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  • 長谷川幸洋 連載第69回 民主党は票を減らすのではないか――野党の存在意義も問われる衆院選の見方

    2014-12-04 12:00  
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    〔PHOTO〕gettyimages
    安倍晋三政権は今回の総選挙を「アベノミクスに対する国民の審判」と位置づけている。民主党は2年前の反省を生かせるか
    だが、政治の大きな流れを俯瞰すると、むしろ野党、とりわけ「民主党に対する国民の審判」になるのではないか。はたして民主党は変わったのか。公約を見る限り、変わっていない。それどころか、ますます混迷を深めている。国民が「政党に期待するもの」ははっきりしている。それは、国の平和と安定を守る外交安全保障政策、それと暮らしを豊かにする経済政策だ。けっしてイデオロギーではない。ところが、民主党の公約はどちらの分野でも立場がはっきりしていない。まず外交安保政策はどうか。焦点はもちろん集団的自衛権問題である。公約は「集団的自衛権の行使一般を容認する憲法の解釈変更は許しません」と書いている。「行使一般」という点がミソで「場合によっては行使を認める場合もある」と読める。どうしてこうなったかといえば、前原誠司元代表や長島昭久元防衛副大臣、渡辺周元防衛副大臣らのように、民主党内には「行使を容認すべきだ」という意見もあるからだ。集団的自衛権を認めるのか認めないのかと迫られると、党内で意見対立が生じてまとまらない。それで「行使一般は容認しない」と逃げているのである。経済政策もそうだ。公約は「厚く、豊かな中間層を復活させる」とうたっている。それはもちろん重要である。問題は「どうやって豊かな中間層を復活させるのか」が問われているのだが、具体的な政策の中身となると、これまた首を傾げざるをえない。アベノミクスの3本の矢にならったのか「柔軟な金融政策」「人への投資」「未来につながる成長戦略」という3分野に整理しているが、まず「柔軟な金融政策」というのは当たり前の話である。いま景気後退がはっきりしている中、このまま金融緩和を続けるのか、それとも一転して緩和はもう必要ないというのか、そこが問われている。もしも緩和をおしまいにして引き締めに転じるというなら、景気が一層悪くなるのは確実である。中小企業など円安で困っている部分があるのはたしかだが、それと金融のマクロ政策は別だ。中小企業を支援するミクロ政策と日本経済全体への効果を考えるマクロ政策がしっかり区別できていないから、議論が混乱する。 

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  • 長谷川幸洋コラム第12回『今回の参院選は与党勝利のつまらない選挙ではない 成長をめぐる歴史的選挙』

    2013-07-18 12:00  
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    参院選の投開票日が迫ってきた。ほとんどのメディアは与党勝利を予想している。こうなると有権者も選挙への関心が冷めてしまい、投票率の大幅低下が心配になるような展開だ。それを前提に、固い組織票をもつ公明党や共産党が善戦するのではないか、という見方も有力になっている。  本当に、今回の参院選は「つまらない選挙」になるのだろうか。私はそう思わない。たとえ投票率が下がったとしても、長い目で見ると、実は日本政治に深い影響を残す選挙になるのではないか、と見ている。  大げさに言えば、時代を画すエポックメイキングな選挙になるような予感がするのだ。 今回の選挙で問われているのは経済成長  なぜかといえば、そもそも政治の目的の一つである「経済成長」が問われているからだ。この大問題について、与党と野党第1党である民主党の考え方はまったく異なっている。その点がはっきりしたのは、安倍晋三首相と海江田万里民主党代表の日本記者クラブでの公開討論会(7月3日)だった。  安倍は「アベノミクスの副作用を強調しているが、どうやって経済を成長させるのか」と迫った。これに対する海江田の答えはこうだった。 「デフレや円高、株安のままでいいとは思っていない。経済の成長にとって大事なのは持続可能性だ。長続きする経済成長には国内の需要、健全な消費を拡大しなければならない」 「私たちは子ども手当や高校授業料無償化を通じて(子育て世代の)手取り額を増やすことに努力してきた。手取りを増やすことによって、一番消費を必要としている人たちに消費してもらい、持続的に経済が成長することを目指している」(一部略)  ここが核心である。  前々回のコラムで、民主党は「雇用や所得の増加、厚い中間層」という成長の結果を成長の源泉であるかのように取り違えている、と指摘した。  党首討論で、海江田はそこから一歩踏み込んで「子ども手当や高校授業料無償化を通じて消費を増やす」という考えを披露した。しかも、それが「健全な消費」という認識である。子ども手当も高校授業料無償化も元は税金だ。消費の源泉を税金に求めて、どこが健全なのか。  税金を子育て世代に配って消費させるという政策は、所得の再配分にほかならない。  つまり、民主党は「所得再配分が成長を促す」という考え方である。