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社会人30年目の節目の「黒川塾」
2015-10-05 11:42330ptすでに社会人になって、 30 年以上が経過していますが、すべてはエンタメを軸として仕事してきました。つまり他業種や異業種への転職や転向はありませんでした。遡って考えれば学生時代最後の年にマクドナルドの会社訪問をしたり、当時はまだ一般的ではなかったファックス機器(今では想像できないですよね皆さんは)の営業販売の会社訪問をしたり、あとはファッション系が好きだったので墨田区にある線維系の商社に会社訪問をしたりしていました。まあ、まったく方向性は定まっていなかったですね。でも、自分のなかでは「ミュージシャン」になりたいということと、音楽関係の仕事をしたいということだけはブレてはいませんでした。結果的に銀座の山野楽器の営業販売に社員としての内定をもらい、あとはアポロン音楽工業 ( 後のバンダイミュージックでランティスにつながる系譜 ) に就職することができました。 -
30年という月日~ 「追憶のファミコン」 (最終篇) 28歳の僕
2013-09-12 15:07330ptそれが、予想以上に売れたおかげで、だったらこのままレコードにしたらいいんじゃないか・・・というのが「ドラゴンクエスト」のゲーム音源を使った初めてのゲームサウンドトラックレコードの完成でした。それは 1986 年のことでした。
青いカラーが印象的なLPレコードで、当時のファミコンブームとドラクエ人気にあやかり、アポロンとして異例のヒットレコードになりました。
のちに「牧野アンナ」さんのアポロンからのデビュー曲「ラブソング探して」という曲が「ドラクエⅡ」のタイアップ曲として起用されることになりました。(牧野さんは、今では立派な振付師として活躍。沖縄アクターズスクール出身)
しばらくするとアポロンにとってゲームサウンドトラックは売れ筋のコンテンツになっていきました。 -
30年という月日~ 「追憶のファミコン」 27歳の僕 中・後編
2013-09-05 18:13330pt当時の上司だったT部長は、おそらく今の僕よりも若かったことでしょう。
T部長からは「オマエの担当はカラオケとBGMだ」と言われたときはなんのことを言っているのかさっぱりわかりませんでしたが、Sさんという先輩がやっている、流行曲のカラオケをレコーディングする仕事とアポロンの売れ線だったBGM(歌なし)をレコーディングする仕事を担当することになりました。
どちらも僕が望んだ、革新的なアーチストものでもありませんでした。ゆえに、なんのために異動したのだろうかという疑問も同時に抱えてしまったのです。
本社にしてみれば、若くてイキのいい奴が毎年うるさく言ってくるので、そんなに言うんだったらやらせてみるかというのが本音だったようです。
しかし、その頃であった人たちとの交流は今でも続いているものがあり、何事も役にたつということは今もって感じているものです。
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