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田原総一朗 『元オウムの上祐氏に会って考えた、「宗教」と「哲学」人を救えるのはどっちだ?』
2013-06-25 12:00330pt先日、ラジオ番組で上祐史浩さんと対談をした。上祐さんはオウム真理教で外報部長、つまり広報をしていた人物だ。
オウム真理教とは、教祖・麻原彰晃の「ポアせよ」という指令のもと、坂本弁護士一家をはじめ、多くの人間を殺した団体である。後に、ほかにも多くの人間を殺そうと謀っていたことが判明した。1995年に彼らが起こした「地下鉄サリン事件」は、日本中を震撼させた。
「ポア」とは本来、仏教用語で「人の意識を別の次元に移す」、「転生する」という意味である。教祖の麻原は、「悪い人間は早く死なせてあげて、生まれ変わらせるのだ」という意味でこの言葉を用いた。つまり、その人間にとって死ぬほうが幸せなのだと、非常に曲解した意味で、この言葉を使った。「ポアする」は、オウム真理教では、「殺す」という意味で使われるようになったのだ。
先行きが見えない、不安と混沌の時代に生きる人間は、支えがほしくなるものである。そんなとき人が求めるものの代表のひとつが、「宗教」なのだと僕は思う。
もちろん、ぼくは宗教を否定しない。宗教が怖いのは、教祖に頼り、心を委ねるあまり、自分自身で考えなくなったときだ。信者たちが自分で判断せず、麻原の言うがままに行動し、いつしか殺人者集団と化したのが、オウム真理教だった。
一連の事件が起きたとき、上祐さんはロシアにいた。だから偽証と有印私文書偽造・同行使の罪で、懲役3年の実刑判決を受けたが、ほかのことでは罪に問われなかった。
上祐さんは、1999年に出所する。そして2002年、「麻原の影響を排除」した宗教団体「アレフ」を設立。翌年、アレフはアーレフと改称する。そのアーレフ内には、麻原逮捕後も麻原を崇拝する信者が多く、逆に上祐さんが排除される立場になった。2007年、上祐さんはアーレフを脱退、「ひかりの輪」という団体を立ち上げたのだ。
上祐さんは「ひかりの輪」は、宗教団体ではないという。なぜか。「教祖」がいないからだ。上祐さんは、オウム真理教での経験から、教祖に引きずられる怖さを知った。それが理由だという。
宗教に教祖がいる一方、「いかに生きるか」「どう生きるべきか」をひたすら自分で考えるのが「哲学」だ。教祖に頼り、すがるのではないから、哲学は宗教に比べてしんどい。
「教祖がいなければ教祖に引きずられることもない」、だから「ひかりの輪」は「哲学する集団」なのだと上祐さんはいう。とはいえ、上祐さんという存在がある以上、その「教祖性」から完全に逃れることは、難しいだろうとも僕は思う。
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