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記事 74件
  • 田原総一朗 『投票したい候補者・政党がないとき、こうやって「争点」を探せ!』

    2014-12-18 12:00  
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    衆院選挙の投票日は14日だ。選挙戦が終盤に差しかかっても、盛り上がりの気配は、一向にない。このままだと投票率は、前回の59.3%どころか、50%を切るかもしれない。なぜか。はっきりいえば、争点がないのだ。
    安倍政権は、2015年10月に予定されていた消費税率10%への引き上げを延期した。その消費税増税について、今回の選挙で「国民に信を問う」という。だが、そもそも消費税引き上げ延期に反対している政党などない。経済政策、つまりアベノミクスについても、野党はなんら対案を出すことができていないのだ。
    このような状況のなか、11月20日、自民党は在京テレビ局各社に要望書を出した。自民党筆頭副幹事長の萩生田光一さんと同党報道局長の福井照さんの連名で、次のような要望を出したのだ。今回の衆院選報道について、出演者の発言回数と時間は公平を期す、出演者の選定には公正中立を期す、特定政党出演者への意見が集中しな

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  • 田原総一朗 日本史上最大の奇跡、『日本人と天皇』という謎に迫る

    2014-12-11 20:00  
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    まだ小学生だった頃から、ずっとこだわり続けてきたテーマがある。「天皇」という存在についてだ。僕が小学校1年のときに、大東亜戦争が始まった。教師をはじめ、大人たちは、「君たちも20歳になったら、天皇陛下のために戦って死ね」と僕たちに言った。そして僕自身も、「海軍に入って、天皇陛下のために死ぬ」ことが将来の夢であった。ところが、小学5年のときに戦争が終わると、大人たちは態度をがらっと変えた。「今度の戦争は悪い戦争だった。アメリカ、イギリスが正しい、日本が間違えていたのだ」と言うようになった。そして、僕たちの教科書をどんどん墨で黒く塗り潰させた。当然、昭和天皇もGHQに逮捕され、裁判にかけられると僕は考えていた。もちろん昭和天皇に反発を感じることはなかった。けれど、戦争に負けるということはそういうものだと思っていたからだ。だが、昭和天皇は裁判にかけられることはなかった。そして、天皇制は存続した。この大きな疑念が、僕の根底にいつもあり続けていた。だから「朝まで生テレビ!」でも、何度か「天皇」をテーマに取り上げたりした。そして数年前から、この問題に、真っ向から挑むようになった。数えきれないほどの文献にあたり、多くの学者に話を聞いた。そして『日本人と天皇』として上梓した。 

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  • 田原総一朗 「自民に不満をもっても投票する党が見当たらない」をどう読むか?

    2014-12-04 12:00  
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    11月21日午後、衆議院は解散された。表向きは、消費税増税先送りの決定について、国民に信を問うという理由だ。だが、実際のところ、これが理由ではない。解散、総選挙に踏み切った第一の理由は、安倍首相が「いまのうちに」と考えたからだ。今年4月の消費税率8%への引き上げの影響は、想定以上に厳しかった。東京株式市場は低迷し、10月には一時、日経平均株価が1万5000円を割った。そのため日銀は10月31日に、追加の金融緩和策を決定している。以前も書いたように、この決定は大きな賭けだったと僕は考えている。結果的に、日経平均株価は一挙に1万7000円を突破したが、あくまでもこれは金融緩和というカンフル剤による、一時的な好景気にすぎない。はっきりいえば、安倍首相はいまの好状況のうちに解散し、選挙に踏み切りたかったのだ。「いまのうち」解散というわけだ。もうひとつの理由は、野党が準備不足であるということだろう。衆議院議員の任期は4年だ。解散しなければ次の選挙まで、まだあと2年あるはずだった。前回の総選挙で大勝した自民党は、衆議院で294議席をもつ。しかし大勝して得た議席だけに、次の総選挙で現有議席を上回ることは難しい。だから野党は、自民党が任期前に解散することはない、と考えていた。だから、まだまったく選挙準備が整っていないのだ。どのタイミングで解散しても、次の総選挙で現有議席を上回ることは難しいとなれば、経済状況が一時的によくなっていて、野党の準備が整っていないいまのうちに解散しようと安倍首相は考えたのだ。議席は減るだろうが、それでもいまなら減る議席数は少なくて済むだろう、という思惑だ。 

