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なぜ睡眠が絶対必要か、どうやら既に解明されてるらしい!?
2014-10-16 23:3031ptミライ: フツクロウさん! フツクロウさん!フツクロウ: ホ? なんじゃそんな大きな声で。ミライ: スクープです、スクープ。なんと、人類が抱えていた積年の謎、どうして人間が眠らなくてはいけないのか。その決定的な理由がどうやら既に解明されているようなのです!フツクロウ: ホウ。今までは、寝ている間に記憶の整理をしているとかいろいろ言われとったが、それ以外の理由かの?ミライ: そうです、そうです。だって、ずっと寝ないと死ぬとまで言われているじゃないですか。記憶の整理とかも必要かもしれないけど、いまいち死ぬほどの切実性はないと思いませんか?フツクロウ: 確かにの。もっと直接死因がありそうなもんじゃの。ミライ: でしょ? これですよ、これなら説明できるんですよ。先月のTEDでの講演です。 Jeff Iliff: One more reason to get a good night’s sleep 残念ながらまだ字幕は英語しかありませんが、そのうち日本語訳も付くことでしょう。フツクロウ: ホホウ。して、どんな理由があったんじゃ。ミライ: はい。実は、脳にはリンパ管がないそうです。リンパ管は血管と同様に体中を巡っていて、細胞の間に排出される老廃物を集めてるじゃないですか。フツクロウ: ホウじゃな。ミライ: でも、脳だって細胞。老廃物は出します。なのにリンパ管がないっておかしいじゃないですか。フツクロウ: おかしいの。なにか別の方法で集めるということかの。ミライ: そうです。そこで睡眠なんです。寝てる間は脳細胞が少し縮んで細胞の間に隙間ができるそうです。そこを髄液がどーっと流れて、老廃物を集めているですって!フツクロウ: ホホ。それは分かりやすいの。ミライ: でしょ。そりゃ、寝なきゃ死ぬじゃないですか。老廃物溜まりまくって。フツクロウ: それなら、死ぬというのも納得がいくの。ミライ: そうです、そうです。それに睡眠についていろいろ言われていること、たとえば15分の昼寝がいいとか、何べんとってもいいとか、そういうのも、あ〜、その度ちょっとクリーニングするんだとしたら、すっきりする理由も納得できます。フツクロウ: 長い間起きてたら、長く寝れば直るが、先に長く寝ておいても、長い間起きられるわけではないのも、説明できるの。ミライ: ほんとだ。掃除し終わったら、後はいくら寝てもそれ以上はきれいにならないし、起きてたら起きてるだけゴミが溜まっていくから、その後の掃除に時間がかかるわけですね。おもしろーい。フツクロウ: イルカは右脳と左脳交代で眠ると言われているが、寝てる方は脳細胞が縮んでクリーニングしておるんじゃな。ミライ: そうなんですよ、きっと。だから、右脳・左脳二つ必要だったんですよ。渡り鳥とかぐっすり眠ることが許されない動物がそれでも脳をクリーニングするために二重化しなければならなかったんだと。人間はそれを逐次処理系と並列処理系に使い分けたりしてますけど。フツクロウ: ふむふむ。こうやって、脳細胞が縮んでクリーニングしているという睡眠の間の具体的な現象がわかったということは、これから睡眠について大いに盛り上がりそうじゃの。ミライ: と、いうと?フツクロウ: そりゃ、「より脳細胞が縮んで、効率よく脳をクリーニングするための5つの方法」とか、「脳をより効率よくクリーニングする髄液を作る10の食べ物」とか現象は測定しやすいから、いろんな研究がされて、しかもそれが広く広まる記事にもなるじゃろう。ミライ: 確かにありそうですね〜。「楽しい夢を見る髄液の作り方」とかもありそう……。フツクロウ: ホッホッホッ。いますぐにだってなんか書けそうじゃ。ミライ: 例えば?フツクロウ: 「脳細胞が縮むイメージトレーニングで、良質な睡眠を得る」ミライ: イメトレ(笑フツクロウ: ホウじゃ。布団に入ったらの。脳細胞が縮むところをイメージするんじゃ。すると、入眠が促進されるし、縮み方も良くなると。ミライ: 「脳細胞が縮むところをイメージ」が無理ゲーですwwフツクロウ: ふむむ。では、脳みそを緩めるようなイメージじゃな。起きてるときは、力こぶを作るように、ぎゅっと力を入れて膨らませておるが、寝るときにはリラックスしてその緊張を解いてやるんじゃ。ミライ: 筋肉の緊張を解くように脳みその緊張も解くんですね。フツクロウ: まさに。頭皮マッサージもいいかもしれんの。今からリラックスじゃよ〜と。ミライ: なんか、脳みそ羨ましい。毎日デトーックスしてもらってんですよね。お風呂より気持ち良さそう。フツクロウ: ミライにも脳みそはあるぞ?ミライ: ありますけど、脳みその気持ちは分かりませんし……。フツクロウ: ミライの気持ちは脳みその中にあるんじゃ?ミライ: それはそうかもしれませんが、艦これで島風が「おっそ〜い!」とか元気な声出してても、CPU過熱して今にも暴走しそうかもしれませんし。フツクロウ: ……、ややこしいこと言いよるの。 -
[S]去年60%増えたという北極の氷、さて今年は?
