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  • 「企業秘密」をトコトン聞いた!地域活性化のヒントは、秋元康の「AKB48の戦略」にあり

    2013-02-26 12:00  
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    講演などで、日本各地を訪れる機会がある。先週は熊本へ行ってきた。先日は青森にも行った。 地方の街を訪ねると、僕はいつも思うことがある。 どこの商店街も「シャッター通り」になっている、と痛感するのだ。 地域の活性化は、地方だけの問題ではないだろう。深刻な状況の街は首都圏にもある。 日本の人口は、これからますます減っていくのだ。 本当に地域活性化を、真剣に考えなければならない時期にきているのだ。 先日、僕が担当するラジオ番組に、おもしろい投書があった。 ニューヨークに住む男性リスナーから、こんな提案があったのだ。 「例えば、AKB48のメンバーが、47都道府県をそれぞれ担当する。 一人ひとりが各県の盛り上げ隊長になって、さびれた商店街にいきなり顔を出す。 そして、『その商店街の売り上げが1000万円上がったら握手会を開きます』と発表すれば、 ファンがCDではなく生活用品や食料品を買いに行くだろう」 という内容だ。おもしろいアイデアだと僕は思う。 AKB48のファンは、総選挙のためにCDを100枚、200枚も買う人もいるという。 そういうファンたちがそのうちの一部だけでも、商店街で買い物するようにしたら、 すごい金額になるだろう。それだけではない。 テレビで活躍する人気者が来るという「非日常性」が、街に活気を呼ぶのではないか。 AKB48はこのような「地域フランチャイズ」を意識している。 「AKB」は秋葉原、「SKE」は名古屋の栄、「NMB」は大阪の難波、「HKT」は博多で 「JKT」はジャカルタ……。それぞれの地域に密着して、活動するという発想だ。 先日、インドネシアのジャカルタでJKT48のコンサートを見た。 現地の活気たるや素晴らしいものだった。ジャカルタの若者がJKT48に熱狂しているのである。 このような現象が、これから世界中の街でも起きていくのだろう。 かつてプロ野球は、パ・リーグは首都圏と関西が本拠地の球団ばかりだった。 だが、いまは球団本拠地が地方に散らばっている。 ソフトバンクは福岡、日本ハムは札幌、楽天は仙台に本拠地を置いている。 地域サービスに努力したこともあり、これらの球団の本拠地移転は成功しているといっていい。 昔は「人気のセ、実力のパ」などと言ったものだが、いまや人気だってセ・リーグに 負けていない。観客動員数も差がなくなっている。 「おらが街の球団」があれば応援したくなるように、「おらが街のアイドル」がいれば 応援したくなるはずだ。そして、それこそが地域の活性化に一役買うのだ。 『AKB48の戦略! 秋元康の仕事術』という本で、僕は秋元さんにいろいろな話を聞いた。 この本のなかで秋元さんは、次のような話をしていた。 AKBをオープンソースにしてそれぞれの専門家が「AKBはこう使えばいい」と工夫して、 改良してひろがっていくことがおもしろい、と。 いろいろなシェフに料理してもらい、新しい魅力を引き出してほしい、とも語っていた。 そのために、どんな人とも組むと。 そんな秋元さんだから、このアイデアを理解してくれるのではないか。 もし、彼がプロデュースしてくれるとすれば、きっとおもしろい仕掛けを考え出してくれる だろうと僕は思う。 『AKB48の戦略! 秋元康の仕事術』では、AKB48を題材としながら、秋元康の ヒットのノウハウをすべて聞き出した。 いわば、ヒットメーカーの「企業秘密」を僕は聞きまくったのだ。 あまり語ることのない秋元さんだが、僕のぶしつけに、意地悪な質問にも逃げも はぐらかしもせずに答えてくれた。 その意味で、プロデュース術、発想術、企画術といった、“ヒットメーカー・秋元康”の 頭の中身がすべて詰まった本になったと思う。 そしてこの「企業秘密」は、現状を変えなければいけない、改革をしなければ いけない人たちには、とても役立つノウハウだと思う。 ビジネスパーソンにも、役人にも商店街の人たちにも、十分に役立つだろう。 ぜひ手にとって読んでほしい。必ずや仕事のヒントを見つけることができるだろう、 と僕は思う。