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  • 田原総一朗 「国が何かしてくれるのを待つのはダメだ、「国が真似をする」くらいのベンチャーをやれ!」

    2014-10-23 20:00  
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    僕は、若い人と話をするのが大好きだ。なかでも何かに挑戦しようとしている人が大好きなのだ。例えば、ベンチャービジネスを立ち上げたりする人たちだ。だから若き日のビルゲイツや孫正義にも取材した。だが、彼らの話を聞いていて、とても残念に感じることがある。日本は、ベンチャービジネスが育ちにくい土壌だということだ。銀行は担保主義である。担保がないと、お金を貸してくれない。出資ファンドもほとんどない。だから、技術やアイデアはあっても、資本がない若い人は起業しづらい。一方、古い企業はなかなか潰れない。日本は、いわゆる「企業の新陳代謝が悪い」社会なのだ。しかし、さほど資金がなくても起業が可能な分野がある。インターネットの世界だ。インターネット関連のベンチャービジネスは、年間1000~1500組が立ち上げられているそうだ。そして、そのうち100~150組が成功しているという。ベンチャーの1割ほどが成功しているのだ。これには少なからず驚いた。ベンチャービジネスの世界が活気づいているのは、大変うれしいことだと僕は思う。今月2日、六本木ヒルズで、ベンチャービジネスを立ち上げた若手経営者10人の話を聞く機会があった。そのうち、最年長は吉田浩一郎さんだ。彼は、クラウドワークスという会社を経営している。この会社は、簡単にいえば人材派遣業だが、これまでの「派遣」のイメージとはまったく違う。アプリの開発、ホームページの制作、デザインなど、さまざまな分野のプロが22万人以上登録している。そして、ネットで依頼された仕事に対して、適切な人材をマッチングする。 

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  • 田原総一朗「「世界の全共闘」となったイスラム国は、いったい何がしたいのか?」

    2014-10-16 20:00  
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    9月23日、ついにアメリカが 「イスラム国」への空爆を始めた。 今回の軍事作戦には、サウジアラビア、 アラブ首長国連邦、ヨルダン、 バーレーン、カタールの5カ国も参加したという。 だが、空爆によって すぐに何かが解決するとは、とても思えない。このイスラム国だが、いったい何か。 どういう組織なのか。何を目指しているのか。 いま、僕は非常に興味を持っている。イスラム国によってネット上に流された、フランス人やアメリカ人の人質を 「処刑」する残虐な映像をご覧になった方も多いだろう。 こうやって欧米諸国を「脅す」という、 ネット時代の新しい形のテロ組織だ、といっていいだろう。イスラム国は、イスラム教スンニ派の過激派テロ組織だ。 組織の人数は正確にはわからない。 2万人とも5万人ともいわれる。 とにかく、かなり大規模な集団だ。なぜ、このような組織が生まれたのか。かつてアメリカは、イラクに対して、 フセイン政権は独裁である、 さらに、大量破壊兵器を持っている として攻撃した。 イラク戦争である。 この戦争で、アメリカはイラク国民を「解放」したといっていた。だが、アメリカの狙いは、 中東の分断支配だったといえよう。 フセイン政権が倒れたあと、アメリカは思惑通り親米の マリキ政権を立てたのだ。ところが、これがうまくいかなかった。 イラクは大混乱に陥ったのだ。イスラム教は、大きくスンニ派と シーア派という2つの宗派に分かれる。フセインはスンニ派だ。だが、イラクはシーア派が国民の6割以上を占めている。 少数派だったフセイン政権は、実はシーア派やクルド族をうまく治めていたのだ。シリア、エジプト、リビアなどもそうだが、 中東には中東の民族性があり、風土があり、そして宗教があるのだ。欧米流の民主主義をいくら押しつけても うまく行くはずがない。当然といえば当然のことだ。だから、フセイン政権が倒れたあとの イラクは大混乱に陥ったのだ。 そして、そのようななかで現れたのが、 スンニ派過激派のイスラム国と いうわけだ。ではイスラム国は、いったい 何をしたいのか。コーラン、つまりムハマドの教えをよりどころに、理想のイスラム国家を建国したいという。 その理想にあこがれて、なんとイギリスやドイツ、フランス、アメリカから、若者たちが次々と加わっているそうだ。その若者の多くは、欧米で暮らすイスラム系移民の子孫だ。彼らは、いま住んでいる国で差別を受けている、と感じている。不満もあり、鬱屈している。彼らの目に映る「イスラム国」は、理想の国を目指す希望の存在なのだ。 