2014-10-15 23:0031ptいつもとちょっと違う水曜、今回は気楽に退屈な内容を書き始める記事[S]です。 今日、なぜか去年の北極の氷に関する記事がfacebookで回ってきました。 地球は寒冷化に突入した!北極の氷がこの1年間で60%も増加!寒冷化は15年間続く可能性!世界は再びマウンダー極小期の時代へ 去年は一昨年に比べ北極の氷が60%も増えたという指摘です。うん、なんか聞いた気がします。 それでは今年はどうだったのか?調べてみました。 調べてみたら、北極の氷の面積については、 『北極圏海氷モニター』というサイトで2002年中頃からの毎日のデータが手に入ります。すごい。 まずはそのサイトに表示されているグラフから。
一昨年の2012年に最小の面積が記録されています。そこで、各年の最小面積を取り出してグラフにすると次のようになります。
a
今年の氷はほぼ前年と同じだったようです。このグラフを見るとV字回復しているようにも見えますし、引き続き見ていかないとよく分からないような感じもします。 また、最小面積は変化が大きいですが、最大面積の方はあまり違いがないように見えます。
グラフの縦軸の倍率は合わせてあります。こちらは、ここ10年以上安定しているようで、今年もほぼ去年並みです。(2002年の最大のデータはありません) あと、面積値だけでなく氷の平面図もデータベース化されています。毎年極小付近9月14日の氷の様子を並べてみました。
2012年にかなり縮小している様子がはっきり分かりますし、その後2013,2014といくらか回復していることもわかります。 続いて極大付近 3月1日の氷。
こちらはそれほど大きな変化はなく、それよりなぜ起こるのか北極点付近のデータ欠損する部分の変化の方(特に2012年)が気になるくらいです(苦笑 以上、退屈にいろいろデータを並べました。 これだけでは、最初の記事の焦点、寒冷化に向かっているのかいないのかさっぱり分かりません。とりあえず、急激な温暖化には歯止めがかかっているくらいは考えていいのでしょうか? -
「みんなジョブズに騙されている?」
2014-10-15 00:4531ptこの記事で大いに盛り上がっているみたいですね。 「みんなジョブズに騙されている」進歩の止まったコンピュータのUIを問い直す 刺激的な内容の上、対談を編集したもので言葉が尽くせないため、読む人によっていろんな読み方になるようです。 私もいろいろ考えさせられてしまいました。 まずこの部分。 使い方がこれほど変わっているのに、計算機自体の方はまったくと言っていいほど変わっていません。カバーを被せて見た目は変えてありますが、基本的には20年前のUNIXのままです。
これには、今実際困っています。 私はエンジニアでもあって、PCにボード組み込んで、特殊な装置を作ったりします。いわゆるリアルタイム制御みたいなことをしていて、1/1000秒ごとに1回やりたい処理があるのですが、たまに処理してくれないことがあります。Windows使わなくてはいけない事情があって、linuxにすれば多少マシとは聞いていますが、それでも保障できないとも聞いています。(リアルタイムOSというのもあるのですが、開発費がかさむため現実的ではありません) いまやPCのクロックは3GHzとかですから、1/1000秒なんて 300万クロックに一回です。300万回に一回くらいこっちの仕事しにきてくれてもいいのに、なぜかしてくれないときがあります。 この辺の事情ってざっくり20年変わってなくてなんだかなあと思います。 この問題は特殊な装置の問題だけではありません。 今スマホでお絵描きソフトみたいなの立ち上げてタッチパネルの上ですばやく字書いたりしようとするとスマホが付いて来れない様子を見ることができると思います。きちんと調べてないので断言できませんが、それはいかにもこの問題に絡んでいるようにみえます。 ただし、計算機が長い期間変わっていないという現状を憂うことすらしていない
かというと、多分そんなことはありません。 今は、速くて小さいメモリと遅くて大きいメモリを使い分けるために、上記のような問題が出るのですが、そろそろ速くて大きいメモリという、桃色筋肉みたいなすごいメモリができてきて、そうするといろいろ話は変わってくるのです。 逆にこれが出て来ないうちは、20年変わっていないというものを大きく変えるメリットに乏しいかもしれません。今あるデバイスの組み合わせではそれなりに最適化された構造を作りあげているのです。 ということで、この部分はまあもう少し待てば風向き変わると思っています。 次にこの部分。
スマホも同じで、今流行っているのはジョブズに騙されているだけです(笑)。
昔はPalmなどで知的生産をしていましたが、今のスマホはメモも書きづらいし、絵も自由に描けるとは言い難い。つまり、知的生産に向いていません。