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  • 秋元康さんに聞いてわかった「AKB48の戦略」に隠されたすごいノウハウ

    2013-01-30 13:40  
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    「秋元康」という人物は、僕にとって長い間、謎の人物だった。 テレビの構成作家出身であり、作詞家として手がけた作品はなんと4千曲以上あるそうだ。 チャート1位80曲以上という記録は、歴代の作詞家で1位を誇る。 売り上げ総数は4500万枚で、これは歴代3位だという。 これだけでも「おばけ」だが、さらに脚本も書き、映画も撮り、小説も漫画原作もある。 そして何よりAKB48グループの総合プロデューサーだ。 秋元さんが「大作家」であることは間違いないが、僕が知っている「作家」と彼の活動は まったく違う。 作家というのは、個人の表現活動に徹する存在だ。 だが、秋元さんはAKB48という女の子の集団を世に送り出し、社会現象まで生み出しているのだ。 「秋元康」とは、いったいどんな男なのか? 謎を見つけたら近づいてみたくなるのが僕の習性である。 たまたま同じ整骨院に通っているという縁もあり、早速、僕は秋元さんの取材を 始めたのだ。 インタビューを重ねるたびに、秋元さんがたいへんな「知識の塊」であることが よくわかった。企画力もある。 だが、なぜ次々にヒットを出すことができるのか? どこまで取材しても、謎は深まっていくばかりだった。 やはり、その謎を解くためにはAKB48を見なければと思い、僕は秋葉原の AKB48劇場を訪れた。 ナマのAKB48を見て、僕は見事にハマった。 客席を埋めたファンたちが女の子たちの一挙一動を見逃すまいと一心不乱に見つめ、 歌を口ずさみ、踊りに合わせて体を揺らしている。 劇場全体が熱気で燃え上がっていた。 そういう熱い場に身を置いていることに興奮を覚えながらも、僕は、なるほどと うなずいていた。 秋元さんはAKB48を「高校野球」と表現していた。 プロのようなテクニックはないが、平凡なゴロでも全力疾走し、ヘッドスライディングする。 ファンは、そんなメンバーたちを温かく見守り、熱い声援を送るスタンドの観客なのだ。 AKBメンバーとAKBファン、こんな不思議な集団を僕は見たことがなかった。 熱かった。 秋元さんは、この熱さこそを実感させたかったに違いない。 AKB48劇場オープンの日の観客はわずか7人だった、と秋元さんは言う。 けれど秋元さんは「このままでいい」と、特に手を打つことをしなかった。 そこには「根拠のない自信」があったという。 だから慌てて何か変えなくても、いつか「その時」が来ると泰然としていられたのだろう。 そして、2005年12月のスタート時に7人だった観客は、7年目の2012年8月には、 東京ドームで3夜連続の公演を行うまでになった。 「自分がおもしろいと思うのが正解で、根拠なんか要らない」 この秋元さんの言葉を、僕はとてもよく理解できる。 なぜならば、僕にも通じるものがあるからだ。 僕が78歳になったいまも現役でいられるのは、才能はないが、好奇心が 人一倍強いからだと思っている。 好奇心とはすなわち、「おもしろがる精神」だ。 好奇心を失ったとき、仕事は終わりだと僕は思っている。 彼へのインタビューは、とても刺激的で、回を重ねるごとに、 「もっとこの人物の奥へと入っていきたい」 と思わせるものだった。 秋元さんは、僕がどれほどぶしつけなことを聞いても、どんな意地の悪い問をぶつけても、 逃げもはぐらかしもせずに、つねに正面から、なるほどそうか、と感心せざるをえない 答えを返してきた。 AKB48を題材としながらも、「ヒットメーカー・秋元康」の頭の中身、仕事のノウハウを すべて聞き出せたのではないかと思う。 その刺激に満ちた内容を『AKB48の戦略! 秋元康の仕事術』という一冊の本にまとめた。 秋元康という稀代の大作家・プロデューサーの発想は、AKB48ファンばかりでなく、 企画や仕事術について日々考える、ビジネスパーソンにこそ読んでほしい。

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