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桜が咲き始めて、いよいよ春。春は別れの季節でもあり、出会いの季節でもあります。
今回は、お別れについてちょっとかんがえてみたいとおもいます。世界的に見ると、お別れの言葉は一般的に「神の身許によくあれかし(Good bye)」「また会いましょう(See you again)」「お元気で(Farewell)」のどれかに当てはまるそうです。でも、現在こそあまり聞かなくなりましたが、日本では「さようなら」を別れの言葉にしてきました。これは、この3つのどれにも分類されないものです。
「さようなら」は「さらば」、つまり「そうであるならば」「そうでなければならないならば」が語源です。そうであるならば。ある出来事が完了したときに、いちど立ち止まって「そうであるならば」と確認し、そうしてから新しい一歩を踏み出す。その終わりをきちんと見届け、現在を見据えてそれを次につないでいく。そんな心持ちがあらわれているようです。
また、「さようなら」を「そうでなければならないならば」として見るとき、それは避けられない別れを受け入れる姿勢におもえます。別れによる悲しみや寂しさ、絶望もあるけれど、でも、そうでなければならないならば。そんなふうに、自分にわき起こる感情も受け入れる。それだけではなく、自分のもとから離れて行く人や物事を尊重し、その選択を受け入れる。そんなふうに、そこにあるすべてを内包するような、そんな感じがします。
「さようなら」。
この言葉をおもうとき、その深淵さに心が洗われるようです。なぜなら「さようなら」はいまここに立ち、その場所でそこにあるものすべてにOKを出したときに出てくる言葉のような気がするからです。
>>明日の後編につづく
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