スマホも随分買いかぶられたものです。スマホはもともと「電話」です。iPhoneだって "Phone" です。今のPCよりも知的生産が向いてるものとして出てきてわけではありませんから、「知的生産に向いて」ないことでジョブズをやり玉にあげるのはちょっとぬれぎぬです。 とはいえ、こう言わざるを得ないのはある意味仕方ありません。 ちょうどこんなまとめを見ました。 3年後の新入社員はメールを使えない場合がある - Togetterまとめ 今若い人は、PC触んなくても生きていけるけど、会社ではばりばりPCやメール使われてるぞ??という深刻な問題です。 これは、今のところずばり若い人が自覚しないといけません。社会人になったら、ビジネスレターが書けないと同じように、PCやメールが使えないととても不利になるという現実です。スマホの方が生産性が高くなるという見通しは立っていませんから、スマホにしがみついていたら、頭打ちになるだけです。 最近腰を痛めた時、SOHOなので極力横になってスマホで仕事しましたが、要所要所でPCでないと効率が悪過ぎる作業はまだあることを思い知りました。(ちなみにこのせいでネット保険の加入数が減っているという話を聞きました) 有り体に言うと郷に入っては郷に従えです。地方活性とかやってたら、FAX使えないとだめとかと同じです。「FAXとかww」ってバカにしたら、そこで止まるだけです。 ですから、今の人は、就職する前にわざわざPCに慣れておかなくてはなりません。就活と同時に新聞を読み始めるように、PCだって始める人が増えるでしょう。やってなければ入ってから大いに不利になるのですから。スマホやLINEにはその良さがありますから、両方使って、PCだけより生産性をあげるのがいいのです。 こういう状況を憂いて、つまりスマホのせいで仕事以外でPCに触れる機会が激減してしまったことに対する警告なのだと思います。 最後に、
かつて私たちが開発した携帯電話の予測入力はもともと、ホーキング博士のような障害者向けのものでした。それを一般の方々が喜んで使うようになったのです。
対して今の計算機は、開発者が自分が使いたくて作ったものを、“弱者”も含めて全員に使わせようとしています。これがよくない。
この部分もそんなに悲観する必要はないと思います。 -
10年後の幼児教育から大学までの景色(その3)
2014-10-10 22:3031pt10年後の幼児教育から大学までの景色(その1) 10年後の幼児教育から大学までの景色(その2) の続きです。 (その2)では今後の大学の姿について考えました。 (その1)では大学入試で到達度テストが検討されていることを紹介しました。全入時代に入ることもあり、テストで学生を一列に並べる方法でなく、これだけできていればいいですよという確認テストに変わるのです。 小中高もそれにともなって変わるでしょう。到達度テストで合格すれば、そこから先の高度な内容は、深入りする必要がなくなるのです。もちろんやりたい子はどんどんやればいいですが、それに教室の子全員が巻き込まれる必要もありません。 全国学力テストだって変わるかもしれません。 今は各校一点でも平均点をあげるために、全員にたくさんの宿題を出します。勉強時間と点が相関するからです。子供たちは放課後宿題をこなすのに精一杯です。本を読めといいますが、本を読む時間がありません。 食育と言っていますが、朝も下校前もドリルなどで勉強時間を増やし、その分給食の時間は短くなります。 全国学力テストの平均点のために、子供たちは忙しくなる一方なのです。 こんなラットレースに子供を巻き込んではいけません。到達度テストにすれば、5教科全てを一点でも高くする必要はなくなりますから、到達度で到達していれば、その子の5教科の勉強はそこまでで良く、それ以外は、自分自身のやりたいことをすることができます。 つまり、全国学力テストが、到達度テストで到達している子が何%かという指標になったらどうなりますか? 到達している子に力を入れる必要はなくなります。到達していない子に力を入れるようになります。到達している子は、そのまま勉強に力を入れるもよし、本を読んでもよし、遊んでもよし、ゆっくり食育に取り組んでもよし。 日本は識字率が99%とか言われます。次の目標は到達度テストの合格率が何%かです。現在の国際学習到達度調査(PISA)とかの順位もあまり気にしなくていいでしょう。従来の勉強はそこそこ到達できれば良くて、もちろんさらに勉強してもいいし、各自それ以外の自分の磨きたいものを磨いてもいいのです。 これからの世の中5教科の点が良いだけで、安定した生活が得られるほど甘くありません。現代っ子は、それ以外にボランティアだのなんだのこなさなくてはいけない素養はたくさんあります。遊びだって大切です。たとえば今『わが子を「メシが食える大人」に育てる』を読んでますが、必要な力として 1 言葉の力 2 自分で考える力 3 思い浮かべる力 4 試そうとする力 5 やり抜く力とありますけど、2,3,4,5なんて遊びそのものです。これを勉強だけで鍛えるなんて非効率的すぎます(笑 必要な能力が変化しているのです。 仮に、識字率に変えて、子供全員にどれだけ漢字を知っているかみたいなテストで点をつけて、その点数を競うなんてナンセンスです。そんなことがいくらできたって、人生うまくいくわけではないからです。まあ、そこそこ読み書きできればオッケーだよ、そのことで人生台無しにならないよという意味で、識字率にするわけです。 5教科もそうなっていきます。昔は5教科ができればできるほど、人生うまくいく社会でした。でも今はもう違います。5教科はそこそこできればオッケー、そのことで人生台無しにならない、でも、それ以外の素養をいろいろ身につけて、才能を開花させないと、いい仕事ないかもよ!という時代なのです。 一方、では到達度テスト到達していない子についてはどうなるのか。まさに今メンタリングしているeラーニング関係で目の当たりにしています。個人に合わせた進め方というのが、すさまじい勢いで発達しています。 今までの学校のやり方では付いていけなかったような子でも、その子のペースに合わせた学習ができるようにすぐになります。今はいったんついていけなくなるとその後まったく成長できなくなるのでいわゆる落ちこぼれになってしまいますが、その子のペースに合わせれば、まあ1年くらい遅れているけど止まってはいないという状況になります。 とにかく学習ツールはどんどん進化しています。 先日メンティーの方に教わった dragon box というソフト。パズルを解いていくといわゆる中一で習う一次方程式が解けるようになるというもので、4歳が1時間でできるようになったというふれこみ。うちの子にやらせてみましたが、パズルとして問題なくこなしていきます。 -
