家ではにわとりが3羽、それから犬と猫が1匹ずついて、加えて週に3回通っている牧場では馬を筆頭に、ロバ、山羊、そして犬と猫とにわとりがわんさかいる。
子どもたちはそんな動物たちをともだちとして、あるいはわが子のように、ときにはおもちゃのようにこねくり回しながら、よく面倒を見ている。それが仕事といってもいいくらい、子どもと動物は同じ空間でうまい具合にほどよく共存している。
あるときは仔馬が産まれ、またあるときは犬が死ぬ。交尾がなかなかうまくいかない雄馬を励まし「あんなに頑張ってるのにねー」と同情する。人間の言葉を介さない関係性のなかでも、そんなことすらものともしないほど、子どもたちは動物たち相手に嬉しがったり怒ったり、丸ごとの感情をそのままにぶつける。
数日前、うちの雄鶏が何者かにやられた。
雄鶏のニックネームはジョン。このジョンはうちでは2代目にあたる。身体がとても大きく、ただならぬ迫力を醸している。こっちがちょっと気を抜くと、背後からするどいくちばしを叩きつけられるからうかうかしていられない。そのためジョンの近くを通るときは、精一杯の「気」を放つように心がけているし、うちを訪ねてくるお客さんにもそう伝えている。よって、うちの犬よりも猫よりもここに住むどんな動物よりもジョンがいちばん強いと思っていただけに、ある日ジョンのとさかが傷だらけになっていたときはほんとうにショックだった。
「見て! お母さん! 脳みそが見えるよ!」子どもたちがとさかをパカッとめくって中を見せてくれた。その衝撃的な様相にわたしは卒倒しそうだった。しかし、それでもジョンは今日も堅実に米をツンツンとついばんでは、積極的に生きる道を突き進んでいる(ように見える)。
「の、脳みそが見えているのに、こんなにクールに日常を全うしている」胸がジーンとして、ヘナヘナっとなった。やっぱりジョンはかっこいいぜ。
うちの猫は、娘の誕生日の7月21日に拾った。
道路の真ん中で、晴れた日だったけれどなぜかびしょぬれでうずくまっていた。そのうえその周りを野犬がうろうろしていて、いちどはスーッと車で通り過ぎたもの「だめだ、放って置けない」と、Uターン。
生後2週間といったところだろうか、ぶるぶる震えて体温がかなり低かったから心配したっけなぁ......と、そんなことさえすっかり忘れるほど、今はやんちゃで正直、非常に困っている。ほとばしる野生が強すぎてどうしていいのかわからない。いっそ、こっちの野生を強化して歩み寄るしか道はないのではないか(どうやって?)。おかず泥棒の常習犯、マーキングはかかせない。
名前はミースケ。はじめはミーちゃんだったけど雄だったので、ミースケに改名した。甘えん坊でわたしのあごの下に潜り込んでは首をちいさく噛む。それが痛いのなんの......涙。
犬はここだけの話、すごくかわいい。沖縄市のコザで拾われたからコザという名前にした。不慮の事故で後ろ足が2本ない。でも前足だけで颯爽と歩くから、肩の筋肉がりゅうりゅうのマッチョ犬だ。性格もほんとうに穏やかで、そしてかなりの人見知り。
知らない人が大勢くると、縁の下に隠れてじーっと気を消している。いくら「コザ!」と呼んでも一向に出てくる気配はない。でも、気心知れている人だとクリクリした目でじーっと見つめながら「なにかおくれよ」とおいしいものをねだる。そしてくれるまで、上目つかいで座ってじーっとしてる。こうしてコザのことを書いているだけで、かわいくてときめいてしまう。ミースケと比べて若干ひいきしている感は否めないが、まぁどっちともうちに居たいだけ居ればいいよ、と思っている。
動物はおもしろい。こうして縁あって同居している彼らだけれど、まるでずっと昔からいっしょだったみたいな親しみを感じている。