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  • 長谷川幸洋コラム【第61回】宮家邦彦氏と語った集団的自衛権の核心

    2014-08-28 20:00  
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    マスコミはついこの間まで集団的自衛権をめぐって大騒ぎしていたが、安倍晋三政権が肝心の法改正を来年の通常国会に先送りしたら、とたんに熱も冷めてしまった。それはマスコミの常である。マスコミの硬派報道というのは「天下国家、国のあり方を論じるもの」と思われがちだが、そうではない。基本的には「永田町や霞が関で起きていること」を報じ、論評しているのだ。言い換えれば、政治家や官僚が議論していることを「ああだ、こうだ」と言っているにすぎない。つまり問題設定をしているのは、あくまで政治家や官僚である。ときどき政治家や官僚が語らず「外に出る」とは思ってもみなかった話が特ダネとして報じられることもあるが、それはまれだ。最近では、福島第一原発の故・吉田昌郎所長が政府事故調査委員会に証言した「吉田調書」報道がそうだろう。朝日新聞が報じた後、産経新聞が先日、朝日報道に対する批判を交えつつ、後追いした。そのせいか、最近では「政府は吉田調書を公開すべきだ」という声も高まってきた。マスコミの側が問題を設定した数少ない好例である。こういう報道がもっと盛んにならなければならない。核心を外した議論ばかりだった集団的自衛権問題
    いきなり脱線した。今回の本題は集団的自衛権だ。私はこれまであちこちで何度も書いたり発言してきたとおり、日本は少なくとも1960年に日米安保条約を改定したときから事実上、集団的自衛権の行使を容認してきた、と考えている(5月2日公開コラム、http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39149、『週刊ポスト』の「長谷川幸洋の反主流派宣言」2014年5月23日号、http://snn.getnews.jp/archives/313705など)。それは、日米安保条約が日本と並んで極東(具体的には韓国と台湾、フィリピン+ベトナム)の平和と安全の確保も視野に入れて、日本に米軍基地を設け、かつ有事の際に日本は事実上、米軍に基地使用を認めてきたからだ。基地使用を認めなければ、沖縄は返還されなかっただろう。これは「日本の安全保障がどういう構造の下で成り立っているか」を考える際に基本中の基本問題である。にもかかわらず、安保条約と米軍基地、集団的自衛権の問題は今回の行使容認をめぐる論争でも、ほとんど議論されなかった。少なくとも、私は新聞の解説記事やテレビ番組で見たり聞いたりしたことはない。なぜかといえば、まず第一に、政府がそういう議論を持ち出さなかったからだ。それから、野党もそうした視点から政府を追及しなかった。議論はもっぱら日本海やペルシャ湾の15事例のような「たとえ話」を中心に展開された。それは、まったく核心を外している。たとえば、日本海で米軍艦船が第3国に攻撃されたら、日本が一緒になって戦うのは是か非か。もっぱら、そんな議論が中心だった。反対派は、もしも戦うなら米国の戦闘行為と一体になるから「戦争に巻き込まれるじゃないか」というような論理を展開した。いわゆる「武力行使一体化論」である。歴代政府は基本的に「米軍の武力行使と一体になる行為はしない」という前提に立っていたから、野党もそういう前提を基に政府攻撃のロジックを組み立てたのである。政府が安保と米軍基地に深入りしなかった
    ところが、事の本質はどうかといえば、日本が領土を米軍に提供して、米軍がそこを基地に朝鮮半島有事で戦闘行為に入れば、日本は事実上、米軍と一体になる。敵から見れば、当たり前である。この点は、反対派も実は同じ認識に立っている。彼らは「有事になれば、沖縄の基地が真っ先に狙われる。したがって普天間飛行場の辺野古移転は反対だ」と言っているのだから。極東有事に備えた基地の存在自体が「日本は米国と一体になって戦う」という姿勢を示しているのだ。それは、集団的自衛権以外の何物でもない。「日本海で米軍のために戦えば集団的自衛権で、米軍に基地を提供するのは集団的自衛権ではない」というのは、安全保障と自衛の本質を無視した倒錯論である。あえて反対派のために言えば、もしも「日本は絶対に米国の戦争に巻き込まれたくない」というなら「極東有事では米軍に基地を使わせない」と主張しないと、首尾一貫しない。だが、そういう議論をしそうなのは日米安保条約破棄を唱えている日本共産党くらいである。つまり、極東有事のための基地使用を認める一方で、集団的自衛権に反対するのは原理的に矛盾しているのだ。こう言うと「いや、極東有事で基地使用を認めるかどうかは、日米の事前協議次第である」という反論があるかもしれない。建前はそのとおりだ。だからこそ、そこから議論が初めて核心に入る。残念ながら、議論は核心に迫らなかった。「私たちは集団的自衛権に反対だ。極東有事で米軍の基地使用も認めない。だから、日米安保条約を再改定しなければならない」という主張があったか。なかった。なぜ、なかったのか。それは、なにより政府が日米安保条約と米軍基地の問題に深入りしなかったからだ。加えて野党も結局のところ、政府が設定した議論の枠組みに乗っかっているだけだった。政府も野党も議論しないから、マスコミも報じず、論評しない。この国の安保論議はそういうカラクリになっている。一言で言えば、建前だけの虚構である。ここからが本題だ。では、政府は本音でどう考えているのか。その点を私は折にふれて、当局者や元当局者たちに尋ねてきた。その一端を今回、宮家邦彦・キヤノングローバル戦略研究所研究主幹へのインタビューとして伝えたい。宮家は外務省の日米安全保障条約課長を務めたプロ中のプロである。私は宮家に『現代ビジネスブレイブイノベーションマガジン』の連載としてインタビューしたが、マガジン配信後に編集部の許可を得て、ここで集団的自衛権に関わる部分のみを抜粋して紹介する。この宮家発言こそが本質を物語っている、と考えるからだ。インタビューの一部はこれまでも3回に分けて、一部抜粋版を紹介してきた(第1回はhttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/39858、第2回はhttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/39948、第3回はhttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/40091)。宮家の分析は他の論点でも秀逸だ。全容はぜひマガジン本体をお読みいただきたい。