まさに老獪(ろうかい)。赤﨑勇教授の放ったまきびし
2014-10-09 23:5931ptすいません、10年後の幼児教育から大学までの景色(その3)はきっと明日に……。 赤崎・名城大教授の一問一答 「私一人でできた仕事ではない」 赤﨑勇さんのインタビューは中継で見たんですけど、この答えが凄まじいのです。 ――若い研究者にメッセージを送るとしたら。 「はやりの研究にとらわれず、自分が本当にやりたいならやりなさい。自分がやりたいことをやりなさい。それが一番だと思う。自分がやりたいことだったら、仮になかなか結果が出なくても続けることができる」
まさに老獪。 常識的な柔らかい言葉で語られ、多分、研究者でない人には、普通にいいこというなあと聞こえると思うのですが、そこがミソ。でもこれ、当事者の若い人には「土へ還れ!(はあちゅうさんのブログで覚えた)」ってくらいひどい言葉なんです。 スターウォーズのヨーダってなんかよぼよぼで大したことないと思ってるとひどい目に合うように、赤﨑教授もよぼよぼのおじいさんに見えるのに、全国民が注目するノーベル賞受賞直後にすかさずこの言葉を放てるとは、やはり歳を取るというのはものすごいことです。 NHKの中継でこの言葉を聞いた刹那、私の心には怒りがわき上がりました。 はあ? 若い人なんて、みんな任期付のポストになって、研究成果も毎年外部の流行しか知らない奴らに評価される状況で、仮にも研究者の最高の名誉を受けた人がなんでそんなこと言えるん。耄碌しすぎ! 現場知らなすぎ! そうなんです。今の若い人は、自分のやりたいことやりたくたって、給料を出す社会が許さないのです。 ですから、これを聞いて憤っている若い研究者はたくさんいると思います。「そんなん分かってるわ。だったら、ポストくれよ」と。 しかしですね。そんな現状は今に始まったことではなくて、いわゆるポスドク問題として10年というオーダーで問題になっていることです。もしかしたらもっと前から。達者な赤﨑教授が知らないわけがないのです。 ではなぜそんな若い研究者の心を折りかねない発言をするのか。 ……。そうか、これは全国民が見ているからなんだ!! 10年後の幼児教育から大学までの景色(その2) でも取り上げましたが、普通に就職する人にとって、大学4年の学費は元を取りにくくなっていて、したがってそういう人は減り、これから大学は元の研究のための機関に戻っていくと考えています。 そして、その研究について、何を研究すべきかという点で、今大切なタイミングに来ていると思います。10年後の幼児教育から大学までの景色(その2)でも書きましたが、たとえば大学でやる研究全体の費用が、実用化された研究が産む利益でとんとんにはなりません。そういったネタの多くは民間が放っておくわけがありません。大学はもっと大きな視野で研究をする必要があります。 たとえば私が大きくなるうちに、鎌倉幕府が開いた年は1192年から変わりました。それを地道に研究している人がずっといるということです。でもそんなのお金になんかなりません。でも止めてしまったらどうなるでしょう。歴史を掘り下げることを止めたら、その瞬間時の施政者によって、都合のいい歴史が作られ、私たちを動かすことに使われます。鎌倉幕府が開いた本当の年が分かった!っていう喜びも大切ですが、歴史の研究を止めてしまうことは大きなものも失うのです。 では、何を研究すべきかをどう決めるべきか。それは、研究者たちが自分のやりたいことを研究することが最善なのです。自由な環境に置かれているならば。すべての研究者たちがばらばらに考えて、やりたいことをやる。それでいいのです。だって、あまりに流行りのとこは、他の人にやられるかもしれませんから、当然躊躇もします。社会に問題は掃いて捨てるほどあります。なにか成果を出したければ、基本は他人がやってないことをやるのが鉄板です。 ですから、「はやりの研究にとらわれず、自分が本当にやりたいならやりなさい。」なんて、本来、当然そうなるはずのです。 なぜそうなっていないか。それはシステムに問題があるのです。ですから、赤﨑勇さんは、若い人に向けてという答えで、施政者に対する、皮肉たっぷりの宣戦布告をしたのです。 若い研究者は憤るでしょう。でも、そのために戦わなくてはいけないという思いに至ります。若い人以外も、この問題を知らないわけがありません。この問題を真剣に考えることでしょう。 若くない人にとってこれは二極化しかねない深刻な問題です。たとえば、iPS細胞の山中教授に問うてみたらどうなるでしょうか。若い人の流行りでない自分のやりたい研究をサポートするということは、流行りのiPS細胞の研究費を削るということになりかねません。彼はどう答えるでしょうか。 iPS細胞は国家戦略級ですから、特例になるかもしれません。では、それよりちょっと下だけど優れた研究をして莫大な研究費を集めてぶいぶい言わしている研究者たちはなんと言うでしょうか。こういう人たちは、もちろん大学のあり方についての議論に今影響力があります。 ひとたび「選択と集中」戦略を取ったことで、資金が集中した研究者たちは影響力を持ちました。その影響力が減るような動きは阻止するよう働きかけるでしょう。もしも赤﨑教授がそれを赤裸々に非難すれば、当然すさまじいカウンターを食らうことでしょう。 ですから、彼は、全国民が聞くであろうインタビューで、まずもってだれも非難できない言葉を放ったのです。 「はやりの研究にとらわれず、自分がやりたいことをやりなさい。」 老獪です。大人は本気を出すと、こうやってケンカを売るのです。 -
