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二元性にからめとられずに生きるために必要なことは、目の前に起きている物事を、ただそのままに見ることです。そのまま見ること。簡単そうに思えますが、意外と難しいもの。ちなみにクリシュナムルティは、観察と、評価の混ざった観察を分けることが知性の最も高い形であると言っています。物事をあるがままに見ることができると、物事はただ起きているだけで、そこに自分が意味付けをしているに過ぎないことがありありと分かってきます。つまり、晴れ=いい天気、雨=悪い天気というように、物事に対して自動的に行っている判定に気づくということです。
もう少し例をあげてみます。たとえば「Aさんは嘘つきだ」。これは観察でしょうか、あるいは評価でしょうか。あるがままに物事を見たときは、たとえばこんなふうになるとおもいます。「Aさんは3時に来ると言ったけれど、5時に来た」「私はAさんのことを嘘つきだと思った」。
さらに、「3時に来ると言ったAさんが3時を過ぎても来ていない」とき「私」はがっかりしたり、イライラしたりしたかもしれません。ある出来事があった、そして私にこんな感情が湧いた。晴れている空を見上げたとき、なんだかワクワクした、雨が降っているのを見て、残念におもった。
そんなふうに、良いとか悪いとかといった評価や判断ではなく、あるいは評価や判断を下している自分に気づくことも含めて、その出来事を前にして自分に起きたことをただ認知する。それは、二元性から抜け出すことであり、その出来事をきちんと体験し、その体験をその都度完了させていくことです。
私たちの思考は過去や未来に思いをはせては、恐れや不安を生み出します。過去の出来事を過去の出来事として認識することは、遭遇する出来事や感情に振り回されずに、歩いていくコツなんだろうとおもいます。
今日の1枚:
ハワイの山で出会った向こう側が透けて見える葉っぱです。あるがままを見ているようでいて、その実、このくらいのフィルターを通して物事を見ているなあと思います。向こう側にあるグリーンの美しさをそのままに見られたらどんなに素敵でしょう。
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