世界標準の経済政策は「まず成長を目指して、次に所得を再配分する」と考える。まったく因果関係、優先順位が逆なのだ。所得再配分が成長を促すのだとしたら、政府の役割はひたすら高所得者や儲かっている企業から税金を徴収して、若年者や低所得者に配ればいいという話になってしまう。  民主党の政策はまさに、そういう構造になっている。だからこそ、前々回コラムで指摘したように「企業」という言葉は重要文書に1回も登場しない。民主党の頭の中で企業の役割はないかのようだ。 経産相経験者の枝野は「成長は幻想」という  同じ考えは海江田だけでなく、民主党の幹部たちが選挙戦を通じて繰り返し述べている。どれくらい本気でそう思っているのかと思って、たまたま枝野幸男事務所から送られてきた「叩かれても言わねばならないこと~『脱近代化』と『負の再分配』」という枝野の著書を読んでみた。  そこには、こう書かれている。 < 経済成長期は日本が手にするパイ、つまり富はみるみる増えていった。この時代の政治の役割は『富の再分配』だった。しかし、低成長時代に入って、パイの拡大は限られたものになった。現代はコストやリスクをどうやってみんなで公平に分担するのかという『負の再分配』の時代に入っている。私たちは、成長幻想や改革幻想といった夢から覚めて、その現実に向きあわなければならない >(一部略)  民主党政権で官房長官、経済産業相を経験した枝野が「成長は幻想だ」という認識なのである。簡単にいえば「もう低成長だからパイは増えない。夢は捨てよ。コストやリスクの分担を考えよう」という主張だ。控えめに言っても、枝野はパイをどう増やすかに熱心でない。  これに対して、アベノミクスはデフレ脱却を目指して金融と財政のマクロ政策を総動員し、その後、中長期の安定成長を目指して規制改革を進めるという政策である。改革の進展具合に不十分さはあるが、もちろん景気回復も成長もあきらめてはいない。  肝心要の経済成長について、自民党は言葉だけでも「全力を尽くす」姿勢なのに対して、民主党は「まず分配政策。成長幻想から覚めよ」と言っている。両党の考え方がこれだけ違ってしまうと、いまの段階では、とてもまともな議論にならない。根本が違うからだ。  はっきり言うが、私も公正な分配は必要だと思っている。ただし、それはあくまで成長が前提である。成長なくして公正な分配だけを目指しても、ジリ貧になるだけではないか。15年デフレ、20年にわたる大停滞を経た日本に必要なのはジリ貧脱出政策である。  デフレ下で税金を再配分するだけで、どうして成長が持続可能になるのか。ジリ貧が進行するだけだ。  自民党と民主党の成長に対する考え方がこれだけ違っていて、有権者の判断が明確に示されてしまうと、負けた側(メディア予想によれば、おそらく民主党)は大きな痛手を被る。そうなると、選挙後は野党再編のような展開になる可能性すらあるかもしれない。
  • 長谷川幸洋 コラム第10回『民主はやっぱり左。現実感覚の希薄さは綱領を読めば見える』

    2013-07-04 12:00  
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     いよいよ参院選だ。前哨戦と位置付けられた東京都議選は自民、公明両党の圧勝に終わった。日本共産党は大健闘した。
     その一方、惨敗を喫したのは民主党である。いったい民主党はどうなってしまうのか。
     そんな折、たまたま民主党議員たちが集まる勉強会に招かれた。民主党について「思うところを忌憚なく語って欲しい」という。そこで、出かける前に民主党の綱領とその解説、参院選に向けた「重点政策」というパンフレットを読んでみた。
     そこで今回は、民主党についてあらためて考えてみる。
     まず、民主党とは何か。綱領は「私たちの立場」として次のように書いている。
    < 我が党は、「生活者」「納税者」「消費者」「働く者」の立場に立つ。同時に未来への責任を果たすため、既得権や癒着の構造と闘う改革政党である。私たちは、この原点を忘れず、政治改革、行財政改革、地域主権改革、統治機構改革、規制改革など政治・社会の変革に取り組む >
    民主党は「やっぱり左」、綱領が社共そっくり  ここで、すぐ思ったのは「民主党ってやっぱり左なんだな」ということだ。
    「働く者」の立場に立つのだとすると、社会民主党や日本共産党とそう変わらない。たとえば、社民党は党の理念を説明した「社会民主党宣言」の中でこう書いている。
    < 私たちは、社会民主主義の理念に基づく政策の実現を目指し、経済・社会の中心を担う働く人々や生活者の立場から社会の民主的な改革に取り組み、すべての人々に門戸を開いた政党です >。「働く人々」と「生活者」というキーワードは民主党と同じである。
     共産党はどうかといえば、綱領の中に次のような文章がある。
    < 現在、日本が必要としている変革は社会主義革命ではなく、(中略)民主主義革命である」としたうえで「民主主義的な変革は、労働者、勤労市民、農漁民、中小企業家、知識人、女性、青年、学生など、独立、民主主義、平和、生活向上を求めるすべての人びとを結集した統一戦線によって、実現される >というのだ。
     こちらは「労働者」とか「生活向上を求めるすべての人々」と少し表現が違うが、やはり働く人と生活者重視である。