[S]中村教授が飛び出した日本はどれくらいひどいのか
2014-10-08 23:3031ptいつもとちょっと違う水曜、今回は気楽に書き始める記事[S]です。 (追記:同じ内容のタイトルで、コトの顛末を詳しいまとめが出ていました。分かりやすいです。 ノーベル賞の中村修二氏が捨てた日本社会・企業はそんなに糞なのか?) 日本人ノーベル賞受賞から一夜明け未だ興奮覚めやらぬという感じですが、中村教授は日本を飛び出していてしかもアメリカ国籍取ってるということで、日本これでいいのかってご意見がたくさん出ています。 残念な気持ちはわかるのですが、6年半アメリカで働いたとか、ベンチャー支援してるとか、地域活性手伝ってるとかいろんな立ち場で思ったこといろいろ書いておきますので、参考にしてください。 中村さんは飛び出す人
青色LEDが実用化された後、中村さんは特許訴訟などいろいろありましたのでそれなりに話を読んでますが、いい意味でとても尖った人です。尖ってますから、半端なとこでは殻に収まり切れるはずもありません。日本で入っていられる殻を見つけられなかった結果、アメリカに飛び出しました。そういう人を日本が抱えられないのは問題ではないかというわけです。 飛び出す人は少ない
しかし、日本に帰って来てずっと見ていて別に企業や社会をそれほど悪くいう必要はないなと思っています。それはベンチャーとか地域活性してると肌で感じられて、今時企業のやり方気に食わなかったら、起業するなりなんなりいくらでも方法はあるし、実際、する人はしてます。日本は起業も難しいとかいいますけど、自営、NPO、いくらだってやり方あります。地方が息苦しければ都会で始めればいいでしょう。 でも、そういう人は、ある割合しかいません。結局日本の企業なんかにいられるか!って人は、それくらいなのだと思います。ほんとはもっともっと増えてほしいけど、一朝一夕では変わりません。 日本人の中には日本に合わない人がいて、そういう人は日本から飛び出すかもしれないけど、日本を飛び出すこと自体は今普通です。野球でもサッカーでも日本を飛び出す選手は普通にいます。力のある人は、世界に行けて、自分のステージに合わせて行きたいところに行けばいいのです。それぞれ日本が合う合わないとかあんまり問題ではありません。 アメリカ化する必要があるか
でも、そのような状況すべてひっくるめて日本人全体が反省すべき点があって、もっとアメリカに見習うべき、という考え方もあります。 でも、そこで、本当にアメリカがいいのかという問題があります。 アメリカというのは若くていけいけどんどんの国なので、それがいい反面、考え方が刹那的です。一度くみ上げるとなくなる化石水使った農業とか、シェールガスとか、細く長く使おうとせずにやれるときにやっとけ的勢いがあります。だめになっても次なんかあるさという感じ。実際そうなのかもしれませんが、今の流行りは持続的な社会の構築ですから、ミラフツ的にはてんで的外れです。 そしてこれは日本のが特殊ですが、軍の予算の存在。中村さんもまさに軍の予算を取るためにアメリカ国籍を取ったとおっしゃってます。 -
10年後の幼児教育から大学までの景色(その2)
2014-10-07 23:1531pt10年後の幼児教育から大学までの景色(その1) の続きです。 さっきノーベル物理賞を日本人3人が受賞したというニュースが入ってきました。 (その1)では、 では大学はどうなってしまうのか。研究を志す人には、必要な過程であり、つまり大学は本来の研究者のための研究機関としての姿を取り戻すでしょう。また社会人学位や生涯教育を提供する機関としても働くことが予想できます。
と書きました。卒業後就職する人にとっては、大学で学んでも元が取りにくくなっています。つまり大学にかけた費用を回収できるだけ高卒より高い給料というのが難しくなっています。 大学で学んだことが仕事で直接生きないというのは普通で、なので先に取るのではなく、社会人になってから、自分のプロフェッショナリズムに合わせて取っていく方が効率が良くなります。 ですから、大学は本来の研究を目指す人にとっての研究機関に戻っていくのです。しかも、今夜赤崎勇教授はインタビューの中で「あまり流行りばかり追わずに自分のやりたいことをするべき」と語られていました。 今大学はお金になる研究をするように厳しく成果を問われ毎年検証されていますが、元をとれることはありません。大学は研究が本分です。産学連携で研究成果を社会に還元するのがいいです。私も今直接関わっていますが、大学の人は論文にならない作業をする暇はない過酷な研究競争に晒されていて、私たち企業が論文にならない実用化をします。お互い役割分担ははっきりしていますが、ビジネスとして考えるとリスクを主に取っているのは企業側で、もし儲けが出れば企業側が多く取ることになります。大学側も特許の実施料などで、研究単体としては、研究費をカバーする儲けが出ることもありますが、大学の研究全体をカバーするようなことはありません。 大学の先生たちは、自分の名誉にかけて「自分のやりたいこと」をやることで、単純に経済的な効果に限らず人類に貢献するのです。その一部は後々花開き数十年後にノーベル賞として評価されることもあるわけです。もし当時毎年の成果を厳しく問われていたら、赤崎勇教授は窒化ガリウムの研究を諦めざるを得なかったかもしれません。 しかし、その研究は私たちの生活を変えました。