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  • 長谷川幸洋 コラム第1回 『乱高下繰り返す長期金利と黒田日銀に何が起きているのか』

    2013-04-26 16:15  
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     黒田東彦日銀総裁が就任1ヵ月を迎える。4月4日には大胆な金融緩和を断行して、金融市場を驚かせた。ところが、その後の長期金利の推移を見ると、順調に低下したとはいえない。むしろ乱高下を繰り返しながら、予想に反して上昇気味なのだ。
     そんな中で黒田日銀は17日、金融市場局長の交代を含む異例の人事を発令した。いったい、日銀に何が起きているのか---。
    ◆「長期金利の低下」が実現できていない  「この人事は例年より1ヵ月半くらい早い。4日の『ビッグサプライズ(金融緩和)』以降、肝心の長期金利は下がるどころか、逆に上昇気味になっていた。これは、はっきり言って金融市場局のお粗末なオペレーションのためです」
     こう語るのは、ある外資系金融機関のアナリストだ。
     本来なら、日銀が大胆な金融緩和を決めた以上、長期金利は上がるどころか下がらなければならない。とくに今回の緩和は従来の操作目標だった短期金利だけでなく、最初から長期金利を下げる効果を狙っている。そのために長期国債の買い入れ残高を2012年末の89兆円から13年末には140兆円、14年末には190兆円へと2年間で倍増する方針を発表したのだ。
     ところが、実際の動きがどうなったかといえば、緩和発表の翌日4月5日には10年もの国債利回りが一時、0.315%という史上最低金利まで下げたものの、午後は一転して0.62%にまで上昇した。1日の間に0.3%幅で乱高下する異常事態だった。
     先物市場では、取引所が一時的に取引を停止するサーキットブレーカーと呼ばれる強制措置が発動されたほどだ。国債市場はその後も不安定な動きが続き、18日夕方時点でも0.585%と緩和前日の水準を
    上回っている。
     つまり、黒田日銀が狙った長期金利の低下は実現できていないのである。

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  • サッチャー元首相の死に思う、国を建て直すリーダーには何が必要か?

    2013-04-15 13:00  
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    1979年から11年間の長きにわたり、イギリスの首相を務めた、マーガレット・サッチャーさんが4月8日に亡くなられた。ご冥福をお祈りします。
    僕は、サッチャーさんにインタビューしたことがある。彼女は、「鉄の女」という異名にたがわず、非常に率直な発言をする方だった。最も印象に残っているのは、「私には後悔という言葉はない」とはっきり言い切った言葉だ。
    サッチャーさんの最大の業績は、「イギリス病」を荒療治するため、サッチャリズムと呼ばれる大胆な改革を推進したことだろう。当時のイギリスは、「ゆりかごから墓場まで」という言葉に象徴される、手厚い社会保障政策を行っていた。こうした政策は、財政にとって重すぎる負担となっていた。そのうえ、手厚い社会保障は国民に「甘え」を生じさせる。その結果、経済は低迷していた。イギリスは病んでいたのだ。
    そこでサッチャーさんは、「まずは国民一人一人の自助が必要」という方針を徹底させた。「大きな政府」から「小さな政府」への軌道修正である。これらの改革は、貧富の格差拡大といった負の影響ももたらした。だが、イギリスが、90年代から経済成長する基盤を作り上げたのである。サッチャーさんの改革が、当時よく似た状況にあったアメリカや日本に大きな影響を与えたことは、よく知られている。同じ時期にアメリカのレーガン大統領は「レーガノミクス」を行い、日本では中曽根康弘首相が国鉄、電電公社、専売公社の民営化を行った。
    このサッチャーさんの政策の理論的主柱となったのは、フリードリヒ・ハイエクである。ケインズ、シュムペーター、フリードマンらと並び称される20世紀の偉大な経済学者だ。ハイエクは1899年、オーストリアに生まれた。青年期のハイエクは、1917年にロシアで起きた、2月革命と10月革命を目の当たりにする。その後、1930年代には、そのソ連で「大粛清」が起きる。一方、ドイツでは1933年にヒトラー政権が誕生する。彼は、オーストリアが脅威に直面した時代を生きてきた。
    ハイエクの理論が、一貫してこうした全体主義の流れに抗うものになったのは、当然のことだろう。ロシアや、ナチスドイツが標榜する「平等」という言葉は一見美しい。だが、それは危険な「隷属への道」である。自由と個人主義を貫くことこそ必要、と彼は論じ続けたのだ。ハイエクの理論が正しかったことは、現在までの歴史を見れば一目瞭然だろう。
    サッチャーさんの訃報を耳にしたとき、僕はこうしたさまざまなことを考えた。そして改めて感じたことは、イギリスという国の奥の深さだった。
    例えば、ロシア革命のよりどころとなった、思想家マルクスだ。ドイツ生まれのマルクスは、共産主義活動に身を投じイギリスに亡命した。ドイツはマルクスの身柄の引き渡しをイギリスに強く要求するのだが、イギリスは断固として拒否する。要求に応じれば、マルクスの身の安全が保証されないからだ。「言論の自由」は守らねばならぬ、という考えが徹底されているのだ。その後、マルクスは、歴史に残る『資本論』をロンドンで書き上げている。
    2012年、『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』という映画が日本で公開された。サッチャーさんの伝記映画である。実はこの映画では、サッチャーさんが晩年認知症になる様子まで描かれている。僕はこれを観て、やはりイギリスの凄みを感じた。日本にも著名な政治家を描いた映画やテレビドラマは少なくない。だが、ここまで赤裸々に人物を描き出すことがあるだろうか。
    このように、政治的に成熟した国、徹底的に自由を追求する国、それがイギリスである。だからこそ、サッチャーさんのような傑出した人材も生まれたのだろう。

