人生は一連の[望ましい、および望ましくない]出来事から成っています。で、私たちが、望ましいものを選び、望ましくないものを捨てようとしているかぎり、いやおうなしに[二元性の]葛藤が起こり、ショックを受けざるをえません。『しなやかに生きるために 若い女性への手紙』J・クリシュナムルティ星雲社/p.51より引用
晴れの日もあれば、曇りの日、雨の日や嵐の日があるように、人生ではいろいろなことが起きます。それらの出来事に遭遇する中で、喜びや悲しみ、怒りなどさまざまな感情を体験します。人生は、シンプルにただ、体験の連続なのでしょう。
ところが、望ましい/望ましくないという二元性の中で生きているとき、「望ましい」ものだけを選ぼうとするとき、本来シンプルな体験であったはずの人生が、どんどん苦しくなっていきます。なぜなら、「望ましい」ものがある限り、必ず「望ましくない」ものがあるからです。「右」があってはじめて「左」があるように、「上」があってはじめて「下」が存在できるように、「望ましい」ものがある以上、必ず「望ましくない」ものが存在します。存在するものを存在しないことにするのは不可能ですし、そのための努力は不毛ですから、苦しいだけです。
さらに言えば、望ましい/望ましくないという二元性は自分で生み出しています。「晴れの日」を「望ましい」と判定し、「雨の日」を「望ましくない」と判定し、そうして二元性を作り出し、その中でもがいているわけです。ただし「望ましくない」があるからこそ「望ましい」を体験できるわけで、「望ましい」を体験するには二元性は役に立ちます。大事なのは、二元性はあくまで自分が生み出しているということに気づいているということ。それが絶対的な真実ではなく、自分の判定にすぎないということに気づいていることです。良い/悪い、正しい/間違っている、美しい/醜い......そんな二元的な判定をしているということに気づいているということです。
今日の1枚:
夕暮れ時の海で光と闇が競演していました。光を体験するためには闇が必要です。闇を体験するには光が必要です。つまり、光と闇はいつもセット。どちらか一方だけを体験するのは不可能なのです。
>>明日の後編に続く
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