それは当然だ。もしも社説の論調に反対する記者が自由に意見を発表できないとしたら、それは全体主義である。どうも戦争反対とか左翼がかった人たちの中には「言論の自由」を根本から勘違いしている人たちが多いのではないか。そういう勘違いが、かえって全体主義を招いてきた事情をまったく理解していないようだ。ほかにも、私の意見にツイッターで「一方的な見方だ」とか「無知」とか言う人もいる。何を言おうと勝手だが、中身の議論をせずに「レッテル張り」だけで批判したつもりになっているのは、言論と思考の貧しさの証明である。私はこのたぐいを相手にしない。最初からいきなり脱線した。つまらない話はやめて、本題に戻る。「地域分裂世界」が到来する
    国連が機能せず「規律なき世界」に突入する、という先週のコラムを書いてから一冊の本を思い出した。国際的な政治コンサルタントとして著名なイアン・ブレマーが著した『Gゼロ後の世界』(日本経済新聞社、2012年)だ。この本で、ブレマーは今後の世界を4つのシナリオで説明してみせた。まず米中による「G2」、それから実際に機能する「G20」。この2つは米中協力が前提になっている。逆に米中が対立した中で新たな冷戦に入る「冷戦2.0」という状態、最後がグローバルなリーダーシップが存在しない「地域分裂世界」である。この4つの中で、ブレマー自身は地域分裂世界シナリオが「もっとも実現の見込みが高い」と指摘している。つまり米国も中国も圧倒的な力で世界をリードするプレーヤーたりえず、せいぜい地域のリーダーとして自分の勢力圏内で、ある程度の求心力を発揮するにとどまる、という世界である。今回のウクライナ危機で、ロシアは国際法を真正面から無視してもクリミアを実効支配しようとした。それに対して国連が機能せず、米欧も有効な打開策を示せないでいるのを見ると、まさに世界はブレマーが指摘したような「地域分裂」に陥ってきたのではないか、と実感する。ちなみに、本の原題は「Every Nation for Itself ~ Winners and Losers in a G-Zero World」である。つまり「どの国もそれぞれ自国のために行動する」という趣旨だ。それは当たり前なのだが、圧倒的なリーダー不在の下で、各国がそういう行動をする結果、地域分裂世界に陥るというのである。では、分裂した地域世界は秩序なき混沌に陥るのだろうか。あるいは世界全体の秩序が失われるのだとすれば、日本は今後、どうふるまっていけばいいのだろうか。これが先週から引き続く、今週のテーマだ。