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  • 仮釈放されたホリエモンに会ってわかった!「刑務所は堀江貴文の何を変えたか?」

    2013-04-08 15:00  
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    3月27日の朝8時ごろ、僕の携帯電話が鳴った。電話に出ると、声の主がこう答えた。「ホリエです、ホリエタカフミです」。寝起きでぼーっとしていたが、思いがけない声を聞いて、いっぺんに目が覚めた。いや、そんなはずはない。「堀江さんは、まだ長野の刑務所にいるはずじゃないか」。咄嗟にそう聞くと、彼は答えた。「さっき仮釈放になりました」。声は心もちはずんでいるように感じた。堀江さんは仮釈放されたその足で、僕にいちばんに電話をしてくれたのだ。刑期は11月までだったが、7か月も早く仮釈放になったという。
    僕は、2011年6月に堀江さんが収監される直前に対談していた。その対談は『ホリエモンの最後の言葉』として出版している。その本の中で僕は、「出所するときは必ず迎えに行く」と堀江さんと約束していた。そのときが、思っていたよりもずっと早くやってきたのだ。「いや、本当によかった」。僕は心からそう言って、早々の再会を約束したのだ。
    数日後、堀江さんに会った。そしていろいろな話をした。堀江さんと再会して僕が強く感じたのは、「堀江さんは変わった」ということだ。そして、やはり堀江さんは非常に面白いということだった。ネットの世界には、有能でユニークな人材はたくさんいる。その中でも堀江さんは能力もスケールもダントツだ。
    堀江さんは、刑務所生活の間、メルマガの発行を続けていた。所内でパソコンは使えないため、手書きで記した原稿を郵送し、外にいるスタッフが入力してメルマガとして配信していたのだ。規則だから仕方がない。とはいえ、手間も時間もかかる。
    無駄だらけの刑務所生活を実感して、塀の外にたくさんある無駄を堀江さんは考えた。たとえば、既存メディアだ。日本で記者会見を開くと、通信社と各新聞社の記者が来る。彼らは同じ「情報」に接し、同じ記事を書く。けれど、アメリカを例にすると、通信社が「情報収集」して配信し、新聞記者はそれを「分析・解説」する。通信社と新聞社で役割分担がはっきりしているのだ。
    一方、日本の新聞社は、「情報収集」をするのだが、「分析・解説」がほとんどない。さらに言えば、印刷したものを宅配するという膨大な手間とコストをかけている。だが、ネットならば、この無駄が省ける。もっとローコストでこの世界に参入することが可能なのだ。このメディアに堀江さんは、まず革命を起こしたいと言う。彼なら、きっとできるだろう。
    堀江さんが語っていたなかでもうひとつ印象的だったことがある。堀江さんは、所内で高齢の受刑者の介護をしていた。堀江さんは気づいた。年を取った受刑者には、歯がボロボロであったり、体の手入れがまったくできていない、そういう人が多かったそうだ。そして、彼らの多くは刑務所を出たり入ったりしていた。再犯率が高いのである。彼らは貧しさから罪を犯し、捕まって刑務所に入る。だが、刑期を終えて出所してもまともな仕事につけずに、また犯罪を繰り返す――。こうした負のサイクルを目の当たりにしたのだ。
    このことを僕に語った堀江さんは、「このままではいけない、なんとかしたい」と漏らしたのだ。かつて「ホリエモン」と呼ばれ、世間を騒がしていたころの彼とは明らかに変わっていた。
    逮捕される前の堀江さんは、常に世間を騒がせていた。ニッポン放送株買収、球団買収、そして衆議院選挙立候補など。これらは既得権益への挑戦だった。そして、その根底には、堀江さんの熱い思いがあったと僕は思っている。だが、堀江さんには大事なことが欠けていた。自分の思いをみんなに伝えよう、自分の考えをわかってもらおう、という努力をまったくしなかったのだ。だから多くの誤解が生まれた。そして、「見せしめ」として、あの逮捕につながったのだと僕は思っている。
    いま、堀江さんと話をしていると、彼が自分のしたいことや考えていることを「わかってほしい」とちゃんと伝えようとしているのを感じる。「堀江さん、変わった。刑務所っていいところだね」と言うと、彼は笑っていた。
    当時、僕は堀江さんの事件について、取材を重ねた。その結果、堀江さんは冤罪だと思った。そして今回、仮釈放された彼に聞いた。事件について、「検察についてどう思うか」と問いかけると、こう答えた。「田原さん、もういいんですよ」。堀江さんの目は、いま前しか向いていない。前に向かって走リ始めようとしているのだ。
    収監前の対談で、彼は宇宙に行く夢を語ってくれた。その夢が実現したとき、堀江さんの宇宙船で僕を宇宙に連れて行ってくれるという約束もした。その日まで僕も、走り続けていかなければと強く感じた。

