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田原総一朗『歴史に学ぶ、「政権交代」で人類は何を選択したのか?』
2013-07-23 12:00330pt先日、日本に住む韓国人の方から僕の番組宛てにメールが届いた。要約するとこんな内容だ。
「成熟した資本主義において新自由主義は、限られた富の奪い合いとなる」
「そして、一部の限られた人たちだけが富み、貧富の格差は開くばかりになる。実際、現在の韓国がそうなってしまっている」
「やはり新自由主義はよくないのではないか」
彼の言うことはよくわかる。自由競争を前提とする新自由主義には、そういった負の側面があることは事実だ。では、新自由主義がよくないとして、対する社会民主主義はどうなのか。
社会民主主義では、国民の間でできるだけ格差が生じなようにと考える。そのために社会保障を厚くするから、いわゆる「大きな政府」になる。富の再分配を積極的にするのだから、格差は少なくなるのだけど、人間というのは正直なもので、そうなると社会全体の経済成長もなくなってしまうのだ。このように社会民主主義には、長所と短所がある。同じように新自由主義にも、長所と短所がある。政治に完璧な「正解」などないのだ。
ところが、その「完璧な政治」を目指した国があった。ソビエト社会主義共和国連邦、旧ソ連である。1991年に崩壊したソ連は、マルクス主義を標榜して築かれた、共産主義国家として、長く理想の国だとされてきた。
僕はソ連を訪ねたことがある。1965年に映像関連の文化交流で招待されたのだ。そこで、僕はモスクワ大学の学生と討論をした。そのときのことだ。僕がフルシチョフについて質問したところ、その場が凍りついたのだ。「政治について、触れないでください」と後でガイドにきつく注意された。
その前年に、西側諸国に対する寛容的な政策を理由に、ソ連の最高指導者・フルシチョフが失脚したばかりだったからだ。ソ連に「言論の自由」などなかった。だが当時、日本の多くの知識人とメディア関係者は、ソ連を理想の国だと勝手に思い込んでいたのだ。
平等で、完璧な「理想の国」を実現しようとすれば、必ずどこかに歪みが出る。そのことを、ソ連という国の行く末を見て、僕たちはようやく知った。「理想の国」と言われながら、「粛清」という名の大量殺人が行われ、党幹部や一部の階層は贅沢を極めながら、建前だけの「平等」を謳っていた。ソ連の工業製品は、なんら創意工夫もなく欠陥品ばかりだった。これでは、経済成長など望むべくもないことだろう。
改めて言おう。政治に完璧な「正解」などない。新自由主義にも、社会民主主義にも、正解はない。では、どうしたらよいのか。
やはり政権交代でバランスをとっていくしかないのではないか。たとえば、新自由主義によって自由競争が活性化すれば、経済は上向きになる。しかし一方で、格差は開いてしまうだろう。この状況が行き過ぎたら、社会民主主義の政党が政権をとればいい。社会保障を厚くして、格差を縮めるようにするのだ。
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