     民主党は綱領を作るときに、社民党や共産党の綱領をチェックしたのだろうか。
     もしも両党との相違点をはっきりさせようと思ったら、もう少し書きぶりは違ったかもしれない。似た表現になったのは、やはり基本的考え方に似た部分があるからだろう。
     民主党が生活者重視だからといって、それを理由に批判するつもりはまったくない。
    「どういう人々の利益を代表しようとしているか」を示すのは、政党の根本的な存在意義にかかわる。だから、最初に立場をしっかり明示したのは良かった。
     次に「私たちが目指すもの」だ。
     綱領は「共生社会をつくる」としてこう書く。
    いまの日本ではすべての人に居場所と出番がない? < 私たちは、一人一人がかけがえのない個人として尊重され、多様性を認めつつ互いに支え合い、すべての人に居場所と出番がある、強くてしなやかな共に生きる社会をつくる >
     私は率直に言って、ここがよく分からない。
     いまの日本には「すべての人に居場所と出番がない」のだろうか。 
     たしかに、ホームレスとかうつ病の蔓延とか、日本の病とされる問題はある。だからといって「共生」といわれると、肝心の民主党が目指す「政府と国民の関係」が分からなくなるのだ。
     政府と国民は横並びの関係ではない。政府は強制力をもって国民から税金を徴収し、政策を実行する権力機構だ。
     そして国民の多数で選ばれた国会議員たちが、内閣と政府を構成する。つまり、究極的には国民に対して権力の行使を目指している人たちが「みなさん、共に生きましょう」と唱えるのはおかしくないか。
    民主党は政治と国家観があいまい  権力奪取を目指さず、権力を行使もしない社会運動家とか経済人、あるいはメディアの人間が「共生社会を目指す」というなら分かる。
     だが、国会議員というのは最終的に権力を目指しているのだ。そういう人たちの集まりである政党が共生を唱えるのは、権力行使というハードな問題に対して感度が鈍いのではないか、と思えてならない。
     政治と国家観があいまいなのだ。
     それから「『新しい公共』を進める」とある。これは公共の担い手が官だけではなく、自治体や学校、NPO(非政府組織)、地域社会、個人も連携するという考えだ。これは賛成である。
     次の「正義と公正を貫く」。これもいい。
     問題は「幸福のために経済を成長させる」という部分だ。ここはこう書いている。 
    < 私たちは、個人の自立を尊重しつつ、同時に弱い立場に置かれた人々とともに歩む。地球環境との調和のもと経済を成長させ、その果実を確実に人々の幸せにつなげる。得られた収入や時間を、自己だけでなく他者を支える糧とする、そんな人々の厚みを増す >
     経済成長が重要であるのは言うまでもない。問題はどうやって成長を実現するのか、だ。
     私は成長を実現しようとすれば、民間企業の活力が鍵になると思う。
     だが、綱領に「企業」という言葉はない。それは綱領だからかもしれないと思って、重点政策を読んでみると、こちらにもやはりなかった。
     重点政策の中で、成長について海江田万里代表が直筆で書いたのは次の部分だ。
    < 雇用を作り、所得を増やし、暮らしを安定させる。社会を支える中間層を厚く、豊かにして日本の経済を蘇らせます >
    本末転倒の経済政策は民主党らしい  雇用や所得の増加、厚い中間層。
     これは成長の結果であって、源泉ではない。源泉は活発な企業活動である。企業が元気を失っているような経済社会で、雇用や働き手の所得が増えるわけがない。
     それとも、企業はいくら赤字になってもいいから、雇用と所得さえ増やせばいいと言うのだろうか。それはできない相談だ。
    「経営者の取り分を減らせばいい」というなら、そうなると今度は「創業しよう」とか「新事業にチャレンジしよう」という起業家精神をなえさせてしまうだろう。
     このあたりが民主党らしいといえば、民主党らしいのだろう。
     だが、私に言わせると、だからダメなのだ。原因と結果の取り違い。経済をよく分かっていないところが象徴的に示されている。
     私は勉強会で「まず経済成長、それから公正な分配だ」という点を強調した。
     私の意見に同意してくれる参加者もいたが「もう成長は難しい。やはり公正な分配こそが大事だ」と反論する人もいた。
     民主党には「働く者」「生活者」だけでなく、ぜひ企業の役割とか成長の源泉についても議論を深めてほしいと思う。
     外交、国際関係についてはこう書いている。
    < 私たちは、外交の基軸である日米同盟を深化させ、隣人であるアジアや太平洋地域との共生を実現し、専守防衛原則のもと自衛力を着実に整備して国民の生命・財産、領土・領海を守る。国際連合をはじめとした多国間協調の枠組みを基調に国際社会の平和と繁栄に貢献し、開かれた国益と広範な人間の安全保障を確保する >
     ここでも「共生」という言葉が出てくる。
    民主党の問題は現実感覚の薄さにある  これは北朝鮮の拉致と核ミサイル問題、中国との尖閣諸島問題などを考えると甘いと思う。もちろん共存共栄できたら言うことはないが、それは理想だ。現実はもっと厳しい。
     結局、民主党の問題は現実感覚の薄さではないか。