もともとの大学に、つまり国にお金が還ったわけではありませんが、日本社会や世界の経済に大きく貢献したことは間違いありません。 ですから、私たちは税金を通して、日本の天才たちに自分の名誉にかけた「自分のやりたいこと」をやってもらえばいいのです。そして、優秀な研究者を育てる、社会人たちの生涯学習をサポートする、地域のニーズに応える産学連携プロジェクトをする、さらには、今このテーマで扱うように、多様な教材を作っていくのです。それぞれの大学が、それぞれの分野で工夫をこらして、学習ツールを作ることで、多様な人が自分にあった教材で学習でき、ひいてはその分野の発展に繋がります。 火山の研究者が足りないそうです。 火山研究者、全国にわずか40人 就職先少なく学生減る もちろん、今となってはこれから手厚くなるでしょうが、数年で成果が出たり、元が取れるそうな研究ばかりに予算を集めていては、第二第三の火山研究が出るに決まっています。そういうやり方は民間に任せればいいのです。 いわゆる理系分野に限ったことではありません。テレビなどで様々な教養番組を楽しむことができますが、それらは全て大学などの研究機関による最新の結果を反映しています。私は1192で鎌倉幕府を教えられましたが、今は違います。そういう研究を止めてしまったら、 -
所ジョージさんの「〜才能ないんだと思う」は正しいけど間違い
2014-10-06 23:0031pt10年後の幼児教育から大学までの景色(その1)の続きは明日です。 所ジョージさんの「苦労とか努力っていう人はたぶん才能ないんだと思う」から考える諦めの重要性 がバズってますね。ほりえもんも同意してます。
すごくよくわかる。でも俺がいうとあんまり多くの人に刺さらないんだけどね 所ジョージさんの「苦労とか努力っていう人はたぶん才能ないんだと思う」から考える諦めの重要性 - http://t.co/kwGWmSGyoX
― 堀江貴文(Takafumi Horie) (@takapon_jp) 2014, 10月 6
でも、これ正しいけど、そのまま額面通りに取ってはいけません。これを読むと、短絡的には今やってることが苦しいなら、その分野の才能がないと思いがちですが、そうではありません。単にやり方の問題かもしれないのです。 最近 DragonBox というアプリを教えてもらいました。ドラゴンが出てくるパズルを解いてるだけで、数学の1次方程式が解けるようになってしまうというソフトです。やってみました。結構な分量ですが、始めてしまうとやりとげたくなって、パズル形式のA面は必死にやり遂げましたし、B面はもう普通の方程式になるのですが、A面同様の画面操作で進められるようになっていて、時間の合間に進めています。小4、小1の息子たちもパズルとして抵抗なく進めています。聞いたところでは多くの子が熱中して最後までやりたがるそうです。 多くの中1がつまづくと言われている方程式、中には苦労や努力で辛い思いをして習得した人も多いでしょう。で方程式の才能がなかったのか? それとこれとは別なのです。 DragonBox で方程式を苦労とも思わず習得し、その後数学が楽しくなってハマる人は、昔よりはずっと増えるでしょう。 今後数学という山を登る方法は多様化し、どれを登っても良く、したがって今たまたま登っている方法が苦しいからといって、その山を登る才能がないとは言えないのです。 これは昔からそうです。私は英語はあまり得意でなく、勉強に割と苦労していましたが、大学になってから、NHKのラジオ講座をタイマーでカセットテープに録音し、通学路で聞くという方法を始めたら、ハマって3つくらい異なる番組をアメリカに行くまで続けました。アメリカに行ったら、シットコムにハマり、英語の字幕付きのをひたすら見て、日常会話を覚えました。 昔と違うのは、昔は方法も少なかったし、高かったりもしたのですが、今はいろんな方法があるし、その中にはお金がかからない方法もいっぱいあるということです。 たとえば今ならイラスト投稿サイトの pixiv にもくもくと投稿することでうまくなる人がいると思いますが、昔はそういう方法はありませんでした。 ですから、なにかの分野を始めてみて、苦しいからといって才能がないかというと、そのやり方での才能がないだけで、分野に才能があるかはわかりません。でも逆に、ここである技能があることが分かります。 それはなにかに取り組む時に、自分の苦しくない方法で取り組むということです。 たとえば、私が中学の時音楽で写譜というのが宿題で出ました。楽譜を写すんです。音楽は好きだけど、その宿題は時間ばっかり食うので、適当にやっていくと、汚いといろいろなじられる。むかついて、思案したあげく、そのときは手持ちの100を軽く超えるカセットテープを端から聞く時間にしました。持ってるけどなかなか聞かなくなるテープがあるわけで、一本一本懐かしくて感激するわけです。とても楽しい時間になり、丁寧に書いて先生に褒められると大発明でした。 そうやって自分の苦しくない方法をネットとかで見つけるとか、自分で考えちゃうとか、そういう技能があって、それが得意な人は、なんでもそこそこできるようになるわけです。 で、そうやって苦しくなく取り組めるなら何でも究められるのかというと、それはそれでまた別の問題で、才能もないといけないし、俗にいう10万時間の問題もあることでしょう。 要は、所ジョージさんもほりえもんも簡単に苦しまずに取り組む方法ができる人で、そこが飛んでるので、普通の人にはほとんど役に立ちません。 まず努力を努力と思わずに没頭できる体験。これはゲームなんかで体験できる人も多いでしょう。 