• このエントリーをはてなブックマークに追加

記事 49件
  • ツチヤの口車 第1367回 土屋賢二「妻の機嫌」

    2024-11-21 05:00 17時間前 
     妻が認知症で介護棟に移ってから四カ月になる。症状には波があり、一時、食事を拒否するようになった。施設の人から「ご主人の手からだったら食べるかもしれません」と言われて食事の介助をした。
    「食べる」ことは(1)口を開ける(2)噛む(3)呑み込む、の三段階からなる大仕事だ。その一つ一つを妻が成し遂げるのを祈るような気持ちで見守るのも重労働だ。
     それでも妻は何とか食べるようになってくれた。やはりわたしがついていないとダメなのだ。自分の力に自信を深めかけたが、すぐに疑いが芽生えた。 
  • ツチヤの口車 第1366回 土屋賢二「老後の楽しみ」

    2024-11-14 05:00  
     歳を取ったとき楽しい毎日を過ごすために趣味をもて、と無責任きわまるアドバイスをする人がいる。わたしもその一人だった。
     そもそもわたしは「楽しい」とは何かということも分かったためしがない。子どもが芋ほりや潮干狩りをした後感想を求められると「楽しかった」と言うし、わたしもそう言ったと思うが、苦痛ではなかったということ以外、楽しいとはどういうことか、何も分かっていなかった。たんに「おはよう」「ただいま」と同じ決まり文句だと思っていた(こうやって無責任な発言が培われるのだ)。
     大人になると、「楽しむ」と言えるような落ち着いたものとは無縁になった。 
  • ツチヤの口車 第1365回 土屋賢二「元に戻らない」

    2024-11-07 05:00  
     教え子から電話があった。
    「老人ホームに入ってらっしゃるんですか?」
    「そうなんだ。うらやましいか?」
    「いいえ、うらやましくありません」
    「うらやましがっても入居には年齢制限がある。七十歳になるのを待つことだ。君も死ななければ七十歳にはなれる」
    「入居したくないんです」
    「じゃ聞くが、自分は歳をとると思っているか?」 
  • ツチヤの口車 第1364回 土屋賢二「老人の身の守り方」

    2024-10-31 05:00  
     最近、高齢者への風当りが強くなっている。
     物価が上がっているのに年金増額を叫ぶ声は聞こえない。逆に、高齢者の健康保険の自己負担率の引き上げが検討され、人材不足なのに老人を雇わず、その上、収入があれば年金を打ち切れという声さえある。死ぬまで払うと約束した年金を払わないなら詐欺ではないか。働く老人をますます減らす提案だ。
     そのうち延命治療もなくなるだろう。もう政治に頼ることはできない。
     老人の立場は弱い。「歳を取ればいいというものではない」という認識が広まり、退職前のように職場の地位を利用して威張ることもできず、口をはさむと老害だと非難される。 
  • ツチヤの口車 第1363回 土屋賢二「熱が出た」

    2024-10-24 05:00  
     わたしの文章は簡単に書いているように思われている。テレビでも見ながら片手にカップ麺をもってチャッチャッと書いていると思っている人が多いのではなかろうか。というのも、そうとしか思えないぐらい文章が幼稚だからだ。
     しかし文才がないからこそ、大作家の何百倍も苦しんで書いているのだ。その事実をもっと考慮してもいいのではないか。かりに三歳児が書いたとか、サルがキーボードに打ち込んだ文章なら、驚異の目で迎えられ、はるかに売れるはずだ。わたしが目から鼻に抜ける貴公子のような風貌だから気づきにくいかもしれないが、わたしの文才は幼児並みなのだ。 
  • ツチヤの口車 第1362回 土屋賢二「ノーと言えない男」

    2024-10-17 05:00  
     結婚に魅力を感じない女性が増えている。少子化の日本には問題だ。結婚評論家の曽野徹氏に聞いた。
    ――結婚すると自由がなくなるからイヤだという意見が多いのですが。
    「その通り。事実、自由は貴重だ。歴史上、命をかけて自由を守った人もいた。だから結婚はもちろん、ルールで自由を奪うスポーツやゲームもやめ、道路の信号や標識も無視すべきだ。信号を無視して危険を感じたら、自由を守るために命を落とした偉人を思い出せ。もともと、われわれの自由は制限されている。眠らない自由はないし、食べない自由も呼吸しない自由もない。食べられる物も限られ、空も飛べず、指は五本しかない。慰めを求めてペットを飼うとさらに自由が奪われる。これだけ四方八方から自由が奪われているのだから、結婚して自由を奪われても大した違いはない。気にしないことだ」 
  • ツチヤの口車 第1361回 土屋賢二「妻にとってわたしは何なのか」

    2024-10-10 05:00  
     自分が何者なのか、どんな人間なのかは、自分の思い込みでは決まらない。
    「おれはナポレオンだ」と思い込んでも、ナポレオンになるわけではない。わたしが「イケメンであることしか取り柄がない男だ」と強く思い込んでも、まわりが認めようとしない。
     自分が何者かを決めるのは、周囲の意見の方が多い。妻がわたしを何者で、どんな存在だと思っているのか、最近、思い知らされた。
     このところ毎日三食、認知症の妻の食事を介助するために介護センターに通っているが、毎回妻の反応が違う。 
  • ツチヤの口車 第1360回 土屋賢二「最も笑えた本、最も苦しんだ本、最も胸躍った本」

    2024-10-03 05:00  
     未成年のSNS利用を制限する動きがあるらしい。判断力がないときは悪影響を受けるからだ。大賛成だ。判断力が未発達の四十歳未満と判断力の衰えた四十歳以上にも禁止すべきだ。
     スマホでなく本を読んでいたころ、わたしが読んだ本のベストを紹介しよう。
    【最も笑えた本】わたしは娯楽一本槍だった。本に求めるのは面白さだけだった。小学生のとき読んだのはホームズ物、ルパン物、講談物、それに伝記だった。 
  • ツチヤの口車 第1359回 土屋賢二「介護と女心」

    2024-09-26 05:00  
     高齢化社会が到来した。老人が増えていることが日々実感される。老人しか見ない日さえある。老人ホームにいるためかもしれない。
     今日も妻のいる介護棟に行った。老人ホームの一般棟に夫婦で入居していたが、妻の認知症が進んだのだ。
     それまで一回の食事に二時間はかかるようになった。噛むにも呑み込むにも時間がかかるのだ。妻が一人になるのを不安がるため数分でも部屋を空けられず、散髪に行くのも人に会うのも妻を連れて行く。わたしに腰痛が出ると何日も風呂に入れてやれず、安眠できない日が続いた。
     わたしに悲壮感も負担感もない。 
  • ツチヤの口車 第1358回 土屋賢二「どう見られてきたか」

    2024-09-19 05:00  
     わたしはどう見られてきたのか振り返ってみた。
     蚊がどう見ているかは容易に想像がつく。「こいつの血は、色々検査に引っかかる低品質の血だが、ほかに隙のある人間が見当たらない。今はこれで我慢だ」
     カラスにも大学近くで何度か頭を蹴られた。「危害を加えるようには見えないが、間違った考えをもたないよう、念のため、一応蹴っておこう」
     もしライオンが襲ったら、最初に内臓を一口食べ「このホルモンは脂肪が多すぎる」と思っただろう。
     人間にはどう見えていたのか。