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心から大切に思っていた人とはじめて想いが通じあったとき、「この人に触れてもいいんだ」という深い安心感と感動をおぼえます。それは好きな人から受けいれられた喜びに心が震えた証拠です。
その奇跡のような瞬間は人生で何度も味わえるものではないのに、まるで麻薬のようにもっともっとと、幸せな感覚を再び味わいたくなります。ところがその感覚の再現を相手にもとめたところで、状況も変化しているのに無理な要求です。なのに乗ってこない相手に不満を感じ、「昔は違ったのに」と落胆することも。
生きててよかったと思える記憶をくれたこのように相手に無理なトキメキの再現をもとめたくなったとき、思い出したい文章があります。それは「フランクル『夜と霧』 2012年8月 (100分 de 名著) 」にあるこんな文です。
「人間は結局、何によって救われるのか。それは、たった一つでいい。本当に自分が愛した人、自分が本当に大切に思う人と深く触れ合うことができたという、その一瞬の思い出があれば人間は救われるのだ」(中略)
ただ、そのことを思い出すだけで、心が豊かに満たされ、生きててよかったと思えるような記憶。それが体験価値です。
(「フランクル『夜と霧』 2012年8月 (100分 de 名著) 」68ページより引用)
いまはどうであれ目の前にいる人は、生きててよかったと思える記憶をくれた人なのです。そう理解して相手を見つめると、不満どころか感謝の気持ちが湧いてきます。すると相手に「もっともっと」とねだっていたころには知りえなかった、揺るぎない愛の感覚が芽生えるのではないでしょうか。
[フランクル『夜と霧』 2012年8月 (100分 de 名著) ]
photo by Thinkstock/Getty Images
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