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田原総一朗 ネット選挙は「不偏不党」を口実に、肝心なことを報じない既存メディアを変えられるか?
2013-07-18 18:00330pt今回の参議院議員選挙から、ネットの選挙活動が解禁された。この動きは、時代の流れからみて当然のことだろう。いや、むしろ遅すぎたと言えるかもしれない。従来の選挙での街頭演説などでは、いい加減なことを言ったり、ひどい中傷などもあった。ところが、ネットでの発言は記録が残ってしまうから、発言が慎重になるというメリットもある。
今回のネットでの選挙活動の解禁で、僕は気になることがある。既存メディアが、どういう選挙報道をするのか、そのあり方についてだ。気になると言ったが、はっきり言えば、新聞などの報道に僕は苛立っているのだ。
例えば、新聞は各党の公約を並べて載せる。けれど、公約を並べるだけで、分析、批判はしない。なぜか。「不偏不党の原則」に従っているから、ということらしい。だが、「不偏不党」というなら、すべての党に対して、きちんと批判すべきことは批判するという姿勢でいけばいい。分析しない、批判しないことが、「公平」なんかではないのだ。ところが、どのメディアも、コンプライアンスという言葉にがんじがらめになっている。
新聞だけではない。テレビも同じだ。「無難に」という姿勢になって何もしなくっているのだ。ところが、ネットは「不偏不党の原則」にしばられない。だから思い切った企画もできる。そして、何よりもスピード性がある。
既存メディアの人間たちは、自らの存在意義を考え直さなければならないのではないか。このままでは、既存のメディアから人びとは離れて行くだけだろう。
特に新聞は、危機感が必要だ。スピードという面で見ても、ネットに遠く及ばない。事件、事故の記事にしても、新聞に掲載されるはるか前にネットやテレビで流されている。「速報」という点では、すでに新聞の役割は終わっている。では、新聞の存在意義は何か。事件、事故であればその原因を徹底して調べて報道する。社会問題、政治であれば、分析し、どうすべきなのかを論じる。事実だけを流すのでは、もはや新聞の存在価値はないのだ。
ところが、独自の取材をしない記者、そして取材ができない記者が、なんと多いことか。記者発表の情報をただ流すだけ。情報の裏にあるものを調べようともしない。
いま選挙のあり方は、大きく変わりつつある。既存メディアも変わらなければならなくなっている。この問題意識を若い人たちと一緒に変えていきたいと僕は思っている。一緒に変えていきたいと 僕は思っている。 -
堀潤 連載第4回 「アメリカ大統領選挙から想像する次世代メディアの姿」
2013-05-28 12:00330pt前回は、インターネットによる選挙活動が解禁されることで、市民による政治参加の間口が広がる可能性がある一方で、専門のITチームを駆使できるような、資金力のある候補や政党に優位に働く制度になるのではないかという課題を提示した。
今回は、インターネットの活用で、選挙報道はどう変わるのかという点に焦点をあてたい。
昨年、アメリカで行われた大統領選挙では、CNNをはじめ、放送局がIT企業と協業してあらたな選挙報道のスタイルを模索している様子が大変興味深かった。ネット選挙先進国である米国の事例から、次世代メディアの姿を想像したい。
どこよりも早く「勝者はロムニー氏」と速報したCNN
大企業優遇か、中間層の底上げか。接戦の末、現職のオバマ氏が再選を果たしたアメリカ大統領選挙。4年前の初当選時には、改革の旗手、米国再生の救世主として圧倒的人気を誇ったオバマ氏だったが、今回の選挙では、対立候補に得票数で僅差まで追いつめられ苦戦した。
広がる格差、改善しない雇用、停滞する経済---これまでオバマ氏を支持してきた中間層、低所得者層からの失望や苛立ちの声が、選挙戦をより混迷へと誘った。経済回復の遅れは、強いアメリカの復活を求める保守勢力の動きを活発にさせ、オバマ氏の社会保障政策に憤る白人宗教右派の台頭を招いた。
こうした選挙戦に対し米国テレビメディアはITメディアとの協業で「次世代型世論調査報道」を競い合った。SNS時代の選挙報道の姿を探りに現場を訪ねた。
去年10月、アメリカ中西部コロラド州デンバーで大統領選挙に向けた初めての候補者ディベートが開かれた。民主党オバマ氏か共和党ロムニー氏か。当時、両候補への支持率は50%台前後で拮抗しつつも、オバマ氏がやや優勢だと伝えられており、ロムニー氏がディベートで巻き返しを図れるかに注目が集まっていた。
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