なにかをするときに、苦しい方法を取らずに、自分のできる方法で取り組むこと。ネットなどでみつけてもいいし、自分なりの方法を編み出してもいいでしょう。ダイエットはそのもっとも典型的な例でしょう。 親の立ち場であれば、子供に苦しい努力をさせないこと。なにか毎日取り組めるほど没頭できるものをみつけること。勉強などさせなければならないことは、その子にあった方法を見つけること、あるいは発明すること。 ある分野がより多くの人を獲得したければ、より多くのそして多様な人をハマらせるツールを次々開発すること。 これら全てがそれぞれ難しい問題であり、みんなが苦労していることです。 が、それに新しい道が見えてきたということです。昔「ウェブ進化論」で将棋には高速道路ができたという話が出てて、ツールが揃ってきて、みんなあっという間にうまくなるようになった、でもその先、プロになるのには大渋滞が起きてるというのです。 学校の勉強はまだそこまでは行っていませんが、確実にその方向に向かっています。多様なツールがどんどん揃ってきていて、ほとんどの人は、本人が望むなら自分にあったツールで苦しい努力をせずに上達するようになる、そういう時代に向かっているのです。 しかし、そこから先、他者を抜きん出るようになるには、大渋滞が待っている、つまりそこからは並々ならぬ努力が必要です。いわゆる10万時間の努力でしょうか。その努力が苦しいようならその分野には才能がない、そう所さんは言っていて、確かにその言葉は正しいのかもしれません。 -
10年後の幼児教育から大学までの景色(その1)
2014-10-03 23:0031pt今年もMIT-VFJのビジネスプランコンテスト&クリニック(BPCC)14で、メンタリングしていまして、今回は教育関係のテーマを担当させて頂いています。 二人の小学生の息子がいますから、今後の教育がどうなるのかは、もろ私たち家族の問題です。メンタリングを通して、教育の現場を拝見し、今、急速に教育が変わり始めているのを目の当たりにし、予想はしていましたがここまでかと驚いております。 一体10年後教育はどれくらい変わっているのでしょうか。 もっとも大きく様変わりするのは恐らく大学です。 子育てをしていく上で、もっとも大きな山場は高い大学費用です。しかし、その高額な大学は、人生でもっとも費用対効果の悪い教育です。教育は若い頃ほど費用対効果が高く、逆に歳を取るほど悪くなります。 最近奨学金が返せない人が増えているというニュースを聞きます。借金して大学に行って就職してもその元が取り返せないのです。高度成長期の頃は給料は上がり、余裕で返せてたので、あたかも効果があったように見えましたが、大学に行こうが行くまいが上がっていて、必ずしも大学に行ったからではないのです。 そんなシビアな時代になりました。大学は費用対効果をあげるため、就職に必要な教育に向かっていますが、それなら専門学校の方が効率が良いです。ですから、就職しようと思っている人で大学に行く人は減ります。なんとなく大卒でないとみたいな理由だけで行くほど安くないのです。 とはいっても、働いていると、その分野での学位が必要になることがあるでしょう。なので社会人大学生は増えますし、サイバー大学のようなオンライン大学の活用も増えるでしょう。MIT-VFJの理事長川原洋さんはサイバー大学の学長でもあるので、その辺の話をよく伺うのですが、需要は着実に増えているそうです。 では大学はどうなってしまうのか。研究を志す人には、必要な過程であり、つまり大学は本来の研究者のための研究機関としての姿を取り戻すでしょう。また社会人学位や生涯教育を提供する機関としても働くことが予想できます。 最近舞田敏彦 @tmaita77 さんのこんなツイートがありました。
通学人口率の年齢曲線の日芬比較図。これが,生涯学習社会の具現度の差よ。日本の「L字型」は,組織的教育の機会が人生の初期に限られていることを表現している。
― 舞田敏彦 (@tmaita77) 2014, 9月 30
大学に通う人の年齢構成はフィンランドのようになっていくのです。 ここをうまく転換できれば、大学は相変わらず十分な生徒数を確保し、安定して経営できることでしょう。いわゆる文系学科は経済効果がすくなく(社会として元が取れない)苦しいと言われていますが、学問なんて全体がそうで、ですから、ずっと大人が「やっぱり大事」と思って学びに来てもらうのを捕まえなければならないのはある意味当然です。 一方そこをうまくできなければ、高卒の子で入学する子はどんどん減り、経営は苦しくなりそうです。 一方、費用対効果が高いと期待の幼児教育に注目が集まっています。幼稚園・保育園の一部を義務教育にしようという議論もあるようですし。 これはとてもいいタイミングで、出るべくして出ている議論だなと思います。 -
「激怒」コントロールの内幕