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  • 田原総一朗「僕が、80歳を過ぎても徹夜で議論できるワケ」

    2014-10-10 20:00  
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    僕は今年80歳になる。毎週土曜にBS朝日「激論!クロスファイア」、月に一度、テレビ朝日「朝まで生テレビ!」の司会をしている。また、ラジオ番組は週に2本あり、雑誌の連載は6本、ネット連載は3本ある。そのほか、単発のテレビ出演や講演もあり、僕の手帳はいつも真っ黒だ。「その歳で、なぜそんなに元気なのですか」と、よく聞かれる。そんなとき僕はいつも、「悩まないこと」と答えている。もちろん、日々迷うことはある。いろいろと考え込むこともある。けれど夜になれば、悩んでも仕方ないと寝てしまうのだ。だから、失敗しても引きずらない。済んでしまったことを、くよくよ悩んでも仕方ないからだ。ぼくは、特別な健康法なんてしてはいない。ただ、しいていえば、たっぷり7時間睡眠をとるようにしている。そして、好きなことしかしない。このふたつだけは、心がけている。人間、ストレスが一番体に悪いのだ。以前、人に頼まれて、オーケストラの指揮者の真似事をやったことがある。カラオケの音楽に合わせてイヤイヤ指揮棒を振る練習をしたら、たちまち消化器系がダウンしてしまった。それ以来、僕は嫌だと思う仕事は受けないようにしている。食事も、嫌なものは食べない。好きなものしか食べないのだ。たとえ身体によくても、食べたくないものなんか食べても、身体が喜ばないのではないか。僕は、そう考えているのだ。だから、朝はトーストと目玉焼き、ちぎったレタスと紅茶。そして、すりおろしたリンゴと季節の果物と決まっている。昼は、だいたいうどんだ。夕食は、外食になることが多いが、それでも、あきれられるほどいつも同じメニューにしている。僕は、お酒は一切飲まない。そのかわり、白いごはんと味噌汁、煮るか焼いた白身の魚、野菜の煮物かお浸しと豆腐。デザートは旬の果物だ。25年来、ほぼ毎日、こんな食事をしているが、飽きることはない。かなり前のことだが、「三世紀会」という、政治家の会合を取材したことがある。会長は、1896年生まれの岸信介さん。岸さんは戦中戦後に活躍した政治家で、安倍首相の祖父である。この岸さんはじめ、会員はみんな19世紀生まれだ。そもそも会の名称は、19世紀、20世紀、21世紀と、「三世紀を生きよう」ということでつけられたのだ。つまり、みんなで100歳以上生きようというわけである。では「長生きのコツは?」と僕は会員たちに聞いた。すると、3つの答えが返ってきた。ひとつめは、つきあいを悪くすること。つきあいがよいと、パーティや飲み会についつい毎晩顔を出して疲れてしまうというのだ。ふたつめは、悩まないこと。悩んでも物事は解決しない。3つめは、肉を食うこと。これは、最近の研究でも科学的に実証されているようだ。僕は、肉は好きではないので、残念ながら3つめは実践できない。でも、ひとつめとふたつめは、実によく実践できていると思う。僕にとって何より大事なことが、ひとつだけある。それは、毎日いろんな人たちと会うことだ。家で本を読んだり、原稿を書いているとき以外は、たいてい人と会っている。なぜ人に会いたくなるのか。それは「好奇心」があるからだ。好奇心が、僕の原動力になるのだ。 

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  • 田原総一朗 内閣改造の成否は、実はこの大臣にかかっている

