こんにちわ。インドが好きなIT翻訳者&エディターの松本恭です。
毎日暑いですが、エアコンの利いた部屋で1日中コンピューターに向かっていると、体が重くなってきませんか?
こんなときは公園に行き、芝生の上を裸足で歩いてみてはいかがでしょう。芝生に寝転がったり、じっと空を見たりしてると、疲れがすーっと溶けていくのがわかります。夏の夕方は心地いいですね。
デジタル・デトックスは、スマートフォンやコンピューターへの依存を断ち切るための試みだそうですが、体に溜まった電磁波を抜く(アースする)作業とも言えるでしょう。自然に触れているだけで、生き生きした力が湧き上がってくるのを感じます。
Point!
サンダルを脱いで裸足で地面を感じてみよう
今回は、大きな自然に包まれていたインドの巡礼の暮らしをご紹介します。夏の計画のヒントになれば幸いです。
真夜中2時に出発。楽しかったインドの巡礼現代の生活は自然から遠くなっていますが、インドの巡礼では、自然とともに生きていた古代の暮らしをもう一度体験することができました。聖地バナーラスの外周約88キロの道を5日かけて歩く巡礼の旅は、肉体的にはかなり厳しいものでしたが、不思議と辛さは感じず、むしろ幸せな体験でした。
本当のインドの巡礼を味わうために、地元の巡礼団に参加させてもらったのですが、それは、毎日真夜中に起きて沐浴を済ませ、切ない響きの巡礼歌を歌いながら星空の下を歩くという、とても不思議な5日間でした。だいたい朝7時ごろ、遅くとも10時には巡礼宿に入り、深夜2時ごろの出発まで、空を眺めたり、木陰から漏れる太陽の光を見たりしながら時間が過ぎるのを待ちます。
巡礼路にある祠のひとつ © Kyo Matsumoto
不思議なことに、退屈とも言える長い時間が、ひたすら空や木々を見ているうちに、とても美しく、目が離せないほどわくわくするものに変わるのです。これは、瞑想をはじめた当初はなかなか時間が過ぎなくて辛かったのに、何度も続けるうちに、いつしか楽しくなっていたという感覚とよく似ています。
Point!
巡礼の暮らしは瞑想とよく似ている
真夜中に出発するのは、ひとつにはインドの暑い日差しを避けるためですが、太陽が上る聖なる時間を巡礼しながら迎えるためでもあります。歩きはじめは、月と星が輝く完全な夜空です。しばらくすると風が吹き始めるのですが、これが夜明けの最初のサインです。東の空が濃紺から紫に変わり、だんだん赤みを増し、やがて地平線がオレンジ色に染まったら感動的な夜明けがやってきます。
夕方は、明るかった空がしだいに暗くなり、手元が見えないほどになったら夜の訪れです。
インドの夜明けはいつも感動的 © Kyo Matsumoto
星空は目が離せなくなるほど美しかった巡礼の暮らしは古代のインドを体験する旅なので、人工的なものがほとんどなく、照明といっても大きな巡礼宿にひとつかふたつ裸電灯が灯っているだけです。もちろんテレビやラジオ、本といった情報からは完全に遮断されています。当時はスマートフォンがない時代でした。そんな夜に、歌が大好きなインドの人たちは、さまざまな歌を歌って過ごしていました。
お祈りのためのココナツを売る少年 © Kyo Matsumoto
いっしょに歌うこともありましたが、夜空を見上げるのが楽しくなっていたので、建物の屋上に寝転がって過ごしているほうが多かったです。空の隅にあった月をじっと見ているとだんだん動いて頭の上までやってきます。月に掛かった薄雲が、びっくりするような速度で流れていったのですが、時間の感覚が変わっていたのかもしれません。
3日目になると、空を見上げるのが楽しくてたまらなくなってきました。星空や夕焼け、そして青空に浮かぶ雲を見ているだけなのですが、それがまるでエキサイティングな映画のように見えてきて、まさに「目が離せなく」なってくるのです。
Point!
じっと自然を見ていると、繊細な美しさが浮かび上がる
子どものころ、世界にもっとリアルに触れていた頃の感覚を取り戻すのが瞑想だとすれば、巡礼は、私たちが自然と距離を持たず、大きな自然の一部として生きていた頃の暮らしに戻ることでしょう。文明や人工的な情報のなかった時代に戻ることでもあります。かつてインドの村では、素焼きの壺で牛糞を使って煮炊きし、葉っぱでできたお皿を牛に与えるという、完全に循環する暮らしでした。
実際にやってみるとわかるのですが、このようにして過ごしていると、世界が生き生きと輝いてくるのです。
意識と体のズレを修正するには?現代の消費社会は便利で、都会の暮らしは刺激的です。地球の裏側にいる人とも、距離を感じることなく一瞬でやりとりできるようになりました。キーボードを叩きながらさまざまな国の人々とやり取りしていると、生身の体を取り残して意識だけがどんどん、ものすごい速度で広がっているような気になります。でも、相変わらず体は椅子の上に座りっぱなしです。
私はデジタルが大好きですが、そうは言ってもコンピューターやスマートフォンに触れてばかりいると、体と意識のズレがどんどん開いていくような気がします。それは文字通りとても不自然なことだし、やはり体にとってよくないと思うのです。
巡礼中は、かつてのマハラジャの邸宅や寺院の境内など、専用の巡礼宿に泊まります。朝、巡礼宿に入ると、出発するまで外に出ないので、インドの街の喧騒から離れた5日間でした。けれども、たまに入り口に立って外の世界を眺めると、混雑したバイクや車のクラクション、行き交う人々に牛、山羊などの動物、そして空間を埋め尽くす文字と色彩のおびただしい情報に圧倒されました。そのすべてが、たまらないノイズです。
巡礼宿では、石畳の上に布を敷いて横になる © Kyo Matsumoto
この夏は、五感を開いて世界に飛び込もうヴィパッサナーなどの瞑想リトリートでも言えることですが、リトリートが終わって日常に戻った瞬間は、現実世界の騒々しさに圧倒されるのですが、あっという間に慣れてしまい、いつもの感覚に戻されます。それだけ、人工的な音や色彩などの魅力は強烈なのです。
だからこそ、ときにはあえてスマートフォンなどデジタルガジェットから離れ、自然に包み込まれることが大切だと思います。たとえば海や川で水に触れたり、心地よい風に吹かれたり、鳥や蝉の声に耳を澄ませたり、夕暮れの空を見つめるなど。
Point!
身近にある自然に意識を向けてみよう
五感を全開にして、自然を感じていると、いつしか、世界がとても美しく感じられる瞬間がやってきます。ポイントは、退屈さに耐えることです。
最初は「耐えている」感覚かもしれませんが、あるポイントを超えると瞑想状態に入り、世界が違って見えてきます。リラックスしていると同時に観察力が高まっている状態になるのです。その状態で見る光景はとても美しく、透明感があります。
いよいよ梅雨も開け、本格的な夏がやってきました。半日でもいいので、自然に包み込まれる体験をぜひ味わってみてください。
>>第1回「初めて出会った瞑想、なぜ楽しかったのか?」を読む
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