そう考えるとせつなくなりますが、じつはちょっと意識するだけで美しい自然の春を感じられます。
そこで都会でも楽しめる、「春を愛でることばたち」を集めてみました。
ことばで感じる春 「春愁」(しゅんしゅう)
春の日にふと感じる、わびしくもの寂しい気持ちのこと。年度末に配置換え、卒業といったお別れのシーズンというのも影響がありそう。
哀愁ではなく春愁とするだけで、どこか雅な印象です。
「花筏」(はないかだ)
散った桜が水面に浮かび、連なって流れるすがたを「いかだ」に見たてた言葉です。
道路にできた小さな水たまりに桜の花びらが浮かんでいるのを見つけただけでも心がなごみますが、なかでも青森県の弘前城のお堀にできる花筏はみごとです。
「桜蕊降る」(さくらしべふる)
桜の花びらが散ったあと、萼(がく)についていた細かな蕊(しべ)がこぼれるように降るようすを言います。
花は盛りをすぎてもなお趣があります。濃い紅色した蕊は小さくて、それになんだか健気です。
「花冷え」(はなびえ)
桜の咲くころは急に温度が下がってしまうこともしばしばです。
そんな季節の一時的な冷え込みをただの「寒い日」ではなく、「花冷え」とよぶ感性にときめきます。
「東風」(こち)
東からくるあたたかい風は都会でも感じられます。氷をとかして春を告げてくれる風です。
「馬耳東風」ということばがありますが、ほんとうは馬たちもこの春風に気づいているのではないでしょうか。
「晴明」(せいめい)
さまざまな花が咲き乱れ、空が明らかに晴れ渡ること。清浄明潔の略で毎年4月5日ごろをさすようです。
道路のひび割れからも美しい花がひょっこり顔をだす時期。青空と花のコントラストにうっとりします。
このように、ただ春のことばを知るだけでも、感性が磨かれるよう。
また「ねがはくは 花のもとにて 春死なむ その如月きさらぎの 望月もちづきのころ」との歌にもあるように、西行法師は2月15日満月、釈迦入滅の日に亡くなりたいと願い、1日ちがえどそのとおりになりました。
今のこよみでは3月末ごろになるので、たしかに花の盛り。うららかな春の日に花に囲まれて眠られたのですね。
こうして花を愛した故人にも思いを馳せたくなる、美しい季節です。
[日本の12か月を食べる、遊ぶ、暮らす。(幻冬舎)]
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