    2014-09-27 20:00  
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    第二次安倍晋三改造内閣が発足した。出足は順調のようだ。早速、新聞各社は世論調査をしている。内閣支持率はどうか見てみよう。読売新聞は、64%で改造前の51%から13ポイントも上がっている。日経新聞も11ポイントアップの60%。朝日新聞は5ポイント上昇で47%だが、おおむね好感をもって受け止められているようだ。過去最多5人の女性が閣僚入りしたこと、そして党役員、閣僚の布陣の厚さが受けたのだろう。さて、閣僚人事についてだが、石破茂さんの地方創生大臣就任が注目を集めている。だが、僕は厚生労働大臣に就任した塩崎恭久さんに注目している。塩崎さんは、自民党きっての切れ者だ。そして安倍首相とも仲がよい。第一次安倍内閣では、官房長官を務めたほどだ。ただ、このときの塩崎さんは「切れ者」すぎた。疑問に思うことや曖昧なことは、とことん突き詰めた。官僚の間違いは徹底的に指摘した。矛盾や弱点を容赦なく突き、完膚なきまでに論破してしまうこともあった。これはもちろん必要なことだ。だが、人心を掌握するという面では非常にまずかった。とくにエリート意識の強い官僚に嫌われたのだ。官僚から情報が上がってこなくなった。あるべき資料がない、と言われれば、どれだけ頭が切れる人でも何もできない。その後、塩崎さんは野党を経験する。与党に復帰してからも、2012年の第二次安倍内閣では入閣できなかった。ここで塩崎さんは、ひと皮むけた。今年の5月、「日本再生ビジョン」を自民党は発表した。70ページにもおよぶ分厚い冊子だ。塩崎さんは、実質すべてひとりでこの冊子をまとめたのだ。彼はここで、ドイツのシュレーダー前首相の改革を取り上げ、「今まさに、『日本版シュレーダー改革』ともいうべき、包括的な改革を行わなければならないのではないか」と記している。シュレーダー首相の改革については、以前このメルマガでも紹介した。1990年代に「欧州の病人」と呼ばれていたドイツを、雇用・税制・企業制度等を徹底的に見直すことで、欧州一の「健康体」に導いた改革だ。もちろん、改革は多くの国民の「痛み」を伴うものだった。塩崎さんは、これと同様の改革をしようというのだ。ドイツ国民と同じように日本国民も、「痛み」に耐えなければならない、と。ただ、そこは直接的な表現をおさえて、絶妙にまとめている。僕はこの文書を読んで、「ああ、塩崎さんはひと皮向けたぞ」と実感したのだ。塩崎さんは、いまも安倍首相と非常に親しい関係を保っている。厚労大臣として塩崎さんは、日本にとって非常に大きな課題に立ち向かっていかなければならない。膨大に膨れる社会保障を見直して歳出を抑えること。そして労働人口をどうやって増やしていくかということだ。僕は、いまの塩崎さんならやり遂げられるのではないか、と感じている。 

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  • 田原総一朗「想定以上の景気後退で、いよいよ正念場の安倍首相。次の一手はこれだ!」

    2014-09-18 20:00  
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    第2次安倍改造内閣が発足した。菅義偉官房長官、麻生太郎財務大臣、甘利明経済再生担当大臣などの主要ポストは留任している。一方、女性閣僚が3名増えて、これまでで最大の5名になった。さらに党の政調会長に稲田朋美さんが起用されるなど、「女性の活用」が前面に出ている。今回の内閣改造でいちばんのサプライズは、小渕優子経済産業大臣だろう。女性であり、最年少でもある。フレッシュさは、国民には好印象を与えるはずだ。経産大臣にとって最大の難問といえば原発政策だろう。原発への不信感は国民の間で根深く、さまざまな感情が渦巻いている。小渕大臣が、どれほどの手腕を発揮できるか、期待して見守りたい。さて、改造を終えた安倍内閣が今後どういう道をたどるのか。現在、日本経済は非常に危険な状況にある。4月の消費税引き上げ以降、2014年4~6月期の国内総生産(速報値)は、実質で1.7%のマイナスだ。年率換算すれば6.8%のマイナスとなる。ここまでは安倍内閣も想定内だったろう。だが、その後の7~9月期も、マイナスと予想されている。消費税アップで、一時的な落ち込みは予想されたものの、ここまで回復しないのは想定外だ。さらに悪いニュースがある。厚生労働省が2日発表した7月の毎月勤労統計調査だ。1人当たりの現金給与総額(月平均)は、前年同月比2.6%増の36万9846円。5カ月連続のプラスである。しかし、物価の影響を織り込んだ実質賃金指数は1.4%減になる。つまり、賃金の上げ幅が物価上昇に追いついていないのだ。これはアベノミクスの狙いがうまくいっていない、といっていい。 