2014-10-02 21:4531pt藤田晋さんのブログが話題になっていますね。 私が退職希望者に「激怒」した理由 二度目のチャンスを与えたのにそれを途中放棄して同業他社に移った元社員に激怒することにしたというお話で、もうあちこちで賛否両論、話題沸騰なわけですが、それだけ、怒りという感情をどのようにコントロールするかというのは、多くの人の興味なのでしょう。 私の若い頃は怒りの感情なんてものはおくびも出さないのがかっこいいとされていたと思うのですが、最近ちょっと変わってきてはいないのでしょうか。もっとも、自分は子供ができて激怒するよう変化したので、私の触れる情報が変わっただけで、社会の方は変わっていないのかもしれません。 それはともかく、この「激怒」の理由エントリーは印象的です。「激怒」をどのようにコントロールしているかという内幕は、普通こんな風に開示されることはありません。だからこそ反響も大きいのでしょう。 コントロールされた「激怒」とは、たとえばこんなのです。サザエさんがカツオがなんかやらかしたとき、次のシーンで波平が「ばっかも〜ん」と怒鳴る場面(昔はごつんしてましたが、きっと今はしないんでしょうね。もしかしたら怒鳴るのもなくなってるのかなあ)。 こないだ長男が調子の悪い水鉄砲をいじってたら、突発的に水が発射され、近くにいた関係ない次男に当たったときがありました。普段から「飛ぶものは人に向けない」ときつく言ってありますから、その瞬間彼の顔はみるみる青ざめ、こちらをちらっと見ます。間髪入れずに「だから人に向けるないうてるやろ!!!」と怒鳴りますと、「ですよね〜〜〜」みたいな顔でしおしおと反省しておりました。しおしおぶりは明らかで、それ以上小言をいう必要はありませんでした。 その間、1秒とかからないわけですが、「ここはキレるところ」と冷静に瞬時に判断して、その後は感情的にキレます。 この冷静に判断して激怒する技術について、もはや伝統芸の域に達しているのが野球の監督でしょう。球審の誤審濃厚な判断にバッターが怒り出そうとしたら、「そのケンカ俺が買った!」と飛び出してくる監督。最近は野球見ないので分かりませんが、昔で言うと星野監督とか野村監督とかの飛び出すタイミングは絶妙で、観客・視聴者は監督と一体となって、心置きなく怒りを審判にぶつけていました。 彼らが怒っている様は、完全にプッツン来ていて、まったく感情をコントロールしておりませんが、その前、怒る直前は「これは俺が怒るところ」と冷静に判断して、それからぶっつり感情を切るわけです。 しかし、監督たちは、そんな内幕を決して暴露することはありません。私は聞いたことがありません。もしそんな言葉が残っているならぜひ読んでみたいです。彼らが怒るのはあくまで感情がコントロールできなかったゆえということになっています。もしも試合後に「あの場面はキレる場面だと思ったのでキレました」なんて談話するようになったら、今後は見ててもちっとも楽しくなくなるじゃないですか。「怒っているように見えるけど、計算ずくか」と興ざめです。ですから、言うわけがありません。 私がさきほど、自分の子供に計算して怒鳴ったと書きましたが、ここは大人の世界ですから、子供は見ません。そうやって親同士は、こないだこういうことあって怒鳴っといたのよーと内情を暴露しあえます。監督たちも内輪では暴露しあっているかもしれません。が親は、もちろん子供には言いません。あくまで感情に任せて怒っていることになっています。 ですから、タイミングも大切です。「これは怒鳴るべきか、そうでないか」をじっくり考えているような様を見せては向こうも戸惑ってしまいます。波平は、場面転換直後に怒鳴ります。 このタイミングは実は兄弟喧嘩を見て学んでいます。仲良く遊んでいるのに、ある時、長男が禁止していることを次男がしたら、いきなり怒髪天です。ほれぼれする反射神経です。 もちろん、こめかみに怒りマークを付けておいて、溜めに溜めてから爆発する手法もありますから、怒鳴るか怒鳴らないかじっくり考えたい人は、まずこの溜めに溜める演技(これも感情的にはコントロールを失っている状態としての表現です)を身につけるのがいいかもしれません。 さて、ようやく、藤田晋さんのお話に戻りますが、プロジェクトを途中で放り出して同業他社に転職する社員に対し、 「激怒する」という方針を決めた
と書かれていますから、これは、今まで書いてきたような激怒するかどうかがコントロールされた激怒なわけです。 ここまで書いてきたように、通常このような内幕は暴露しません。だって、これで、藤田晋さんのサイバーエイジェントでやっぱり同業他社に移りたい人が出たら、「激怒」の瞬間そのものは、もう怖くもなんともありません。 激怒の後も、業者が出入り禁止になるとか、元の会社の人と気軽につき合えなくなるとか、尾を引く話の方が、実質的な抑止力です。 ただし、これを淡々とやったら、つまり、引き抜かれますと言われ、淡々と全社員に、今後1年間その業者と元社員とつき合うの禁止、なんておふれを出したら、それはそれで○○ハラという問題に発展することでしょう。やはり、まず怒りで我を忘れる状態になり、その元で付き合い禁止などの怒号が発せられる必要があります。怒りの任せたおふれなら社員も一応それを守りつつも、現実動かなくてはいけない部分はこそこそつき合う融通が効かせられます。 したがって、「激怒」のプロセスは必要ですが、でも、その「激怒」はこういう条件のときと宣言するのは、それは「激怒」なのか?と戸惑われるのは仕方ありません。 ということで、本来であれば、藤田さんはこのような話をするとしたら、経営者のいるところだけで歌話ネタとしてすべきなのです。 あるいは、「『激怒する』という方針を決めた」と、冷静に言うのでなく、たとえ本心はそうだったとしても、紙の上ではひたすら 腹が立って腹が立ってどうしても許せなかった。今思い出しても腹が立つ。昔業界1位の会社がかんかんに怒っていたが、今ようやくその気持ちが分かった。私も昔は甘かったということですねと感情論を書くべきなのです。激怒にみんなが持ってる夢を壊してもいいこと一つもないのです。 このような、冷静に怒る怒らないを判断して、感情的に爆発するという手法は、ガキに怒鳴る近所のオッサンから、夫婦喧嘩をしかける妻まで、幅広く活用されているわけですが、その内幕のノウハウを交換されることはほとんどありませんでした。
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