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  • 「1票の格差」を放置した真の犯人は誰だ?

    2013-04-01 18:00  
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    3月25日、広島高裁で画期的な判決が出た。昨年12月の衆院選での選挙の無効を求めた訴訟で、「無効である」という判決を出したのだ。
    衆院選の「1票の格差」は、この20年間、最大で2倍台で推移している。2009年の衆院選挙は、最大で2.30倍だった。この「1票の格差」に対して、2011年、最高裁で「違憲状態」という判決が出ている。「違憲状態」とは、憲法が要求する平等に反する状態にあるが、是正に必要な合理的期間は超えていないということだ。ところが昨年12月の衆院選の「1票の格差」は、最大2.43倍になっていた。
    この格差での選挙は「無効だ」と司法が判断したのだ。「違憲状態」「違憲」という判決がこれまでも出ていた。だが、選挙そのものを「無効」としたのは初めてのことだ。司法が一歩踏み込んだ、と言えるだろう。裁判長は筏津(いかだつ)順子さんだ。やはり女性のほうがしがらみがなく思い切りがよいのかな、などと考えてしまった。
    ただし、広島高裁の「選挙無効」の判決には条件が付いている。区割り改定作業を始めた、昨年11月26日から数えて1年後にあたる今年11月26日を過ぎた段階で「無効」とするという猶予を設けている。ところが翌26日、広島高裁岡山支部は、さらに踏み込んだ判決を出した。同じく「無効」としながら、猶予を設けず、判決確定で無効になると言い渡したのだ。とはいえ、原告である選管は上告し、最高裁で審議されるだろうから、まだどうなるかはわからない。だが、この司法判断は正しいと僕は強く思っている。
    今回の「1票の格差」訴訟で、メディアの報道に対して僕は大いに文句を言いたい。判決に対して新聞各社は一斉に、「政治の怠慢への司法からの警告」と鬼の首をとったような騒ぎだ。しかし、メディアは忘れてしまったのか。忘れているなら、バカにもほどがある。覚えていながらこのような報道をするのなら、とても卑怯なことだ。
    区割り改定作業を昨年11月に始め、「1票の格差」を本格的に是正しようとしたのは、野田佳彦前政権だった。野田さんは「1票の格差」を是正する区割りに改定しようとしていた。改定案をまとめてから、解散しようとしていたのだ。ところが、当時、大きな問題があった。消費税増税だ。
    自民党総裁の谷垣禎一さんと話をして、「近いうちに解散する」という条件で、消費税法案に賛成させようと野田さんは説得した。これに谷垣さんは合意した。ところが、ここで「近いうちとはいつか」という問題が浮上したのだ。自民党は勝てるうちに、つまりなるべく早い時期に解散をしたかった。だから、解散時期がはっきりしない約束をしたことで「谷垣さんは間抜けだ」ということになった。結局、谷垣さんは総裁選に出馬することができなくなったのだ。
    一方、いつまでも解散しない野田さんを、自民党だけでなくメディアも「嘘つき」呼ばわりした。それでも、さまざまな非難や逆境に野田さんは耐えた。しかし、野田さんは、真面目を信条に生きてきた人だ。「嘘つき」の大合唱に、ついには耐えきれなくなったのだろう。新しく自民党総裁になった安倍さんとの党首討論で「解散」を約束して、野田さんは首相の座をおりることになった。そのため、「1票の格差」の是正を成し遂げることができなかったのだ。
    こうして振り返ると、どう考えても「1票の格差」の問題は、メディアにも大いに責任があると言っていい。それなのに、すべてのメディアは、広島高裁で「無効」判決が出た途端、「政治の怠慢」の大合唱だ。政権を批判すればいい、それが正義だというのは、メディアの姿勢としておかしい、と僕は思う。批判すべきは批判しなくてはならない。だが、その批判は政治をよくするものでなくてはならない、少なくとも僕はそう自戒したい。
    さて、先日、このコラムで「尖閣国有化の前に、外務副大臣が密かに訪中していた」と書いた。この内容に対して、信頼する人物から間違いだという指摘を受けた。 コラムでは、実名を出さなかったが、外務副大臣とは民主党の山口壯衆議院議員のことである。山口氏に確認しないまま記事を書いたことも含め、率直におわびします。

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