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  • チャンスはローカルにあり! ハウステンボスとローソンが成功し続ける理由

    2014-09-12 20:00  
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    先日、僕の番組「激論!クロスファイア」で、冨山和彦さんと話をした。冨山さんは、産業再生機構で数多くの企業の再生支援をした。いまは、経営共創基盤のCEOとして活躍する、腕利きの経営コンサルタントだ。冨山さんの話で印象に残ったことは、「『大企業と中小企業』という分け方は、日本の実態にもはや合わない」ということである。そして、これからは、「『グローバル企業とローカル企業』を分けて考えるべきだ」と述べていた。「グローバル企業」とはその名の通り、世界を市場としている企業だ。トヨタ、パナソニック、ソニーなど、誰もが知っている会社である。一方、「ローカル企業」とは、国内、なかでもほとんどが一定の地域で活動している企業のことだ。デパートやコンビニなどの小売業、観光業や金融もほとんどがここに入る。つまり、日本の企業のほとんどがローカル企業なのだ。その割合はグローバル3割、ローカル7割だと冨山さんはいう。雇用の人数でいえばさらに差が開く。グローバル2割、ローカル8割だそうだ。ということは、ローカル企業の経営がよくなれば、日本経済は活性化するのだ。 

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  • 田原総一朗 「常識を疑え!」僕の原点となった69年前の終戦のできごと

    2014-08-28 20:00  
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    また8月がやってきた。69年前、僕は11歳だった。学校の教師は、あの戦争を「聖戦」だといった。「お前たちはお国のために死ぬのだ」ともいっていた。もちろん僕もそう信じていた。将来は海軍に入って、みごとお国のために死ぬのだと思っていた。だが、それは「夢」だった。69年前の8月のあの日。正午から天皇陛下のラジオ放送があるという。当時は、すべての家庭にラジオがあるわけではなかった。だから、ラジオのあるわが家に近所の人たちが集まり、あの放送を聞いたのだ。あのころのラジオは性能が悪く、雑音が多かった。それでも、ときどき明瞭になる陛下の声を必死で聞いた。意味はよくわからなかった。放送が終えると、みんなの間で意見が分かれた。「まだがんばって戦え」ということだろうという人もいた。「戦争は終わった。日本は負けたんだ」という人もいた。その後、役所から連絡がきた。そこで、よくやく日本が負けたのだ、ということがはっきりした。僕は悲しくなって、自分の部屋にこもって泣きに泣いた。海軍に入って、日本のために死ぬという、「夢」がかなえられなくなったからだ。いつの間にか、寝てしまっていたようだ。気がつくと、すっかり暗くなっていた。窓から外を見た僕は、とても驚いた。家々に灯がともっているのである。それまでは、灯火管制のため、夜は真っ暗になっていた。空襲に備えなければならなかったからだ。そのときになってやっと、僕は何か開放されたような、不思議な高揚感を覚えた。9月になり新学期が始まると、あらゆることが逆転していた。「この戦争は聖戦だ」といっていた先生が、「間違った戦争だった」といい始めたのだ。「鬼畜米英」といっていたアメリカが、「いい国」となっていた。総理大臣だった東条英機などは、一転して大悪人になった。教科書を墨で塗りつぶす作業も続いた。いったい何なのだ、と僕は思った。あの日を境に、自分が正しいと信じていたことが、すべてひっくり返されたのだ。それから僕は、「国、そして偉い人というのは嘘をつく」と肝に銘じ、疑うようになった。 

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