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田原総一朗 「終戦の月」に考える、なぜアメリカは日本以外の占領に失敗し続けるのか?
2013-08-09 12:00330pt『終戦のエンペラー』の公式サイト
今年も8月を迎えた。この8月は、多くの日本人にとってやはり「終戦の月」である。日本が終戦した当時11歳だった僕にとってこの8月は、それまで信じていたものが、見事にすべて覆される、という強烈な体験をしたときだった。だからこそ、7月27日に公開された映画『終戦のエンペラー』を、深い思いを持って見たのだ。
話は、日本がポツダム宣言を受諾し、無条件降伏したところから始まる。そして、ダグラス・マッカーサーを最高司令官とするアメリカ軍が、日本に乗り込んでくる。マッカーサー元帥の任務は、日本を占領することであった。さらにいえば、占領という名の国家管理を行なって、日本を「民主主義国」として独立させようとしたのだ。
そのためには、「戦争責任者」たちを逮捕して、連合国の裁判で裁くことが必要であった。そこで問題となったのが、昭和天皇を「戦犯」に含めるべきかどうかだった。そこでマッカーサー元帥は、ボナー・フェラーズ准将にその調査を命じる。フェラーズ准将は、日本のキーパーソンに直接会って天皇の戦争責任を問うた。昭和天皇を裁判にかけるべきかどうか、開戦直前まで総理大臣をつとめた近衛文麿、開戦時に総理大臣だった東条英機陸軍大将、内大臣の木戸幸一らに話を聞いたのである。
結局、フェラーズ准将は、昭和天皇を裁判にかけることをせず、「天皇制」も続けるべきだと判断する。日本人がいかに天皇に深い思いを抱いているかを知り、もし天皇を裁判にかけたりしたら、日本が大混乱して、占領政策がまっとうできないと判断したからだ。近衛文麿、東条英機、木戸幸一らは、いま「戦犯」だったとされている。だが、彼らは自らの命をかけて、天皇を守ったとも言えるだろう。 -
田原総一朗 『リンカーン』と『終戦のエンペラー』に学ぶ政治家の「覚悟」とは何か?
2013-05-20 16:15330pt最近、心に残ったふたつの映画がある。ひとつは、現在上映中の『リンカーン』、もうひとつは7月に封切される『終戦のエンペラー』である。僕は、映画が大好きだ。かつて監督として映画の制作に携わったこともある。いまはもっぱら観るだけだが、試写会があればできるかぎり顔を出すし、DVDを借りて観ることもある。暇さえあれば、さまざまな作品を鑑賞している。
さて、ひとつめの映画『リンカーン』は、巨匠スピルバーグの監督作品である。「人民の、人民による、人民のための政治」という名言で知られるリンカーンは、アメリカでもっとも愛された大統領のひとりと言われる。彼が活躍した時代、日本はちょうど幕末で、長い鎖国を解き、開国しつつあった。
その頃、アメリカは南北戦争の最中にあった。「奴隷制」存続を主張するアメリカの南部11州が合衆国を脱退、合衆国にとどまった北部23州との間で戦争となっていたのだ。
リンカーンの最大の業績は、この「奴隷解放」である。その実現のためにリンカーンは、奴隷制廃止を提案した米国憲法修正第13条を議会で通過させなければならなかった。だが、議員の多くは南北戦争の終結が先だと考え、「憲法改正」に反対したのだ。そこで、この反対派の切り崩しにリンカーンは精力を傾ける。議員たちをそれぞれ持ち上げたかと思うと、次は相手の弱みを見つけて脅す。説得とは一筋縄ではいかないものなのだ。
僕はこの映画を観ながら、ひとりの政治家を思い浮かべた。竹下登さんだ。昭和最後の総理大臣である。彼のいちばんの業績は消費税の導入だろう。リンカーンが議員一人ひとりに、さまざまな言葉を駆使して翻意を迫るさまは、僕の知る竹下さんにそっくりだったのだ。
政治は綺麗ごとではない。覚悟をもって何ごとかを成し遂げようとするならば、時には悪者にもならねばならない。リンカーンは結局、凶弾に倒れた。竹下さんはもう亡くなってしまったが、もし生きていたら、こう話してみたかった。「竹下さん、リンカーンのやり方はあなたと同じでしたよ」と。
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